「夜のクラゲは泳げない」が大好きすぎる日記

↑このタイトル図々しすぎるのでは?他に自分より好きな人たくさんいるだろ?と思ったりしたのだけれど、この日記は当時思ったことを包み隠さず残しておきたい(倫理的にNGだと思った場合を除き)ので、そのままにしておく(6月17日追記)

はじめに

「夜のクラゲは泳げない」にはまっている。
実にはまっている。
毎クール10本以上のペースでアニメを見始めたのが2008年から、そこから過去作も含めて普通の人よりは多くアニメを見てきたとは思っている。
この長い視聴歴の中で、ここまではまったのは10年ぶりという1作。

とにかく毎日毎日、寝ても覚めても本作のことを考えている。
他のアニメ視聴を放棄して、1日1話以上見ないと気がすまない。

ただ問題があり、ここまではまる理由がよくわからない。
本作より出来が素晴らしかった作品も、話が面白かった作品も、挙げればキリがない。「夜のクラゲは泳げない」はこれがこうだから傑作なのである、という美しい説明が出来る自信が到底ない。そもそも自分がそこまで思っていないからだ。

(↑いや、書き始めた当時はこう思ってたけど9話以降いよいよこのアニメ本物すぎるのではと思えてきた・・・6/20追記)

ただし一つの作品が好きという想いには、それだけでは説明のつかない何かがあるようで、やはり寝ても覚めても熱が収まらない。
本作に対する想いを語るうえで、通常の記事形式であそこが素晴らしいここが素晴らしいだのキレイにまとめる感想をしてしまうと、自分がなぜ好きなのかの理由を拾いきれないような気がする。
ここでは記事形式を放棄し、日記という形で適当に本作への想いを適当に連ねるようにしておく。そもそも本作関連の話でもないかもしれない。ただの日常の出来事を書いているかもしれない。ていうか飽きてやめるかもしれない。そのへん全部を余すことなく書いておくことで、どこかで好きな理由を拾える可能性に賭けることにした。

ここから最終話まで約1ヶ月。失速して心が離れない限りは最終話放送あたりまで書きたい。失速やめて・・・。

5月23日

最初から全く関係のない話だけど明後日から一泊二日の登山をする。つまり8話の放送時間は山小屋の中で迎えることになる。山の奥なのでネット回線など通っていない上、仮に見られたとしても山小屋は相部屋で消灯時間だ。スマホつけてアニメ見るのはマナー違反。
深夜起きられない体質なこともあり、アニメをリアタイ視聴することに意義を感じない性分だ。ただ、10年ぶりのはまり作品となっては話が別であり、7話に至りついに深夜まで起きて視聴していた。ところが8話はどうやっても見ることが出来ない。さっさと日曜昼に家に帰って見ることにしたい。
まあ小屋の中で1〜7話を見返すことにしようと、dアニメであらかじめダウンロードをかけておいた。

登山の準備で時間をとられたが、やっぱり寝る前に何話でもいいから見ておかないと気が済まない。最近ずっと1日1話以上見ている。見る話数はだいたい気分で決めているがバランスよく見ようとはしている。今日は4話を見よう。今回は事前にノベライズで4話該当部分を読んだ直後に視聴した。これをやってみたかった。

OP見てるとだいたい本編の予兆にはなっているけど、もう7話まででほぼほぼ消化してるなー、あとは壁画見てる男っぽいやつの後ろ姿のとこだけか・・・

1〜4話のノベライズを読んでいて4話が最も本編と違う箇所が散見されていた。特に花音とサンドーの絡みを描いたパートのところだったんだけど、尺の都合のところとそれだけじゃ説明つかないところがいくらかあった気がするが・・・あと何回か見て考えたらいいか

改めて見るとサンドーの3人が自己紹介するくだり「●●担当」って言うあたりが話の流れで言うと完全に浮いているというか本来入れなくてもいいもので、ノベライズにも入れてはいない。なんか神社でライブやるとか言っててその前挨拶なんだろうけどやっぱり話としてはいらなく見える。ライブ自体は映さないしな・・・。
ただアニメとしてはここは入れなくちゃいけないという意図があったんだろう。個人的に感じた効果はやはりくどくどしく頑張って営業していて過去の件を取り戻せるくらいに頑張らないとというモチベーションがあるということと、しょうもない寸劇を出来る程度の仲の良さがあるといったあたりだろうか・・・。

Bパート頭の美音が何を言ったのか全くわからなかったがノベライズでやっとわかった・・・(わかる必要のない下りだから別になんでもいいけど)

キウイはこの回の「寂しい人間はこんな賑やかなところいかない」であったり6話の「学校というのはそういうところなので」であったり、孤独な人の心情に対する繊細さを持っているし、思いやる優しさが垣間見える。ヨルのためにヒーローを演じてみせたりするし、自己主張は強くてもただの自己中というわけではないんだな・・・

ティラミス屋の路地の地面がいい・・・

なんかあれだな、もうちょっと雑な感じで書いていい気がする。こんな一つ一つタラタラ書かなくていい。明日以降調整していこう。

5月24日

今日はさっさと寝て明日の登山に備えないといけないが、とはいえ1話くらい見ないと気がすまない。今日は6話にした。

花音が母との関係を語り始めてからいきなりガッツリトーン落としてくるのが怖いくらいにインパクトある。「うちはね・・・」の出だしがやばい。これ男キャラか?くらいまでガッツリ振ってる。

あとはやっぱシリアスパートで一気に雰囲気を持って行く横山の曲が本当にいい。この作品は話的に派手なアクションをするわけでもなく、絵柄の性質上シリアスパートで顔芸くらいまで表情を濃くすることができるわけでもない。そうなると今のアニメでは作品として表現が弱いと感じがちなところ。けれどもそうなっていないのは、話と演出もさることながらやっぱり音。この横山の曲がかかり始めると一気に場を支配していく。さすが俺が10年前はまっていたアニメの曲をやっていただけのことはある。

アリエルの回想1カット目の美術がよすぎる・・・

いつになっても、世間的におかしい年齢になっても、夢を追いかけ続けているみー子。彼女の姿をこの回に入れることで、JELEE4人の話を「この年齢だからできたことでしょ笑」みたいに片付けさせず、上下の年齢に広げさせる効果を感じた。

世間の馬場さんには悪いが、このキャラに馬場という名前をつけたのは「ババア」とのダブルミーニングを意図していると感じる・・・。

早く寝なきゃ・・・。

5月25日

今日から一泊二日の雲取山登山になる。登山の間はほとんどネット回線には期待できない。

朝2時──朝じゃない──に起きて、4時半に駐車場に着き登山開始。案の定、頂上付近のごく一部でしかネットは通じない状況だった。山小屋も金を払えばWi-Fiが使えるという張り紙があったが、そもそもそのWi-Fiをろくに拾えないために、手順通りやっても今一つ登録できない。結局あきらめた。

では登山の間なにも夜のクラゲについて考えなかったかというとそんなことは全くなく、登山中ずっと過去話数の思い出を反芻したり、あのキャラクターは自分にとってどういう感覚を与えたか、この先の展開が失速しないか(一番恐れている)、などなど考え事をずっとしていた。

去年の登山は仕事の嫌なことばかり思い出して呪詛をつぶやきながら登っているただの不審者だったが、今年は夜のクラゲについて考えているから黙っている。健全だ。

メイは推しの力でいじめも撃退するし、成績ほぼ一位になるし、すごい前向きになっていてすごい。俺は様々な趣味で元気をもらっても、出社拒否から耐えることくらいしか出来ていないし、前向きに業務に勤しむことなんて出来てないんだよなあ・・・みたいなことを考えていて結局仕事の話やん・・・。

今後の展開はやること概ね決まっていると思っているんだけど、見せ方次第でやばいことにもなりかねない。あと、ここまで自分の中でハードルが上がりすぎてそこを超えづらくなっている可能性もある。
あとよく考えたら1話で花音が「壁画は中学の時初めて渋谷に来たときにパパが見せてくれた」と言っているので、やはりOPの男の後ろ姿は花音の父というのが順当な見方だろうし、そこを終盤どうくっつけていくかは期待・・・していいよね・・・。

あと一番好きなシーン選手権もやってみたが、「5話のヨルが自分の名前を壁画に書くシーン」があまりにダントツすぎて、一瞬で終わった。5話はやっぱりあそこだよなキスシーンじゃなくて。花音に背中を押されたからだけじゃなくて、自分の意志で、過去の自分とも向き合って、前に進む決意。後ろ姿がかっこいい・・・。

5月26日

帰宅して8話を見始める。今回は中盤まで築いてきた4人の結束の強さで苦境を跳ね返すところを見せながら、終盤のシリアスパートに繋げる回といった形だった。

ちょっと見せ方としてどうかなと思ったのは、暴露トークをする人の姿を映しちゃったところ。あの絵自体が下品に映るところもあるけど、見えないところからの悪意という形で出した方が、この作品にはかえって重く響くのかなと思うところもあって。まあ作品全体の筋から言って些末なポイントだけど。

花音が「私の過去のせいだよ」と言うのは直接的な意味もあるけど、過去の自分を受け入れて進んでいけるかという本作のテーマそのものも描いているから、本来の言葉以上につらく感じる一言だった。
ヨルの話とか見るとわかりやすいけど、他のキャラはこの辺乗り越えている。最初は花音が作ったきっかけだったけど、各キャラがその中で自分で過去の自分を受け入れながら前に進もうとしている。ここでは進んだとは言わない、むしろゴールなんかなくて一生過去や欠点やネガティブな感情を背負ったまま進み続けるというテーマがはっきり描かれている。
ただ花音のやつはいかんせん一番重たいやつになっているので、残り4話でどう決着つけるか。

今回、花音が過去要素を持ち出されてくじけそうになっているところを他の3人が押し返してくれている。自分はこの「前半にAがBを元気づけ、後半お返しにBがAを元気づける」という展開がとにかくメチャクチャ大好き。どんな人も、たとえば花音のような明るさを持った人でも、痛みを覚えるところがあって、そういうときに支え合っていける関係の素敵さが好き。自分はいろんな人から与えてもらってばかりだし、何か返せているかというと呪詛と無能しか返せていないから、ああいう関係を尊いと思う。

「JELEEは橘ののかじゃなくてあのイラストのキャラそのものなんだ」という理屈でファンが結束したことで、身バレという大きなハードルを半分程度クリアしたようには思える。ただその後の展開をどう転がすんだろうか。やっぱ身バレと向き合うのが花音の過去と向き合うことそのものにも繋がる気がしていたので。それとも終盤にあったヨルを引き離しにかかる動きで展開を作るのだろうか。まあ明日見返しながらぼんやり考えるか。

それにしてもこの作品もいよいよ終盤になってきて、自分が満足する展開になるかというだけではなく、この作品に対する評判がどうなるかも怖くなってしまっている。普段なら他人の評価なんて気にしないんだけど、もはやこの作品は俺のアニメ視聴史、いや人生史に刻まれるレベルになっている。かつて好きな作品に対して「これは俺なのだ」と叫んだ経験があったが、この部類に近づいている。よってこの作品への評判は、まるで自分への評判にすら聞こえてしまっていて、検索するのも怖いけどおそるおそる検索したいみたいな意味不明な状態になっている。なんなら今は他のアニメ作品の評判を見ること含めて怖くなっている。
SNS絶ち?できるわけもない。依存症だから。

5月27日

登山の最中にスマホのカメラのところが割れたので修理してもらうことになり、それによって帰宅が大幅に遅れた。もっとも修理中は、漫画喫茶でwebに挙がっているスタッフインタビューを読破するという有意義な時間を過ごしていたんだが。

さて8話を見返す。

花音の「何いってんの!ピンチはチャンスだよ!」から、本人が一人では乗り越えられないピンチになるのつらい・・・

めいの金は一体どこから出てきてるんだろう・・・金持ちだから小遣いっていう話なのかなんなのか・・・

ところで「身バレが解決するのが楽すぎ」というツッコミもあったけど、「少なくともライブ中においては」、アンチコメをファンコメが押し流すのは割と容易じゃないかと思う。ただし、まともにライブやればという条件付きで。これが花音が辛気臭く謝罪し始めたりすればアンチコメが勢いづくだろうし、花音たちがライブで乗り切れずにいれば嫌な雰囲気がファンにも伝播していくだろう。ただ、普通に元気にライブさえしていれば、供給されるのはゴシップではなくひたすらファンが喜ぶパフォーマンスでしかない。そこにわざわざ突っ込んでアンチ垂れるのってなかなか肩身狭くなってしまうので、相当度胸ある人しか出来ないと思う。まあそりゃゼロにはならんだろうけど。大ヒットアニメに一人突っ込んでボロクソ言う肩身の狭さを知っているのでよくわかるよ。違うか。

ただライブが終わってしまえばちょっと離れた距離の人たちは引き続き何か言い続けるというのは変わらないと思うので、そこんとこをこの先描くのか、飽きたということにして捨象するのか、どっちにするのかは謎。

ていうか、身バレから2ヶ月経ってるからだいたい旬が過ぎてるんだよな。むしろその間何やってたのかが気になるけど。淡々と息潜めて曲作ってただけなんですかね。

あと面白いSNS戦略だった。リアルタイム見ていたかった。あと、あんまJELEEちゃんのイラスト自体これまでなかったからこれを機に増えたのも面白かった

思いついたから追加で書いておくと、これは花音が一人で思いつけるのはアイドルの経験から天下ったリアルライブの形であって、そこが頓挫したときにキウイが別のライブの形を提示した。それが取りも直さず最高にJELEEらしい形だった、という話になってるんだよな。キウイは学校では何も話せなくなるほどに引きこもり続けていたけど、別の戦い方を身につけて知っていた。花音がリードし始めた活動は、彼女が折れそうになったときに他の人が支えリード出来る存在になっていた。うーむいい展開なんだけどこの展開の良さを伝え切れてないな、なぞってるだけになってる・・・。

ああそうだ、このBパートの展開こそがAパートに花音が言った「ピンチはチャンス」そのものなんだよな。リアルライブができないというピンチが、かえってJELEEらしいライブにつながったって話なんだな。
あー腑に落ちた。

5月28日

失速が怖い、とにかく怖い。
本作のここまでの話を見ていて、テーマ性をしっかり踏まえて話を勧めているのはわかるので、そうそう大外しするようには感じられないのだが、どうもこのアニメを好きになった自分を信用できない。この作品に対して10年に一度の期待を寄せる行為が本当に正しいのか?毎日のように見返して時間を投じているこの行為は正しいのか?本作がそれだけの器だとちゃんと見抜けているのか?それが正しいとはどうしても信じきれない。

不安な妄想にはキリがない。11話あたりで誰の目にもわかる決定的にダメなところが来て、これ擁護するの苦しいなあ、でもみんなわからないだろうけど、この作品はこうでこう来たから、確かにこうなっちゃうのも仕方ないなあ・・・って感情を抱えてしまうのではないか。
13年前と同じく、号泣しながら俺の好きなアニメはあああああなんでええええええって叫んでる姿が目に浮かぶようなのだ。あのアニメだって不評を買う理由はよくわかる。それでもなお好きだし、好きでいてなお残念なポイントは同じだから言い返せないし、マジでなんともやるせない気持ちにさせられていたのだ。あれが再来しては困る。怖い。なんとかして。頼むからラスト4話決めて。

とまあ悩んでいたら今日はすごく寝不足でつらかったんだけど、それはそれとして家に帰って夜のクラゲは泳げないを見る。
SNSを見るのが怖い、他のアニメを見るのも怖い、夜のクラゲの最新話を見るのも怖い。唯一癒やしなのは夜のクラゲの過去話を見ることではないだろうか。思い詰めすぎている。

5話を見る。うーん眠すぎて集中がぼやけてきている・・・。ああでも最高だわマジこれ。

ヨル先生はルックスとしてはかわいい割にはふつう感出しているのは髪の色が大きい気がしている。他の3人に比べて明らかに目立たない。特に制服の色と似ているところが埋没感を生んでいるように感じる。

花音がヨル先生の家に押しかけて問いただす下りにおいて「本当なら言えるでしょ、早く」のセリフのところでスライドが使われているんだけど、まあ昨今でスライドといえば(本作の他のシーンでも使われているように)ややコミカルな表現だと思うのだけれど、シリアス寄りのこのくだりにおいてスライドを使用するのはなかなか勇気のいる選択だなと感じた。
こういったコミカルな表現を真面目なところに取り入れたりして、テーマの重さの割にライトで親しみやすい雰囲気が感じられる。それでいて雰囲気を重たくしたいときは横山の曲が一気にさらっていくから、決してただ軽い作品にもならず心にインパクトが残る。その匙加減に魅せられている。さすがにラスト4話はもう少し硬い絵が多くなるかなあ。

この回ずっと花音はヨル先生の絵を「好き」としか言っていないのにヨル先生自身は「上手い/下手」の話をずっとし続けている。この食い違いに着目してほしい。まあ最初に花音がくろっぷ先生の絵を上手いって言い出したのもきっかけなんだけど。

まさにここが作品のターニングポイントになっていて、自分がこの作品で最も気に入っているポイントだ。1〜3話は各キャラが再起する話だ。花音の「ヨルの絵が好き」はヨル先生に活動再開の機会を与えてくれた。ただしこの5話にきて、新たなハードルが訪れる。他者の後押しだけでは人は走り続けられない。いくら花音が好きだと言ってくれても、それだけで眼の前の現実は乗り越えられない。結局はヨル先生自身が納得して自分の道を進まなければならない。その上でヨル先生は過去に否定された自分や、能力的に劣っている今の自分と真正面から向き合っていかなくてはならない。

この決意が描かれるのが、過去の自分の壁画に「海月ヨル」と書くあのシーンであって、この後ろ姿がとにかくかっこいい。ここもまた横山の曲が強い・・・。

かくしてヨル先生は上手くなりたい、下手な自分でいたくないと思ってやる気を出すわけだけど、これはなかなかすごいことだ。絵を描くって、手が早い人でも長い時間をかけて自分の絵とずっとにらめっこしていなければならない。その中で「自分の絵が下手だ」「自分の絵に自信がない」という感情を抱き続けるというのはかなり地獄だ。上手くなるには描くしかないんだけど、描くという行為が己の無能と向き合うことそのものになるわけだから。現実逃避の対極と言ってよい行為だ。

本作はそれぞれの「好き」「自分らしさ」を選ぶ4人を全力で肯定していって、肯定されて再び立ち上がる姿が描かれる。その一方で、そのまま歩み続けるのは決して簡単ではなく、自分の過去や現在とひたすらに向き合い続ける苦しい展開が待っている。「好き」でいることの尊さを描くと同時に、「好き」で居続けるってこんなにも厳しいことなんだという過酷なテーマをも並行して描いている。それでも進む彼女たちの姿がなんともかっこよく可愛らしく美しく・・・。

お前そんな重苦しい作品じゃないだろって思われるかもしれないけど、いやそういう作品なんだよ?どう見ても作品そのまま捉えたらそうなってるから!順張りだから!
さっきも言ったような本作の軽やかな語り口ゆえに、重々しいテーマがあまりにスッと入ってきているだけで。

にしても「私より上手い人が描かないでよ。邪魔だよ」ってすごい台詞だ。ここまで暴力的な言葉そうそう見ない。

あと、週1配信されているボイスドラマを聞いた。ヨル先生の謎匂わせキャラは4話もそうだしなんか割と続いているけど、この手のやつは回収すると言い訳がましくなるからこのままでいい気がする。


5月29日

スマホを見るとYoutubeアプリから次回予告の通知が来ていた。もはや次回予告を見ることすら怖い。ここまで怖がっていると本当にこの作品を好きなのか疑わしくなるが、好きだからこそこの作品がどうしようもなくなるリスクを考えてしまい怖いのだ。どうでもいい作品ならばどうなってもいい。

次回予告、よかった。すごくよさそうだ。他のキャラが自分の道を選んでいくのに対して一歩遅れている花音のギャップ、彼女が前に進むための一番つらい道のりが今から描かれるんだなと思うと、大いなる感動の予兆が見えてきた。

さて今日は1話を見ようかな。

よく考えたら夜の渋谷を歩くのが好きな大宮在住女、帰り道遠くね・・・?
(大宮は東京より北の埼玉県、渋谷は都心のやや南寄り)

何気に1話にメロと雪音がいることに初めて気付いた。俺はどれだけ作品を見ていなかったんだろう・・・。

取材を受けているところで花音が「ごめんなさい」と言ったのは「(母の期待に応えられなくて)ごめんなさい」の意なんだろうけど、この辺が明かされるのが本当に楽しみになってきたな。おそらく次回か次々回だろう。あとなんかこの辺ノベライズと違うんだよな・・・なんでだろ。

