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伝わらない文章

とある書籍の発売を記念して、自分の好きな本を画像とともにツイートする、というキャンペーンが行われている。
普段Twitterは見るだけで、よほどのことがない限り投稿しないのだけど(投稿しても一定期間経ったら消している)、誘惑に負け、最近発売されたおもしろエッセイ集について投稿してしまった。

参加者のツイートに対して、キャンペーンの主催アカウントがコメントを返してくれるのだが、自分のツイートへのコメントを見てスゥーっと血の気が引いた。
「大事なこと、なんにも伝えてないじゃん、アタシの投稿」と。
穴があったら入りたい……。

その著者の一連のエッセイや小説を読んだことがある人には「あー、わかるー」と思ってもらえるかもしれないが、知らない人にとってはなんの説明にもなっていない。
一見、著者を通して本を紹介しているように見えなくもないけれど、その実、内容ゼロ。ただの独りよがりの文章でしかない。
この説明で興味を持って本を手にとってくれる人、いるか?

画像とともに投稿することから、本の帯を見れば内容はわかるよね、と軽く考えていた。
実際、大抵の本は帯に内容が要約されていることが多く、そもそも帯の役割ってそういうものだと思うし、素人が片手間に考えた紹介文が本気で考え抜かれた帯文に敵うはずもなく、このエッセイ集に関しても「言いたいことは帯に全部書いてあるし。これ以外の言葉を使って140字でまとめるの難しいし」と自分で考えることを放棄してしまった。

だけど、帯なんて重版や改版されれば内容が変わるし、図書館では帯は取られてしまうし(最近は帯も見返しに貼り付けてあるけれど)、古本だと帯がない場合も多々ある。
そもそも、きちんと自分の言葉で伝えず、このキャンペーンに参加する意味ってあるのだろうか。ない、よね。

今すぐ奇声を上げて走って逃げたい衝動に駆られている。そのくらい恥ずかしい。
当該ツイートを削除して、何もかもなかったことにしようかとも思ったが、それでは何も学ばないことになる。
別にプロの文筆家ではないし、今は言葉や文章に関わる仕事をしているわけでもない。でも、本が好きだし常に言葉には敏感でありたいと思っている。
(「と思ってこれかよ」という声がどこからともなく聞こえてきて、ため息が漏れてしまうけど。)

まあ、落ち込んでてもしょうがない。どうすればもっと伝わる文章になるか見直そう——と、推敲し、完成したものを読んでみたが、硬い。とにかく硬い。
楽しいゆるゆるエッセイの真逆を行く文体。140文字で言いたいことを詰め込もうとすると、どうしても漢字やら難解な言葉が多くなる。

すべて捨てて一から考えてみる。
この本のジャンルはなんなのか、ネタバレしない程度にどのような内容なのか、「え、どゆこと?」と目にした人が思わず惹きつけられるような表現も入れたい——。
ということで書き直したのがこちら。


便意に司られる男=著者が大真面目に繰り広げる、おもしろエピソード満載のエッセイ集三部作の完結編。
絶妙な間合いの文体と客観的すぎる視点に思わず噴き出してしまうこと請け合い。
小難しいことなど一切抜きで楽しめる本。


うーん。ありきたりな文章から脱せていない気もする。
でも、ちょっと読んでみたい、と思える内容にはなった……のか?
というか、「小難しいことなど一切抜きで」とか言ってるのに、今まさにこの本をきっかけに小難しいことを考えているわけで、この時点でこの紹介文に偽りあり、なのでは……とか考えだしたら、ああ、もう、何もかも面倒くさくなってきた。

って、そうか。こんなときにこそ『そして誰もゆとらなくなった』(朝井リョウ/文藝春秋)を読んで脳みそをほぐせばいいんだ。
おすすめです。

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