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分断を解消するための萌芽 | 兼近大樹『むき出し』(文藝春秋)

優しい眼差しが
純粋な言葉が
誠実な覚悟が
重要な小説を生んだ。
――又吉直樹

一人の人間が成長していく物語――
と言ってしまえば簡単だけど、そこには日本の社会が抱える闇が色濃く横たわっている。
貧困、教育格差、障害者差別や人種差別。それらがもたらす分断。
当たり前とは何か、正義とは何か。
倒錯した世界の優しさを、あなたは認めることができるのか。

人は自分の経験したこと、見聞きしたことの中でしか判断を下すことができない。
想像しようにも自分の中に無いものに思い至ることはできないし、少なからず未知の存在には本能的に恐怖心を抱く。
知りたいけど怖い、そもそも知りたくもない。知ってしまったら、それを認めてしまったら、自分が築き上げてきた価値観や倫理観が崩れてしまうから。見たくない。
その闇に光を当て可視化したのが、この物語なのではないか。
主人公石山の苦悩や葛藤、孤独、純朴すぎるがゆえの矛盾を孕む言動が、生身の人間というものを見事に描き出していて、石山に対して共感のみならず苛立ちを覚えると同時に内省せざるを得ない。
果たして自分はどうなのか、と。

石山は幼少期から感じていた解りあえない虚しさや寂しさと折り合いをつけるため、自分を正当化し、傍から見たら歪んだ正義感を纏ってしまう。
優しさが世間一般で認知されているところとはズレていく。でも本人はそれに気づけない。もしかしたら気づいているけど認めたくないのかもしれない。

そんな石山の目を通して見えてくるのは、SNSやネットでの誹謗中傷の構図でもある。
自分の信じる正義を振りかざし、理解できないものは徹底的に叩き潰す。
そこに生まれるのは深まるばかりの分断。
けれど実は、SNSやネットニュースのコメント欄を炎上させる人も、世間から爪弾きにされた人も、どんな人でも居場所を探しているのではないか。
そして探し当てた場所を必死に守らなければ自我を保つことが難しい。

「ここにいるってことは、全員それしか楽しいことがないんだから。思い出を共有しないと居場所がなくなるから。」(p. 108)

階層に関係なく、きっと皆同じだろう。

自力で這い上がれない人に対して、自己責任と切り捨てるのは容易なことだ。しかしそこに至るまでの過程で何があったのか。
世間で言われている“当たり前”が解らない環境で生まれ育った子供たち。幼いなりに足掻いてみるけれど、所詮無力で不自由な存在の彼らが、自分たちを取り巻く家族や大人たちの言動が普通ではないと理解するのは、ほぼ不可能に近い。それが彼らの小さな、唯一無二の世界では当たり前だから。
そして気づいたときには、諦めと無力感に絡め取られ、沈んでいく。成長しても負の連鎖が続いていくばかり。その中から親になっていく人もいるだろう。

一度足を取られたら容易に抜け出すことは難しい。
それでも、この主人公が徐々に変わり脱却することができたのは、ときに滑稽にすら映る倫理観と純粋さを持ち、そのせいでどこにも馴染めないがゆえに獲得した、本当の優しさがあったからだろう。
さらに、これまで理解できないと思っていた他者にも、自分と同様に様々な事情や背景がある、ということを突きつけられ、今までの自分の行いを省みるに至ったことが大きい。

そしてこれが著者が一貫して訴え続けてきたことだ。
あらゆる人に、その人が培ってきた物語がある。絶対に交わることなんてない、見たくない、と思っていた階層の人々にも、だ。
それを知ることで、好きになれないとしても、ひとりの人間として理解するための手助けになるだろう。
それが分断を解消するための萌芽になり得るのだから。

この主人公のように、人生を180度変えるのは誰にでもできることではない。それでも読み手に寄り添い、希望を与え、一度立ち止まって自分を見つめ直すきっかけをくれる作品である。
この物語が孤独や不安を抱えている人、苛立ちや怒りに飲み込まれそうな人の心を、少しでも軽くしてくれることを願ってやまない。

石山の穏やかで優しい、でも何かを達観したような眼差しを感じながら読んでください。

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参考までに、『むき出し』とテーマが通底する(と勝手に思っている)書籍を掲載しておきます。
朝井リョウ『正欲』(新潮社)
天童荒太『迷子のままで』(新潮社)

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