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今年の締めは不安の解消でした

ご無沙汰してます。

今日は、
昨晩ふと自分の中で気づいたことについて、
整理してみようと思います。

ここ1〜2ヶ月の間
大きな不安に苛まれていました。

私は毎年のように冬になると
大きな不安を感じ、
自信を喪失し、
何かに絶望し、
社会という束縛から解放されたいとか
もう死んでしまいたいとか
考えています。

今年もそれがやってきたわけです。

そうなる要因はなんとなくわかっています。

まずは気温です。
寒いと身体的にパワーがなくなるのは
皆さんもきっとわかると思います。
朝起きるのとかしんどくなりますよね。

私はそれにプラス、心もパワーがなくなります。
寒いだけで少々憂鬱になります。

もう一つは、
何かを主体的に行動したとき、
後々になって振り返り、
その時の他人の反応を
とても気にしてしまうことです。

初めから他人の反応を気にしていれば
こうはならないのですが、
私の場合は、
活動的になっている時は熱中していて
他人の反応は気にならず、
後になってから気になり出します。
1日に一度は必ずなってしまうのです。

これらのおかげで
毎年冬になると、しんどくなるのです。
冬は特に2個目の性格が強まります。

そして昨夜、死にたくなったのでした。

そして、考えました。

そもそも
死ぬとはどういうことなんだろうか
生きている意味ってなんだろうか

と。

そこで一つずつ整理してみました。

【死ぬとは】

私はキリスト教カトリックに入っていますが
正直、天国があるという確信がありません。

そこでさまざまな場合を考えてみました。

①天国(死後の世界)がある場合

死んでも肉体がなくなるだけで、
自分という意識、これまでの記憶は
残るはずです。

罪は悔い改めれば許されるとされています。
この世との関わりはほぼ無くなり、
愛に満ちた時間を終わりなく過ごせるようです。

②死んだら無になる場合

肉体と共に、
自分の意識(自分そのもの)もなくなり、
これまでの記憶も無くなるはずです。

この世との関わりが
全く無くなるということです。

③生まれ変わる場合

肉体が替わり、記憶はほぼ無くなり
再びこの世に生まれるということです。

前世との関わりは多少あると考えられています。
今世の行いが来世の自分の環境等を決めるようです。

さて、
これまで見てきた仮説には
共通点がある気がします。

それは
『今ここにある環境』
(時代・場所・物・人など)
とは離れるという点です。

生きている意味

では次に、
いつかは離れる『今ここにある環境』で生きている意味はなんでしょうか。

『今ここにある環境』で生きていないとできないこと

それが意味になるんじゃないかと思います。
それって具体的に何でしょうか。

『今ここにある環境』とは自分だけが置かれたものです。

よって
自分が生きていないとできないこと

と言い換えられます。

そして、自分とは他の人が代わりになれるものでもありません。

例えば、
他の人と自分とが全く同じ行動をしていても、
自分がその行動をするというのは
自分にしかできません。
つまり、行動に意味があるのではないです。

要はどういうことかというと

自分が生きていないとできないこと
とは
自分が生きているということ
に他なりません。

生きている意味
=自分が生きているということ

となるのです。

まとめ

何かに成功しようが、失敗しようが
何かを成し遂げようが、何も成し遂げなかろうが
人に評価されようが、されなかろうが

生きているということだけで
まずはそれだけでいいんです。
全ては『今ここにある環境』で
自分のみ経験できる事柄です。

ただ、
私は必ず死にます。
死んだらもう『今ここにある環境』には、
いられないです。

そうであるならば、

生きている間に
『今ここにある環境』のことを
もっと知っておきたいです。

こう思ったら、途端に不安は無くなりました。

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