LSE/ロンドン留学記 (LT Week 4)

ようやく先学期の提出課題をすべて提出し終わって少し一息。
世の中にたくさんある論説の中で、核となる理論を使いながら自分なりの議論を展開する難しさ。家を建てるのと家に住んだり修繕するのとが根本的に違うように、自分なりの理論を組み上げるのは簡単ではない。
今までは、住む専門だったなぁと思う。
既存の主要な論説は大黒柱や建築様式みたいな存在で、それを使いながら、どうやって自分なりの家を建てていくか。
巨人の肩の上に立つと言われるように、全く何もかも無視して自分だけで家を建てるなんてことはできない。
それを実地で学んでいくか、学校のカリキュラムの中で学ぶかの違いはあるのかもしれないけど、基礎となる理論や技術は学ばなければならない。
全く同じ家が建たない(実際には建売なんかは同じになっているが)し、同じ場所に建たないように、建てた家には何かしらの新奇性はあるはずなのだが、自分が気に入るような、参照されうるような家を建てるのは簡単ではない。

今回は先学期の課題として提出したものをまとめておく。

<Cities by Design>
Unromantic maintenance of urban green infrastructure -Parkland Walk in northern London-
都市の緑地維持の厳しい現実:パークランドウォーク

ロンドン北部にはパークランドウォークという廃線跡を活用した遊歩道が存在する。
一時は道路になる案も出ていたが、Friends of Parkland Walk (FPW)という地元の市民団体が中心となった反対運動によって市民のための空間となった。
パークランドウォークは移民・貧困層の多い地区にあるが、観察してみると利用者は白人ばかりであり、すべての市民に開かれているとは言い難い。
現在パークランドウォークは地元政府が所有し、維持管理を行っているが、FPWは自然保護団体として動植物の保護や清掃活動、自然教育活動などを通してFPWの保護に関わっている。
FPWは地元政府と定期的にミーティングを行い、空間のマネージメントに提言を行っている。
その提言内容は、街灯やベンチを設置せず道を舗装しない、など自然保護を最優先したものである。
彼らはボランティア活動を通して地元政府の緊縮政策に貢献する一方で、空間マネージメントに関わり自分たちの思想を空間に反映させようとしているのではないだろうか。
FPW へのインタビューを通して、都市の緑地が物理的ではなくともボランティア活動を通して、中流階級に貢献するものにされてしまっている可能性を指摘する。
パークランドウォークはストリートアートの聖地としても有名な場所である。
地元政府やFPWはそれを「落書き」と称して嫌悪しているが、ここにこそ真の市民による社会構造への抵抗と、自分たちの空間を維持しようとする活動が象徴されているのではないだろうか。
インフラの維持活動とは何か。
ぞれぞれの思惑の中での空間の維持活動を探る。

<Urban Social Theory>
新自由主義都市における平等な健康ために寄与する公共空間
Public space for health equity in the neoliberal city

ライフスタイルに重きを置いた新自由主義的公衆衛生政策の中で、根本的な不健康の原因となっている構造的問題は放置され社会的弱者の健康は脅かされ続けている。
社会的弱者の健康を守るためには、公衆衛生の専門家だけでなく様々な分野の専門家の協力が欠かせない。
その中で都市デザイナーはどのように貢献することができるだろうか。
公共空間は本来誰もがアクセスできる場所であり、社会的弱者の健康に寄与する事で健康格差を縮小するポテンシャルを持っていると考える。
ただ、上質な公共空間は健康に寄与すると言われているが、誰の健康に寄与しているだろうか。
特定の人の健康だけに貢献して、むしろ健康格差を広げる事に貢献していないだろうか。
世界的に広がる公共空間の私物化によって、本来公共空間が持つ健康格差を縮小するポテンシャルは脅かされている。
この潮流に対抗するために、都市デザイナーたちは分野横断的連携をするだけでなく、包摂的公共空間デザインの枠組みを確立すべきではないだろうか。
また、都市専門家の教育カリキュラムと専門家としての理念の確立も必要ではないだろうか。

<Qualitative Social Research>
広島平和記念公園は公共空間としてどのように市民生活に貢献しているか
How is Hiroshima Peace Memorial Park contributing to public life as a public space?

広島平和記念公園は平和祈念を目的としてデザインされた公園だが、市の中心部にある公共空間でもある。
広島市中心部の公共空間は、中央公園の再開発により縮小の危機にさらされている。
平和記念公園は平和祈念のための空間としての側面が注目されがちだが、公共空間として市民の生活にどのように貢献しているのかは光が当てられていない。
今回、フィールドワークを行い、人々が平和記念公園をどのように利用しているかを評価した。
上質な公共空間の特徴の1つとして、活動の多目的性が提唱されているが、平和記念公園には多様な活動が認められ、上質な公共空間として機能している可能性が示唆された。
今回は予備研究だが、平和記念公園の公共空間としての価値と課題について詳細な検討をする余地があると考える。


今週の授業のまとめ
<Cities and Social Change in East Asia>都市政策とスペクタクル都市

オリンピックやワールドカップのようなメガイベントは都市化とどのように関係しているか
メガイベントには、様々なステークホルダーの思惑が交錯している。
経済的なレガシーが強調されるが、社会的なレガシーはしばしば見逃されている。
オリンピックの名の下に、立ち退きや私権制限が正当化され、通常なら反発する国民も声が上げにくくなる。
また、経済的な側面も、ポジティブな側面ばかりに焦点が当てられるが、巨額の公費を投じるネガティブな部分は見逃されがち。

①Economic: global investment
世界の様々な都市は、この機会を利用して名前を世界に広め、世界クラスの都市に名を連ねて投資家を呼び込むために利用する。

②Economic: domestic investment (public infrastructure)
地方自治体の限られた財源ではできないインフラ整備を、国家の資金を使って実現する手段でもある。
その一方で、インフラ整備は観光客への利便性を軸に行われるものであり、地元住民にとって価値あるものであるかは疑わしい。逆に地元住民のためのインフラ整備への予算配分が減らされたりもする。
また影響を受けるのは開催都市の住民だけでない。他の都市に国家から分配されるはずだった予算もメガイベントのために削られてしまう。

③Political
国家は、この機会を国家を団結させ治安を安定化させたり、政権運営やイデオロギーを正当化するために利用したりもする。(1936年ベルリン五輪、1940/64年東京五輪、1988年ソウル五輪、2010年南アフリカワールドカップ)


時間軸での検討も重要。
例えばロンドン五輪では、治安維持のために大量のCCTVが設置された。五輪が無ければ正当化されないような治安維持の手法の強化が一時的なイベントのために正当化され、イベント後もそのシステムは維持される。
経済効果は一時的なものだが、イベント開催のために立ち退きさせられる社会的弱者への影響は長期間に渡って残り続ける。
また、短期間のゴール設定があるために、深い議論がなされないままに、今までの優先順位を飛ばして急速な開発が正当化されるのも特徴。

メガイベントは、社会の問題を隠すために利用されうる点には注意が必要。
どんな利益が誰の利益になるのか。利益の分配は均等ではない。
一方で、東京2020で表面化したジェンダー問題のように、多くの関心を集める機会は社会の不平等を多くの人の目に晒し、社会変革のきっかけを作る潜在能力もあるかもしれない。

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