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8月の東京国立博物館 東洋館

上野にある東京国立博物館の常設展である総合文化展。6月に展示されていたものが期間を終えて展示替えされたので再び行ってきました。

まずは東洋館。地下1階から5階まであり、東は朝鮮、西はエジプトまでの文物が展示されています。現在平成館で開かれている「クレオパトラとエジプトの王妃展」に合わせて2階の西アジアフロアが飾られていて(展示ラインナップはあまり変わっていませんでしたが)、夏休みの子どもたちも訪れていました。

今回は前回と違って時間をかけて回りました。超有名な陶磁器といえるまでのものはなく、目が止まったのは前回同様変わり種のものたちでしたが、日本随一の博物館だけあって質が高いものが並びます。

15~16世紀にタイのシーサッチャナーライ窯でつくられた白地鉄絵合子(右)と鉄絵草花文四耳壺(左)。どちらも器体が鉄絵で埋められていて装飾性が強いですが、形の柔らかさといい絵の簡便さといい、たおやかな雰囲気です。

こちらは打って変わって中国の精緻な螺鈿細工「楼閣人物螺鈿輪花盆」。16世紀・明の時代に作られたものです。円の中は文士たちの理想の世界が風雅に描かれていますが、そのまわりには緻密で世界観を異にするような花草文様が施されています。

8世紀・唐の時代に作られた三彩香合。香合とあるのはやはり茶の湯の見立てでしょう。

釉の発色がきれいで、その掛かり方でできた模様も絶妙です。唐三彩の魅力が凝縮した名品だと思います。

6世紀・北斉で作られた「白釉突起文碗」。このような突起のある古い器は初見でした。これが6世紀に作られていたという中国陶磁の先進性には驚きも感じます。この装飾は、西方から来たガラスか金属の器を写したものだろうと説明にありました。貴重でステータスのあるガラスまたは金属器を、自国の持つより廉価な技術で再現しようというのが作られた理由でしょうか。

伝来では朝鮮の貴人の墓から出土したとのことですが、白磁で有名な中国・定窯で作られた「白磁金彩雲鶴文碗」。この碗の変わっているとこでもあり、貴重とされる由でもあるのは、白磁に金彩施されているため。金彩はほとんど剥落していますが「金花の定碗」(金彩の定窯製碗という意味でしょう)の代表作とされているとのことです。

縮小した画像ではわかりにくいですが、12時の方向に鶴と流雲、10時の方向にもう1羽の鶴があらわされていた跡が残っています。

16世紀の朝鮮で焼かれた「無地刷毛目碗」。この優美な形は好きな形です。日本の萩焼の初期の様式、いわゆる古萩の一番古い頃に作られた茶碗にもこのような形のがあります。朝鮮の様式そのままに古萩が作られたという海を超えたつながりが分かります。

高台が高く全体に丸みを帯びた形から祭器だったと推測されているそうです。見込(内側)もきれいに作りこまれています。素直さのある好感のもてる見込です。

朝鮮の焼き物といえば粉青沙器や白磁が主ですが、このような黒に白土象嵌で模様が入れられたものがあるのも初めて知りました。この「青磁鉄地象嵌草葉文瓶」は12~13世紀に作られたもの。器胎の全面に鉄釉を塗ることで黒い焼き上がりになりますが、さらに青磁釉をかけて焼いてあるそうで、奥行きのある色味を実現しています。

当時の高麗は「翡色」と呼ばれる青色が目指され良しとされた時代。その環境でこのような奥行きのある黒い器が焼かれたというのは、見逃しがちで忘れやすい歴史上の多様性を気づかせてくれます。特色性があるだけあってやはり特定の地域のものらしく、このような焼き物は朝鮮半島の一番南西にある全羅南道の海南郡で作られたことが分かっているそうです。

こちらも朝鮮の焼き物で見たことがなかった手のもの。「象嵌瓶」とだけありますが土器に分類されるようです。13~14世紀のものとされ、12世紀以降の象嵌青磁の手法が取り入れられています。青磁が表舞台に出ている裏では生活容器としてこのような土器もつくられていたのです。青磁と違うとはいえ、形も文様も素晴らしいです。

さて変わり種を中心に東洋館で見たものを載せましたが、本館で見た日本のものは次回書いてみます。

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