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『暗闇の向こうで、きっと何かが鳴いている』覚え書き


2022年9月19日 K…沢にて

とてもおおきな台風が列島に来ているという。
窓の外では、ここK…沢も雨が今にも降りそうで、いつものようには鳥も虫たちも鳴いてはいない。風はまだ無くて、背の高い木々は押し黙ってぴたっと静止している。

レーベルのオーナー(以下、師匠)に自分が初めて作った音を聴かせたら、いいね、うちでも出せるけれど他に送ってみれば? と言われた。考えてみます、と続けて、その後に雑談していて、自分の住んでいる場所の話をしたら、師匠の眼がなんだかギラっと画面の向こうで輝いたような気がして、行きたい場所があるのだけれど案内してくれないか? と今日が初対面(=初DM)なのに突然言われた。?がなんだか会話の中で多い人だなと少し戸惑ったけれど、結局案内することになって、後日、わざわざここまでやって来た。


K…沢へ


駅前は冬で観光シーズンも終わったとても寒い時期なので、殆ど誰も人がいなかった。時間になったので、近くの指定していた少し大きめの喫茶店の駐車場に行くと、既に事前に言われた通りの車種の緑色のめっちゃ素人目にも改造してあると判る古めかしい四駆自動車が停まっていた。特に必要以上は車に詳しくもない私は、その絵も言われぬ今時ない迫力にちょっと引きつつ、窓を叩き、軽く挨拶し、まず眼の前の喫茶店にでも寄るのかと思ったら、長旅の疲れも無いのか、挨拶もそこそこに車内から開いた窓越しに、現地にすぐ向かいたい、と言われあわてて助手席に乗り込んだ。車中、リアルでは初対面にも関わらず、自己紹介や音楽の話など全くせずに、窓の外の鈍光を反射させた眼鏡をキョロキョロさせながら、曇天で雪のちらつく真冬の凍てついた空の下の別荘の数々を眺めては、ほー、とか、ふーん、とかひとりで声を出していた。ここだけの話だが、正直変な人だなとその時は思った(後にその時の印象を話すと、普段、他人とは音楽の話は全くしない、とレーベルのオーナーとは思えないことをおっしゃっていた)。

しかし、私には見慣れたこの光景も他所からやって来た人間には何か心をくすぐるものがあるのかも知れない。住んでいる私からすれば日常の一コマに過ぎない気候や風景も、有名観光地で主に夏や観光の適したシーズンにやって来る人たちは、この場所の風光明媚と一般的には言われるような風土を有り難く思うようである。祖母や祖父に言わせれば、自分たち(祖父母)の親の世代の頃は何もなく外国人が何故か有り難がる場所であったけれど、戦後から昭和の終わりにかけて大層開発されて賑わったそうである。私が生まれて物心つく頃にはその栄えも盛衰したようで、今ではシーズンの最盛期以外は割と静かだったりする。小さな頃に、学校の郷土史の臨時授業で、この地の別荘地の森の木々はかつて植林されたものだと教わった。外からやって来る人々が観る木々の風景は、それ自体人間の手によって人工的に作り出された部分もある。このいかにも豪華な別荘だらけの森の中に、自然の風景なんてものは果たしてあるのだろうか? 人々が有り難がり、幼い頃は全てが未知で刺激に満ち溢れ、私が無邪気に飛び跳ねて遊んだこの場所も、歳を重ねるに連れ、なんとは無い、人の手によって作られた日常のよくある風景では無いのか? と次第に思うようになっていった。

その一方で、恐ろしさもこの場所ではよく感じる。
近くにあるA…山は何時噴火してもおかしくないし(実際、近年でも小規模の噴火を繰り返している)、河川の氾濫も大規模なものが発生する。近辺の登山では毎年のように人が亡くなり、真冬は今行く路のようにガチガチに凍りついたり、雪が積りに積もって車でさえ走行不可能な場所も多い。−20度まで下がり、下手を打ち立ち往生すれば、一瞬にして身体中が文字通りに動かなくなってしまう。狩猟や登山中に山の中で吹雪いて身動きが取れなくなり、怪我や最悪凍死したり、幸いにして私はないが野生動物や昆虫に襲われたなんて話も聞く。大雪の中、山の中で谷に滑落したり、路を間違えて遭難して二度と帰って来ない人もいる。日常でも雪かきなどは大仕事になってしまい、毎年うんざりする。住んでいてもここは怖いと潜在的に常に思っている。学校に通うにも半年は自転車は使えないし、早く春が来ればいい、大人になったら絶対にこんな所から出ていく、といつも思っていた。
この状況を愉しんだり簡単に興味を持つのも、そんな地元民の悩みや恐れなどはカッコに入れているからだろう。都市は自然を遠ざける為に人工的に機能化していて、この森も真冬こそ自然とのせめぎ合いで圧されているけれど、コンクリートの量こそ少ないけれど、基本的には都市みたいなもので、その制御の末を皆楽しんでいるに違いない。へー、とか、ほー、とかしか車内で何も言わないこの人も多分そう。私は次第に、今二人で車で移動しているこの状況に、助手席に座りつつ、仄かにかつ徐々に、だが、確実に湧き上がるつよい嫌気が沸々と心に影を落としてきていた。ああー、苛々する。そう言えばこの眼鏡のオタクっぽい人、何処に住んでいたっけ?


