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ただただラジオの思い出を語る

今回、「ラジオについて」というお題が出たので書いてみます。

ラジオの仕事をしてるので、なぜこの仕事にたどり着いたかみたいな話を書いてもいいのですが、長くなる上にあまり面白く無さそうな気がしたので、単なるラジオの思い出を書き連ねてみます。

小学校6年・MCハマー

音楽をまともに聴き始めたのは小学校6年のころで、我が家にCDラジカセが来たんですね。当然ラジオも付いてるのでこの頃からなんとなく聴くようになってました。

ただ小学校での話題はやっぱり漫画やアニメ、テレビが中心。「週刊少年ジャンプ」と「月刊コロコロコミック」は必携でした。そのコロコロコミック原作で、当時TVアニメが放送されていた「おぼっちゃまくん」の話です。

6年生よりはもっと低年齢向けな感じの内容なのですが、このおぼっちゃまくんの主題歌を「MCハマーが歌う」という情報がコロコロコミックに。

これはビビりました。今でこそメジャーなアーティストがアニメソングを歌うことは珍しくもないですが、当時アニメソングはアニメのために作られてるものが主流。しかもMCハマーは人気絶頂期で、このときが確か初来日のタイミングだったと思います。たまたまラジカセがあって音楽にかぶれ始めてたので、特に詳しいわけでもなかったけれど「スゴい洋楽の人がおぼっちゃまくんの曲?」と驚いたのを覚えています。

それで小学校の友達にスゴいよなあって力説するんですが、正直誰もピンときてないんですよね。アニメは見てるけど、まだ音楽とか、特に洋楽に関心がある同級生がほとんどいなかった。

それで、もやもやしてたわけです。すげえニュースを見つけたのに、誰も共感してもらえない・・・誰かとこの気持ちをシェアしたい。そう思って、なんとなくラジオをきいていたところ、ラジオの向こうの声がこう言ったんです。

「私の名はアニメキング・・・」

鹿児島のラジオリスナーなら知らない人はいない、MBCの采野吉洋アナウンサーです。当時全国でも珍しかったであろう、アニメソング専門番組「アニメでGo!Go!」でした。

アニメキングなら、わかってくれるかもしれない・・・そう思った小6の自分は、はじめてラジオ番組にメッセージを送ります。

もちろん、ハガキです。

翌週。ドキドキしながら聞いていると、アニメキングこと釆野アナウンサーが自分のハガキを読み始めます。その気持ち、わかるぞ。MCハマーがアニメソングってすごいよな。そんなことを言ってくださった気がします。もちろんリクエストはMCハマーの「Go!Go!ハマちゃま(Count It Off)」。これがラジオ番組との初コンタクトになりました。

そこから20年以上が経過し、巡り巡って自分もMBCラジオに関わらせてもらうようになり、釆野さんに直接「その節はありがとうございました」とお伝えできたことは大変うれしかったです。

中学2年・鹿児島アリーナの翌日

1994年1月18日。中学2年の自分はアリーナのライブ会場にいました。

『CHAGE&ASKA 史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993〜1994』

当時人気絶頂だったチャゲアスが鹿児島に来る。なんとかして見たい。もういろいろと大変だったんですが、初めて見たライブはそれはそれは感動的でした。

で、当時CHAGEさんはラジオの生放送をやってまして。

TOKYO FM「CHAGEのnoru soru」。火曜深夜の番組で、このライブの日も火曜日。通常はもちろん東京から放送してるわけですが、夜のライブ終演後、鹿児島のスタジオから生放送をやる、という話でした。それはもう興奮冷めやらぬ感じで聴くわけです。その番組で、CHAGEさんが思いもよらぬことを言い始めます。

