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フラワーデモ長崎2020年3月8日長崎事件裁判原告メッセージ

精神的ダメージが強く3月8日のフラワーデモ長崎に参加することができなかった長崎市幹部から性暴力を受けた女性記者のメッセージです。

私がまだ長崎に行くことはかないませんので、メッセージを託します。

私は現役の記者です。長崎市を取材した2007年、市の部長から性暴力を受け、裁判で係争中です。暴力だけでなく、その後の広範な二次被害も争点です。

性暴力は他の犯罪と違い、なぜか「被害者にも非がある」とみなされることがあります。偏見が強いので、起きたことを被害者が申告できないことも隠すこともあります。でもそれは暴力がなかったわけではなく、「暴力はあったのだけど、これ以上傷つくわけにいかないので、必死に我慢している」意味です。助けがいらないわけではなく、もしつらさを分かってくれる人がいるなら、そばに来てほしいと胸の中で叫んでいます。

日本は、警察や行政や法律といった社会の仕組みが、被害者にやさしくありません。取り調べを受け、噂も立てられ法廷に出るか選ぶ。考えただけで恐ろしいです。だから、誰にも言わず、自分をいたわり、やっとの思いで暮らしている。そんな性暴力被害経験者が多くいます。ニュースや裁判になる性犯罪はごくわずかで、でも人知れず性暴力は起きているのです。

ときに被害者は、あまりにつらくて、生きるのをあきらめようかと思い詰めます。そんなとき、絶望から少し引き上げてくれるのは、そばにいる人です。寄り添い、ささやかに励ますことは、被害者の苦しみの一瞬を乗り切る支えとなります。それを重ね、1年、2年が経ち、何とかしようともがきます。

理解者と出会えるかどうかが、被害者にとって人生を取り戻せる分岐点です。

私の願いは、日本で少しでも多くの人に、性暴力の実態に触れたとき、「支えたい」という気持ちになってほしいということです。そうした態度が社会に根づくことで、被害者の回復は早まり、次の加害の抑止になります。

そのことで性暴力を語るハードルが下がり、救済制度も改良されていくのだと思います。

一方で、難しさもあります。性暴力の特徴は、身近な人が犯人だということです。学校や家庭や職場といった生活圏で起き、ほとんどの場合、加害者は知っている人です。

愛想がよく、尊敬される人物が犯行を繰り返ししていることもあります。立場を悪用して犯行に及べば、加害者であるのは間違いないのに、周囲が自分の見方から何気なく「あの人は愛想がよい人だしそんなことはしない」と言うことがあります。暴力があると指摘した被害者が、否定の言葉を食らうのです。

この最初は肝心です。最初に聞いた人が話しを信じ、受けとめれば、被害回復の可能性は高まります。そんな人が増えてほしいと私は願います。
フラワーデモは、そうした理解や共感を得る貴重な場です。急に人を救えるようになるのではありませんが、ここに参加して暖かい気持ちになれば、どこかで被害を打ち明けられたとき、今日のこの気持ちの救助につなげられると思います。

また、日本の報道界の話をしますと、実に多くの女性記者が性暴力に苦しめられています。情報を取ろうと頑張って働くほど、つけこまれ、意欲も健康も失い、仕事を辞めます。

加害者が役付き公務員というケースが目に余ります。「被害に遭ったら警察に」が通用しないのは、警察さえ加害をしてきて信用ならないという現実があるのです。悔しいことに長崎でも起きていますし、最近は大分でも静岡でも、警察官が記者に加害をしました。もう本当にやめにしなくてはいけません。

新聞労連は、記者の被害を重く受け止め、対策に乗り出しています。女性役員を増やし、相談体制を整え、「ハラスメントしてはいけない」と繰り返し意識づけをしています。私の裁判も支え、当事者が全面に出なくていいよう配慮してくれます。こうした取り組みがスタンダードになれば嬉しいです。

最後に、今苦しんでいるあなたへ。生きて今日を迎えた、それだけで偉業です。
よく頑張った、大変でしたねとこころから讃えます。何もかも悲しくて、人生に色彩を失ったかもしれません。

まず呼吸をして、自分の息づかいを感じてほしいのです。命を断つことさえしなければ、きっと明日がある。いつか会える。そう祈っています。あなたに起きたことは絶対許されないこと。私も怒りたい。一緒に抗議します。でも奮い立つ日にあなたがいなけば意味は半減します。だからどんなに傷を負っても生きてほしいです。これまで生きて、これからも生き延びようとするあなたを心から尊敬しお慕いしています。

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