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はるみちゃんがいた日々

今から7年ほど前のこと。
店の前の小道で、地域猫のファミリーがくつろいでいる光景を頻繁に見かけるようになった。
どうやら午後になるとそこで遊ぶのが日課になっているようだったが、しばらくしたある日、見慣れない子猫が一匹増えていることに気づき、目を瞠った。
まだあどけない様子のちいさな子。つい手懐てなづけたくなるけれど、いきなり近づけば、猫さらいの変質者として親猫を警戒させてしまうだろう。
まずは怪しまれないくらいの距離で、危害を加える意思がないことを認識してもらい、次は数十cm近くへ。その繰り返しでじわじわ間合いを詰め、ファミリー全体と仲良くなる作戦を決行する。

そうして1か月ほど経ったある日、手が届きそうな距離まで近づくことに成功した。
せっかく接近できたので、道端の雑草を手折って子猫の鼻先で振ってみると、どうだろう。身をよじりながらじゃれてくるではないか!
その姿がなんとも愛らしく、ドラマ『家政婦は見た』に出てくる猫の名を拝借し、親しみをこめてはるみちゃん・・・・・・と呼ぶことにした。

やがて、親から離れて単独で行動することが増えたはるみちゃんは、生来の人懐っこさを発揮し、驚くべき行動に出る。
なんと、お客がいない頃合いを見計らって、店に入ってくるようになったのだ。
軽やかな足取りで商品ひとつひとつをつぶさに見て回り、私の傍でお行儀よく一休みしてから店を出ていく。こちらがひやりとするようなイタズラをすることは全くない。とても賢い子だった。
別の日には、店の外でくつろぐはるみちゃんを見かけた人から「お店の猫ですか?」と訊かれることもあったから、われわれの関係はこの頃、蜜月にあったといってもよいと思う。

ところが、出会いから数ヶ月が過ぎた頃、はるみちゃんファミリーは忽然と姿をくらました。
猫は気まぐれだから、それまでも姿を見せない日はあったが、1週間、2週間、さらに1ヶ月……と日が経てば、さすがにもう戻ってこないと悟らざるを得ない。近所で地域猫ボランティアの人たちが活動していたから、きっと保護されてやさしい里親にもらわれていったのだろう。
一抹の寂しさを感じたけれど、どこかで幸せに暮らしていてくれることを願うほかなかった。

彼らがいなくなってからかなりの月日が流れ、店の周囲には小ぎれいなマンションや新しい商業施設が増えた。それに伴い、薄暗くてちょっと秘密めいたスキマは町から徐々に減り、はるみちゃんファミリー以外の地域猫も、見かけることはもはやない。
そして、私自身も、猫と戯れていられるようなゆとりを持てなくなりつつある。
買付や店づくり、接客など日々のルーティンに加えて、オンラインの作業や外注の業務が増えたからだ。(心をなくすほど忙しいわけではないが)やるべきことは絶えず目の前に積まれている。
月日は町も人も変えていく。

そんななかでも、はるみちゃんがいた日々を懐かしんでしまう瞬間がある。記憶の中に棲みついたあの子は、今もあどけない姿のまますうっと傍に寄り添ってきて、私を時折幸せな気分にしてくれるのだ。
彼らのように自由でかわいい生きものを見かけなくなった現在いまの町の風景に、少々味気なさをおぼえてしまうのは、私のエゴだろうか。

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