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エネルギーを出せる環境をつくる

だいたい毎年この時期になると今年を振り返る的な記事がネット上にも溢れるわけですが、自分はというとこれもだいたい仕事を納められるような状況でなく、慌ただしくいつの間にか年が明けているというようなことを何年も繰り返しています。

今年も例にもれず、いったいいつ何が納まるのかわからない師走を過ごしていますが、2020年はおそらく後世の歴史教科書に載ることになるでしょうから、そういう時期の記録として振り返っておく記事を書いておくのもいいかな、と。

今年読んだ本で印象的だったものを1冊ピックアップしてみます。

「利己的な遺伝子」

有名な本なので書評も解説もたくさんありますから詳細は割愛しますが、タイトルの通り遺伝子について書かれた本です。

印象的だった点をざっくりピックアップ。
人間を含む生物は、自分(という個体または種)の子孫を残すために遺伝子のコピーを作っている、となんとなくそういう認識を誰しも持っていると思いますが、この主客が逆であるという話がまず出てきます。

遺伝子はそれ自体が自己のコピーを作ろうという性質があり、複製能力の高い遺伝子ほどそのコピーを残しやすくシェアを獲得していく、というのが基本で、生物というのはあくまでその遺伝子の乗り物に過ぎないというのですね。生物が自分の子孫を残すために遺伝子をコピーするのではなく、遺伝子の自己複製争いのために生物という入れ物がある、という考え方です。

親が子を守ろうとしたり愛情を感じたりするのは、遺伝子目線で見ると「そのようなプログラムを組み込んでおいたほうがある遺伝子のコピーが残る確率が高いから」だという話です。

実際はもっと複雑な解説や例示が大量に出てくるのでなかなか読みこなすのが大変な感じの本でした。この「遺伝子の性質が主であって我々が自分たちの意志だとか思っているものは実は遺伝子コピーのためのプログラムが発現しているに過ぎない」というのは、かなりの主客転倒している感があります。

遺伝子の目線で見ると、彼らが何かの意志を持っているわけではなく、まるで水が器によって形を変えるように「ただそういう性質である」というだけのことです。

2020年、我々はウイルスとの戦いに直面していて、どのように生活を変えるべきか、仕組みを変えるべきか、制度を整えるべきか、そういうチャレンジをしてきました。生物学的には、生物の細胞を利用しなければ自己複製ができないという点でウイルスは生物ではないらしいですが、ウイルスも当然ながら遺伝子を持っています。彼らは別に人類にダメージを与えようとする意志があるわけではなく、ただそのコピーを残そうとする性質があるだけ、なのです。

人類が様々な意志を持って歴史を紡いできたはずのこの社会が、実は遺伝子の自己複製合戦の結果に過ぎないのかもしれない。少なくとも、発想の転換の程度としてはそのレベルの理解をしようとする姿勢くらいは持っておかなければいけないような気がしています。

自分自身のことに限っても、2021年がどのような年になるのかは現状全くわかりません。遺伝子のような世界のメカニズムに委ねるしかないのかもしれませんし、その反面、もしそうなのであれば個人の意志など意味があるかどうかわからなくなってしまうので、せめてその社会を生きる我々としてはその時点で信じられるもののためにエネルギーを出せる状況に自らを置いておきたい。そのような気持ちになっています。

個々の状況を見ると困難な事情に直面することもも少なくありません。これまでの発想を遺伝子レベルで横に置くくらいのチャレンジをしていかなければ。それが意味があるかないかはわかりません。ただそのような方向のエネルギーを、いま温めているところです。

というようなことをつらつら考えていても日々は淡々と過ぎていきます。10年目に入ったMBCラジオの番組も、今年最後の放送回になりました。
radikoやYouTubeライブでもよかったらどうぞ。


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