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伊豆大島のバスに乗る。

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【おことわり】内容は掲載当時(2011年10月)のものであり、文中の交通機関の運用状況などが現在とは異なる場合があります。実際に現地に行かれる際には、事前に最新情報をお調べになることをお勧めします。

 都職員なら誰もが知っている、港区海岸の健康診断施設。待合室の眼下には海が広がり、東京諸島へ向かう客船の姿を見ることもある。人間ドックのために検査着を羽織り、絶食し、今まさに胃カメラを飲もうとする人間にとってこの光景は自由の象徴であり、海面が輝きを増すほどに、島への憧れは強くなる。
 「東京の島へ行こう!職業柄、島のバスに乗るという名目で」
 公休日前、9月某日の終業後、私の足は竹芝へと向かっていた。23時発の夜行船に乗るためである。大島・利島・新島・式根島を経由して神津島へ行く便だが、離島初心者として今回は大島までの券を購入した。
 翌朝5時には無事、夜行船は大島の岡田港に到着(季節により時刻の変更あり)。
 ところで、大島は案外広い。島内一周道路が山手線の一周と匹敵するそうで、同じく山手線の内側を網の目のように走る都営バスの路線とは利便性などの面では比較にならないけれども、それでも大島の路線バスは、一周道路を柱として「大島公園ライン」「レインボーライン」といった、見ただけで旅をした気分になれるような様々な路線が設定されており、良い意味で旅行者を迷わせる。
 大島の路線バスの時刻表には、入港地・出港地の文字が入っている。夜行船が着岸した港を入港地、日中に高速船が発着する港を出港地と呼び、島の西側の元町港、北側の岡田港のいずれかとなる。海況により入出港地が定まり、路線バスの運行や土産物店の営業体制が決まってしまうという日常が、この島では淡々と展開されている。
 さて、今回乗車するのは「波浮港ライン」。始発は元町港と固定されているため、まずは入港地の岡田港から元町港行きのバスに乗車。集落を抜け、「地層断面前」で途中下車する。売店などはないので、飲み物持参が望ましい。停留所前に広がる間伏地層切断面は道路建設の際に現出した地層で、火山灰や火山れきの堆積による巨大な「バームクーヘン」は圧巻である。
 地層切断面の終端まで700歩ほど歩き、スケールの大きさを体感。さらに1200歩歩き、次の停留所、「砂の浜入り口」に到着。
 次のバスを待つまでの間、海岸まで降りてみた。砂の浜は大島唯一の天然の砂浜で、三原山の溶岩から生成された黒い砂が特徴である。9月とはいえ残暑厳しい日ではあったが、サーフィンをする若者が数人いただけで、静寂を楽しむには十分であった。
 再びバスに乗車し、今度は波浮港を目指す。野口雨情作詞『波浮の港』や、映画『伊豆の踊り子』で有名な港。『伊豆の踊り子』のモデルとなった旅芸人一座が実際に芸を披露した旧港屋旅館は、人形の配置された資料館となっている。余談だが、バスが波浮港停留所を折り返す場面は、迫力満点である。波浮港を散策した後は、終点のセミナー入口まで。
 終点から一周道路をさらに進むと「文学の散歩道」と書かれた小道があり、大島を訪れた文人たちの作品の記念碑が点在している。碑を眺め歩くうち、白い十字架と、筆の形の無人島、筆島が見えてくる。
 十字架のふもとには、家康時代、キリシタン禁止令のもとで悲劇の人生を歩んだオタア・ジュリアの足跡を刻んだオタイネの碑がある。迫害に耐え、信仰を守り通したジュリアの心根は、凛とそびえ立つ筆島の姿とも重なる。太古の地層、黒い砂浜、白い十字架、そして青く力強い空……。再び車中の人となり、この0泊2日の島旅に思いをはせていた私は、気づけば幸せな眠りに就いていた。

都政新報 2011年10月28日付 都政新報社の許可を得て掲載