改めて表情がよすぎる。濃いわけでもないのにきっちりキャラクターの感情が出てる。

5月30日

設定資料が載っているというので買ったアニメディア6月号が届いていた。わずか6ページ、しかも折込のモノクロの小冊子サイズで笑ってしまった。まあいいや雑誌の付録に期待したのが間違いだ、ちゃんとしたの後で個別で売ってほしい。

3話を見よう。序盤は各キャラの再起が描かれるんだけど、それが色濃く出ているのが1話と3話なので、続けて見ると通りやすい。2話のめいは若干変則的だ。これは明日2話見ながら触れるか。

1話はヨル、3話はキウイの話なんだけど、過去にこの2人は自分の個性や嗜好が馬鹿にされてしまった。ヨルは絵を描かなくなり、キウイは引きこもるという形になる。そこから再起するにあたり、ヨルは花音に、キウイはヨルにありのままの自分の「好き」を認めてもらい、再び歩き始めるという話だ。

大人になるにあたり、誰しもこういう周囲からの否定にぶつかって自己主張を丸めていった経験はあるはず。もちろん人間は社会の中で生きていかなくてはならないのだから、ある程度こういったイベントは不可欠なものだろう。ただそれは時として深い傷を残すことになる。そこから立ち上がるのは一人では難しい。

「自分を好きになるって、どういうことなんだろう。いいところって、どうやって探すものなんだろう。嫌いなところしかわからない、わからないから嫌いなのに。そうじゃなくて、そうじゃない。そういうことじゃなくて、誰かに好きだって言ってもらえて、初めて自分を好きになれるんじゃないかな。誰かに受け入れてもらえて、初めて、自分を少し許せそうな、好きになれそうな気がしてくると思うんだ」

フルーツバスケット

「もうほっといてよ。生き残れるのは強いやつだけ。弱いやつは死ぬしかない」
「なんだそれ。じゃあ弱いやつはいつ強くなればいいんだよ」

甲鉄城のカバネリ

こういう話が好き。否定され追い詰められたときに、何の後ろ盾もなくむきだしの反抗心だけで戦うというのは「超人」の話であって。「かっこいい」とはなるけど、「人」の話から離れていくように感じられる。

「人」だって本作のキャラのように強くなっていけるんだけど、まず再起するにあたり誰かに肯定してもらわなければスタート出来ないんじゃないかと思うし、そういう話が1話と3話で描かれている。

3話のもう一つのポイントは、「キウイのハッタリ(ていうか嘘)はヨルを元気づけていた」ということだ。キウイはただ自分の見栄のために嘘をついていたのではない。ここは幼少期も引きこもってからも変わらない。
キウイ側からすればヨルに対する「やれやれアイツには俺がいてやらなきゃダメなんだなあ」という憐憫から来ている部分からあったのかもしれないが、結果的にはそれがキウイの居場所にもヨルの居場所にもなっていた。それゆえにヨルはキウイを、たとえ嘘だったとしてもなお「スーパーヒーロー」だと堂々と宣言する。ああ素晴らしい関係・・・。

もっと延々言ってもいいんだけど、それはまた次回見たときにとっておこう。

5月31日

なんかずっと長電話してて気が付いたら日付すぎちゃったんだけど、まあ寝るまでが今日だしいいか。金曜の夜は長い。

2話を見る。

ヨルがベッドでゴロゴロする描写どの回にも出てくるんじゃないかってくらい多いんだけどあまり重複したものがない気がする。バリエーションが多い。

設定上2話の時系列は2023年だそうで、最新話の時系列は現在の2024年5月に比べて未来をいっているんだな・・・。

「ののたんはサンド―で歌い続けるんですー!」のあたりをダラダラコマ送りしてみる。約15秒あるんだけど、この作品はよくこういう「現実にありえないオーバーなはしゃぎ方」を思いつくもんだな・・・。

っていうか、めいの「ののたんはサンド―で歌い続けるんですー!」ってすごくないか?事件起こして辞めたって言ってるのに、そこから2年間ずっと彼女の復帰を信じ続けてきて、当人に堂々それを要求するというのか?

この辺6話とも関連するけど、まさに昨日述べたように、めいがヨル・キウイ・花音と比べて変則的な歩み方をしているというところだ。大好きな橘ののかはスキャンダルでボロカス言われてきたわけだが、めいはそこから誰かに後押しされたわけでもなく「好き」を継続している。橘ののかに似せた髪型も全く変えることなく今日まで至っている。ここ含めて周囲にバカにされてた可能性も考えられるのに。ブレなさがやばい。学業においてもほぼトップクラスを維持したまま出世街道をひた走っている。彼女だけ他のキャラに比べて先に進んでいる。だからいちいち強い言動が目立つ。

最初に橘ののかに会った時にめい的には既に再起は完了しているし、あと7話で語られる「2位をとったときに悔しかった」というエピソードで「他人の後押しだけじゃなくて自分で道を選んで走り続ける」という要素も満たしている。この作品の2要件を第1話の前の時系列で既に達成しているんだな。

あっ、2話の本筋それ自体とあんまり関係ない話になったけど、でも2話の本筋の話はまた次見た時でええわ。いや9話以降見る上でめいの立ち位置を整理する必要があったから書いてた。9話以降のめいの扱いって結構難しいと思っている。彼女の崇拝対象がここから大きな選択をしていくわけだけど、めいというブレなさすぎるキャラを今後ブレさせてさらに開花させる話を描くのか、揉め事の火種の一つに置いておくのか、ただ花音の歩む道についていく脇役にとどめとくのか。いかようにも扱える気もするし、そのどれも少しずつしっくり来ないような気もするし。

あと9話の予告何度も見返してる。ラストの花音の声がかっこよすぎる。6話の「私なんかもう必要とされてないんだろうなあ」も大好き。

6月1日

勝負の6月ですね!ここから来る終盤の展開が怖い!

「いや好きなのに楽しみじゃなくて怖いんかい」となるけど、はっきり言って怖い。それだけの作品が来ているから。これだけ好きになれる作品に出会うってもはや人生史に名を刻むものなので、それが最後どうなるかというのを見るにあたりとにかく緊張している。
そして終盤だから。
満足いくように話をまとめるのってすごく難しいことで、これまでの話を見ていろんな人がいろんな作品像を頭の中に描いて、いろんな結末を求めていくことになる。ところが最終回の形というのは一つしかないために、可能性を収束させていく過程で様々な人の期待を裏切ることになる。もちろん他の誰の期待を裏切ろうとも、自分が納得できるものであればいい。いいんだが、問題は自分すら受け入れられないどうしようもないものが来たときだ。

で9話が放送されたので見たんだけど、はあ本当によかったなあ・・・。

アバンの時点で8話までのゆるやかな語り口から一気に変えていこうというモチベーションを感じていた。あれは他人の笑い声がかかっていた。あとヨルとキウイの会話のパートもただの雑音でありながら不穏な雰囲気を一気にもたせる。雑音=不特定多数の冷たい目線というのが作中においては彼女たちを傷つける要素になっていたのでやっぱ不安要素としてしっくり感じはした。(いやそういうのがなくても誰の耳にも不穏に感じるような聞かせ方にはなっているけど)

ラストの話って実は4話の内容そのままになる。
ヨル「みんなJELEE以外にもやることがあるんだし・・・」
という発言を受けて花音が怒って出ていっちゃうパートがあった。あの場面では花音がキウイにも色々厳しい反論を受けている中で出ていったわけじゃなくて、あのヨルの割と素朴な台詞で出ていってしまった。それは「他にもやることがある」「JELEE以外のことに仲間がいってしまう」ということを極度におびえているところがあったということだ。9話においてはそれが特にヨルなのが苦しい。
4話においては落ち込んでいる花音を他3人が再び受け止めて、できるだけ時間を見つけて活動しようという形で落ち着いた。でもこれって割となし崩し的に花音の言うことを叶えてあげただけであって、今回はヨルのスケジュール上それが出来ないって決まっちゃったわけだから、別の手をとらないといけなくなりそう。

あと髪の色が生まれ→アイドル→今で全部違うってのもまた面白かった・・・。

いやしかし良かったなあ・・・。これまでと違いガッツリ暗い回だったためにどれだけの人に受け入れられるのか不安なところもあるが、自分としてはもう満足して脱力で、感動の後は軽く笑顔になってしまっている。

6月2日

なんか9話見る前にずっと考えてたらそもそも9話見る時間なくなっちゃったなという本末転倒な事態に陥ったんだけど、考えていたことメモしておくか。

9話のハイライトはなんといっても終盤のまひると花音の口論で、その中でもポイントはいくらかあるのだけど、今日触れておきたいのはまひるの成長だ。花音の前でブレずに自分の想いを言い切るところが本当にすごい。1話段階でのまひるならば「わかった・・・ちょっと考え直すね」と合わせるコメントをしていたかもしれない。

あとラストの「そんな風に思ってたんだ」って泣きながら言うところも、彼女の強さが現れたところだった。これ泣いてるから、まひるが傷ついたとしか思われてないかもしれないけど、実はこれは芯の強い人じゃないと言えない台詞だよなと感じた。これが1話段階のまひるならば「あーそうかも・・・あるある(確かにあなたがいなけりゃ泳げないクラゲだった)」とかなってた。
確かにきっかけは花音の言葉だったけど、まひるは自分の力でもがき苦しんで道を進み始めている。そこに自負があるからこそ「そんな風に思ってたんだ」という返事が出せる。まひるが弱いから泣いたんじゃなく、強いから泣いたんだと感じた。

最初は花音がまひるにきっかけを与えるところからスタートしていたけど、7話を見ればわかるように、他3人は自分の道を選んでるのに対して花音はそこが曖昧で、JELEEの活動自体にもそこが現れている。何のためにとか掘り下げようとしたら結局自分(特に過去)と向き合うことになってしまうから、そこを避け続けた結果が現状なのだと思う。だから7話ラストで仮に「まひるのために」という話があったけど、当のまひるに否定されたのだから追い込まれてしまった。

1話段階では完全に花音がまひるを引っ張っていたのに、7話ラストでまひるが花音を引っ張るし、8話では花音がくじけそうになったところをまひるが押し返す。まひるが花音より一歩先の段階にいくと同時に、人間関係も逆転しているところが見られる。
6話まひるの「あのキスは何だったの~?」とかいうからかいも、よく考えたら花音上位からまひる上位に転換していく過程をスムーズに導入していたんだ、と考えるとテクニカルだなと思うわ(作者たぶんそんなこと考えてないよ)

花音さん「みんな私を一人にするんだ」と言ってるけど言い過ぎじゃね?みんなってまひる一人だけじゃん?って思ったりしたけど、こいつ薄々気づいてる。人生フェーズで自分だけ置いて行かれている事実に。

8話でまひるが「最初はそうかもね花音に引っ張られて始めた、でも今は~」って言ってるやつ、結局あれの延長線上には「花音以外は次のステージに進んで、さらなる成長を求めてJELEEを離れていく」があるし、それを花音は察したんだと感じた。

「みんな私を一人にするんだ」を解決する手段は実はすでに作中に示されている。5話終盤のまひるが「嫌だ、私だけが置いてけぼりになりたくない」と言って、未熟な絵を改めるべく努力し、否定された壁画にPNを記した。過去に否定された経験や今の未熟な自分と向き合って努力すること、これでしか解決できないという話が描かれてる。
花音がこれをやるというのは、ずっと避けてきた自分の過去と向き合うことだからメチャクチャ厳しいんだけど、仲間で居続けるには対等なステージに上がり続けるしかない。まあ大なり小なりこの話になると思ってる。
どう仲直りの声をかけるかなんて、上記の課題が達成されたら勝手に解決する話だと感じている。これまでの話を見ている限りでは。

この日記ではまひるとヨルの付け方が適当だが、当初は何らかの法則性を持たせようとしていたはずだったけどもう忘れたので、これからも気分で適当にやると思う。

6月3日

「好きな展開を妄想する」というのは割とよくやる話だが、それをここに書いておくと、外れたときに「自分の希望通りの展開ではない」ということになってしまうため、形にせずに浮かんでは消える記憶程度のものに留めておきたいところがある。昨日からずっと「10話でこういう会話が見たい!」というのを頭に思い浮かべまくっているのだが、ここにはあえて書かないでおこう。

さて9話を見返す。

まひるが上手くなっているのは実際序盤のイラストと比べたら明確なんだが、最初をわざと下手に描くというのはイラストレーターの仕事としてなかなか難しかったのではなかろうか。インタビューにもあったし。

父目線の花音パートめっちゃかわいくてやばいな・・・

花音がメロを殴った理由は「悪いことをしたから」ではあまりないんだよな。ゼロとは言わないけど。これを間違えると作品理解を履き違える。じゃあ花音が悪いかというとそれは全く違うと思うけど。

回想編を見返していくと
花音はメンバーに母コネと思われ早速孤独になる
→雪音「実力で見返しなさい」
→花音頑張る
→見ろバカの暴露で出番がもらえる
→実力以外の要素でトリで歌えることに違和感
→見ろバカはメロだった
→メロ「よかったじゃん、私のおかげでトリで歌えて」
→殴る
つまり、花音は自分の努力が汚されたから殴ったという話だった。アイドルでも学校でも孤独だけど、母の期待に応えるためにひたすら努力をし続けてきた。周囲を見返してやりたかったし、母の夢を叶えたかった。それが目の前のメロに「暴露のおかげ」という形にされたのが許せなかった。
これはすごくわかりやすい話だと思うし、メロのこの台詞は実力不足側の逆恨み、かつ花音を焚き付けるものであるから、「真実を明かしただけなのになぜ殴られるのか」という話にはならないと感じた。
まあ、あくまで「思った」「感じた」だけだからね。作品は受け取った瞬間にその人のものになるのであって、みんなが同じ作品を見ても十人十色の作品がそれぞれの胸中に出来上がってしまう。メロが正義の暴露マンで殴った花音が悪いという感想を抱く、そういうなんか別の作品を見た人もこの世の中にはいたんだよ。今見て俺が感動してるこの作品とは違うんだけど。ずっと前は自分の感想に合わない感想を書いた人に手当たり次第に直接喧嘩を売っていたのだけれども、今は「同じ作品を見ているようで見ていない」と考えてやめることにした。

「とはいえいくらなんでも暴力はあかんやろ」という話については、まあ個人的には一発ぶん殴ったぐらいなんだよと思うのだけれど・・・。
ただ花音はメロのことをずっと言わないでおいたのだから、いい加減に償いはできてると言っていいと感じた。その理由は謎なんだけど、殴った理由が善悪というより個人的な想いによるものだからなのか、自分が暴露したらメロと同じステージに立ってしまうからなのか、当時は母が守ってくれなかったことに衝撃を受けていて真実を言う余裕なんぞなかった、とも考えた。

6月4日

明日には次回予告が来る・・・。

7話を見よう。9話と一番密接な関係にある話だと思ったから。

で思ったのは、まひるが「絵が上手くなりたい」と言うのに対して花音は「歌が上手くなりたい」というのはないんだなということで、それはすでに上手いからなのかと思っていたけどそうじゃないんだと思った。9話で描かれたのは、実力で這い上がっていこうとしていたところに孤独があったからじゃないか、空虚だと思ってしまったからじゃないかということだった。現状の彼女に発信したいという気持ちはあれど向上心はそれほど見られないことから、出世魚状態のまひると噛み合わないのは当然の帰結といったところなんだろう。

その反動で花音はさも一人でで胸張っているように見えつつも孤独を嫌い、かつてのめいにも7話のキウイにも「一人じゃない」と言ってくる。これはめいやキウイに言っているだけじゃない。相手に「一人じゃない」と声をかけることで、自分も一人じゃなくなる。あの言葉は自分にも言っているんだと思った。

そういやボイスドラマがあった。これ次回はそういうゆるい話作る部分なさそうな気がするがどうするんだろうか。

ところで2話でめいが花音に「脚も出しすぎだからすぐにしまって〜゛」と言うんだけれど、橘ののか時代はそんなに脚を出していなかったのか?
と思ったら9話でメロを殴るシーンは片脚だけどそれなりに出ている気がするし、めいの部屋に飾ってある写真も出しまくってるように見える。

ていうかBlu-rayもう1セット買ってもいいんじゃないんだろうか?なにせ10年ぶりレベルの作品なんだから。特典ほしいし。

ただここまで色々好き好き言っている割にはまだ次回が怖い。次回がダメだったらどうしよう。「お前ここまでなんやかんや褒めてるんだからどんなクソ回来ても褒めとるやろ」って言われそうだけど、そんな保証は正直どこにもなくて・・・。

6月5日

朝、家を出る前に9話ラストを見返していたら、日中ずっと花音回想パートの「ヨルー!」「ヨルー!」「ヨルー!」が無限ループしてすごくつらくなってしまった。
あの壁画の前で「ヨルー!」って叫ぶカットは1話で見たときはあまりピンと来なかったのに、9話のあの回想シーンにはバッチリはまっていた。まさかここに持ってくるために最初から・・・?そんなわけないか。

あと9話ラストは花音が一人で歌ってるシーンがやたらエロい。popmanなんとかの絵ってイラスト集見てるともっとエロエロしてるのにアニメは比較的エロ控えめだなあと思っていたら、後ろ向いて寝っ転がってるカットがエロすぎる。みんな直前直後のシーンが感動的すぎてあまり意識してないかもしれないけど本当にエロいから見返してみてほしい。こんなところで言って何になるのかはよくわからないけど。

6話を見ることにする。次回予告にみー子がいたから。
Bパート頭のまひるの後ろ姿、ピン合ってないから目を合わせることもなかったけど、よく見たらなかなかいい気がしてきた。

オタクの奇行に走り続けるめいが好きになることの圧倒的正しさを説く、素晴らしくかっこいい姿が印象的な回だった。アリエルにずっと顔を合わせながら会話し続けるのかと思いきや、回想に入る直前に顔を離し、まっすぐ前を見つめ直し話す姿が非常にかっこいい。この回全体的に横顔が印象的に感じられる。

みー子は神社まで行ってアリエルに何をするつもりだったのか。助けたい一心だったんだろうけど、当初は「私が変だから・・・」というモノローグから始まったので、「ごめんね私アイドル辞めるから、ふつうのママになるから」って言おうとしたのではないか。その可能性も否定できない。というかそう読んだほうが自然だと感じている。自分が「物語にちゃんと向き合っていない」おそれがあるが。
結果的に、アリエルがめいの教え通りに堂々TOを名乗ったので、みー子も腹決めた対応が出来た。ただ同級生の親にアイドル衣装で私のライブにおいでよと言われるのは怖い・・・。男の子の胸中も察するに余りある。

10話の予告だけど、8話9話に比べて1〜7話あたりの作りのノリが戻ってきたというような印象だった。特に8話だけど若干荒れていたから。

10話でメロとなんらかの会話があるとはずっと思っていたけど、それは雪音の仕事により知り合ったまひるだと予想していた。しかし予告だとめいだった。これは予想していなかったし、確かにその方が面白いなと思った。この4人の中においてめいの話はなかなか作りづらいところがある中においてメロと絡ませるとどうなるんだろう。全く予想がつかない。

6月6日

今週の土曜も登山なんだけど夜には帰宅するから10話をリアタイで見ることが出来る。通常だと帰ったらすぐに眠っているんだけど、どうせ気になって仕方ないから起きているだろう。ただ前日入りをするから今日のうちに用意をしなくてはいけない。

4話を見よう。
客観的に考えて、4話半ばの出来事と9話ラストの出来事は同じと言えば同じ。どちらも花音がやりたいスケジュールに周りが合わせられない、花音が機嫌を損ねるという話だった。9話でキウイやめいが言うように、別にMVは時間をずらせばいいだけなんだけど。
これに関して花音は「そういう問題じゃない!」と言っていて、本人は雪音案件であるというただそれだけの違いでここまで怒っていると言うのだ。だが4話の案件で機嫌を損ねてしまうところを見ていると、花音は単に思い通りにいかない(=周りがJELEE以外を優先する)こと自体をあまりこころよく思わないように見える。というのもシンプルに彼女にはJELEE以外ないので。
こういう性格はアイドル時代の孤立にもつながっていそうに思える。単に花音が妬まれていた(Pの母だとか実力があるとか)だけでなく。

割とこの作品はメイン4人の次にメロがいるように、ノベライズ上も公式サイトのインタビュー上も配置されているように見えるんだけど、どうもここまでそこまでのキャラにあまり見えていない。単なる敵役とかにするにはもったいないくらいの扱いをしているけど。まあ10話で大方わかりそうな気がする。

