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凡人はよい筆を買え

自分は機器のカタログを見ながら飯が食えるような人種なので、たまに「○○を買おうと思ってるのだけどどれがよいか」といったような相談が来る。

飯が食えるというのは別に比喩でもなくて、いま実際にメーカーサイトの仕様表を見ながら弁当を食べていたら、その手の話が来たので思い立ってnoteを書いてみている。

ここでいう機器というのは、自分の場合は音響機器や楽器やPC関連などを指すけれども、ジャンルが変わっても共通する部分はある話だと思う。

「自分のレベルに合ったものを選ぼう」ってのをよく聞くけれども、これは要注意だ。確かに、上位機種になるほど高機能になるにつれて値段も上がる。どうせ使わない機能にコストを掛ける必要はない、というのはある意味では正しい。だがしかし、だ。

もうざっくり結論を書くと、「ほとんどの場合で最上位機種は必要ないが、自分の能力よりちょっと上のモノを買え」と思っている。エントリーモデルとか初心者向けと謳ってあるものは、(良く出来ている機器も少なくないが)基本的機能に特化して絞り込み、そのぶん価格を押さえてある。これで満足してしまうと、「その先にある世界」がイメージしにくいことに問題があると思っている。上位機種になるほど、ほとんど機器にまかせていても(カメラのフルオートモードなど)そこそこのクオリティの結果が得られる。そして機器まかせにしない場合にどうなるか、を試せる余地があるのが、エントリーモデルと上位機種の違いだ。それらをわからないながらも調べ調べ試すうちに知識が得られたり技術が身についたりすることに価値がある。

いまはスマホで大概のことができてしまうので、スマホのカメラだけでもここまで出来る系の話もあったりするのだけど(そういうチャレンジはそれはそれでクリエイティブだと思うけれど)、そして創作活動は紙とペンがあれば出来るみたいな話も理解はするけれども、どちらかというとこれらは「弘法は筆を選ばず」に類する話だと思っている。

弘法大師ではない、凡庸な能力しか持たない我々は、まず機器の力で今の自分の能力のちょっと先にある世界を見せてもらうのがいい。イメージすら出来ない場所にはたどり着くことは不可能だからだ。

そして、自分の能力を少し上回る機器を使っていれば、結果に満足が行かなかった場合にその責任の所在は機器ではなく自分の能力にあることが明確になる。能力が追いつけばもっとこうなるはず、を想定できるか否かの違いは大きい。

どうやら実際には弘法大師も筆を選んでいたらしい、という話もある。なおさら凡人の我々なら少し背伸びしてでも良い筆を持つべきなのだ。


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