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味わい深く、低い山。天覧山。

 午前10時半頃、天覧山の麓に到着した。登山前だというのに、既に汗が滲む。

 山の麓には昨年新しくオープンした発酵のテーマパークなるものがあり、食や健康に気を配っているであろう人々が、発酵食品を扱うカフェやレストランを楽しんでいる。近年の飯能市はムーミン関連の施設をオープンするなど「北欧」をウリにしており、都心へのアクセスも可能でありながら自然にも触れられるということで引越しを決める人も多いようだ。またそういった層といわゆる「丁寧な暮らし」を好む層はかなりの部分で重なるらしく、食から健康を考える発酵のテーマパークに需要があるのも肯ける。

が、私の目的はあくまで登山であるため、発酵のテーマパークには目もくれず登山道に入る。登り始めてすぐ、下山する人達と挨拶を交わす。ありきたりではあるが、これが「海派か山派か」という話になるときに私が山派を推す理由でもある。人付き合いが得意でない私でも、なぜか自然と挨拶が出来るのだ。

 5分ほど登ると、休憩地点が現れる。天覧山は飯能駅側の登山口から入ると、この休憩地点まではコンクリート舗装の道を登らなければいけないので、かなり足腰にくる。少し休憩して息を整え(体力の無さに絶望しつつ)、再び歩を進める。

 休憩地点からすぐのところで、登山道は二手に分かれるのだが、私は必ず左手の道を進むことにしている。というのも、左手に進むと、「十六羅漢像」と呼ばれる、石壁に並ぶ石仏像を見ることが出来るからだ。徳川綱吉の生母、桂昌院による寄進だというが、そういった歴史的背景うんぬんではなく、私はこの石仏像を眺めているのが好きなのである。

 「十六羅漢像」を通り過ぎたあとの登山道はやや険しくなり、岩場も目立つ。ただでさえ無い体力がコロナ禍を通しほぼ皆無になった自分のとっては厳しい道だが、最後のひと踏ん張りと思い歩を進めると、視界が開けた。山頂である。何度も登頂している私にとって、頂上からの景色はもはや見慣れたものであったが、それでもやはり晴天のもとに広がる景色はなかなか良いものだった。次は多峰主山に登ろう。



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