30分耐久とかいうのを公式がいきなり2本立て続けに出してきたが、おそらく10話のテーマが推しだのなんだのに関連してくるものだから、という話なんだろうなあと思った。
あと4話と30分耐久を見比べると、やっぱり橘ののかが一番実力あって一番かわいいのは確かだなと思った。

6月7日

登山の前日入りなのでそれなりに運転したわけだけど、それでも見ないと気が済まないので2話を見た。

本作は「本人が引け目に感じていた、欠点に感じていたことでも誰かを救っていた」というドラマを序盤に集中して用意している。まひるが黒歴史化してしまっていた壁画は花音を勇気づけたし、キウイの嘘はまひるを確かに救っていた。そして、その事実を知らされるがゆえに、今度は花音がまひるを、まひるがキウイの再起を促すという筋道になっていた。

で、2話なんだけど、当初見てたときは、花音のアイドルとしてたけでなく「私も一人」「絶対負けないんだ」「あなたを一人にしない」という素の言葉がめいを救った~程度にしかとらえてなかったんだけど。ただ花音の「一人にしない」というのは4話や9話の展開をふまえると自分が一人になりたくない、仲間が離れていくのを極端に怖がる、ある種の依存・拘束と言ってもいいという彼女の弱さでもあるのかなあというところを感じるし、これはすなわち「花音の欠点も含めてめいを勇気づけた」という1話や3話と似たような展開になっているのかもなあと感じた。

公式Twitterがラストのくだりやらまひるの表情やらをフォーカスしてくれて助かる。悲しいシーンなので見たくないという人もいるのかもしれないが、まずここはなんといっても絵も音もバッチリ出来ていたから何度でも見ていられるし、それに自分はあそこに込められた二人の感情の大きさをとても良いものだと思っているというか、確かに悲しいものではあるんだけど、それは二人の強い関係性ゆえのものであったから「イヤだ!こんなの!」というより「好き・・・」になっちゃう。何度も見返して心が持って行かれるし、その感覚がとても幸せだ。これほどにまで見ていて幸せだと思えるアニメに出会えて生きていてよかった。

6月8日

10話ですね・・・明日も用事あるのでさっさと寝たいんだけど、まあ見ないことには眠れないので、さっさと書けることだけ書いて寝よう。

いやこの回キレッキレだな・・・あの9話から打って変わってコミカルな表現を連発していくのなんなの。出来が良すぎる。

メロは楊貴妃なのか・・・。

メロはメロで花音をすごく理解しているのすごいなと思った。彼女からしてみればセンターを奪ったいけすかないやつだけど、嫌いでありつつもメンバーとして接してきたし、やっぱある意味よく理解しているんだろうなというか・・・。

やっぱ山ノ内花音って自分が名乗っているだけなのか・・・。母と比較的疎遠な姉が早川で、花音が山ノ内って戸籍上そうなるとは思えなかったから。

やっぱりめいは本当に強いな・・・作中で最強のキャラなんだな・・・。

っていうかキウイの身バレの話入れるんだ。あの話まで入れるとはあまり思ってなかったけど、あれはあれでメチャクチャきつい問題だな。

とりあえずメチャクチャ感動したんだけど何が?とか全くまとまらないので明日以降考える・・・。

6月9日

10話を3回見返したんだけど、何やらこの作品からは自分の人生のテーマについての回答が与えられそうな気がしている。特定の登場人物に自己投影するというよりは、この作品の構造全体に、自分の人生の問題意識とその回答を見出すことができそうな気がしている。

作品について話す前に自分の問題意識から説明すると・・・。

この日記にも度々書いているが、自分は好きな作品が周囲から批判されるのをひどくつらく思う傾向にある。好きな作品というのはたいていにおいて自分の嗜好・問題意識が反映されているため、ある意味では自分そのものだと言うことが出来る。そのため、批判されているとまるで我が事のように思えてつらくなってしまうのだった。

もう一つ、自分の社交性のなさについても述べておきたい。これまでの人生経験において、お世辞にも大衆側についた立ち振る舞いを出来ておらず、そのせいで肩身を狭くすることが多かった。空気が読めない、仲間が出来ない、話題が合わない。当時の自分に合わせる努力が不足していたところも多々あったとは思うが、とにかく集団生活で馴染むことができなかった。具体的には中学時代はまるまる通常の学級に通うことができなかった。(こういう要素いらない感じある)
社交性の問題については高校生・大学生・社会人と揉まれていく過程で、自分ベースだとマシになってきてはいる。ただ、周りのみんなも人生経験と共に成長していくので、全く差が埋まらない。自分なりになんとかしようとあがいてきたと思っているが、おそらく周囲から見れば努力は伝わらないことだろう。周りのみんなのように当意即妙で場を読んだ会話が出来ないことに対して、毎日劣等感と向き合っている。

そうした人生を送っているときに、自分の好きな作品(≒自分の人生)に対して批判が集中しているのを見ると、自分自身が周囲に受け入れられていない現実の状況と重なってしまう現象が起きる。これはアニメを積極的に見始めた08年の時期からずっと持っていて、自分はそれを「俺は【みんな】ではないんだ」という言い方で嘆き続けていた。幼稚だと思われる人が多いのだろうけど本気でそう思っていた。自分の向き合っている課題が幼稚(周りはとっくにクリア出来ている課題)なのだから、嘆きが幼稚になるのも仕方ない。

この「【みんな】になれない」という嘆きはある種の傲慢さに満ちたものであるが、自分個人にとってはなかなか深刻なものだった。もちろん娯楽作品であるからにして好き好きはあるし、批判のない作品というのはありえない。自分の好きな作品が軽薄である。薄っぺらい。リアリティがない。ネットを検索すればいくらでも転がっている。自分はこれを見ていると、批判している人は自分を受け入れない周囲=多数派と同様であると感じてしまう傾向をもっている。
作品は間違いなく大好きなのに、自分と違う【みんな】は批判をしている。【みんな】は多数派の中におり、彼らこそが世間的には正しいのであるから、自分も、自分が好きな作品すらも間違っている。そういう非常に悲しい理解をしてしまうのだった。
もともとネガティブな性分な上に、自分が大人気作品を嗜好する部類ではないことも拍車をかけていた。

その中において「夜のクラゲは泳げない」を見ていたときに、一貫している話がある。

1.「自分の「好き」は誰かを勇気づけている。一見みっともないものでも、欠点を含んだものであっても」
まひるの「変な絵」は花音を勇気づけていたし、キウイのハッタリに満ちた「スーパーヒーロー」はまひるを元気づけていた。
また少しわかりづらいかもしれないが、花音はめいに「ファンを絶対に一人にしない」という言葉を与えている。これは当時の花音自身が周囲から孤立していて、孤独を怖がっていたゆえに話した言葉と感じた。スキャンダルを経て花音の孤独への忌避感は強まっていて、それゆえにまひるが離れていくのを極度に怖がったのが9話ラストの展開だったと思う。孤独への過度な忌避感は彼女の欠点と言っても差し支えないと思う。何を言いたいのかというと、花音のめいへの言葉は花音のコンプレックスゆえだが、それこそがめいを元気づけていたということだった。このため、上の段落のケースと似たような形だ。

2.「好きを貫くのはつらいことである。それでも向き合って貫くべき」
これはまひるが自分の絵をdisられたときや、めいが花音のスキャンダルを受けたときがわかりやすい。
まひるは5話を見れば一目瞭然だ。自分の好きを詰め込んだイラストを出して、それが全部受け入れられるわけではない。下手と言われると自分自身絵を嫌いになってしまう。ただそれをそのまま受け入れたくない。なら立ち向かうしかない。
めいは6話で述懐しているが、あれだけ世間的に批判され活動休止しながらも、家のグッズもそのままだし、彼女を模した髪型も変えていなかった。何より熱い想いを全く隠さない。めいが葛藤を乗り越えているのは本編前なので伝わりにくいところもあるが、それだけ辛いところを乗り越えたゆえの強さが彼女には見られる。

3.「自分が勇気づけた誰かが、のちに自分を後押ししてくれる」
これは1話の花音→まひる、3話のまひる→キウイ、10話のめい→花音の形で明確に描かれている。面白いのは後押しの形は決して上手くある必要はないということだ。3話の不思議な踊りも10話のめいの歌も、下手でも堂々と後押しするメッセージを伝える。そこに意味がある。

この辺のメッセージがどうも自分の問題意識の回答になっているように感じている。
1.は好きな作品に欠点があるからって、自分を勇気づけることはごく自然であることを意味している。誰かに欠点を指摘されたところで、その作品が自分に与えた言葉が消えることはないし、それを何より大切にすべきなのだというメッセージが込められている。
2.は好きだと言い続けろという話だが、どう頑張っても周囲の目は気になるし客観的事実を与えるとつらい。ただそれでも貫き続けないといけない。自分が否定された気になったとしても、その自分そのものと向き合いながら好きと言い続けなければならない。
3.は2.で貫き続けた者のみに見えてくる光景だと思っている。そうあってほしい。本作で何回か触れられている「何者かになる」ということは著名になるということじゃなくて、究極そういうことなのだろうと思う。誰かを後押しできる人であるということだ。

ここまでの回において、上記のような美しいメッセージが作中全体に伝えられている中において、10話は特にこの色が強い回だった。自分の「俺は【みんな】じゃない」に対する答えが見えてくる予感がしてきた。あと2話を見届けた上で、この予感が確信に変わることを願ってやまない。

こんなことを考えていたら、全巻購入をもう1セット予約してしまった・・・。

6月10日

また10話見てるな・・・ちょっと本気で好きかもしれない。この作品で一番好きになるかもしれない。いやそれより良い11話12話がきてほしいんだけど・・・。

もし自分が話を書いてたらどうしようもなくなる話が大好きなので、10話は9話のまひるの台詞の続きから始めて、まずまひるが出ていって、キウイが「そりゃねえよ・・・」って出ていって、めいが「どうしたんですかこんなの私の好きなののたんじゃないです」、花音「言ったでしょ橘ののかはもういないって」、めいが出ていく、花音一人になる。〜〜〜みたいなシーンから始めるんだけど、この作品はそこまでキャラクターに冷たくないので、普通に暖かいシーンから始まっていた。

他方まひるの態度が冷たいというふうに思われがちだけど、花音にああ言われた先で仕事中に優しく接したところで多分違うとは思うんだよね、どうせ花音の場合は苦い笑顔で「うん!今は仕事頑張ってよ!JELEEのことは、、まあ、もういいからさ、、、、」とか言い始めるのが目に見えている。そしてやっぱり花音に言われたことって、モラルはさておいてやっぱり事実ではあるんだよな。「私のおかげで歩み始められたのに、調子よくなってきたら私を見捨てて上に行くのかよ」。まひるの絵がもっと上手くなりたい想い、もっと上に行きたいという想いは尊重されるべきではありながらも、花音より雪音を優先してしまったことの罪は自分でも感じている。その中において、だからこそ、今言葉をかける行為は、むしろ誠実とは程遠いのだと知っている。当然のことでありながらまひるが花音を嫌いになったわけでは全くなく、それを伝えないといけない。だから「約束を果たす」という言葉を使っているのだけれども。おそらくはその伝え方は電話でもLINEでもなく絵であると知っているからなのだろう。

6月11日

いや、今日も10話を見たいんですよね。。。これマジで20年代ナンバーワン回になるんじゃないの・・・。

A冒頭、やっぱり落ち込んでる花音がエロいな・・・。

まひるの「何者、か・・・何者、なんだろうね・・・」はなかなか興味深いというか、この先に繋がりそうな言葉だと思っていた。というのも、9話の流れだけを見ればまひるはまさに「何者かになれた」一直線なようにしか見えない。着実に技術を磨き、商業の仕事もらえて、絵を描いているときの自分が好きになれている。理想的ではないか。なのになぜか「何者なんだろう」と言っている。
これに対して5話ラストでは「何者かになれたのかなあ」と言っていて、10話より前向きになっている。これはやはり今のまひるが仲間と、花音と共にいるかどうかというのが大きいんだろう。まあこのへんが11話12話にどうなるか。。。

それにしてもこの回は足を切らずに接地した構図が多くなかなかハードだ。だいたいこれまでは切っていたと思うんだけど。物量も表情もすごい。

メロが花音語りしてるときのジャージ姿花音がまたエロいんだよな・・・左足首が見えてるのがまたいいんだよな・・・。

よく考えたら配信で解散宣言したのはキウイが勝手に言い出したことなんじゃないかと思えてきた。めいとキウイがここで解散しようとあらかじめ決めたわけではない。というかそんなこと決めてたら31歳のゲストなんか呼ばない。これならめいが「JELEE解散するんだってなんとかしてよ!」とまひるに押しかけなかった理屈もまあわかる。めい的には不意打ちだったし、キウイは「まひるの人生はまひるのものだろ」と後押しした手前もある上に、一度「私はこの仕事を選んでしまったから何を言っても嘘になる(実際これは正しいと思う。6月10日参照)」と断られている以上、再度お願いする気も起きない。というかキウイはそこで無理矢理ゴリ押し出来るタイプでもない。
ただめいは不意打ちとはいえキウイがああ言いそうなこと自体は察していたので、言われて驚くという反応をしたわけでもない。ただ押し黙って、その直後に爆発のおうたを歌うわけだが。。。

めいの歌が下手すぎるせいで歌詞がよくわからないんだよな。あの歌詞は一応まひるが離れていく不安を感じながら花音が書いた歌詞なはずなので割と心境を読む鍵になっているはずなんだけど、リスニング能力皆無な自分にはわからない。マジでまひるに向けた歌詞っぽく聞こえはするんだけど・・・。

6月12日

10話思い返しているんだけど、6月11日で触れたまひるの話についてもう一つ話しておきたい。人間は自己実現するにあたって、「仕事(実現対象)」と「身近な人(家族、仲間)」の両方を必要としていることが多い気はしている。偉大なるスポーツ選手などは大抵家族にやたら感謝してる。遠くの目標も大切だけど足下の家族やら仲間やらがいないと足下おぼつかなくなったりするんだろうな。まあだから結婚せいという話ではなく、なんらか大切な人がそばにいればよくて。 
花音とメロの共通点としてサンドー時代のメンバーを仲間だと思っていない点が見受けられた。10話で「ののかには仲間ができたんだ」と言っているシーンにはある種の驚きがあった。メロら3人で徒党組んで花音いじめてるのかと思ってたから。まあ徒党組んでたとしてそれが仲間かといえばそれも違うか。
雪音は先々の野望は抱かせることはできても仲間にはなれないし、そういう立場でもない。ただ野望だけでは前に進むのは時につらくなるんじゃないかなあ・・・みたいな話かな。

↑と思ったら、11話の次回予告を見たらまさにそのようにまひるが苦しんでいるように見えた。ていうか10話で花音-めいのラインを作って、11話でまひる-キウイのラインを作りたいんだろうな。一見10〜12話でまひる-花音だけやればいいじゃないかと思われがちだし、自分自身そう思っていたんだけど。ただこの作品のテーマというのは過去の自分、今の自分と向き合った上で未来の自分をどうしていくかという話なので。過去の花音を知っているめい、過去のまひるを知っているキウイ、このラインを今一度固めたうえでこれからのまひる-花音をどうしていくんだよということをやりたいんだろう。

いい加減11話に繋げる話を見たいので3話を見ることにしよう。ていうか未だに使われていない要素としてあるのがキウイがなんでJELEEの活動やることにしたかなんだけど、やっぱり前にも書いた通り自分のとこの再生数が伸び悩んでいたからというところだろうか。この辺ノベライズで削られているから話で使わないのかもしれんけど。

なんか3話見てたら11話の内容はもうだいたい見えてきたようには思うけど、この作品てんで自分の思いどおりの内容にならない(そのくせテーマの骨子はずっと俺の思った通り一貫してる)からまあわからんか・・・。

キウイのまひるへの「そうやってすぐ人に合わせやがって!」、そういうまひるしか見てこなかったキウイにとって、3話の不思議な踊りもそうだし、9話の勇気をもって自分のやりたい仕事を優先していく姿とか、キウイにとってはどう映ったんだろう。9話は結果的に不穏なことになってしまったけどまひるの成長でもあったし、花音にとっては裏切りであったのかもしれないけど、キウイにとってみればある種感心するというか、前向きに捉えたい出来事だったんじゃないか。そうしてみると、10話でまひるに断られたときに強気に出られない気分もよくわかる。まひるの人生はまひるの人生だと言っているし、それを捻じ曲げてまで花音の復帰を促すように訴えかけるのは気が引けたし、そうなったときにやはり勝手に解散を言い出してしまったのだろう。

他方キウイは小学生の頃もっていた自己表現をリアルの場で出せずにいたままここまできていて、そういう彼女にとってどんどん自分の芯の強さが出てきたまひると再会して何を思うのだろうか、その上で10話ラストの出来事とどう向き合っていくのだろうか、楽しみだな。

11話の紹介文、

「JELEE」のアカウントで配信されためいの動画が、脅威の220万再生を記録した。

特にめいのようなドラマ性はないものの、ファイナル・カウントダウンのメチャクチャ下手な演奏がなかなかの再生数になっていることを思い出した。ていうか自分も大好きでよく聞いたりする。

あと今週土曜も山に登る予定なんだけど、今回は相当きつい山になるはず。ただ本作の最終回を見るまで絶対に死なないという強い想いがあるから、必ずや攻略できると思っている。

6月13日

10話で花音がめいの歌に感動した理由は、あの歌詞はもともと花音がまひるに離れて行かないでと願いながら書いた歌詞であって、めいもまた同じく花音に離れて行かないでという気持ちをこめたからなんだと考えた。自分もまた、離れないでと思われていた。そのことに気付かされた。こうやって整理すると改めて感動できる話だ。

7話にしよう。バイクのSEやけにいいな・・・。

キウイの「バイクより光ファイバーのほうが速いっすから!」っていうやつ、じゃあお前なんで免許とったんだ感があるっちゃあるが・・・。まあそうじゃなくて、キウイがリアルよりネットの世界で付き合いたがるところ、それをこの作品は全否定してはいないと思う。むしろやや好意的であろうか。以前好きな別作品だと、かなり上の年代の人が作っていたこともあって「メールよりちゃんと対面で話そう」という教訓じみたことを繰り返していて、そういうメッセージ性もまた正しいしありだと思っているんだけど。
キウイは確かに引きこもった先のネットであって、ネットで居心地よさそうにしているのはある人からしたら「逃避」であり「欠点」とすら言えるのかもしれない。
でもしつこいようだけどこの作品が一貫して描いているテーマとして「自分が欠点と思っていたことですら誰かを勇気づけている」という話がある。8話の「リアルライブが出来なくてもネットで繋がれるんだ」という話、あれはキウイが中学デビュー失敗したからこそ得られた経験であり、その経験が花音たちに、ひいてはJELEEのファンに力を与えてくれた。
こういう話は福音になるんじゃないかなとは思っていて、一見どうしようもない失敗で無駄で停滞で黒歴史なのかもしれないけど、そこ含めて人は誰かを後押ししていて、そして後押しした人に今度は逆に応援されていく、そういう関係性の素敵さがこの作品には描かれている。

6月14日

明日が11話か・・・。予告見る限り特に不安に思う要素ないはずなんだけど、なんかこうどうしても「俺の目にも見えて滑ってたらどうしよう・・・」みたいな不安感が出てくるな。
過去大好きだった作品でラスト2話でずっこけた例があるかどうか、自分の視聴歴の中でずっと思い返してみた。うん、ない。大丈夫だ。大丈夫・・・。

明日未明より登山だから早く寝なくてはならないが、そうはいってもなんかしら見ておきたいので10話を見る。abema一挙放送?見たいときに見るのが主義なので・・・。

キスというものは〜で恥じらいまくるめい、花音とまひるのキスを見てしまったら・・・。

この作品はメロにどういう落とし所をつけるんだろうというのが一番読めないところではある。なんかこう一貫して「悪そうに見えて悪くない」感を出そうとしている。自分が弱いことにも自覚的だし、暴露で他人を制裁した先に何もなかったことを知っている。ただ彼女をラストにどう扱おうかというと・・・?