鹿児島、最高だったよ。
でも、俺はもうひとつ鹿児島で思い出を作って帰りたい。
鹿児島の中央公園?あるでしょ。このラジオを聴いてるみんな、明日あそこに集まってくれ。
ただし、公園の使用許可を取ってるわけじゃないから、絶対に騒いだりするなよ。お互いに会話してもダメ。目印になるように服装を指定する。白いシャツにジーンズだ。あと手に雑誌を持て。それでたくさん集まってきたら面白いじゃん。絶対に騒ぐなよ。ただお互いを見てニヤニヤしよう。
俺もどっか見えるところから見て、ニヤニヤしてるから。

まあ細かいニュアンスは違うかもですが、だいたいこんなことを言われました。

明日は水曜日、通常なら学校があるのですが、試験期間中だったかなんだったか、もう事情は忘れましたがとにかく行ける時間を指定されたのです・・・

ライブは最高だった。

CHAGEさんが来いって言ってる。

行ける時間、服装もなんとか合わせられる・・・。

まあ、行きますよね。

当時、電車で1時間以上かかるし交通費も往復2000円とかするんです。中学生にとっては大金。しかも前日のライブのためにお小遣いやら何やら駆使してるのでそうとう難しい話なのですが、まあ、行きますよね。

1994年1月19日水曜日の昼。指定された時刻に、ドキドキしながら鹿児島市の中央公園に行きます。何にドキドキしてるのかわかんないんですけど。手に持ってたのは確か週刊アスキーだったと思います。

すると、来るわ来るわ、同じ格好して雑誌をもった人々が。

騒ぐな、しゃべるな、と言われてるので、みんなお互い意識しつつも挨拶を交わすこともなく、ただ歩きまわっています。そういえば来いとは言われたから来たけど、来てどうしたらいいかは全くわかりません。黙ったまま不自然に中央公園を歩き回る、同じ格好の集団。

ていうか、明らかにみんな笑いをコラえてるよね・・・

どれくらい時間が過ぎたかわかりません。ひととおり、うろうろして解散となりました。みんな一言も発していません。1月なのに、なぜか汗をびっしょりかきました。手汗で週刊アスキーふにゃふにゃになりましたし。

それで楽しみなのは翌週のラジオなわけですね。どこかでCHAGEさん見てたのかなあと思いながらチューニングを合わせると、CHAGEさん番組冒頭で開口一番、

『鹿児島のお前ら、最高!!』

って言ったんです。ただそれだけの思い出。


ラジオの本質ってなんだろう

電波じゃないラジオ、アプリとかポッドキャストとかたくさんある時代になりました。これからもどんどん変化していくのでしょう。変化していくラジオの中で、変わらないこと、本質的なことってなんだろう。

ひとつは、「ふとしたひとことのチカラ」みたいなことじゃないかなあと思います。

良くも悪くも、テレビや映像メディアだとある程度の作り込みが必要です。情報量が多い分、配慮しなければいけないこともたくさんある。もちろんラジオも作り込んでるところは作り込んでるし、独特の配慮やテクニックもたくさんあるわけですが、「ふとしたひとこと」が生きる余地が格段に広い。そんなことを感じます。

30年前の釆野アナウンサーがかけてくれた言葉は、何万通と読んだお便りの中の一通だったでしょうし、CHAGEさんに至ってはおよそ練りに練って作り上げた企画とは思えません

でも、そのふとしたひとことは誰かに届いて、心が動いたり行動につながったりするのです。

巡り巡って、いま自分もラジオのマイクの前で話すことをやってます。出来る人はできるのでしょうが、少なくとも自分の力量では自分の発したひとことがどんな影響を与えるかをコントロールすることはできないなあ、と思いながらやっています。だからこそ緊張感があるし、だからこそ面白いんじゃないかな。

だんだん寒い季節になってきました。末端冷え性なので冬は苦手なのですが、冷え性の人は風呂上がりに足の指の間までしっかり水分を拭き取るといいよ、と聞いてここ最近やってみています。科学的にどうなのかは知りませんけども。確かこれもどこかのラジオで聴いたんだったなあ。

10年目に突入していますMBCラジオ「Radio Burn+」。毎週土曜18時から生放送。ラジオでも、Radikoでも、YouTubeライブでもどうぞ。





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