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いまだって何もわかんねえよ、2020冬。

「中学生の頃、どんな仕事に就きたいと思ってましたか?」

最近、何人かの人にこういう質問をしてみた。中高生を主体にラジオ番組を作る(正確にはラジオ+ネット配信、なのだけど)という企画で、様々な職業の大人に、インタビュー対象として協力してもらうことになり、その事前取材でのこと。

ふと、自分が中学生だったときのことを思い返してみる。

1991年~1994年がちょうどその時期。まだほとんど一般家庭にパソコンなんてなくて、携帯なんぞ誰も持ってない。ポケットベルは一部のサラリーマンのもの。そういう時代。

とにかく、もがいてた頃。

ひょんなことから中学受験をすることになり、地元の友だちとは異なる中学校へ。県内外から個性的なヤツラが集まってきてる学校で、特に目立てるわけでもなく、パッとしない自分にもイラッときてて。形としては音楽にかぶれてる中学生だったけれど、あれは単に周囲の状況にマッチできない自分を音楽の世界に追い込んでごまかしてただけだったのかもな、などと思う。

将来の夢、とか聞かれるのもこの頃は嫌だった記憶がある。何になりたいとかわからない。自分は何者になれるのか。

中学3年の夏。地元自治体の青少年派遣プログラムみたいなのに応募して、アメリカに行くことになった。1ヶ月強のホームステイ。ステイ先のホストファザーは葬儀会社を営んでいて、家の横には教会があった。ジャパニーズカンオケ、って見せてくれた木の箱には、障子窓が付いてたっけ。

中学生なりに感じたのは、世界のことはわかんねえなあ、っていう感覚。自分にはあまりにも知らない世界がたくさんある。理解できないこと、わからないことの量に圧倒されて、もうわかんねえや、って諦めに近いところに自分の気持ちが落ち着いた時から、なんとなくそういうものとして自分と社会の折り合いがつけられるようになっていった。バンドとかやり始めたのも、この頃。

いま、同級生の何人かは家業を継いだり、大企業に就職したりしている。90年代には存在しなかった業界も会社もたくさんある。独立したやつも、何度か大学に入り直したヤツもいる。そして世の中の状況は、さらにわからなくなってきている。

いまの中高生は自分たちの頃よりずっとスマートに見えるので、自分なんかよりもきっちりとこの波を乗りこなしてくのかもしれないなあ、とも思う。

自分はというと、不惑と呼ばれる年齢を過ぎても世の中のことなんてさっぱりわからない。単に表向き、もがいていたり戸惑っていたりする表情を誤魔化すのが年齢のぶんだけちょっと上手くなった程度のこと。

でも、先の読めないゲームこそ面白いんだよなあ。いろんなプレイヤーの大人に触れたり、ラジオっていうレガシーなメディアを通じて自分の言葉で語ったりする中で、きっといま想像してるのとは全く異なる社会へ飛び出していくであろう中高生たちが、なんかそういうことを感じてくれたら嬉しいと、元中学生としては思うのです。

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「みらいラジオ」については12月19日OAのMBCラジオ「RADIO BURN+」でも少しご紹介する予定です。生放送は18時から。Radikoでも、YouTubeライブでもどうぞ。



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