思えばこの作中でめいはずっと裏切られ続けてきたのかもしれない。橘ののかはもういないんだと言われ、黒髪清楚ではなくて金髪のがさつな女であり、母のために頑張ってきただの仲間を自分のものにしようとしてきただの黒いことを延々と言われ。彼女が神聖化して推してきたであろう輝かしい橘ののかはもう何一つ残ってないのかもしれないが、それでもやっぱり彼女はののたんと呼ぶのをやめないんだな・・・。本当に素晴らしい「好き」をもっている人だ・・・。

6月15日

大変険しい登山だったが無事帰って来ることができた。
インタビュー記事などを確認していると、作品に求めていたものを骨子に描いているのが伝わってくる。ここまで自分向けのものでよいのだろうか。まあ長年アニメ見てきたことのご褒美だと思って・・・。

11話を見る。
「まひるは今、前に進んでるんだ。だからわたしたちも進もうよ」
もともと花音もそのことには気づいていて、でもだからって離れていったことはつらい。ああ9話の話って改めていいものがあるなと思った。

まひるが再度キウイに元気をもらう、というエピソードだった。一見引きこもりの現実逃避という受け取り方も出来る(というかそういう側面もあるだろう)Vtuber活動だが、その中であれだけ活動を積み上げてきたことって全然誇っていいことであって、まあ小物に説教される筋合いはなかろう。
ただあとはそれを言えるか否かであって、7話のあの段階では言えなかったわけで。7話と11話の何が違うかと考えたらまひるがいたということなんだろうな。やっぱまひるの前では意地でもヒーローになりたい。見栄を張りたい。それが結果的にまひるをまた元気づけた。これは小学生の頃と同じ光景だった。
まひるがいなくても言えるかどうか、という課題はまだまだキウイに残っていると思うのだけれど、そこはまひるが自分の絵に納得できるかという問題と同様に、永遠に答えが出ない、かつ永遠に向き合わなくちゃいけない話なのだろうと思った。

ラストの引きはまあ確かにこうなりそうだなと思ってた中の一つだった。9話のときに思っていたのは10話でサンドーライブの仕事の話は片付けてその次の話でJELEEの話に戻して・・・という話を予想してはいたんだけれど、まあ同時に片付けたほうが山場として完成するだろう。

6月16日

11話をもう一度見て、まひるについて考え直してみる。

承前よりずっとまひるは上手くなることにこだわっていた。7話ラストにあるように「自分の絵を好きになりたい」「すごい絵を描いて、絵を描くきっかけをくれた花音に恩返しをしたい」という目的がある。
だけど、上手くなるだけでもダメなんだ、ということが判明する回が11話だと感じた。

雪音に自分の絵の何が好きなのか問い詰められた際、まひるは細かな「この部分は上手く描けたと思う」というような技術的な満足感を挙げている。9話10話でもあるように、上手くなっていく自分の姿には自信が芽生え始めているのだろう。ただその絵自体に「好き」は詰まっていない。そういう絵じゃダメだ、と雪音は言ってくる。

上手くなったけど「好き」が抜けていって魅力が感じられなくなった絵・・・見覚えあるようなないような。

なぜ今回この問題に初めてぶち当たったのか。それは他所から降ってきた案件で絵を描いたからだ。9話や11話でサンドーについて「すご・・・」と言及することはあれど、「好き」という言葉を発することはない。つまり対象が好きじゃないから、そこに自分の好きを入れるのが難しいということだ。幼少期に無邪気にクラゲの絵を描いたときや、花音に好き好きと言われながらJELEEで活動しているときとは理由が違う。

雪音自身はまひるに自分を曲げてほしいわけではなく、むしろ海月ヨルとしての個性を発露せよと言っている。現に全修のコメントを見てみれば、右下に「貴方が思う"好き"や"かわいい"が伝わりません。正確さや万人受けを求めてもらわなくて良いです」と書いてある。本当にただ言われた通りに修正しろという話であれば、こんな教訓めいたコメントを書く必要はない。なんなら、雪音的にはただ発破をかけただけ程度のことなのかもしれない。

この前提を踏まえたうえでキウイのエピソードに至り、自分の「好き」を再確認すると共に、キウイのハッタリを見習う形で雪音に訴えかける。自分の「好き」を取り戻した絵は受け入れられるのであった、という話だった。

この話はまひるにとってもキウイにとっても一つ階段を登った話だったが、どちらも条件付きのクリアという形だと感じた。まひるの主張が受け入れられたのはあくまで雪音がまひるの個性に著しく肯定的であったからであり、商業で活動していく中ではもっと上手くいかないこともあるだろう。キウイがハッタリをかませたのはまひるの前だから、まひるの前だけではスーパーヒーローであろうと出来るから、という要素も含まれており、将来的に学校の教師になるのであればまひる抜きでも立ち向かわないといけない。
夜のクラゲの話は次回で終わりだが、この先々のハードルについてもうっすらと提示していきつつ、彼女らが悩みながらも乗り越えていく姿を好意的に思い描けるシナリオになっているように感じられた。

6月17日

ノベライズの2巻が届いたので、早速5話の部分を読んだ。まひるの葛藤が描かれる内的な話なので、ノベル形式の地の文だとまた味わい深いものがあった。ていうかこの人結構平易な文章がずっと続いており読みやすい。あんまラノベ読まないからよくわからないけど。脚本としても本編見てると台詞の冗長さがそれほどなく絞られているし。ラノベ作家の脚本と聞いたときはあまり期待しなかったものなのだけれども。

(↓以下の考え事は6/25のスタッフスペースを聞いていると間違いだったとわかったし、すぐ気づくレベルの間違いでありダサいのだけれども、だからって消すのはなおさらダサい上に、当時考えていたことをありのまま残したいところがあるので、このままにしておく 6/26追記)

9話を見る。今日考えたかったのは終盤のキーフレーズになってる「約束」ってなんだよってところだった。終盤になってから出てきたキービジュアルにも「約束」が描かれていた。最終話でドドンと出てくるんだろうけど、まあそこまでに振り返ると・・・。

この「約束」というキーワード、まひると花音で認識が違うように感じる。

1話
花音「だからヨル、私のために描いてよ!」(A)
7話
まひる「もっとすごい絵を描いて、喜んでほしい人がいるんだよね。(中略)私って意外と、恩をちゃんと返したいタイプなのかも」(B)
8話
花音「イラストがいっぱいの、大作作ろ!(中略)約束、ね!」(A)
9話
花音「私のために絵を描くって言ってくれたのに、結局あの人(雪音)のために描くんだ!結局!嘘つき!嘘つき!」(A)
10話
まひる「けど、必ずもっと上手くなって、約束を果たすから。待っててほしい」(B)
10話
花音「私、まひるの人生を私のために利用しようとしてた」(A)

これ、(A)のラインは視聴者全員が見えていると思うけど、(B)のラインに気づけていない人が多いんじゃないだろうか。そうなると10話のまひるの「約束」が一見わからなく聞こえる。自分も初見段階では「あれ?」となったし。

(A)→花音は無条件にまひるの絵が好きで、ひたすらに自分のために描いてほしいと願っている。後に彼女はそれが「利用」だと自責する。
(B)→まひるには絵が上手くなりたいという欲求があり、花音にもそれを見せたいという想いがある。とはいえ花音はそんなこと大して望んでない。だって無条件に褒めるし。

すなわち「約束」と言いながらお互い自分のやりたいことを押し付け合っているて、利用しあってる関係性になっている。8話までの関係性は約束した者同士でありながらも、約束の認識にずれが生じていた。

花音は断然(A)派であるが、まひるは(A)を断る罪は認識しつつも(B)を優先した。ただ(B)もまた「約束」と思っているために、10話で「約束を果たすんだ」と主張している。

この作品はクリエイターが上手くなりたいと思う気持ちを肯定しているから、(B)を真っ向から否定しないだろう。
ただ6月16日の感想で書いたように、「上手くなるだけじゃダメで、そこに"好き"がなければダメなんだ。私の絵じゃないんだ。それでは魅力が生まれないんだ」とまひるはわかっていく。(B)の「約束」だけですごいものは生まれてこない。

その上で、まひるが再び花音のために絵を描くとき、「約束」が今度は利用ではなく本当のギブしあう関係になり、二人が対等な仲間として(A)と(B)が重なったときに、何が生まれていくのだろう。

というのを12話で描きたいんだと思うんだけど、どうだろうか・・・。

(ここまでの自分の展開予想はだいたい外れてはいるもののだいたい自分の想像を超える展開で満足している)

6月18日

ボイスドラマの11話が届いていたが、結局JELEEと共同開催になることはもう決まった話だったのか。
ノベライズの6話を読んでアリエルの主観やるとか思っていなかったなあとか色々思いながら気持ちよく眠ってしまっていたのだけれども、なんかしら見ずには今日を終わりたくないので8話を見る。

暇電までするという8話から10〜11話で電話すらしないとなると、確かに一見落差が激しくなるのかもしれないが、これで関係が冷え切ったと思うのはなかなかに甘い解釈であって、11話見てる限りだと仲間という意識が全くぶれていなくて強すぎる。本当に関係強いと自分の中に他者がいるのかという気にすらさせられる。6月17日にも書いたけどこの暇電というのはある種依存というか、(A)の利用する関係の一部だったんじゃないかと捉えられなくもない。見せてやりますよ12話で。真の二人を、真の約束を。いや別に作者じゃないんだけど来るとわかってるから。

完全に忘れていたけどこの回は花音の思い描くライブ像が語られる回だった。12話どういうライブにするんやろねっていう参考になるのかならないのか。まあクラゲの水族館作ることはやってほしいと思っているけど。

花音が「ここが私達の第一歩目、JELEEが現実を泳ぎ始める最初の舞台」という話をしている。どうもリアルライブをやることに執拗にこだわっている。アイドルやっていたからなのかなんなのか。ところが現実的には身バレ事件によってバーチャルライブになってしまったわけだから、12話でついにそれが見られるということになるのだろうか。そういう意味でも花音にとってある種の達成になるんだろうな。

改めて考えると傘とサイリウムは欲張り過ぎだろうという気がしてきた。ていうか傘持っていたらサイリウム振れないだろうし、傘持っていたら前見えないだろうし。

11話を見た後で8話を見るとキウイの「画面越しでも人は繋がれる」というのは「いやあなたは画面越しじゃないと基本ダメなタイプでしょ・・・」という気がしなくもないんだが、しつこいようだけどこの作品というのは本人の欠点がかえって仲間を助け得るという展開を何重にも重ねているので、それが一つ結実した形となる。

8話段階だと花音の歌う理由は7話で語った通り「まひるのため」になるんだけど、それゆえに9話でまひるが離れていくのはなおさら辛いことになり、10話のめいが熱唱した歌の歌詞が、書き出してみるとかなりやばいことになっている。あの歌はまひるに離れて行かないでと思いながら書いた歌になるのだろうが、暗すぎる。

1話段階でまひるは一旦花音のために描きはじめたが、それが少しずつ他者ではなく自分からの理由になっていくのと同じように、花音の歌も7話で一旦まひるのためとしたものが、自分の歌を誰に届けたいということを改めて考え始める11話だった。

この作品は4人のキャラが同じ問題に2回以上直面する話が描かれていて、1周目は仲間に後押しされて再び歩みだす話となっているが、2周目以降になると仲間はアシストはしてくれるものの、どちらかというと自分自身で思い悩みながら解決していくという自立への話になっている。この1周目と2周目の取り合わせが本当に好きな構成だ。
まず誰かに強く認めてもらわないと傷ついた人は走り出せないし、ただいつまでも頼ってはいられなくて、いずれ自分自身で過去と向き合って歩み出せるようにしないといけない。この2つを1セットにして4人に割り振るのを徹底した構成になっていて、1クールという尺において一番こだわったポイントなんだと感じている。

6月19日

最終話の場面写を見た瞬間に、本編を見たときに感動することが確定してしまった。なんといっても壁画の前で4人澄んだ目で前を見ている絵がかっこよすぎる。これほどにかわいいキャラクターなのにここまでかっこよく見えるんだ・・・。

1話を見る。

つうか結局わざわざまひるが渋谷をほっつき歩いているのって、夜の街が好きとかいうのはまあそうなんだろうが、それはそれとして自分の壁画が気になってるからなんじゃないか、ということに今やっと気づいた。そもそもこの渋谷うろうろする行動って1話以外は一度も現れてなくて、自分で絵を描いてない間だけの話だったんだ。

1話の高橋の声は以降の回に対してまひるへの親近感が少し遠く設定されているのを感じた。なんかもう2話からはベッタベタなんだけど。

ところで別の回の話になるんだけど、この作品は「素晴らしい表現をいくら突き詰めたところで、必ずしも救われるわけではない」という不条理にぶつかっている話を描いていると思ってる。
橘ののかはまあ間違いなく天性の才を持っている上に個人としても努力を欠かさず、周りもいけるところまでいけるんじゃないかと期待をしていた。ところがメロの余計なことによって、さも「暴露のせいで成り上がれた」というような、願ってもないのに下駄を履かされたような気分になりメロを殴って、結果として救われなかった。
11話の竜ヶ崎ノクスにしてもそうで、とっくにVTuberとして地位を確立していたとしても、JELEEがフォロワー10万人超えていたとしても、そんな活動に興味ない層なんていうのはザラにいるどころか、むしろジャンル丸ごと馬鹿にしてくる部類の人間というのは必ずいる。その叩いてくる行為はクズではあるんだけど、クズだろうが正義だろうがキウイ自身がそれによって傷ついたのは明らかなわけであって、やっぱり救われないものがある。
8話はライブ映像というのはファンの中の空間であったからJELEEの活動がアンチコメを押し流しもしたんだけど、ところかわって一歩現実の世界に出たりするとそもそもYoutuberやらなんやらに興味ないというか軽蔑してる人もいたりする。そういう状況に対して「パフォーマンスで認めさせたらいいんだよw」という言葉はハードルを宇宙空間に放り上げているようなものであって卑怯だ。だからキウイが自分に問題に立ち向かったのを「JELEEの活動の中で達成すればよかったのに」という意見はなんか妙だと思う。
あと、そんな中において認められたくて必死に絵に取り組んでいくまひるの姿は眩しさがある一方で、その先必ずしも救われる光景が保証されていないという悲しさも孕んでいる。もちろんうまくなれば救われる確率は上がるには上がるんだろうけど、たぶん1話段階でクラゲの絵を変だと言った人はい今でも変だと言うだろうし。5話で絵が下手と言ったやつは今でも下手だと思っているのかもしれない。
でも花音にせよキウイにせよまひるにせよ、最後には再び立ち上がって自分を出していこうと勇気を出す。それは支えてくれる仲間に出会えたから。自分の欠点をも含め受け入れてくれる、むしろそれに勇気づけられもしてきた仲間に出会えたからだ。

結局世界は違う思考回路を持つ他人だらけで出来ている以上、どんな卓越した表現を磨こうとも、めぐり合わせによって救われない状況というのは必ずやってくる。ただそういうときにお互いの姿を認め合い支えてくれる仲間と出会えているかどうか、そこなんだろうな。
彼女たちはそういう仲間と出会った上で成長してきた。欠点を抱えた彼女たちであっても、その欠点にこそ別の仲間が救われてきた。やがて彼女たちは各々が依存せずに自分の足で歩める人間となってゆき、対等で尊敬しあえる関係を築きつつある。そういう美しさを描いた作品として、この作品は完成に向かっているんだ・・・。(いやそういう作品なんだって・・・そういう作品だって表現されているんだって・・・)

6月20日

ノベライズの7話を読んでいたけどまひるの想いをここまで重く設定しているとは思わなかった。これはもう最終話はアレやろ・・・。

さて、11話までに見た中で素晴らしいものをたくさんもらったので、12話で何が起ころうとも自分史に残る作品になることは確定していると思う。やることもだいたい定まっているし、ここまでの話を見ていると最終話で自分を大きく裏切る気はあまりしていない。まあそうは言っても世の中何が起きるのかわからないので不安は常にちらついている。
「自分でもガッカリするオチ」というのがどの程度なのか知りたかったので、書き出してみた。あまりに奈落の底すぎて失礼だったので、ここに残すのをやめた。

11話。花音にスポットを当てて見てみたい。果たして「歌えるのか怖い」というのがどういうものか、歌わないものにとってみれば一見よくわからない感情だ。そりゃ人前で緊張するということだけはわかるだろうが、特にライブでもなく動画として歌っているのであれば、なおさら歌うのが怖いという感覚はよくわからない。だからこそ11話で気がなく歌っているところを見せなくてはならなかったし、12話はライブとして歌うという筋書きにされている。テーマを表現するための構成がなされている。

花音の「追いつきたい」という気持ちを知ったまひるが、言われるがままの修正の絵を消して自分の絵を再び模索し始めるシーンが最高すぎる。まひるだって5話でJELEEのみんなにおいていかれたくないという気持ちを知っているから、花音の気持ちがすごくわかるって話だ。

雪が舞うあの海へ・・・雪音・・・海月ヨル・・・

ところで、今更だけどこの日記は当時思ったことを基本余すことなく書くので、言ってることが何度も重複する可能性がある。まあでも言い方とかは毎回変わるから完全に同じとはならんだろって思ってるけど。

6月21日

明日は午前山に登って夜にサッカーを見て25時に最終話、なかなかハードなスケジュールだ。サッカー見に行く途中にポップアップストアなるものに行けたらいいのだけど、明後日でもいいか。

10話を見る。今のところこの作品で一番好きな話だ。

10話でまひるが「何者・・・なんだろうね」と言っているが、これはすなわち自分の絵を好きと言い切れないまま作業しているからだろう。11話で答え合わせされている。「必ずもっと上手くなって、約束を果たすから」のくだりも、「そうは言っても今の絵あまり好きじゃねえなあ・・・」と思いながら描いていると思うと、また一つ味が出るところがあるな・・・。

まひるは本編中ずっと何者かになりたいということを言っていた。だが、11話で思い返される幼少期のまひるとキウイの関係を見ていると、最初からまひるは何者かになっていたのかもしれない。また、だいたい人間そのようなものなのかもしれない。

やっぱりメロがどうなるのかだけは全く読めない。なんとなくJELEEのパフォーマンスに「かなわんなぁ・・・」と述懐していそうなところだけは思い浮かぶんだけど。特に一番わからないのは自分が見ろバカしていたことを自白するのかどうか?という点だ。自分のカンとしてはそんなこと特にやらない、ただなんとなく後ろめたさを感じながらそのまま生きていくという形で贖罪させる形にしそうな気がするけど。

「この名探偵高梨キムアヌークめいにー!」のあたり全般的にかわいい・・・。

改めてやはりめいの歌のシーンはすごくよくて、この明らかに下手なのに全力の想いがこもっていて、思わず応援したくなるシーンってのは、この作品の根幹というかハイライトなんだろうなと思う。そういうシーンに絵的にもすごく熱量を注いでいるというのがとても好感を持てる。

10話における花音の「私はまひるを利用しようとしていた」という自覚、これに対して12話一体何をまひるに話すのだろうか。普通に謝るのだろうか、そんなことよりもっと先の話をするのだろうか。こういうのだいたい「とりあえず謝らんとアカン」という話をする人が多いが、それはもう一度喧嘩して簡単に事切れてしまうような関係性の人の話であって、まひると花音くらい深い関係だと、むしろそれよりもっと大切なことがある気がしている。あんまはっきりわからないけどなんとなく。

6月22日

最終話だ。なんか放送前に何か書こうとしていたけど忘れた。とりあえず今日は登山やらサッカー観戦やらなかなかハードなスケジュールだったが、最後の最後にあるこの最終話までは眠れるはずもない。なかなか疲れているのだけれども。

毎日ずっと1つの作品について考える状況、10年以上前にいくつかあったはずなんだけど、当時最終話をどう迎えていたのかよく覚えてない。

最終話、Bパートがすごすぎてエモいという感想しか出てこない。はーやばいやばいやばいやばい、まともに何か書ける気がしない、もう明日にしよう・・・

6月23日

渋谷アニメイトのポップアップストアの壁画が変わったというので、あまりリアル店には行かない体質なんだが行ってみた。自分の好きな作品の展示というのはやはりずっと見入ってしまうもので、空間に入っているとなかなか出られなくなってしまった。欲を言えば、もうちょい本格的な展示としてのイベントがあるともっといいなあと思った。

それにしても渋谷もアニメ系の広告がずいぶんと増えた気がする。10〜15年前(大学生時代)に渋谷は割と使っていた街だけど、基本的には実写作品の広告が主だったと思う。今やオタクと相性の悪い街というイメージは薄い。

12話をもう一度見る。Aパートについての理解を色々書きたいところもあるんだけど、正直世の感想がそっちばかりに行っているのがどうにも気に入らないというか、個人的にはこのBパートの素晴らしさを語りたいのだ。というのもBパートって話的には後日談なので本来的には切り捨ててもいいんだけど、そこを押してなお入れたいという強い想いを感じるし、それだけの効果があるBパートだと思ったし。

Aパートで花音が「みんなに私の歌を届けたい」という話があった。花音はまひるの絵が好きで、まひるもまた花音の歌が好きだと言う。こうした関係の中で得た輝きを他の人にも伝えたいというのだ。で、Bパートは、同じようにキウイやめいが大切な言葉を他の人にも広めていくという話をしている。

