親友よ。今日は君を褒め殺す。

面白いもので、リアルが充実して楽しく過ごせた日ほど、noteが書けなくなる。

今日は家に幼馴染を招き、お菓子とジュースをつまみながらゲームをする会を開いた。

これが本当に楽しく、心が満ち足りたために、noteに書く内容が1時間以上まとまらず、ツイッターに逃げ回っていたほどだった。

だが、決めた。

親友よ。今日は君を褒め殺すことにする。


親友と私は「親同士が地元の学校の同級生」というレベルの幼馴染であり、幼稚園から今に至るまで変わらず仲の良い友だ。友人は男、私は女だが、性別の差異に困ったことはほとんど無い。今でも毎年夏になると共にポケモンの映画を見に行き、食事をしながら感想を言い合い、カラオケに行っては彼はセガ作品の歌を、私はファルコム作品の歌を歌う、いわゆる「小学生マインド」を持ったまま接することのできる友人である。

かつて彼に酷いことをしてしまったこともあったが、彼の寛大さに救われ、変わらぬ距離感を保ち続けている。なにか我慢しているのではないか、と不安になるほど、器の広い人である。

私にオタクとしての大切な倫理観を教えてくれたのも彼だった。彼への尊敬の念は止まることを知らない。

彼はこの世で最も信頼できる人間であり、最も信頼できるオタクだ。

普段はなんとも言えず軽薄な私ではあるが、彼の前ではことさら誠実に、そして同時に奔放でありたいと願い、そのように行動する。

「奔放に」というのは「私らしさを消すことなく」という意味だ。今日も「卵に(精子を)ぶっかけたってこと?」や「配偶者のいる男性にはチンピクしない」などと正々堂々のたまった私に対し、彼は非常に的確なツッコミを入れて笑い飛ばしてくれた。こういう咄嗟の下ネタ発言は私の「素」であり、そういうところをおおらかに捌ききってくれることは、私にとってはたまらなく嬉しいことである。人としての礼儀をわきまえた上で、しかし素の反応を見せられる相手がいることは、幸福なことだ。
(ちなみに、ツッコミ能力のある人の前であえてボケ倒すのは私のいつもの習性だが、彼のツッコミは本当に素晴らしい。天下一品のツッコミ能力である。)


世間的には、大人の男女が一緒にいるとすぐに恋だのなんだのという関係に結びつけて考えられるそうだが、私はその理の中にいない。彼もまたその中にいない。

私らは、ただの、小学生の心のまま大人になった友人同士である。

お互いその点において絶対的な信頼を感じているからこそ、こんなに楽しい時間を過ごせるのだろう。

休日に、どちらかの家に遊びに行って、お菓子を食べて、ジュースを飲んで、談笑しながらテレビゲームをやる。これ以上の幸せがあるだろうか。


今日は友人に家からPS4を持ってきてもらい、GBVSやギルティギアをプレイさせてもらったが、次は我が家のセガサターンで初代バーチャロン対決をしたいと願う。

そうやって次に遊ぶ日のことを考えられるのもまた、これ以上ない幸福だ。


悲しいことも苦しいことも考えず、ただ幸福のまま眠りにつける日なんて、いつぶりだろうか。

親友よ。また遊ぼう。

ありがとうございます!生きる励みになります。