最後の決闘裁判

※若干結末に関わる内容が含まれます

まずはじめに
・この映画は史実に基づいていますが、感想文中に登場する人物像の考察は決して実在の人物に向けてする目的のものではないことを念のため記しておきます。
・映画の感想をこういった形で書く事はこれが初めてなので、お手柔らかに…


(ごく簡単な)あらすじと構成
時は14世紀。騎士ジャン・ド・カルージュの妻マルグリットが彼の友人ジャック・ル・グリに暴行を受けたと訴え、真実をめぐって決闘裁判が行われるまでを複数の人物の視点で見ていく物語。

感想は、大きく分けて「各々の人物像を生々しく表す構成」と、「光と影の存在感」と「緊迫感あふれる戦闘描写」の三つを抱いた。以下、それぞれについて説明する。

第一の感想
「各々の人物像を生々しく表す構成」

 本作品は三つのチャプターに分かれ、それぞれの視点から事の顛末を把握していくことになる。基本的にそれぞれの視点では、それぞれのバイアスがかかった状態で事件が振り返られる。そしてその差異から各々の人間性が浮き彫りにされてゆく。
(第三のチャプター「マルグリットによる真実」はthe truthの部分が画面で強調されており、これが真実であることが作品内で示されているといえる。この辺に関しては後述したい)
そうした構成の中で私なりに主要人物たちを紹介するなら、以下のようになる。

・ジャン・ド・カルージュ
 この男を一言で表すなら、「遠い存在ばかりを見ている人間」だ。難しい局面に立った時には決まって、「神」や「王」や「善」を味方につけようとする。そうした位の高いものへの憧れから、自分の名を上げることを至上のものとしている。
 彼の人間性は彼の使用人に対する言動からも読み取れる。畑を牛に耕させる場面で、ジャンは主要な稼ぎにしている馬を大切にするあまり牛よりも馬にやらせるべき畑仕事に馬を出し惜しむ。それによって畑は十分な収穫を得られず、民を飢えさせてしまう恐れがある事を考えつかない。本人に自覚のない状態で、身近に重んじるべき民を差し置き騎士として成功しようとする事に執心してしまっている。

・ジャック・ル・グリ…ジャンの旧友
 この男はジャンと正反対な「目先に気を取られる人間」という印象を持った。貧しい出身から様々な能力を身につけ、機知に富む言動で作中では王に次ぐ権力者ピエール伯にも気に入られるなど、周りの人間を味方につけることに長けている人間だ。しかし、女性関係では問題点があり、現にその問題点が今回の事件を起こすこととなる。
 ジャンの妻であるマルグリットに惹かれ、ジャンの不在を狙い彼女に会いに行き、一方的な物言いで彼女に迫るさまはまさに目先の欲を果たす事に集中している様子を示しており、その後騒動に発展してからの憔悴と合わせて彼の本性を明らかにしている場面であったと思う。

・マルグリット・ド・カルージュ…ジャンの妻
 この人物は本作品における事件の被害者であり、率直に言って非常に過酷な状況に置かれる。夫やジャックをはじめ様々な人間に心無い言葉を浴びせられても、声を上げ続ける姿は騎士の時代に目立つ肉体的な強さとは別の精神的な不屈さを感じた。この時代においてその強さはたぐいまれである事も映画の中で描かれている。実は自身も性的暴行を受けた過去を持つ義母に「生きながらえたければ性的暴行を受けたことを黙っていろ」といった内容の忠告を受ける場面があったが、彼女はそれでも告発する選択をした。裁判所にて男の裁判官たちから質問を受けている際も、彼女は芯の強さを貫ききった。現代であれば彼らの方が告発されかねないような質問にも答え、自らの受けた被害を闇に葬らせまいとする意志の強さを感じる場面であった。
 このように芯のある人間としてマルグリットは描かれているが、それでいて彼女は他者への配慮も持ち合わせている。地代を払っていなかった者に対して寛容な姿勢を示したり、使用人に驕ることなく接したり、彼女の人当たりはよく、エゴイストの多い本作において貴重な性格を持っているといえよう。
 こうした人格者的な一面が際立つマルグリットだが、人間性をごく客観的に考える上では彼女が一番難しいのではないかと思う。その理由は、作中において彼女の視点が真実であるとされているからだ。今までの二人の視点がエゴによる脚色ありきで、描写の違いから人間性を割り出す事ができたのに対し、彼女の場合は違う。マルグリットの「真実」が最も真実味を強調されている点からして、彼女のチャプターは客観的な人間性を見出す事が難しい。
 ここから考えられるとすれば、彼女の視点はいわば「二人の男のそれぞれのバイアスを完全に取り払った答え合わせ」のような構成上の意味があるといった所だろうか。

第二の感想
「光と影の存在感」

 どの映画にも光の当て方が表現力として一定の存在感を持つことは共通しているだろうが、この映画にもそれは十分に言える事だった。
 例えばマルグリットが毅然として本音をぶつける場面では、後ろから光がさしていて、相手は暗い方に立っている。こうした描写は作品を通して目立って用いられており、「善きことや正しい事」には光が差し、「邪なことや抑圧する/されているもの」には影が立ちこめる映像が物語の理解をより分かりやすくしているという実感を得た。
 なお、決闘裁判のシーンでは、基本的にグレーがかった画面で、この場面においては善や悪が明確に区別できないことを表していると思った。

第三の感想
「緊迫感あふれる戦闘描写」

 怒号が飛び交い、金属同士がぶつかり合う音がひっきりなしに響き渡る戦場の描写は、騎士として生きる事がいかに死と隣り合わせであるかを伝えるに十分の迫力だった。
 それでも武勲に生きる当時の騎士たちにとって、戦は密接不可分の関係があり、特に名誉を重んじるジャンのような騎士には他にないほど駆り立てられる場であったのだろう。彼は周囲に呆れられるほど勇ましく戦う。武勲も彼のプライドを作り上げた一大要素だ。
 なお、本作において最も緊張が高まる決闘裁判のシーンは目を見張る迫力だった。馬上での槍の突き合いから地上に降りて長剣の応酬を繰り広げ、手斧からダガーへと徐々に武器のリーチが狭まってゆくアクションシークエンスは圧巻で、本当に最後の最後までどちらが勝って真実を手にするのかが見えないシーンとなっていた。

むすびに
以上のような大きく三つの感想を抱いた映画「最後の決闘裁判」であったが、私はこの映画を鑑賞して、真実を貫くことは時に全身全霊をかける事が要されると知った。それと同時に、本作品の三人による「真実」がそれぞれ違ったように、主観によって現実は様々な受け取り方があるのだと再認識した。

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