で、とにかくとにかく壁画のところなんだけど・・・
竹下良平のOPEDでよくスマホ風縦画面で他愛もない風景を撮影するという形式は見られるのだけど、ここでもそれをやっている。

「オーダーは自由に、だそうです!」
ただの仲のいい光景という風に見えるがそうではなく、これは「各キャラが課題と向き合って乗り越え、自分の色を描けるようになった」という前提のもとにやっている。だから自由に描くというテーマに対して迷う人はおらず、あるいは描くことすら中断して好き勝手なペースでやっている。ここまで苦しんで乗り越えてきたキャラたちだからこそ、この光景が輝かしく見える。ていうか泣いた。

「なんかさー、ずっとこうしていたいよねー」
花音はJELEEの仲間がそろってから、どんどんやりたいことが消失していく発言が目立っていた。ところが12話でついに歌う理由を見つけ、再びやりたいことだらけになっている姿が描かれている。続いて1日25時間という、EDの歌詞にも繋がる内容を語り始める。あの歌詞はなかなか感動的なので見てみてほしい。

「足りないよ・・・そんなの足りないに決まっている。そう思わない?」
やりたいことがたくさんある中で時間が足りない、という話をしている。花音はとにかく寂しそうな話し方をしているわけだが、これは今のメンバーで過ごせる時間が有限であることを暗に感じているのだろう。4人にはそれぞれのキャリアがある以上はJELEEの活動も永遠ではない。ていうかまあせいぜい5年くらいではないだろうか。
これに対してまひるは明日も明後日もずっといっしょにいようという話をしている。このずっとというのがなかなか解釈が難しくて単純に永遠という解釈は違うんじゃないかという気もしているのだけれども、とにかくすごく花音にとって救われることを言ってくれている。二人の関係の強さはもはや言うまでもなかろう。

ラストでいろんなキャラが手振るやつ大好きで、ガングレイヴで見たような気がするんだけど、特にこの作品だとOPを使ったものになっている。この回OP流さなかったからここに持ってくるって発想もなかなかいい感じだ。

ところで自分は「●●ロス」(好きな作品が終わってしまって寂しい)という気持ちをあまり持たずにここまで来ていたのだけれども、この作品で初めてそれを味わっているような気がしてきた。
毎日毎日この作品に熱中して考えて、考えれば考えるほど好きなポイントがどんどん増えてきて、とても幸せだった。こういう向き合い方が出来る作品に出会えてよかった。
しかし、今後見る作品でこれほどいい向き合い方が出来るだろうか?とすごく不安になっている。これがまさに「ロス」という感情だ。
面白くてBlu-ray購入まで行った作品は毎年毎年出てくるんだけど、ここまで人生史に刻まれるほどの作品に出会うのは難しい。自分的には10年ぶりなのだから。熱中することの喜びを知ってしまった後に、これまで通りの「面白いな〜つまらないな〜」レベルの楽しみ方で満足しきれるのだろうか。
次の刺激を摂取していけば少しずつ薄れてくるものだと思いたい。アニメ見るのを苦痛には思いたくないから。大好きだし。

6月24日

Blu-rayの発送連絡が来てる・・・。
3通・・・。

1巻にイベチケがついてはいるんだが、まあ別にそれ目当てというわけでもない。ていうか1枚だけで難なく当選するだろうし。
複数セット買いは自分の人生でも初の経験だし、その上なんで3セット・・・?いや話の盛り上がりに応じてポチってたらこうなったっていうか・・・。みんな買ってなさそうだから俺が買わないとっていうか・・・。
時は令和、もはやBlu-rayの売上で殴り合う時代ではなくなったというのに、なぜ自分はこの昭和・平成の奇習を15年前から続けているのだろう。それも3セットとなると自分で自分のしたことが恐ろしくなってくる。
あと続編展開とか全く望んでいないというかむしろ終わりきったと思っているし、そもそもあるとも思っていないから、買う動機は本当にただ好きだからというそれだけの純粋なものだ。

まあでもサッカーのユニフォームなんて1枚2万するし、それに比べたらよっぽど安いよね。と切り替えた。

12話を見る。
序盤のまひると雪音の話だが、雪音は相手を見て物事を発言する人間なんだなと、9話に続けて思った。
「バズか炎上かは魂が〜」という台詞、実際に魂だけで決まるわけがない。どれほど魂のこもった作品であろうが肯定されるとは限らない。作品外の様々な事情で否定を受けることだってある。だが、雪音が喚起したいのはあくまでまひるとJELEEの魂なのであって、その他の客観的事実全部を含めた包括した議論をまひるに唱える意味は何一つない。あくまでまひるに対しての言葉として、この発言は正しい。9話のまひるへの言葉も花音への言葉も、11話のまひるへの言葉もそうだ。客観的事実や本心ではなく、あくまで相手を奮起させるための言葉を言い続ける部類の人なのではないだろうか。
そうして考えたときに雪音は本当にまひるの絵に惚れ込んだのか?ここの真実は闇の中だ。花音を引き寄せるために声をかけたケースだって考えられる。ただ少なくとも9話末の空中分解的事態を狙っていたというのはなさそう。というのも、シンプルに雪音本人にメリットが何一つないから。

そこを踏まえたうえで花音とのコミュニケーションを捉え直してみる。
一言も話さず本名のテロップ流すだけ。
いやすごい。ライブへの準備パートがあまりに短すぎ、リハもなく突入するわけだが、よく考えたら常識的な尺をとればとるほど「なんで雪音と花音は話さないんだ・・・?」ってなってくるからもうこれでいいのかもしれない。そんなことよりBパートのほうが大切と優先したのは正しいと感じる。
雪音のこの姿勢は9話で言った「実力で見返せば良い」という言葉を体現しているように思える。言葉は不要。花音の歌を聞く。それにクレジットをあてる。それだけで伝わる。

徹底して「過去の暴力事件はああだった、こうだった」という会話をしない。我々は作中で描かれたことから作り手の意図を見出す傾向にあるが、ここは入れなかったことに意図を感じる。
雪音に話さないのは、暴力事件の真相を明かした瞬間、それはメロが失脚することになるかなと思った。いくら真実であろうともファンの人を失望させて何かいいことがあるのだろうか?そうやって「敵」を失脚させたところで自分は何も変わらないよ?という話を9話と11話でしてきたはずだ。あとメロが失脚すると何より母が困ってしまう。

メロのオチは「歌えずにいる花音に前見ろバカと呼び起こす」というものだった。そういや2話でめいが「メロがミスったのをののたんがフォローした」とか言ってたのあったけど、そのお返しか。いやそこまで考えてないと思うわ。
10話11話とメロは「ののかには仲間が出来たんだ」という話をしている。ステージ上でさも一人です孤独ですみたいなふうにしているののかを見ていると、思わず「お前には仲間がいるだろうがよ!」と叫びたくなった、という話だろう。
現実で相手を失脚させることに必死だったメロが、現実でむしろ花音を復帰させるという対比の展開を作り出していて、この話を直接の会話なしに綺麗にまとめている。

なんかここまで書いてたら肝心要のまひると花音の話書く時間なくなってきたから明日にしよう。まだまだ、いくらでも振り返っていけばいい。

6月25日

今日もうBlu-rayとJELEE BOXとサウンドトラックが届いている。サウンドトラックを聞くのは大好きなので、早速PCに取り込もうと・・・したが、どうも曲名が表示されない。そういえば発売日前のCDはデータベースに曲情報が入っていないからそういうことが起きるんだっけか。もう入手しているのに、曲名が入っていないせいで聞く気がおきない。とりあえず発売日まで待とう。なんか悔しい気分だ。
装丁がどれもなかなか好きなデザインだった。あとJELEE BOXのまひるの立ち方がなんかエロい感じがする。
Blu-rayは3枚買ったはずだが今日の時点では1枚しか届いていない。明日3枚セットになる。

12話をもう一度。いよいよAパートのまひると花音に着目して見ていくわけだけど・・・。

まひるは誰の意志を聞くわけでもなく自分の意志だけでJELEE共演を志願するわけだけど、なかなかすごいことをしている。後で話すように「約束」の内容が二人の中で共有されているかのようだ。二人はずっと離れていて直接会話していないわけだけど、そんなことは関係なく、最初から着地点は二人の頭の中にあったんだ。6月17日の日記に書いた(A)「まひるが花音のために絵を描く」(B)「まひるがすごい絵を描いて花音に恩返しをする」が重なった瞬間、花音の歌が再び輝き出す。

そこからさらに花音は「誰のために歌うのか?」を展開させていく。それはまひるのためでもなく雪音のためでもなく、ファンのためという姿だった。

ここからが新しいところで、ファンに届けたいものが明確になったのが一番重要なポイントだ。
なので、1話と12話で花音の決意が異なっている。

わたしはさ、わたしをバカにした人もみ〜んな、歌で見返すんだ!それがわたしってわからないまんま、わたしを嫌った人もみ〜んな!おっと、感動させて、この歌に救われたって、泣かせてやりたいの。目指すはフォロワー10万人!わたしは何があっても自分を貫くって決めたんだ!それがわたしなりの仕返し!

1話

わたし、みんなが前を向く理由になりたい。応援してくれるファンのみんなの、ううん、それだけじゃない。
自分の「好き」がわからない人も、毎日がしんどくてこの世界が大っ嫌いな人も。それに、むかし私をバカにした人だって、み〜んな、嬉しい、楽しい、最高だって。
次のライブまで、生きる意味ができた!JELEEの夢を一緒に追いかけたい!って思ってもらいたいの。みんなの毎日をキラッキラに輝かせたいんだ!そのために、歌いたい!

12話

花音がファンを大切にしたいという気持ち自体は2話でも8話でも語られているんだけど、それが純粋なものになったという形に感じられる。雪音に認められるために歌ってきた、まひるのために歌ってきたではなく。まひるから受け取った光をまた他の誰かに受け継いで輝かせるような、そういうことをしていきたいと語っている。これを受けて、Bパートのまひる・めい・キウイも同じように、後継者を応援するような行為をしている。

エスカレーターのシーンは、まひるも花音も一通り成長したお話の直後に、すごく子供っぽいミスをしているギャップが面白い。そして、その子供っぽさこそが二人の再会の喜びの大きさを象徴しているかのようで、非常に微笑ましく感じられる。

ていうか花音の無音の泣き芝居が本当にいい。あれはマジでなんなんだ・・・。

この日記4万字超えてた・・・。

↑ああ、そうだスペース見て言われたけど「約束」ってそういや水族館のがあったしそっちのが正しい読み方だな。そもそも5話で「大切な人と約束したんだ!」って書いてあったしな。まひるが絵を描いて花音が8話で考えてた傘のアイデアを実現する。これで二人で空間を作り上げるという話だった。まあでも間違っててもそのまま残すけど。

6月26日

サウンドトラックをPCに入れずともspotifyで聞くことが出来てしまっている。これではCDを買った意味があるのかないのかよくわからないが、ただ楽なのでspotifyで聞いている。もともとアニメのサウンドトラックを聞くのは大好きだが、この作品の楽曲も大好きで、今後は何話のどこに使われているのか一つ一つまとめていきたいと思ってる。まあBlu-rayの1巻を見終わってからその作業に移ろう。

ここからはBlu-ray1巻を見ていく。まず1話。普段あまり高画質で録画していないこともあいまって、Blu-rayで見ると一段と美麗に感じられる。とにかく色が好きな作品なんだなと再認識した。

「このリップはフォロワー30万のゆこちが・・・」
12話ではフォロワー120万人になっている・・・何者だよこいつ。
それはそれとしてこのパートが下着で行われているのはエロという意味もあるっちゃあるんだけど、ただエロを出すためのエロというだけではなくちゃんと必然性はある。まひるが妹と下着姿で平然と話せるくらいの距離感だということは、家庭内にいろいろな問題を抱えている花音との対比にも繋がるわけだし、他人に見えないところで自分の趣味を出しているという話も出しているわけだし。

9話で「泳げないクラゲはむしろ花音のほうだったのだ」みたいなオチになるわけだけど、よくよく1話を見ると花音も渋谷の街を漂っていたんだ。

サウンドトラックの感想で「Drifting Starってどこで使われている曲なんだ?」という人がいた。1話の感想で壁画がバカにされるところだ。

「やっぱ人気ないなぁ〜、私は味方だぞ」
俺がBlu-ray買うときの心境じゃん・・・。

6月27日

明日から一泊二日の外出になるのだけど、dアニメストアで1〜12話をいつでもどこでも見ることは出来る。ただ、Blu-rayの映像で見るのは帰ってからということになる。待ち遠しい・・・。3話が・・・。
じゃあ1日2話見りゃいいじゃんという話なんだけど、基本的に1日1話を貫いていきたい。1日1話じゃ少し足りないなぁ〜くらいの飢餓感によって、長々と毎日見続けていきたい。いつまでこれ続けるつもりなんだろう自分でもわからん。

今日はBlu-rayで2話を見る。色も撮影も美しいアニメなので、Blu-rayだととても満足度が高い。ていうかこのアニメってBlu-rayでの作画修正なんかあるんだろうか?放送前に全話完成するくらいだからもうやりきった感じじゃないかとは思ってるんだけど。追い追い確認してもいいかな。まずBGMがどこに使われているのか調べるのが先。あせる必要はない。長い人生、検証する時間はいくらでも残されているんだから・・・。これが人生史に刻まれる作品に対する向き合い方だって・・・。

2話のめいは「橘ののかはもういないんだ」に対して「解釈違いです」と心を閉ざしてしまうんだけど、そこからJELEEの活動を通して、仲間としての山ノ内花音というのが大切な存在になっていく。10話・11話の会話と比較して見ると非常に味わい深いものになっている。この作品は4人のどの関係性も「はぁ〜〜〜〜」ってさせられるものがあるんだ。初対面と後半での差が必ず現れている。何度も見返して味わいましょう。

メチャクチャ今更気づいたんだけど、4人の中で髪の色と眼の色が違うのは山ノ内花音(橘ののか)とキウイなんだ。まひるとめいは髪と眼の色が同じ。橘ののかとめいを見分ける簡単な方法は眼の色。めいは眼が紫になっている。これ狙ってたのかな・・・?何の意図・・・?いや話的な意味というより、おそらく色のバランスで選んでいるだけだろう。この辺の感覚持ちたいな・・・。
ていうかめいって橘ののかに合わせて黒髪にしているという設定なはずではあるんだけど、何度見ても紫にしか見えない。橘ののかの髪色自体も紫っぽいんだけど、それよりもう一歩紫にしているように見える。これは地毛がオレンジだからという由来が含まれてそうなっているのかもしれんが、真っ黒より確かに紫のほうが見栄えよさそうなんよな・・・。こういうバランス感覚ってどう養われるんだろう。すごいな・・・。

6月28日

まあ出張中なんだけど、どこにいようがアニメを見ることはできる。いや外国だとdアニメ見られなくて難しいところはあるか・・・

7話を見る。
キウイが先生になりにいくことを最初に話すのが花音というのは、やはり周囲に馴染めず不登校になったという意味で共通しているから、ある種の安心感を持って言っているんだと思う。これ、キウイはまひるにすら言わないことを花音に言うというのがすごく重いものがあると思ってる。まひるはどちらかというと周囲に合わせよう合わせようとして生きていてそれゆえに苦しんできた人だから、出る杭を打たれて苦しむという感情をどこまで理解してもらえるか怪しいと思ってるのかもしれない。
一方でまひるがキウイに絵を描かなくなった理由ってどこまで明かしてるんだろう?そこって明示はされていなくて、あの壁画の文字を消したこともキウイは知っているのかどうかも含めて作中にあったっけ?確かない気がする。

この作品はもちろん作中に表現したことにはすごく意味がある一方で、表現しなかったことにもまた意味があると思ってる。なぜまひるは雪音の仕事を受けることをめいに言わなかったのか?それは花音が悲しむことをめいは拒絶するに違いないからであって、そこをまひるは察しているからであって。一方でキウイにも花音にもそれを言う。キウイはともかくとして花音に事前に言うというのは、彼女の前では嘘をつきたくないというか、いずれ対峙しなくてはならないものに対するまひるなりの覚悟を感じる。

6月29日

何やらラジオはまだ続けるらしい。ラジオなんてこの作品で初めて聞くもんだからなかなか新鮮に聞いている。何度も思うのは声優ってメンタル強そうだなあということだ。

6話を見たのだけれどやっぱりみー子回に見せかけためい回みたいなところがある。推しである橘ののかがスキャンダルであれほどdisられていても、推しを全くやめることなく、髪型もやめていなかった。彼女が当時抱いていた気持ちをアリエルにシンクロさせて見せていくというシナリオだ。そしてアリエルに訴えるときのあの下りの作画が本当によかった。

ファンのみんなありがとうのメッセージとして、深海遊泳のMVが出ていて粋な演出だった。8話の仮想ライブになぞらえ、ファンアートに囲まれたJELEEが歌う空間に心動かされる。ていうかJELEEちゃんかわいいな・・・。

6月30日

なんやかんや映画を見に行くついでに、渋谷のポップアップストアに足を運んだ。今回は前回見られなかったイラストがたくさんあって大満足だった。

初期キャラクター原案を用いたクリアファイル4点を買った。めいが現行のものと大きくテイストを変えている。もう少しひねた性格だったのか?一方で花音は当初より黄色髪に陰部分を黄緑という配色だが、こういう色感覚ってどこからやってくるんだろう。ふつうにグレーにしちゃいそうなところだけど。

あとついでに宮下公園にも行ったのだけどなかなか開放的な空間で、よく考えるとこういう場で匿名活動の打ち合わせをするって相当リスキーな気がする。正直あまりこの4人はガチガチに守秘義務を守ろうともしていないし、それでバレるほど人気だったわけでもないからそれで中盤まではなんとかなっていた。

家に帰ったのでBlu-rayで3話を見る。
キウイがイキってるシーンの回想を見ていると、そりゃこんなことばっかりやっていたら逆恨みする人もいるよなと思った。「普通」にしがみつくことにしか取り柄のないような連中が。ただその「普通」というのは世代を経るごとになかなか巨大になっていき、最終的に不登校になる。こういうの大学以降になると逆に個性を発揮せよみたいになるから、生き方って難しいなあとなる。

それはそうと、最終的にはキウイが不登校なこともネット含めてバレてしまったわけで、これまで生徒会長のふりをしていたことに対してネット上の仲間はどう思っているのだろうか。裏切られた気分だったりしないのだろうか。
あまり触れられていなかった部分ではあるものの、12話のラストでちゃんと仲間がいることを考えると、言うほど問題視されなかったのだろう。あ、違うか。11話ラストから察するに、キウイ自身がネット上の雑音が消えるまで立ち向かい続けたということか。

まひるってとにかくベッドの上にいるカットがシリーズ通してメチャクチャ多いな・・・。だからなんだって感じだけど。

7月1日

またポップアップストアあるのか・・・。なんか大量に売れ残った在庫を処分するためにやっているのかと勘ぐっていたら、毎回やるごとに新規グッズが追加されてもいる・・・。

夏クール始まりの日だ。毎期やることだが、新規アニメの視聴リストを作成して、それに則って録画予約をしていった。普段はクール変わる3日前までには終わっている作業なはずなんだけど、結局夜のクラゲのことしか頭になかったせいでギリギリになっていた。実際PV見ててもどうも気が前に乗っていかないのを感じる。実際見たら面白いのは当然あるんだろうけど。

なんだろう、自分は一つの作品を延々見る人でもなく、「オタクはこれが必修である」みたいなシリーズを体系的に見ていった人でもなく、いろんな作品を思いつくままに見ていくのが基本スタイルだったんだけど、まあ10年ぶりくらいに一つの作品に執着して見返している状況で、もっとこういう向き合い方をたくさんしてきたほうがよかったのかなあという想いがあるんだけど。ただ、いろんな作品に出会ってきたからこそ、この作品に向き合えるような見方を身につけてくる事ができたのかなあとも思っていて、あまりこれまでの視聴経歴を無駄に思うのもおかしいか、となった。

4話を見る。

4話のキウイ、髪の色を褒められたの初めてなんだよな・・・。

ゆこちのフォロワーが35万になってる・・・。(1話は30万、そして最終話は・・・)

イソギンチャク→ハズレ
タコ→当たり
タツノオトシゴ→ハズレ
クラゲ→大当たり
マジで基準なんなんだろうな・・・

サンドーの残り二人って完全に捨象されてるからこの回が一番台詞多いよな・・・。

キウイさん「レスバ全戦全勝」ってイキり倒しているわけだけど、それと11話のキョドりぶりを比べるとなんともかわいらいく思えてきたな・・・。初対面から少ししか経っていないが、ある意味花音にはイキっていいんだという安心感を持てていたのかもしれない。
この辺ノベライズだともう一段掘り下げたことを言ってまひるに突っ込ませるやりとりを組んでいたが、最初から言わないようにする選択はまあ間違っていない。

