AIの自動運転はそうそう簡単には実現しない。
自動運転は難しい
とういうことで、実現すればとってもうま味が大きいですが、ハードルが高すぎて、実現するまでかなりの年月を要するのでは無いかという話を書きます。
当たり前の話なのですが、社会の成り立ちは人間を中心に最適化されており、車は人間が生まれた後に出てきた後発の道具です。とても利便性が高いですがね。
なので車さんも当たり前なのですが、人間のルールや社会インフラに最適化されなければなりません。
流通のために車さんがどんなに街を実行可能なスピードで飛ばしたくても、信号を守らなければなりませんし、万が一のために速度制限だったり、厳しい交通ルールがあります。
はっきり言って、自動運転なんて、何にもない真っさらな土地に、まずは車の自動運転ありきでインフラを作って人間さんが車の自動運転の妨げにならないように生活する。
と言った環境だったら、明日にでも自動運転は可能です。
要するに、道路は全部車しか走れない環境にしてしまって、人間は二階以上を人間のための居住移動空間に変えてしまうとか。鉄道みたいに余程の事がない限り人間が侵入できない環境を作るとかですね。
高速道路なんかもっと簡単で、等間隔に電波塔のようなチップを埋め込んでしまって、あとは車がその反射を認識できるような装置を埋め込んでしまえば高速道路においてはAIなんか使わなくてももっと原始的な方法で簡単に自動化なんか出来ちゃいます。
要するに自動運転のボトルネックは何かと言うと人間の存在なのです。
生物は多様な生き物です。人間は一人一人個性的に、個体差が生まれるように形成オーガナイズされています。環境の突発的な変化に対応出来るためですね。
なので、たとえは、信号を守らなきゃならないルールなのに信号無視する人が必ずいますし、高速道路などで割り込み運転をする人間が必ずいます。
そう言ったイレギュラー全てに対応した、現在の法律やルールや社会環境に対応した自動運転のプログラムを書かなければならないのです。
これがとっても手間で、少数だって必ず信号無視する人間がいます。目の見えないハンディキャップを持った人間も居ますし、人間とは実に多様なのです。そう言ったほとんど全ての可能性を潰さなければならないので、自動運転ってのはそう簡単に行かないよね。って話です。
要するに道路全てにビス打ち込む事も、人間を法律で隔離する事も、道路全てにガードレール入れたりするのは、今の環境だと、新規でインフラ作るよりも、アホみたいにコストがかかるので、AIや高機能のカメラ使ったプログラミング組んだ方が安上がりなんじゃないの?
って事でやっているわけです。実は他の解決策の方が簡単に安く早く出来るけど、今の環境を捨て去る事はしたくない。コンコンドル効果みたいなやつですね。
これは結構ビジネスの場面で出てくる問題です。既存のシステムやインフラや資産を温存する事で、実は大きな利益を失っているって事です。
さて、何とかかんとか自動運転が臨床実験まで進んだとしても今度は、法律と倫理の問題が出ます。
まずは、AIの方が人間よりもうっかりミスする可能性は少ないです。しかしAIの方が何故か社会に対するインパクトが大きいのです。
第一の関門の人間が持っている認知バイアスの罠です。人間はどうしても感情の生物で、物事を合理的に判断できません。多数は必ず感情に選択を支配されます。
なので、一度でも何かエモーショナルな事件、例えば、小さな子供たちが自動運転で犠牲になったとか、そう言った、プログラムのエラーで事件が起こっちゃうと、もう世間は自動運転は悪だっていう論調になり、自動運転は禁忌である。
となって、自動運転は簡単に凍結になったりします。
次に、もし、自動運転で車プログラムが過失を犯したらそれは誰の責任でしょうか?
プログラムを組んだプログラマーでしょうか?それともその車の所有者?車を販売したメーカー?国家?
と言った乗り越えなければならない倫理のハードルがあります。これに対して、大多数の合意が無いと自動運転は街を走れません。
この部分を社会コストとして、国が責任を取る。という形で皆んなが少しずつ負担をする。
要するに、自動運転で惹かれちゃった人は、食中毒で死んじゃう事と同じ扱いだよね。って事を国民が享受しなければなりません。
所が交通事故にあった本人やその身内にとってはそう簡単に「食中毒だったか仕方ない…」みたいに割り切れませんよね。きっとその人々の何%かは、自動運転反対のストしたり社会に自動運転の危険さを訴える人になったりするんじゃ無いでしょうか?
それはまぁ人間は感情の動物なので仕方ない事なのです。で、だいたいサポートしている人々に自動運転がなければ利益を得る立場にいる人々がわかりにくい形でサポートしたりするんでしょうがね。
この部分がとりわけ日本だととてつもなく時間がかかるんじゃ無いかと私は私は勝手に思ったり思わなかったりするんです。
さらに、問題があります。それはAIとは学習を重ねれば重ねるほど、個性が出る。要するにローカル化してくるのです。簡単に言うと日本で作った自動運転AIは他の国では使い物にならないって事です。
これは例えば有名なヘルメット問題で説明します。
狭い路地を車が走っています。目の前からノーヘル運転のバイクとヘルメットを着用して運転しているバイクが突っ込んできました。
車は絶対どっちかを惹かなければなりません。他の選択はありません。(alternative question)究極の二択です。
さて、あなたはどちらのバイクを引きますか?要するにどちらのバイク運転手を助けますか?
ちょっと考えて答えを出してから聞いてください。
これは
日本やアジア圏は基本的に厳罰思想が強いのでノーヘルの運転手に突っ込む選択をする人が多いです。
要するに自業自得だろ?交通ルールをちゃんと守らない奴は交通ルールを守っている奴より命の価値が低いって判断ですね。
ところが
ヨーロッパ、アメリカでは真逆になります。
これはヨーロッパ、アメリカは効率主義、合理思考が強いので、ヘルメットを被っている人間を引いた方がノーヘルの奴を引くより生存確率が高い。だから、両方生かしたいから、ヘルメットを被った奴を引くって選択ですね。
こちらは実に合理的な発想ですね。
このように、こう言ったalternative(どちらか必ず選ばなければならない)選択でかなり地域差が出ます。
だから、基本的にグローバルで使える自動運転AIを作るのは結構困難なのです。
だから、他の選択(人間を道路から締め出すとかですね。)した方が実は最終的には低予算で済むかもしれないですし、AIを自動運転に利用する場合
AIがミスして人間殺しちゃったら、しかもそれがエモーションな事件だったら、人間は簡単にハレーション(傷口や弱い部分を触られてヒステリーを起こす行為)しますし
多数は人間と自動運転、どっちが事故率が高いか?なんて興味もないですし、人間の今の交通インフラを前提に自動運転を開発している限り、時間的にも、コスト的にも、多く資源がかかりますし。
よしんば出来上がったとしても、倫理的や法律的、それと人々の認知や理解の浸透に多大な時間とコストがかかると思うのです。
そうやって考えてみると、阻害要因の人間の力がとてつもなく大きいので、そうそう簡単に自動運転なんか社会に浸透しないんじゃ無いかな?と思うのです。
勿論、いずれ浸透しますが、そのいずれにかなりの時間を有すると思うのが私の予測です。
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