そこは、私の住んでいる家から更に、かなり山際に入っていく場所である。経路の途中で昔の馴染みの古い教会を横切る。私の一家は信仰心は無いけれど、幼い子供が入りたがると中に入れてくれた。古い木の匂いがして、背の高い神父さんは見た目からしていかにも宣教師然として、そこは外国だった。日曜日の質素だがとても厳かなミサの雰囲気は忘れない。最近は通ることも少なくなった路や、その周辺の景色も、記憶の中では今でも確かに息衝いていた。更に奥に進み、私のうろ覚えの案内で、すれ違え無いような細い路を進んで行く(もっともこの時期にこの奥から対向車など来ようも無いのだが)。この辺りまで来ると路には車の轍さえ無くて、雑木林の中でも深い場所では雪が15cm以上は積もっている。私がこの辺りで降りて歩いて行きましょうと提案すると、師匠は未だ行けるよこの車なら、と言った。しかし、案の定そこから少し進んだ地点で、車は雪に足を取られて前には進めなくなった。雪の下の路面は凍っているのでタイヤが空転してしまうのだ。師匠はあーと言いながら、車をバックさせて、すれ違うために出来た途中の狭いスペースに停車した。降りて、二人で200mほど登り坂を歩いて行くと、この辺かな? ネットで見た感じと似ているな、と師匠が言って、カメラをバッグから取り出して素早くカシャカシャと何かを撮りだした。

わたしは奥まで行くけれど君はどうする? と何故か真っ直ぐな眼鏡越しの目で言われて、特に何も、と応えると、じゃあこれを使いなさい、とナップザックをごそごそ探り、私に何かを渡す。ソニーのポータブルレコーダーだった。小さい割には業務用なのかずっしりとしている。出会って初めて音楽家ぽいなと感じた。使い方を簡単に説明すると、師匠はじゃ、と言ってカメラをカシャカシャ言わせながら雑木林の奥に消えてしまった。雪がしんしんと降り始めて、ブーツの足の先が少し冷えてきたので、私はレコーダーを何処に置くかを探って、橋のようなベンチのような倒木の上にそれを置いた。風が少しあって、谷をいくそのボーという音と、背の高い唐松が揺れて上の方で擦れ合うのか不思議な重低音と高音を足したかのような音が定期的にした。私の家ではこの音は聴いたことが無い。この音を録ってみようと思い、左右のマイクの角度を調整し、RECボタンを押して、その場を離れて周囲を少し散策した。

倒木
師匠から借りたレコーダー
谷底から別荘を見る
谷にある階段
階段上から谷底を望む

左右が道に対して上向きの傾斜になっていて、路は丁度谷の底だ。その上の登ったところに別荘が間隔を空けて並んでいる。古い築数十年のものから最近建てられたと思わしきおしゃれな新築までとりどりだった。冬の別荘地の更に奥地には全く人の気配がしなかった。こんな立派な建物たちでも年間に数日しか使われなかったりする贅沢品だ。冬の間、音楽の制作に有意義に使わせてほしいと思う。途中で、遠くの谷のやや上の方に鹿が1匹いるのが見えた。人間には壁で囲われた住居が必要だ。暖かい部屋でストーブのゆっくりと揺れる火を見つめてシチューでも作っていたい。おいっ、お前の家は何処だ? この寒さに鎮む谷の底か? それとも、もっと上の奥の山の中か? 私がこの贅沢な山小屋の中に、真冬に籠り、作る音楽が、お前の棲家には聴こえるか? 鹿は一瞬止まってこちらを見た。そして、ジャンプするかのように跳ねて、山の上に消えた。たまに深夜の夜空に響く、彼らの声を想った。

15分ほど周囲を散歩し、折り返してレコーダーの倒木に戻ると、丁度師匠も戻って来るところで、相変わらずカシャカシャと言わせる音が谷に響いていた。深き谷の鹿よ、お前にこの音が聴こえるか? と私はつまらない独り言を言いながら、レコーダーの録音ボタンを止めた。師匠はいやあマンゾクマンゾクなどと白い息を吐きながら、唐松の上の方の雪雲を眺めていた。その後、車でもっと上の方に行ってみたいとばかなことを言う。私は嫌だったが、山道を更に登っていったけれど、アイスバーン状のくねくねと細い路は生きた心地がしなかった。結局、冬季通行止めの看板で仕方なく折り返し、山を降りて、少しここから離れた行きつけの珈琲店で腰を下ろすと、安心感からか途端に眠くなった。後日、レコーダーで録った音をファイル便で送ってもらい、聴いてみると、あの不思議な重低音と高音の重なった風と木々の作る谷の音は、音圧が強かったのかつぶれた音で録音されていた。私は寧ろ無惨にもつぶれたこの機器の発するノイズ音が気に入ったので、その録音を使用して曲を作った。それがこのアルバムの最終曲「死のかげの谷」である。


音は決して私とは同化し無いけれど、それをデジタルで制御したりその儘空間を泳がせたりして曲を作っていく。作曲は建築であり荒れ狂う川や吹雪、出来た曲は建築物、家、シェルター、コクーンのようで、見えない被膜の境界が私を包み、そして、それと同時に何処かへ流す。一方で、その被膜の狭間で息をし、外と中をランダムと制御でくしゃくしゃとミックスする。あちら側と内側を混ぜこぜにする。このアルバムに流れる時間は、私を育てたこの場所への、ささやかな抵抗や叶わぬ訣別、叫び、そしてまた白木で出来た教会、そこで捧げる彼らへの一つの小さな祈りでもある。

珈琲店の猫



右雨烏卯 uuuu『暗闇の向こうで、きっと何かが鳴いている』
https://cucuruss.bandcamp.com/album/-


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