改めて思ったけど花音がなんでメロを殴ったのかって花音とメロ以外一切誰も知らない。作品の終盤で誰かがバラすのかと思いきやそれが一切バラされなかったの、すごく思い切った展開だなと思ってる。「やる展開」じゃなくて「やらない展開」がすごい。とはいえ4話でメロは「終わった事、ね・・・」と言っていて、終わったことだから水に流そうとしているわけでもまったくない。花音にとってはもちろん、メロにとっても心に残り続ける出来事だったわけだ。しかし、その上でなお、誰にも口外しない。それをこの二人はずっと続けている。相当な胆力だと思う。
じゃあなんで口外しないのか?
メロは単純で、自分の得にもならないし雪音の得にもならないから。
花音は難しいんだけど、一つ思ってるのは花音が暴露したら、自分が見ろバカと同じ地平に落ちてしまうからじゃないか、ということだ。いくら真実とは言え、それを言ったところで単にサンドーがにっちもさっちもいかなくなりファンが失望する。それは自分も見たくないから絶対に言わないんじゃないか。ていうか正直それ以外の回答が思いつかないので、他の見方を持ってる人は教えてほしい。

メガミマガジンのインタビューを昨日から読み始めて、色々考えながら読んでいるせいでまだちゃんと読み終わっていない。また明日考えてることまとまったら書くか。

7月2日

5話だ。おそらくこのアニメで2番目に好きな回だと思う。1番は10話。まあこのへんはその日の気分と作品と積み重ねてきた対話によって変化するので、あくまで現時点の印象だ。

言うまでもなくこの回はまひるの大きな成長を意味している。まひるは花音に全力で「好き」を肯定されることでイラスト活動を再開するわけだが、花音には救えない局面が訪れてしまう。それは「絵が下手」ということ。客観的に津々浦々のイラストの中から見て下位なのかどうかは関係ない。まひる自身が自分の絵を下手だと思い始めているので、もう止まらない。下手なんだから嫌いになってしまう。下手という「客観的(とまひるが思っている)」事実を獲得してしまったので、花音のひたすら主観的な称賛では救われないのだ。この件は9話において角度を変えて現れる。
数あるコメントのうち、まひるの絵への批判コメントはほんの少数だろう。ふつうは下手なんてコメントをわざわざ動画に残したりはしないものだ。それでも気になるものは気になる。なぜなら、まひる自身がそのコメントに同意してしまっているのだから。こうなると自分でわざわざアンチコメを探してしまうものだ。なんなら「海月ヨル 下手」とか検索していたかもしれない。
中途に水族館のくだりもあったりするが、そこでも気分転換にはなったかもしれないが根本的にまひるを救ったわけではない。彼女を救ったのは彼女自身の努力の賜物だ。見たくもないであろう批判コメントに向き合い、まだ下手な自分の絵に向き合い、研鑽を重ねていった。

自分がこの作品で一番好きなシーンである壁画に「海月ヨル」と書くシーンなんだけど、あれはこう自分がイラストでやっていくんだぜ、自分の絵を恥じらうことがない人間になるぜ、という覚悟を決めたような感じで本当にかっこいい。このアニメかっこいいんですよ。12話の壁画見上げる4人の横顔とかもう最高にかっこいい。

さて、もう一度言うと5話はまひるの成長回なのは言うまでもない。
前後の回を見てみると、3話はキウイ、4話は花音、2話はめい、6話もアリエルを通してめいの姿が印象強く描かれる回だった。
キウイ回は成長というより1話のまひると同じで後押しされる回。めいは花音のバッシングを乗り越えて本編の前にすでにある程度成長しているキャラであり、6話でその強さの一端が見える。
問題は花音の4話だ。花音は4話を通して何か前に進んだかというと何も進んでおらず、ただ周りが見つけてくれたんだという話に収まっている。7話もそうだがやはり他のキャラクターに対しての停滞が描かれており、それが9話以降の話に繋がる。
ただ忘れてはいけないのは大元の花音は割と曖昧な理由で突っ走って他人を牽引しようとするくらいなので、思い立ったら割とすぐ自走出来る人でもあるのだ。10話であれだけ沼り倒していた割には、11〜12話の立ち上がりは割と早かった。おそらく本編以降は割と平常運転だろう。

7月3日

6話にいきます。

花音は5話で「私にはもう願い事はありません」と言った後に、この6話でいきなり歌詞が書けなくなる。そこから7話、8話とやたら時系列が飛ぶわけだが・・・。6話の馬場への曲提供から8話の青一色に至るまで、花音は半年以上一曲も書けていないのではないか?説は未だに頭の中にある(俺の視界では公式上否定されていないはず)。ただ、だとすれば相当なスランプなはずなので、それをもう少しお話上描かないといけないはずでもあるので、実際一曲も出してないというのは考えづらい。ただ、7話でかなり焦りを感じているところも見受けられたので、ないとも言い切れない。

やっぱ何度聞いてもAパートラストの花音とまひるの電話は本当によくて、花音の一気に声のトーンを落としてまるで男キャラかよって感じのマジな声と、そこから一気にゆるめにかかるまひるの「あのキスはなんだったの〜?」のギャップが見事、足の芝居も感じでまくってる。。。

でもやっぱめいのかっこよさが頭一つ抜けた回だった。自分の「好き」を見つけて貫くというテーマを持つ本作品において、「私の好きという気持ちだけは本物」という言葉はあまりにも正しく強い。もちろん好きなものが批判されたときの辛さがゼロになるわけじゃない。ただそれでも、その辛さより大切にしなきゃならないものがある。それを忘れないようにして生きていたい。

7/5(金)〜7/7(日)がまた旅行なのだけど、まあdアニメに全話入っている以上はどうにでもなる。ただ画質上もしかしたらNetflixにしたほうがいいかもしれない。

7月4日

7話になる。ていうかもう最終話まで順番に見ていきます。

ていうか捨象していい要素ではあるんだけどまひるはいちいち大宮からよく何度も渋谷に来れるよな・・・。往復1000円以上かかるからJKにはきついやろ・・・。

前も言ったけどこの作品は相手に言う情報と言わない情報の差に面白さがある。よくこれをディスコミュニケーションだとか情報共有が出来ていないとか言って、単にキャラクターを批判してしまう人がいるけどもったいない。単に当事者の視点で適切な場、適切な相手を選んでいるだけの話なんだから、ずるいわけでもコミュ障なわけでもなんでもなくて。なぜそういう選択をしたのか、その選択がどういう効果を産んだのか、一つ一つ頭を巡らせると、物語に一つ奥行きを感じられる。
今回は冒頭にまひるは自分の進路を「進学」とぼかすんだけど、普通科の大学か美大か決めかねている。この迷いを初めて打ち明ける相手が、音大ストレートを最初から決めているめいになっている。
話の内容を聞いていると、実はまひるの中では行きたい方向は決まっているように感じる。ただ、その最後の確認として「芸術系の学校で何を得たのか」をめいに聞きたかったのだと思う。なんていうか、彼女が本当に迷ってる時はキウイに相談しそうな気がする。
ここで面白いのは、めいが話したのは「初めて1位を取られたとき悔しかった」という話だったことだ。これを聞いて一歩前に出ようと思うのって相当勇気のいる行為ではないだろうか?描けるという人が周りにたくさんいるというのはある意味では刺激になるかもしれないが、一方で絶望的な才能の差を感じてモチベーションが下がることだって考えられる。同級生に5話のくろっぷさんみたいな人が現れたらどうしてしまうのだろう。
ただ、やはりそこは上手くなりたい、やれるだけやってみる、という前向きな捉え方を彼女がしたということで、5話を通して一歩成長した証なんだろうなと思った。

一方で、キウイが花音に教師になりたい理由を話すところは実にシンプルだと思う。いや単に花音が聞いたから答えただけだろってのはあるが、まひるが聞いたら絶対ごまかしたと思う。
まひるの前ではキウイはヒーローぶりたいところがあるから、「自分が救った気分になっていたいだけなんだよ」みたいな、本音というか、カッコ悪い胸中を絶対に言いたくないはずだ。

この作品は4人のキャラクターに対して全ての通りで会話を作っていて、普通に作っていて一番薄そうなキウイ-めいをあえて一番山場の10話に持ってきていたりする。それぞれの話す内容から何か感じ取ってほしい意図はありそうだと感じている。

7月5日

旅行の出先で8話を見る。
時系列的に夏の話は8話のAパートくらいになっている。また、この回は私服のみ。その結果としてよく考えるとまひるとめいの夏制服を見ていない。また、夏私服もこの回くらいだ。
だからこの回の服見てるとシリーズの中で一際目立ってるなという感覚がある。またなぜかめいは合宿に行くくだりで髪をまとめていて、ここの首筋がはっきり見えるのやけに印象に残る。
この作品割と服装のバリエーション面白いので、もう少し夏服見てみたかったなあという想いも割とある。

回の構成としてはAパートで花音が牽引して進めていったリアルライブの企画が頓挫し、Bパートにおいて花音が撤退しようとしたら周りが違う違うと言いだし、最終的にキウイ案の無観客配信の形に落ち着いたとなっている。花音が牽引してそのままうまくいったのはせいぜい5話までで、作品後半からはなかなか壁にぶち当たることが多くなっている。5話ラスト、7話ラストあたりはその転機を描いており、花音がある意味満たされてしまっている/まひるが花音を追い越していく、といったシーンが象徴になっている。

7月6日

9話です。引き続き旅行なんだけど、出先で重い回が続く。

花音がまひるに「私は(雪音の仕事を引き受けるの)オススメしないな」って言ったやつ、あれはシンプルにはJELEEの仕事やってほしくて雪音の仕事やってほしくないっていう、10話で語られる「まひるを利用しようとしてた」にはなるんだろう。ただもう一点あるとも思ってる。単に引き受けてほしくないなら「嫌だな」みたいな言い方も出来なくはないと思ってるから。じゃあなんだよって言うと、それは雪音の仕事上の接し方にあると思ってて、そこが9、11、12話には現れてると思う。
とにかく雪音というのは仕事相手として他者を見て言葉を発してる。相手はクリエイターなんだからクリエイターに向けた言葉として話す。前も言ったとは思うけど12話の「バズか炎上かは魂がこもってるかどうか」みたいなのも特にそれで、あんなん魂以外にもいろんな巡り合わせで炎上するとは思うけど、クリエイターが込められるのは魂だけなんだからそう言ってあげるべきでしょ?っていうのが彼女の考え方。そこにもう私情とか一切挟まない強さがある。
このやり方が間違ってるとは何も言わないんだけど、ただそれを実の子にまで展開するというのはいささか強すぎるきらいがある。殴った一件もそうだけど、作中には描かれてないが花音は雪音にそういうビジネスライクな声のかけられ方しかしてきてなかったのではないか?だからこそ親として父との会話を欲していた。
雪音みたいな存在と接すると必ずなんかしら傷つくところもあると思うし、花音はそれがわかっていたからまひるに「オススメしない」と言った、という読み方も出来るとは思ってる。まあもちろん第一義は「まひるを利用しようとしてた」になるんだろうけど、まひるを想って言った言葉でもあったと想う。

花音がまひるに最後に言った言葉は本当にいい台詞だと思ってて。まひるの「楽しかったから違うの」とかいう言葉もすごくわかるし、わかるけどそれは最初に楽しかったからその先を見たくなったんだろ?って話。ただそれでもまひるは先に行ってしまうわけで、まひるを満足させることはまひるの絵に対してイエスマン状態の花音には出来ないことであって。そうなると彼女に残ったカードって1話の起点以外にない。
あそこであの言葉を発してはいけないんだけど、あれを言わざるを得なくなる気持ちが本当に切なくて美しいと感じられる。

7月7日

旅行から帰ってきて明日は仕事、10話で感動しよう・・・。

何度見てもこの10話は表情が素晴らしい。話の素晴らしさもさることながら表情でここまで増幅できるものなのか。特にめいと花音のドア前の会話あたりから神がかってる。

この回の花音の回想を入れた意図はどういうところにあるんだろうというのをずっと考えながら見てたけどまだ答えが出てこない。
内容としては9話の回想に続くもので、山ノ内花音を名乗った経緯、不登校になった経緯を描いたものだった。シンプルに花音が自分の気持ちを考える上で過去から回想を流していた、というのが妥当な線かもしれない。
ただ話としてここにそれを見せる意図というのがあるはずだ。これがないと話的になんか抜け落ちるものがあると作り手は思って入れたんだろうなあと思うし、実際自分としても、これがなかったらメチャクチャ足りなく感じそうな予感だけはすごくある。ただ、じゃあなんでだよと言われると少し自分の中でハッキリしない。こういうのを少しずつ詰めていくと話というのは何をもって構成すべきなのかという観点を深められるはずだから考えていきたいんだけど。

まひるは9話で何者かになってたような話をやっていたが10話で戸惑っているのは、やはりJELEEというか花音と離れて作業を進めているからだ。最終的に何者かというのを「光月まひる」に落とし込んで11話のオチにしたわけだが、なんていうか「何者か」というのを偉業よりも身近な存在や仲間によって位置づけられるものだよ、というのをこの終盤の話で伝えようとしているとは思う。12話ラストのモノローグも同じだろう。

モノローグで思い出したけど、この作品メチャクチャモノローグ少ないような。ていうかキャラの頭の中のモノローグは冒頭とラストだけじゃなかろうか。まあこの回のめいと話した後のキウイみたいなのも含めた方がいいのだろうか。後で数えてみるのもいいかもしれない。

7月8日

11話に移る。

なんだろうな・・・この作品何回見ても「ああ・・・この作品ほんま好きだわ・・・」ってのが感じられるからすごいんだけど、いや大好きな作品ってだいたいそんなもんか。

11話冒頭で否定されたまひるの絵もはねむずこなんだろうか?あんまよくわからない。

Aパートにある「まひるが花音に出会えて変わった」という話、「めいが花音に出会えて変わった」という話。同タイプの発言を重ねて出したのはそれなりに意図を感じていて、これって結局12話の「花音はまひるに出会えて変わった、もらった輝きをファンたちに届ける」という話に繋がっているのかなあと感じた。
この作品は、「誰かが誰かに「好き」を届けて、人生を変えていく中で、必ず人は何者かに既になっている」という話をやっている。12話のエピローグでも描かれるようにそういう輪が広まっていくんだという話をやっている。
おそらくこの行為は創作とかじゃなくてもよくてキウイの教師になるという話も同じで、生きていてなにかに関わってさえいれば周りを何か変えることがある、その程度のささやかなことでもいいのではないかと思っていて。だからこの作品が「創作せな何者にもなれんのや!」という話にもしてないんだと、11話12話あたりからは感じた。

7月9日

やっぱりね、12話Bパートの壁画のところなんですよ。本当にこれなんだよこれ・・・。
これさ、「制服でいくら汚れても構わないから思いっきり絵を描く」ってシチュエーション、まさに卒業式のこの日にしか存在しないんだなあと思った。卒業後にわざわざ制服着ていくのも微妙だし、卒業式の前に制服汚せないし、だから卒業式のその日にしか出来ないことをやってる、今しか出来ないことをやるの象徴的なシチュエーションなんだ。だからこそ花音の「やりたいことたくさんある、ずっとこうしていたい、時間が足りない」という発言に最高に胸が苦しくなるんだな。ああやっぱこのシーンなんだよなこの作品。
ていうかなんでこんな雰囲気出るんだろうな。もちろんここに至るまでの積み重ねもあるんだけど壁画のとこ全体的に絵がよすぎるよな・・・。

ていうか今後の日程を確認すると7/12〜28が宮下公園、7/18がノベライズ3巻、7/31がBD2巻というあたりだろうか。ノベライズ3巻が一番でかいんだよな。あの残り4話はなかなか本でも読み応えありそうな気がする。

7月10日

今度は1話からBGMの使用場面をまとめながら振り返っていくことにする。これ結構時間かかるから1日半話でいっぱいいっぱいになると思うので、明日は1話Aパートという形になるかな。

1話Aパートの使用曲は下記の通り。

Yakitori31 まひるを妹が盗撮するところからの会話
Sound of Poison まひるがキウイに相談しながら渋谷を歩く
Shibuya Snoop まひる「何者にもなれなかった未来」の妄想
Drifting Star まひるが壁画をバカにされる回想
Yakitori31 花音が後をつけてきたまひるを問い詰める

Drifting Starは記憶にない人が多かったかもしれないが、この1話Aパートに使われている。実際自分もなんだっけこの曲ってサントラ聞いててなった曲No.1だった。
Sound of Poisonがわりととらえどころのない曲なので、どの曲だったか探し当てるのにやたら時間がかかった。Yakitori31とShibuya Snoopは頻出曲。

それはそうと、ノベライズ3巻の店頭特典がオリジナルSS付きと聞いて絶対に買わないといけなくなった。3冊買うのか・・・。発売日はオタク書店めぐりだ。

7月11日

今日は1話Bパートの使用曲を確認した。複数回カラフルムーンライトが流れるため、尺が長い割にはBGMの使用回数は少ない。

Cleopatra Frappuccino 花音がB頭自己紹介する会話
Sing My Song! 花音がまひるにコンビ結成を持ちかける
Bubble Trouble まひるが花音にはわからないよと反論し逃げる
Amaterasu Call まひるが仮装してハロウィンに出かける
Jellyfish Can't Swim in the Night 花音がまひるに引っ張られ走る

1話Bパートは5曲とも代表曲になっているので、ああこれだこれだ、とすぐわかる。

この1話ラストと5話の落ち込んでいるまひるを励ますシーンで花音はまひるの顔を手で挟んでいるんだけど、これはただのイチャイチャと受け取るべきか、まるで母が子に行うような、雪音が花音にしたような「利用」の関係の一環と捉えるべきか、なかなか迷ってるところがある。一意的に認められない表現は別にどちらと決める必要はないと思うけど。

7月12日

さて、今日は2話のAパートの楽曲使用シーンをまとめた。

Yakitori31 まひるが花音への発言を恥じていたら妹にからかわれる
Sunflower Dolls 花音がJELEE制作スケジュール(適当)を発表
Sunflower Dolls 花音が募金箱を作成する
SNS Predators めいが花音に橘ののかに戻るよう訴える
Shibuya Snoop 花音がめいの寄付を断ったことを後悔する
Ice Cream MADness キウイの配信
Float by Flow まひると花音がめいの学校に行く
Seafloor Petal めいが花音に解釈違いですと言って立ち去る

Ice Cream MADnessとかSeafloor Petalとか1話から出てたような記憶があったけど、実は2話からだった。2Aは若干尺も長いこともあり楽曲使用が多い。

めいがカフェで花音と言い争った際に、めいは「嘘つき!」と言って逃げていく。思えば9話で花音がまひると喧嘩した際の花音も「嘘つき!嘘つき!」と言っていた。いや、もちろんまあ親しい仲で嘘はいけないことだろうけど、この作り手は嘘つきというのを相当重く捉えているのかな、と感じた。

おいおいなんかコラボカフェとか出てしまったよ。自分はこういう二次元を三次元化する試みはあまり行きたくないんだけどでも行きたいな・・・(もう意味不明)。

7月13日

今日は2話Bパートを見返して、使用曲をまとめた。

Etudes-Tableaux, Op.33, No.1 in F Minor めいが花音に出会う前の回想
Knuckle Flower めいと花音の初対面
Sing My Song! 花音がめいへ大切な言葉を贈る
Vocalise, Op. 34, No. 14 in C# Minor めいの演奏曲1
Etudes-Tableaux, Op.33, No.7 in E-flat Minor めいの演奏曲2
Jellyfish Can't Swim in the Night 演奏後にめいが花音に駆け寄る

花音とめいのやりとりは花音が孤独を嫌うことから来る、のちにまひるに依存的な行為をしてしまったことへもつながってはいる。花音はもちろん明るく素晴らしいことを言ってくれているんだけど、それが健全なものかというと必ずしもそうではない。そして花音は9〜12話でその辺と向き合っていくことになる。
じゃあだからって2話のめいへの言葉が間違っていたとか改めるべきだったとか、そういうことでは全くない。少なくともそのおかげでめいは前に進むことが出来た。花音自身がスキャンダルに遭ってもなお彼女を信じ続けられるだけの強さを持つことが出来た。また1話のまひるへの言葉だって、あのときの花音だからこそ言えたことであって、それこそがまひるを突き動かしたのであって。
何が言いたいのかというと、この作品のキャラはある種の欠点を抱えているんだけども、そこを含めて他の人物に光を与えているというメッセージが込められている。3話のキウイ回にさらにそこは色濃く描かれているし、10話のめいの歌唱がなぜ感動を呼ぶかにも繋がっている。

7月14日

今日は宮下パークのポップアップストアに行った。なかなか小さな一角であったが次々と売れているようだ。エンドカードのアクリルスタンドを2本買った。2話と4話になる。理由はただかわいいから。9話なかったような気がしたけど売り切れてた・・・?いやあったっけ・・・?

