光の方へ

“ 偉い大人に私がパン屋でアルバイトをしている話をする機会があった。彼は私が務めるパン屋を好きだと言った。別のパン屋を批判しながら私のパン屋を良いところだと褒めた。
 私の大切な人が彼に批判されたパン屋と少しでも関わりがあったら、私はこの人のことを心で殺しただろうと考えながら話を聞いた。そこから先はこちらのエピソードトークはほとんどせず、彼に様々な質問をして彼がペラペラとそれについて答える時間が続いた。
 この出来事から4日後に内定を通知するメールが送られてきた。私は彼が社長を務める会社に就職することが決まった。

あとで後悔したらごめんね(私の就職活動の下の句)

 これは私が昨年11月に書いたnote『動いて、動かないで』からの抜粋である。

 このときに就職した会社をほんの数ヶ月で辞めた。社長が死ぬほど面白くなかった。極めて自己中心的で、人の心がわからない人間だった。この会社にいてはダメだという気持ちが毎日毎日大きくなる。ほんの数ヶ月には到底感じられないほど長かった。

 就職して10日くらい、社長ってめちゃくちゃつまらん人間やないかと思いながら仕事をしていた。
 社長のiPadを持たされている私を見たバイトの人が「メルカリで売っちゃえ!」と私に笑いかけてくれた際、それを近くで聞いていた社長の返しが「うにさんの実家の住所知ってるからすぐ訴えるよ笑」だった。まじで全然面白くないじゃん笑と思った。
 これはライトなエピソードだけれど、全然、もっとグロテスクな現場をいろいろと経験した。
 社長は正論こそ振りかざすものの、根も葉もない人の悪口や噂話を喋る人ではなかった。はじめは唯一の長所に思えたけれど、人に関心がないから悪口も出てくるはずがないということに気付いてから、もうこちらがどう頑張っても尊敬のしようがなかった。
 小さな会社で社長にとって数少ない社員だった私を、一度も褒めることも怒ることもしなかった。私が評価されるに値しないほど至らなかったわけではないと思う。

 面接のときの違和感を無視した自分の所為で短期離職を余儀なくされたわけだけれど、それでも過去の自分のことは責められない。
 就職してから本当に苦しい日ばかりだったけれど、あのときちゃんと就職活動をしていれば、なんて思うのはあまりにも可哀想。楽しそうにニコニコ笑う大学生の自分が頭に浮かぶ。過去の自分のお茶目さに免じて前向きに転職活動をすることにした。就職活動が苦手だったことも十分知っているし。

 退職から1週間後には現在の職場で働き始めることができた。なんとか地元を離れたままの生活を続けたく、血眼になってindeedを見ていたから。また失敗したらどうしようという不安は当然あったけれど、それと向き合っている場合では全くなかった。

 現在は穏やかな気持ちで働いている。良い人が多く社内の風通しもよいと感じる。続けられそうだ。

 こうして、新卒で入社した会社の短期離職とそこからの早期再就職を経験した私だが、悪意と配慮がないでお馴染みの父親から「うには本当に運が良いな、そんな良い会社がすぐに見つかるなんて」というようなことを言われた。
 たしかに、すぐに良い会社に出会えたのは完全に運だったのかもしれない。けれど、きっと私は良い会社が見つかるまで文句を言いながら職を転々としたと思うし、私なりに良い会社かどうか見極めることもしたし、今の会社にひとつも不満がないわけではない。何よりここで言っている“良い会社”とは、お給料が高いとか年間休日が多いとか福利厚生がしっかりしているとかそういうことでは一切なくて、つまらない人間が上に立っていないこと、自分の性に合った仕事であること、という完全に私の曲がったものさしで測った“良い会社”である。娘がやっとの思いで掴んだ運命を軽々しく運が良いね!と言ってしまう父親だけれど、毎日のように元気にしているか?という内容のLINEを送ってくれる。父親のことを諦めてから随分楽になった。
 現在の直属の上司が面接官だった。面接が盛り上がったことは就職する決め手のひとつとなった。面接の盛り上がりは紛れもなく、私と上司のコミュニケーション能力の賜である。

 私はこれからも私自身の手で、人生を最高にしていきたい。
 まだそんなことを言っているのですか、と思うかもしれませんが、また大好きな友だちと近くで暮らして、会いたいときにすぐに会える日々を、夢みている。

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