【inSANe】明智頼子というひどい女の話

システム:inSANe
シナリオ:おばけなんて嘘さ!(のぎさん作)
人  物:PC1 明智 頼子
概  要:蛇足な話。ただのひどい女。
注  意:シナリオネタバレを含みます。



--------------------------------------------------------------------


 明智頼子は物心ついた頃からぼんやりとしていた。そこにあるものを認め、そういうものなのだ、とする生き方をしてきた。
 達観しているという言い方は正しくない。用も不要も何でもかんでも呑み込む、さながら鯨の食事である。

 それ、楽しいですか?と男が聞く。大海を揺蕩う鯨の映像について。
 さあどうかしらと彼女が言った。
 彼女の返事に、男はいつも海水を嘗めたような気持ちにさせられる。好奇心で舐めるものの美味ではなく、それどころか平凡な水を求める気持ち。
 大学生である男と同じくらいの食事をぺろりと平らげた彼女は礼を述べ、また明日ね、と扉から消えた。
 じん、と男の口内が渇く。
 明日も男と彼女は会うだろう。書店店員とアルバイトの顔をして。
 三十も過ぎようかという独り身の女性が、自分のような若い男の巣に出入りする。それでいて潔白――昼食のカルボナーラに使った新品の卵のからくらい――なのだから、現実は……。

「現実は小説より奇なり、でしょう?」
 彼女はその言葉をよく使っていた。祖父の受け売りだと言う。
 "ただの"仕事仲間に過ぎない自分に、彼女は多くを語ることはなかった。だから、稀に零れ落ちるそれにどきりとさせられる。
 最初は、これが大人の手練手管かと一人合点していた。それが何回か続くうち、おやおや、自分はどうも検討違いな思い込みをしていたことに気づく。
 意図と無意識を見極められないくらいには子どもだったのだ、自分は。
 脱げかかっていた学生服が、いっぺんにずるりと滑り落ちた。
 これが驚きだったのか、発情だったのか、今になってもわからない。
 ただひとつ言えることは、その気付き以来ずっと、彼女のもたらす気紛れな情報を忘れないよう脳の引き出しにしまっておくようになったことだ。
 どういうわけか祖父に育てられたこと、その祖父は幽霊が見えると言っていたこと、それを言い張るものだから、幼い頃は「化け家(ばけち)」などとからかわれたこと。
 冗談半分で、ヨリコさん(そう呼ぶことを許してくれたのは初対面のことだった)も見えるんじゃないんですか、と言ったことがある。いつものようにしゃあしゃあとやり過ごされると思いながら。
 しかし、その時。
 目尻に皺があるな、などとまじまじ観察できるくらいの瞬間、彼女と自分は見つめあっていた。
 そして、言ったのだ。
「ええ、よく見えますよ」――と。

 彼女との終わりはあっけなく訪れた。
 振られたわけではない。進展したわけでもない。死んだだけだ。
 自分を含め、ひとつの町が死んだだけ。
 読んでいた小説が突然半ばで真っ白になるような、そんな唐突な終わりだった。
 今の自分を言い表すならば、あとがきだ。俯瞰する者の視点。
 その視点を以てして、ようやく彼女を見つけることができた。
 所々ほつれたショールを肩からかけて、呆然と立ち尽くしている。
 彼女もまた、死んでしまったのだろうか?だとしたら、いつもの調子でのんびりしていたら、行くところにも行けない。
 そうして伸ばした手は、空を掻いた。

 生きている。

 安堵と寂しさがないまぜになったような心地だった。同時に、いつかの彼女の言葉を思い出す。
 もし、あの言葉が本当なら。彼女には自分が見えるはずだ。直接は無理でも、口の動きで伝えられる。
 いつか伝えたくて、言えなかった気持ちがある。後でいいと、このままが続くと信じて、伝えなかった言葉が。
 自分がまだここにいる理由はそれしかない。
 ヨリコさん、あなたのことが――

 その話を、私の素敵な旦那さんは眉間にシワを寄せたり(おじいちゃんみたいに!)、子どもがはじめておしゃべりしたみたいに嬉しそうにしたり、とにかく忙しく聞いていた。
 なんてこともない、私が書店店員だったときの話。
 だのに、中学生が国語の教科書に書き込む線みたいにたくさん質問を寄越すものだから、たった十数年のおぼろげな記憶をたっぷり三時間は話していた。
 特に"納豆(しつこいことについて、私の祖父はしばしばこう言っていた)"だったのは、とても人がいいアルバイトの大学生のくだりだ。
 彼はとても料理が上手で、たまに家で料理を教えてもらうほどだった。
 ちなみにこの話をしたあときっちり一時間は怒られたのだけれど、言い訳くらいさせてほしい。
 もういい年だし、彼の家にいたのは昼間だったし、エトセトラ。
 怒れる旦那さんを宥めるのを手伝ってもらおうにも、もう彼は亡くなっている。
 暮らしが落ち着いた頃、新聞に出ていた死亡者の名前で確認した。

 そういえば、彼にはひとつだけ嘘をついた。
 幽霊が見える、と言ってしまったのだ。
 正しくは嘘ではなく、言った時点では本当だったのだけれど、今は見えないのだから嘘だ。
 もし、彼が私のたった一言を憶えていてしまったのなら、本当に悪いことをしたなと思う。
 脳裏であの神社の光景がフラッシュバックした。

「嘘つき。」