また、アニメ映画2本を見たりして帰るのが遅くなった。もっと早く見に行っていればスケジューリングしやすかったんだが、当時は今以上に本作のことで頭がいっぱいだったため、とてもじゃないが内容が頭に入る状況ではなかった。

3A話の使用曲をまとめたが以下の通り。

Ice Cream MADness キウイの配信1
Yakitori31 花音がまひるに踊りを教えながら掃除する
Shibuya Snoop 花音がまひるとめいに好きだよと言う
Knuckle Flower まひるがキウイに協力してもらうことを思いつく
Neon Queen キウイの英雄譚
Ice Cream MADness キウイが自作MADを見せる
Ice Cream MADness キウイの配信2
Bubble Trouble キウイが買い出しに出かける
F & G めいが天岩戸のストーリーを説明する

今回は曲数が多いが、これはキウイ回ゆえにIce Cream MADnessを多用していることが一番大きな理由となる。短尺だし使い勝手がよいのだろうか。
あとF & GはSunflower Dollsと間違えやすいかもしれない。F & Gのほうが遅くて音が高い。そう言っておいて自分もここまで間違えていないか不安になってきた。。。

そういえばキウイはFPSをやれるのが本当にうらやましい。自分はゲームというものが非常に苦手で、ゆえに他の人と共同プレーをして楽しむというのも出来ない。友達とやると普段の会話以上に意味不明な言動を多発して進行を乱すし、何より自分がやってて楽しくない。ゲームをやれる人って楽しみを共有しやすくていいのかなあ。アニメより共有しやすそうに見えるなあ・・・。まあこんなことを嘆いていても仕方ない。

7月15日

今日は3B話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Artist ----- キウイがまひるとの電話を切り、回想に入る
Neon Queen キウイ中学入学時の自己紹介
Seafloor Petal キウイが中学に馴染めない回想
Tenacle Alert キウイが壁画の前でまひるのことを想う
Amaterasu Call まひるがキウイへの想いを込めて踊る
Amaterasu Call まひるが電話でキウイの好きなところを伝える
Jellyfish Can't Swim in the Night キウイが最強ガールMVの宣伝をする

Amaterasu Callはタイトル通り、舞台「天岩戸」においてまひるがアマテラスに向けて踊るくだりに使われている。注目したいのはこの次のパートでまひるが電話でキウイの好きなところを伝えるところにも、同じ曲が使われていることだ。もっとも同じ曲とはいえ舞台は曲後半部、まひるの電話は曲前半部なので同じパートはほとんど使われていないんだが、この2つのパートに共通する感情を入れたい意図が感じられる。話的にもかなり繋がりの強いパートなので、曲の使い方で結びつけていくこのやり方はなかなか好きだなあと思った。

そろそろノベライズがあったりBlu-ray2巻が出たりするので曲のまとめは途中で中断になりそうな気がする。あと8月はパリに行っているのでdアニメを見ることが出来ないため、おそらく日記更新できない。当然帰国したら再開するけど。
いや作品を振り返る期間はいくらでも残されているので、そこにとっておいているという発想でいくか。

7月16日

今日は4A話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Artist ----- メロが両A面シングルの宣伝をする
Yakitori31 めいがDTMの使いかたに悩む
Shibuya Snoop サンドーの看板を店頭に置くかどうかの話
Rainbow Trench キウイが花音とめいに自分の嘘をバラす
My Sweet Shell 花音がキウイの嘘を水に流す
Sunflower Dolls 花音の部屋に4人が集まる
Medusa Maturity まひるが親睦会を開催しクラゲを引き当てる
Tenecle Alert キウイが花音の計画を批判する

改めて見ると、この回って花音とキウイのやりとりが軸になっているんだなと思った。

花音がキウイを誘う

キウイのよどんだ空気を花音が明るくする★

花音がメチャクチャな計画を発表する

キウイが花音の計画を批判する

花音が逃げる

キウイが花音の居場所を言い当てる

花音のよどんだ空気をキウイが明るくする★

特に★の2つが対比構造になってる。内容もとても好きで、不登校で周囲に馴染めなかった二人だからこそ励ましあえるという会話をしている。

7月17日

今日は4B話の使用曲をまとめた。以下の通り。
全体的に長尺の使用が多かったため曲数としては少ない。

Bubble Trouble 美音が花音の過去を語る
Toxic Puppeteer 美音が花音の母が誰なのかを話す
Seafloor Petal 花音が一人でサンドー出演の広告を見つめる
Sing My Song! まひる達が今夜はとことんやろうよと言う
Jellyfish Can't Swim in the Night JELEEが月の温度MVをアップロードする

Bubble TroubleからToxic Puppeteerは連続して流している。美音の説明が核心に迫るところで一気に雰囲気を切り替える役割を果たしている。

明日はノベライズのSS特典3つともそろえるために書店めぐりをするのだけれど、売り切れていなければいいが・・・。

7月18日

今日は5A話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Sunflower Dolls JELEEが月の温度MVへの反響を見ながら会話する
Float by Flow JELEEが次のMVの話をする
Shibuya Snoop まひるが有名になった時の妄想をする
Artist ----- まひるがアンチコメを目にする
Artist ----- まひるがくろっぷ絵に興奮するメンバーに置いてかれる
F & G 花音がまひるの家に上がり込む
Bubble Trouble まひるが花音に悩みを打ち明ける
Pollution Salvage 花音退出後にまひるが消えない悩みを抱える

ここまでの1〜4話では導入部にYakitori31を使用していたが、5話になって違った導入をしている。確かに5話は花音の反応がハイテンションな導入部なので、あえて曲は一歩引いたノリのSunflower Dollsにした方が笑えるようには感じる。

ところでところでノベライズなんだけど特典は全部揃えられた。どれも短尺ではあるものの微笑ましく暖かなSSだったのでファンは絶対に手に入れたほうがよいだろう。

またノベライズ3巻を9話、10話相当箇所を読んだが、2巻までと追加の描写量が違いすぎる。なにせ1巻と2巻は300ページ程度だったのに、3巻は350ページ程度ある。アニメとしては同じ尺なのに文章でこれだけ足しているのだから相当だ。足された描写はもっぱら4人、特にまひると花音の心境のフォローに費やされている。
諸々のインタビューを読んでいくと、監督がクリエイターとして時に我を強く通すまひるの姿を描きたく、これに対して脚本は当初まひるを誰からも好かれる女の子として考えていた様子。基本的には監督の意図に沿いながらも、まひると花音の片方を悪役にしないようにと監督脚本はじめスタッフは腐心したのだそうな。
ノベライズにおいては脚本の人がアニメ制作後に作ったものということで、一旦脚本として完成したものにあそこを足してこれを足して・・・とフォローが加えられている。実際9話と10話を見て削られた箇所はほとんどない一方で足されたところと変えられたところは多々ある。ここは数カ月後に振り返ってみるべきだろう。
これのどっちが良いどっちが悪いというのは正直なくて、ある意味でいえばアニメは思い切った展開をしている。もちろんまひるも花音も嫌われないようにしたいというのはありつつも、一方で多少嫌う人が居てもこの展開を押したいという意志が感じられ、そこにこそ惹かれたところがある。だからこそ、そこに後から感情のフォローが入ってきたノベライズもまた読み応えが出てくる。最初から一人制作のライトノベルとして本作を書いていたら、はるかに穏当なストーリーになっていたのではないか?あくまで一旦アニメとして作ったもののノベライズであることを忘れてはならない。

7月19日

今日は5B話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Jolly Jelly JELEEの初配信
Amaterasu Call 花音とまひるが水族館に行く
Artist ----- アンチコメやくろっぷの絵を見てまひるが曇る
oOoOo #JELEE  まひるの努力/壁画に海月ヨルの名を書く
Jellyfish Can't Swim in the Night JELEEが渋谷アクアリウムMVをアップロードする/初詣
My Sweet Shell まひるが花音に感謝する/花音がまひるにキスする

長尺の曲使用が多いのと、電車のくだりはBGMなしだったため、曲数は比較的少ない。oOoOo #JELEEは作中を代表する曲だが 、この5B話が初の使用だ。もうちょっと早く何度も使ってるかと思ってたけど。

7月20日

何やら家庭の都合でなかなか時間がとれておらず、ラジオ最新話が配信されたのに聞いていないんだが、それはそれとして6A話の使用曲はまとめた。

Sunflower Dolls 花音が作詞に行き詰まる
Whoopee Waltz 静江の楽曲制作依頼
Neon Queen 静江のバイト
My Sweet Shell アリエルと静江の母子愛会話
Seafloor Petal 花音が雪音との関係をまひるに語る

ここも長尺の曲使用が多かったため、曲数は少ない。Whoopee Waltzはこの回で初使用だったが、もしかしてここだけか?

7月21日

今日も今日とて6B話の使用曲をまとめた。下記の通り。

100MPa アリエルの回想
Pollution Salvage めいがアリエルを勇気づける
Tenecle Alert 静江がアリエルを心配する
MAD PAT 静江が会場を飛び出しJELEEに無茶振りが来る
Sing My Song! 静江が色々カミングアウトする
Jellyfish Can't Swim in the Night サーティワンロリポップMVの大反響にJELEEメンバーが驚く

6B話も最強ガールのフルを使用していることからBGMの使用回数は少ない。
6話まで集計した中で、各話数のBGM使用回数を振り返ってみた。6話全体で11回しか使っておらず、カラフルムーンライトを多用した1話に並んで最小となっている。最多はIce Cream MADnessをキウイ回として多用した3話であり、16回使用している。

何度見てもめいがアリエルを勇気づけるシーンのめいのこのかっこよさがすごい。眼、髪、唇、背筋、角度、どこをとっても想いの強さが現れている。

7月22日

7A話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Generic Girl 花音が学科の多さに不満がる
F & G 小春がキウイに話しかける
Seafloor Petal キウイが不登校になるきっかけの回想

わずか3曲と、ここまでで最も少ない。理由としてはアバンの会話は店内BGMらしきものがかかってはいるもののサントラ収録の音源ではなさそうというのと、一曲一曲が長尺なのと、シンプルにBGMを使用しないシーンが多かったというのがある。この回の特に前半は流れが穏やかでありBGMをつけずにいく方針なのかもしれない。

7月23日

7話Bの使用曲は下記の通り。

Aquattro Days 小春が整形を明かす〜めいがまひるのモデルになる
Cleopatra Frappuccino 小春とキウイの帰り道〜花音の免許取得

マジか2曲か・・・。確かに静かな回というイメージはあったものの、ここまで減らしてるという意識がなかった。もっとも長尺の使用であるんだけど、使ってる2曲ともあまりガンガンした音でもないのでかなり穏やかなイメージになる。

7月24日

8A話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Shibuya Snoop 花音が仮装ライブの提案をする
Sunflower Dolls 花音が合宿を提案する
Float by Flow 花音がまひるに暇電する
MAD PAT めいがラブホを合宿会場と宣言する
Aquattro Days JELEEメンバーがラブホの客室に入る
Amaterasu Call 花音がライブへの想いを語る
Knuckle Flower 合宿風景

冒頭部分とCM直前の音もなんらかのBGMかなあと思って探してたんだけど、それっぽいのないから入れなかった。わかったら教えてください。

このAパートはひたすら花音が1周年ライブの準備を先導する話であり、Bパートで逆の展開をする布石になっている。割とおなじみの曲ばかりが並んでいるので当てやすかった。

7月25日

今日は8B話の使用曲をまとめた。下記の通り。

Artist ----- 花音が顔バレする
oOoOo #JELEE  クラゲのファンアートがライブ会場に現れる
Jellyfish Can't Swim in the Night ライブ後の会話

8B話は尺が短いのと青一色を使っていることもあり3曲と少なめだ。
この次の9話からがなかなかどういう曲の使い方しているのか興味深いものがあるんだけど、明日から地道にやっていこう。

来週末からパリに行ってしまうのだけど海外でこの作品見る方法なんかあったっけ・・・?

7月26日

いよいよ9A話の使用曲をまとめる。

Amaterasu Call 花音が授業参観で作文を読み上げる
Sunflower Dolls JELEEがフォロワー10万人を達成する
MAD PAT めいが雪音についてノリノリで語る
Tenecle Alert めいが見ろバカについて語る
Artist ----- まひるが雪音からオファーを受けたことを花音に話す
Melty Degrees まひるが雪音の言葉に魅かれている

これまでポジティブなニュアンスで使われることの多かったAmaterasu Callを花音の授業参観のシーンに用いている。ここでは花音が自分の将来の夢そっちのけで親について語っており、周りから笑われる中において、肝心の親は欠席しているというなんとも冷たく感じられるシーンだ。堂々と作文を読み上げる花音の空気の読めなさに合わせるようにわざとAmaterasu Callを使っており、周囲の嘲笑とのギャップが際立って感じられる。通常暗い曲または無音から入ってもいいところだが、あえてそういう使い方をすることで花音の浮いたキャラが伝わってくる。

宮下公園でのまひるとキウイの会話は電車の音の再現なのか風景音がなっているのだけれども、なかなかこれが暗い展開を予感させるものになっている。

雪音のオファーを受けることは花音にとっては裏切りである、だからまひるは悪いのではないか、という意見を目にした。まあもちろんこれは花音視点においては正しい。でもまひるにしてみれば、実は花音のためにこそ雪音のオファーを受けたような側面がある。

1〜8話において二人は惹かれ合っていながらも食い違っているところがあって、そこは5話と7話によくよく現れている。二人とも「孤独になりたくない」というのが念頭にあったんだけど、そこへのアプローチの仕方が異なる。

花音はまひると一緒にいたかった、一人になりたくない、相手も一人にしたくないというのがある。これは2話でめいにもやったアプローチだ。これはわかりやすく物理的なベタベタする行為を伴っているからわかりやすいところがある。
花音は学校でもアイドルでも孤独であったがゆえに、「同質の仲間」を見つけた時に離さない、依存する、あるいは10話で言ったように利用するという関係を築く傾向にある。
こういう下心のある行為は人によっては拒否されてしまうところではあるが、花音は天性の愛想のよさがある上に、顔がいいからそれが通用しちゃう面もある。通用するから尚更自分ではその負の側面に気づかない。

かたやまひるは7話で宣言したように、自分が絵上手くなることがひいては花音への恩返しになるというのがずっとある。奇妙に思う人もいるかもしれないが、まひるにとっては花音との関係をより高みに持って行くためには絵が上手くならなきゃと思っているのだ。
意味がわからない人もいるかと思うが、ここの補助になるのが5話の話で、まひるは自分の絵を否定されたことで一旦絵をやめていた。それくらい、自分の絵にコンプレックスがある人間だ。ゆえに、「上手くなることでJELEEの一員になりたい、ひいては何者かになりたい」という形で、孤独を解消しようと考えている。

ここで、まひるも花音もお互いのコンプレックスには気づいていない。これが本作の最も大きいポイントになっている。

まひるは学校の人付き合いも上手くいってるから、花音ほど友達がいない苦しさを理解しないし、友達が離れる悲しさもそれほど理解できない。友達が大なり小なり何人もいた人と、友達が唯一無二だった人とは、それを失った時の悲しさがまるで異なる。

逆に花音はまひるの「絵が上手くならないとJELEEの一員になれないんだ」とかいう気持ちは理解できない。花音は歌も最初から天性のものを持っていたゆえに、劣等感にさいなまれた経験が少なかった。また、まひるの絵に対しても下手か上手いかなんて正直どうでもいい側面があった、好きなんだからと。

悲しいかな、1話でまひるが「花音ちゃんにはわからないよ」って言ったこと、あれは9話になっても、なんなら12話になってもわかっていないのかもしれない。逆に花音の悩みもまひるにはわかっていないのかもしれない。
夜のクラゲは泳げないの話の素晴らしいところはまさにここで、作中で最も強い関係にあるまひると花音の間ですら、本当の心の底を打ち明けてはいないことだ。花音はなぜ暴力事件を起こしたのか語っていないし、まひるは5話でどういう想いで絵に取り組んだのか語っていない。一人で抱えるべき想いは一人で抱えきって話を閉じる。でも、この作品はそれゆえの美しさを描いている。

というのも、この作品が表現したい関係性というのは、何もかもを共有して同質化することにはない。お互いがそれぞれの生い立ちから全く異なるメンタリティを築いていながらも、それこそがお互いを照らし合っていくという関係性だ。完璧に理解するのではなく、理解しなくても、いやむしろ理解しないゆえに、誰かが勇気をなくしたときに後を押してくれる力になる。そういう関係性の美しさが描かれている。
なので、あえて12話の和解の言葉にしても、すべてを言葉にするのではなく、あえて表面的な会話から入り、感情そのものについては映像で語るような形にしているように見えた。

で、それとは別に、まひるの大きな舞台で自分を試したいというモチベーション自体も、個人的にはすんなり納得してしまったことなので、あまり裏切りと感じていなかった。というのも自分はサッカーが好きで、日本人サッカー選手は当たり前のように所属クラブから離れてステップアップしていってしまうので。出世するためには次から次へと上の舞台に上がっていかないと短い現役生活が終わってしまう。ただ、だからって別に自分がいたクラブが嫌いになったかというとそうでもないわけだし。そういう人生を生きている人をたくさん眺めていると、特にまひるの出世欲を突飛と思ったりしなかった。
というように、アニメの感想も個々人のアニメ以外の趣味だったりなんだったりから変わってきたりする。これは別にアニメ以外の趣味を持てとかいうジジくさいしょうもない説教ではなく、ただ変わってきたりするということを言っているだけだ。

7月27日

今日はイベチケの当落確定日だ。本作の人気具合と会場の席数、3枚買いしてることを考えると、落ちることは絶対にありえないと確信していたので、あまり緊張してもいなかった。
結果はやはり当選していた。やはり同一名で複数応募したら一つしか当たらないように親切設計をしているのか、三つ中で一つだけ当選した形だ。検索しても落ちた人はほとんど見当たらないので、まあ予想通りだろう。

結局パリいる間ヨルクラ見られるのかどうか、方法がわかってない。VPNまでやる気ない。そもそも法律的に正しいのかよくわからんし。
二週間触れずにいられる気もしないから、ノベライズを電子書籍でも購入しておこうか。

7月28日

何度見ても最高すぎる9B話の使用曲は下記の通りだった。

Lost Morse 花音が黒髪にする際の雪音との会話
Seafloor Petal 落ち込む花音へ雪音が私のために歌いなさいと話す
Bubble Trouble 花音と父の会話
Toxic Puppeteer 花音がメロを殴る
Pollution Salvage 花音がまひるに激昂する
oOoOo #JELEE  花音の回想による特殊ED

花音がまひるを殴った直後に周囲の冷たい声が入るシーケンスの曲はおそらくサントラにないはず。15分くらい探したけどなかった。

改めて思うと花音がアイドルになるのって本人が志望したわけでは特になくて雪音が話を持ちかけたのかなという気がなんとなくしていて、ただ花音が元からアイドル的なものに好印象をもっていたような気もした。いや9B話見て想像で言ってるだけだけど。ノベライズにあったかなこのへん・・・。

7月29日

いよいよ五輪の準備が忙しくなってきて話数を振り返ることもままならなくなってきたが、それはそれとして2巻の発送連絡が来て楽しい気分になっている。2巻のめいのジャケットもなかなかよかったし。ただまあこの作品は映像特典音声特典等があまりなかったりはする。放送中にスタッフで自主的にコメンタリーやってたりしたからもうやることないっちゃないんだけど。ていうかBlu-rayにオーディオコメンタリーあっても結局聞かなかったりすることも多いから、熱のある放送中にやったほうがいいのかもしれないけど。

なんかまた新規絵のグッズが出てきたりした。イベントまでは少しずつ出てきそう。ていうか来年頭にくじあったよな・・・?

