未知なものに向き合う三原則


「AIが人間を超える」

そしていつか人はAIに淘汰される。

そんな世界観を提示されて、
多くの人がおびえているときく
(うそかもやけど)。

ところで、そういった恐れられやすいAIが
「強いAI」と表現される部類の技術というのが
ちょっと面白かった。


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 人が普通にできること、自分自身が世界の中に存在していること
 を意識し、物事に接して感情と理性で考え、判断し発言し行動す
 る。これらを限りなく人間と同じように実現し、可能ならば人間
 と同じ仕組み、原理で実現しよう、と志向する研究は「強いAI」
 と呼ばれます。

   『人工知能が変える仕事の未来』 野村直之
   https://ux.nu/BIgmW
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またその逆に、現実的な活用の側面に注目した
のを、「弱いAI」と呼ぶのだそう。
人間本来得意な能力を拡充、拡大するのに
役立てればよいではないか、という立場。


「強いAI」は優秀さゆえにか過剰に恐れられがちですが、
「弱いAI」のように立ち位置が明確であれば、
AIは恐れるより役に立つ、
いわば「Artificial」な存在たり得る気がするのです。

その役立ちどころを明確にして、
世間の会社さんへ役立つものとしていくのが
最近の、私の仕事の1つ。


立ち位置を守るからこそ、
人が活用出来る存在であってくれます。
なるほどなぁ、と思い出したのが、
I.アシモフの〈ロボット3原則〉のことだ。


(1)ロボットは人間に危害を加えてはならず,
  また人間が危害に遭うのを見のがしてもいけない

(2)ロボットは人間から与えられた命令に,
  それが(1)に反しない限り従わなければならない

(3)ロボットは(1),(2)に反しない限り
  自分の身を守らなければならない

この哲学のうえで活用されるのなら、
ロボットもAIも、きっと人を助けてくれて、
仕事やくらしの支えになってくれるはず。


そういえば、最近よく聴く、コロなんとかっていうのんに
向き合うのともつべき姿勢は同じなんじゃないだろうか。


コロナもAIもロボットも、
 
 おそれすぎず

 さわぎすぎず

 不安になりすぎず

こそが、新たなモノ・コトと
向き合う気持ちの三原則やなかろうか。


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