7月30日

で、またなんかグッズが出てきた。新規音声付ワイヤレスイヤホン・・・最近よくこの案件を見る気がする。ワイヤレスイヤホンなんてそこまで高頻度で買うものでもないし、最近ASMRに最適という触れ込みのワイヤレスイヤホンを新調したばかりだ。基本的には不要といえば不要なんだが、ただその新しく買ったやつ、音声がほとんどピーピー言う機械音のみなのが微妙に思ってはいたところだった。それを好きな作品の声だったら・・・。確かに魅力的ではあるし、そうやって売れてきているから割と企画が立ちやすいのだろうか。

ノベライズの11話相当分を読んだ。非常に満足度が高い。今回は10話と違って基本的にはあらすじをなぞっているものではあるんだけど、キウイをバカにしてきた3人組の中でそれぞれ微妙なキャラの差があったりという細かい描写が光る。
この作品に次の展開は基本的に不要だと考えてはいたのだけれど、ノベライズを音声の形で読み上げたものがほしいと思うようになってきた。オーディオブックの形式でも、朗読劇の形式でもよいが。以前あがっていた冨田のノベライズ朗読動画を見ていたがあれもよかったので、あれを全編ほしくなってくるものだ。
せっかく4人それぞれ一人称スタイルで書かれているのだから、地の分をそれぞれのキャラでやってしまえば非常に充実感は高いものが出来上がるだろう。
いやあ、でも拘束時間から考えて難しいものがありそうだなあ。

7月31日

いよいよ2巻が届いた。当然3枚ずつ。
特典の小説はめいとアリエルの話であり、6話と12話をつなぐものになっていた。めいは志向上ともすれば俗っぽく捉えられやすいし本人もそれっぽいところは見せつつも、推しへの熱意の傾け方については気高さを感じる。別にアイドル好きではないけど、ああこういう風に好きでいたいと感じさせるものがある。

8月1日

オリンピック行くんだから国旗買わないとなあ等と考えてドンキホーテ行った。本作のグッズも売っているのでその様子も見に行こうとしていた。結果としては日本国旗はなく、本作のグッズは相当量売れており売場にはモノがほとんど残ってなかった。初回の入荷がいかほどなのかわからないが思ったより買う人いたんだなあと思った。今回のグッズは迷ったが買わないでおいた。
さて明日がフライトなので・・・やっぱノベライズ電子書籍で買うか。

8月4日

昨日と一昨日はずっとフライトと時差と、そこから観戦とやっていて、飛行機の中でもパリのガイドブックばかり見てたからこっちのことをあまりできていなかったんだけど、今日この変な時間(日本は昼だけど現地は朝3時)に覚めてしまったので、とりあえず書こうと思う。

結論から言うと、日本でDLしてきてもフランスでは本作を見ることが出来なかった。NETFLIXでダウンロードしたコンテンツは下記のような表示となる。

かたやネトフリ独占配信案件、TPぼんであったりグリム組曲であったりは「全世界配信」と銘打ってるだけあり、フランスでも視聴することができた。

あとクランチロールでは配信されてなかった。海月姫しかヒットしなかった。

「じゃあフランスではどこで夜のクラゲは泳げないやってんだよ」となって見つけたのがADNだった。ここもまた大手らしい。
ADNはストリーミング6.99ユーロ/月(約1120円)、ダウンロード14.99ユーロ/月(約2400円)となる。料金だけ見るとなかなかお得ではあるが、それで新作をdアニメほどカバー出来ているかというとそうでもなさそうに見える。24年春作品で追加されているのは8作品程度だった。日本の新作アニメを全部カバーしようとすると、それこそクランチロール等、その他のサイトにも加入しないといけないことになってくる。一方でフランスのアニメーションも鑑賞することができる。
・・・まあオリンピック観戦が殺人的な日程なので、これを見る暇はないから、いったん入るのはやめとこう。

8月17日

帰国した。
結局フランスでは次何しようかと考えるのが精一杯で、電子で買ったノベライズもコミカライズも追っていない。一人旅行だとその辺他人が考えないから慌ただしくなる。もっとも自分が決めたとおりに動けるので気分が乗らないと変更できるメリットもあるのだけれど。
あと別にここに載せる気はまったくないが自分で振り返るために旅行記録を書かないといけなくて、それもなかなか追いついていない状況だ。

とはいえ、使用曲のまとめを再開しよう。10A話からだ。

Artist ----- キウイとめいがバイトを始める
F & G キウイとめいのバイト中の会話
Shibuya Snoop めいが注文の名前に戸惑う
Generic Girl チエピがまひるに電話をかける/めいがメロと出会う
Sunflower Dolls メロがめいにキスをして逃げ出す
Yakitori31 めいがメロをカラオケ店まで追いかける
Bubble Trouble メロが花音の歌う動機について語る
Pollution Salvage メロが見ろバカをやっていた頃の回想

この回は9話ラストから一転してコメディ基調で入る。それでありつつもシリアスと交差させている。他にもめい視点とキウイ視点を交互に使ったり、なかなかテンションが複雑にアップダウンするくだりでもあるので、結構曲を使っている。

ところでこのまとめ何のためにやろうとしているのかというと、曲単位でどういう局面に使っているかを考えていきたいからで、まとめ終わったら今後は曲ごとに使用シーンを並べて共通点見つけたりみたいなことをするのが面白いかなと思ってる。
それはそれとしてPolyp Pianistってまだ1度も集計していないんだけどあってたっけ・・・多分終盤に使ってたはず・・・。

8月19日

時差ボケで眠れない。明日から平日だし、溜まった仕事がたくさんあるためにフルスロットルが待ち受けているのだが・・・。

10B話における、まひるの「ちょっと調子に乗っている」言動を頭の中で反芻していた。

●10B話
アニメ:キウイの「花音になにかいってあげてほしい」という相談を断る。「私はこの仕事を選んだんだ。だから今何を言っても嘘になっちゃうから」と主張するまひるに、キウイは身を引く。
ノベライズ:まひるは「もう一度花音と話さないと」と言うが、キウイが「花音とは連絡がとれていない」と答えると共に、「まひるは尚更厳しいだろう」と身を引く。

なかなか大きな差だと思わないだろうか。ていうか真逆に近い。また、ノベライズのほうがまひるは若干弱気というかソフトな言い方がついて回っている。

話としてすんなり理解できる方はノベライズではないだろうか。花音自身が連絡を拒絶するという客観的都合により、まひるが連絡を取らないことを正当化しやすい。
かたやアニメにおいては、まひる自らが連絡を取らないという意思を見せている。よってアニメ放映当時の反応としてまひるの性格を非難するものも見た。「これだけの関係を築いてきた花音が絶望しているというのに、放置するとは薄情である」という。

アニメ版のまひるがああした理由としていくつか考えた。

1.まひるは花音のためにも絵が上手くなりたいと考えており、そのためにあえてこの仕事を請けた。それを否定したくない。自分のためにも花音のためにも。
これは当該パートの台詞通り。
8話ラストの「絵が上手くなって恩返しをしたい」という台詞にも繋がる、順当な見方だ。

2.9話ラストで花音にああ言われ、若干意固地になっている
これはかわいい。

3.9話の「知らない海に飛び込んでみたら〜」という台詞からも、若干まひるは「私一人で出来るんだ!独り立ちなんだ!」と調子に乗っているようなところが見受けられ、JELEEメンバーへの仲間意識を最優先にしなくなっている。
ここが薄情部分に繋がっており、今回取り上げたいところだ。
5話前半を見てもまひるは舞い上がりやすい傾向にあり、それが雪音の仕事の連絡を請けてからの言動にも通じているのではないか、というのが個人的解釈だ。

もっともそれが悪いことだとは全く思えない。平凡な高校生があれだけの脚光と大きな仕事をもらえば誰だってそうなる。自分がプライドをもって作ったものが受け入れられ、それで舞い上がる。当たり前だ何が悪い。
既にある程度露出馴れしている花音・キウイや、自分の曲を花音に捧げることに執着しきれてしまうめいとは、まひるは受け取り方が違うのだろう。

が、これは11話になって少しずつ変節している。

11A話、メロとのタクシー内の会話だ。
まひるは「私は愚痴ってスッキリな凡人サイクルから抜け出せたんだ」というようなことを言っている。メロを前にして、依然としてなかなかのドヤりぶりである。この台詞が鼻についた人も多いのではないだろうか。「そうかいそうかいキラキラしていてよござんしたねえ光月まひるさんや」みたいな。
だがまひるはこう続けている。
「それって誰かに出会えたおかげでもあって」
ここに花音との回想カットを重ねている。

ある意味ここは9話ラスト花音の「私がいなけりゃ泳げないクラゲだったんじゃないの!?」という言葉を呑み込んだものになっている。当時受け入れるのは不可能だった言葉を、11A話では自分なりに受け入れているんだなあという気にさせられた。

9話10話あたりの「わたしひとりでできるもん」とも取れるような発言から、11話で「誰かがいたおかげで」の要素が入っている。ちょっと考えすぎかもしれないが、この辺がまひるの変化ではないかと感じている。

9話・10話の段階とこの11A話のタクシーの会話の間に何があったのかというと、

まひるはひたすら一人で絵の作業をしていた
→サンドー自体が好きなわけではないため、絵に自分の「好き」が乗ってこない
→それを雪音に見抜かれ却下された
→自分の「好き」とはなんだろう?という疑問が芽生え始める

これまでJELEEで活動していた時は、オリジナルな上に好きな花音のための作品であったから、絵に自分の「好き」を乗せることを自然に出来ていた。ところが今回、外部から請けた仕事ではじめて壁にぶち当たった。
絵に自分の「好き」を入れるとはなにか?その疑問を持つ中で、花音の存在が自分の創作に与えてくれたものの大きさを再認識したのではないだろうか。そして、タクシー内の「それって誰かに出会えたおかげでもあって」に移っている。

まひるが一人で苦しみもがいて絵が上達したことは素晴らしいことだ。だがその原動力として、花音をはじめとして彼女の「好き」を認めてくれた人たちがいた。この2つとも欠かせないものとして本作は描かれている。


10B話のくだりをノベライズで変更したのは、制作経緯のインタビューを見ているとなんとなく分かった気になった。当初は脚本としてはまひるは誰もに好かれるキャラとして構想していたところ、監督は天性のクリエイターとして多少エゴを見せるところを要求した、というものだった。
脚本家の制作したノベライズは、全体の展開ではアニメを踏襲しながらも、キャラクター描写はやや当初のまひる像に近づけたものになっているように感じられる。

また余談だが、第三の展開として本当に連絡をとりにいくケースも考えられる。が、個人的な意見として、仮にまひるが何か言おうとしたところで大きな展開自体に変化はないと思っている。
花音「ダメダメまひるは〜自分の選んだ仕事に集中しなきゃ!それにJELEEのことなんか、もういいからさ・・・(涙笑」
という反応をするのが目に見えているからだ。
こういうやりとりははっきり言って展開として蛇足だ。めいと花音のアパート前の会話と重複するだけ。
なので、ここで問題にすべきはまひるをどう見せたいかという点に尽きる。あえて連絡を取らないまひるか、取りに行こうとするまひるか。

8月19日

10B話の使用曲をまとめた。・・・といっても1曲しかない。

Toxic Puppeteer 花音とめいのアパート前の会話後半

とはいえ、壁画の前でJELEEがカラフルムーンライトを流しながら踊っていたり、パクパク馬場が前座で食っていたり、なんといってもめいの神歌唱があったりで、曲が流れている時間が短いわけではない。あくまでBGMの使用回数が1回しかないだけ。
とはいえBパート入りはしばらく曲が使われないのだけれど、この辺はAパートのキウイ・めい中心の明るめのパートから、一気に花音がドツボにはまっている状況を主体に描き始めているので、無音主体になる流れもうなずけるものがある。

8月20日

昨日見ていたダリヤがやけに話として好感が持てていて、それは自分の好き嫌いの関係ではなく、相手の相手らしさを互いに尊重するという関係を尊ぶ作品だったからだ。

そうしたときに本作も同じようなところが好きだなあと感じていて、この四人は好きなものがバラバラでいて、でもそれでいいんだ、だからこそいいんだ、だから側にいるんだという話が描かれている。

花音はとにかくまひるの絵を無条件で好き好きって言うところは、1話段階の絵に自信が持てなかったまひるを大いに元気づけるものだった。これが9話になりまひるが絵が上手くなって自信を持ち始めると、逆に花音が言うことに違和感も覚えたりする。しかし最終的に12話でこの二人がたどり着くところは同じ場である「渋谷の水族館」であった。
二人は好きなポイントが決定的にずれてはいるんだけど、だからこそ誰かが弱ったときに背中を押してくれて、側にいたいと思える変わり者だという話になっている。
これは他の関係性にも同様のポイントがいくらかあったりした。

8月21日

昨日の話の続きだけど、この作品で一番最初にすごいと思わされたのは3話ラストのまひるがキウイの好きなところを述べるくだりで、これがまさに「二人は違っているけどだからこそ支え合えて共に歩んでいく」という形の一つになっている。

あの台詞は本心から言っていたのか、キウイを勇気づけるために言っていたのか、両方とも正しいのか。ノベライズからはなんとなく本心寄りの描き方をしてはいるものの、これって映像的にはどうとでも読みとれて、実はそれでいい見せ方なんだと思っている。そのどれでもまひるらしいと思うし。

8月22日

今日は11A話の使用曲をまとめた。下記の通りだ。

Float by Flow めいの歌への反響を見てJELEEメンバーが驚く
Toxic Puppeteer まひるが雪音に自分の絵が好きではないのねと言われる
Hermit Nocturne まひるがメロに見ろバカについて語る
Amaterasu Call めいが花音に歌詞の書き換えを提案する
Seafloor Petal まひるが回想しながら自分の絵とは何か考え始める
Generic Girl キウイとまひるが昔の絵を見る

Hermit Nocturneは他の回でも使ってそうに思えていたが、初登場曲だ。

8月23日

今日は11B話の使用曲をまとめた。下記の通りになる。

Bubble Trouble キウイが自分に来ている中傷のLINEメッセージを見せる
Artist ----- まひるがキウイの中傷元に遭遇する
oOoOo #JELEE  キウイが自分の想いを吐露する
Jellyfish Can't Swim in the Night 花音の作詞が完成する/まひるが雪音に自分の絵を見せる

11B話は尺が短いので4曲。Artist -----もBubble Troubleもネガティブなニュアンスで使われるケースが多い曲なんだけど、Artist -----は若干サスペンス寄りというか緊迫感を高めるためのもの、Bubble Troubleは人の内的な不安を描き出すような傾向にある気がする。

3巻発売までに楽曲のまとめは終わりそうだ。そこから2巻、3巻を1話ずつ見ていき、今度は各曲の傾向について見ていこう。

8月24日

今日は12A話の使用曲をまとめた。ていうかもう12話はAパートがかなり多いからほとんど作業は終わりで、なんか名残惜しすぎるんだが・・・。

Toxic Puppeteer まひるがJELEEの出演を雪音に申し出る
Pipeline Four 最終話のサブタイトルが出る/ライブ直前の風景
100 MPa 花音が誰のために歌うのか迷う
Tenecle Alert 花音が歌い始める直前に不安になる
Jellyfish Can't Swim in the Night 花音とまひるがエスカレーターで再会を試みて失敗する
Amaterasu Call ライブのエンドロールを見ながらのまひると花音の会話

もうここまでくるとだいたいこの曲はこういう場面で使うというのははっきりしていて、この話数もそれに則ったものになっている。その中で、Pipeline Fourは予告編やPVには多く出てくるが本編ではかなりレアだ。最終話の内容がこれからという盛り上げに使ってくるのは好印象だった。
ゆこちがあんなにゆるいノリだったとは・・・と驚かされたあの日から2ヶ月経っているのかと思うと感慨深い。

8月26日

今日は12B話の使用曲をまとめた。といってもご存知のように1曲だけ。

JK. 4人の卒業式当日の風景

これはカラフルムーンライトを卒業式合唱風味にアレンジしたものになるので、BGM扱いすべきなのかどうか微妙なところもある。

これで使用曲まとめは終わり。全12話で合計131回、サウンドトラックからBGMが使用された。なんか間違ってるかもしれないけどまあだいたいこんなくらいだ。

サウンドトラックにありながらアニメ本編に使用されなかった曲は
Otaku Prinzessin
Scramble Crossing
Polyp Pianist
計3曲だった。
ただなんだろう、この3つ既に聞いているような気がする。。。
欠番曲だって「この作品に合う曲」として作られたものだからそう聞こえるだけなのかもしれないが・・・。
漏れてないか・・・?大丈夫・・・?

8月28日

3巻が届いたが、今からBlu-ray2巻を見返し始める。4話。
やはりBlu-rayの画質のよさを感じる。使用曲をまとめる際はdアニメを使用していたので格段の差に惚れ込むばかりだった。光表現が綺麗に見えるのでOPサビ前の四人の前にクラゲが現れるところとか特に素晴らしい。

やっぱこの4話というのはキウイと花音のやりとりに着目したいところがあって、キウイは花音に怒るんだけど、それは花音がそれだけ言っていい雰囲気を作ってくれるからで、ある種の親近感ゆえのことであって、だから花音の場所を当てるのも上手かったし最後に黒歴史を言って場を和ませるのも上手かった。
長年の引きこもり経験から余計に複雑になってるキャラをあそこまで柔らかくさせているのはやはり花音の才覚だ。2話のめいもそれに同じだ。一方でそれは花音の孤独ゆえの話なので、単に彼女が素晴らしい性格だからとかそういう話だけではなく、キャラクターの性格を表裏一体として見せているのが本作の魅力だ。

8月29日

それはそれとして家を建てないといけないのだが、自室の部屋の壁紙を何にするのか色々検索していた。選択肢が多すぎてとにかく迷う。
基本的にはそんなに変わり映えのない色・柄でいいのだけれど、PC机の裏の壁だけにはアクセントをつけてみようと思う。
で、色々検索して出てきたのがクラゲ模様だった。しかもこれは畜光方式だ。普段は割と落ち着いた色合いでありながら、電気を消すとしばらくの間クラゲが光りだすというのだ。これは素晴らしいではないか。電気を消すたびにこの作品のことを思い出すこと間違いなし。決まりだ。

間隔があいていたラジオが9月は月2だった。まあ8月やる予定だった1つが9月にずれた感じだろう。そうなると10月のイベント後に全員集合して終わりくらいの感じかな。Blu-rayも全巻出た後になるから一通り展開が終わるし。

8月30日

Blu-rayで5話を見た。

何度見ても思うが、まひるはいずれまた5話のような闇堕ちを再発しそうに思える。結局どこまで上手くなっても「自分より上手い人」というのは現れてくるし、くろっぷより上手くなったとしても今度はくろっぷよりまたすごい人と戦うステージに上がるだけだから、そこでまた嫉妬して・・・の繰り返しになりそう。
まあ11話はそこのカウンターとして「上手いだけじゃない、自分の中で自分の絵を好きだという気持ちを出す」というところを打ち出したんだけど、それは自分の手腕が否定された時すら乗り越えられるものかというと違う気がする。

この作品って一旦乗り越えたところも実は部分的に乗り越えただけにすぎないような描き方が多くて、完全解決は絶対にさせない。これをあいまいで弱い表現と受け取る見方もあるのかもしれないが、でもやっぱこの描き方こそこの作品らしさであって。当人の弱さは弱さのままであれという描き方をしているように感じる。
なぜなら4人のその弱さ含めて仲間を元気づける場面があったからだ。まひるはある種自信のない人だったかもしれないがそれがキウイに虚勢を張らせていたわけだし、一方でキウイはその虚勢を負い目に感じていたところがありながらまひるはその虚勢にこそすごいと思わされ勇気づけられていた。

なので、本作は弱点を消すような解決の仕方をするというよりは、他のポイントで補強するような形で解決させる糸口をとっているように見える。これは狙ってそうやってるのか、自分の考えすぎなのか・・・。

9月27日

前回更新からかなり時間が経ってるのは本作どころかアニメ見る気があまり起きなくなったからであり、主な理由は家庭の都合で土日を吸い取られるのとスポーツ観戦が山場を迎えすぎている上に過密日程ゆえにアニメを見る方向に意識がいかなかったからだ。いや見ようと思えば時間があるからただの意識の問題でしかないんだけど。
そんな中で唐突にボイスドラマ特別編が下りてきた。基本的に本作のボイスドラマは展開の要所の台詞というよりは本編では切られがちなたわいのない会話を入れる形となっている。今回もそれは同様であり、縁日におけるまひると花音の仲のいい会話がずっと流れていくものだった。夏というから、本編後である可能性もあれば、8話あたりのエピソードかもしれない。
適当な花音とそれに突っ込みをいれるまひる、という手合いの会話は序盤からあったとは思うけど、本作終盤の展開の後に聞くと違った感触がある。ああでも彼女たちってこういう会話もすれば終盤みたいな会話もするんだよなあというか人物に奥行きが出た後にこういう表の会話をしてくると色々な見方が出てきそうだ。

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