『頂き女子』の台頭は、『福祉の敗北』なのかもしれない

某「頂き女子」のマニュアルを読んだ。
僕も当初誤解していたのだけれど、あれは色気でかどわかしてカネを毟り取る手口ではない。

もっと悪質な、人の良心と信頼を悪用する手口だ。

※マニュアルの全文も流出しているが、出所がはっきりしないため紹介は控える。


あの手口に騙される“おぢ”の視点を想像する。
騙されている状態では、「頂き女子」はどう見えるのだろうか。

マニュアルを読む限り、おそらく”無害ガチ恋”の”ギバーおぢ”からは、彼女たちはこう見えている。

―――真面目で素朴で身寄りがなくて孤独な女の子が、のっぴきならない事情により、身の丈を超えた経済的困窮に直面している。

逆に言えば、”そのように認識させる”手口なのだ。
そのために、あらゆる行動が最適化コーディネートされている。

地味なファッション。薄めのメイク。ピュアな思いやりと好意を控えめに滲ませるLINE。おおよそ”頂き女子”のイメージとはかけ離れた人物像を演じ切るための一挙手一投足が、あのマニュアルには記載されいてる。

そうして無害ガチ恋ギバーおぢは、「この子の力になりたい」「この子を助けられるのは自分だけだ」と考え、大金を貢ぐ。


しかし、僕はちょっと気になった。

あのマニュアルの中では、窮状を明かした際に『役所の福祉窓口に連れていかれる』シナリオが想定されていないのだ。ましてや『地方議員や民生委員が駆けつける』なんて、まったく想定されていない。

ここが気になった。


あくまで『仮に』だが。

もしも社会福祉が十全に機能しており、誰もが”文字通り”気軽に相談でき、届くべき人にしっかりと支援が届く。そして不正はしっかりと対策される。それが当たり前の世界だったら?

あの手口はおそらく、ほとんど成立しないのだ。

『のっぴきならない事情により身の丈を超えた経済的困窮に直面している、真面目で素朴で身寄りがなくて孤独な女の子』がぴえんしていたら、「おぢさんと一緒に役所に相談に行こうか」となる。そこで「いや、あなたこれ詐欺ですよね、不正ですよね」とわかる。詐欺でなく本当に困窮の事実がある場合は、適切な支援を受けられる。

迷子を見つけたら交番に連れて行くのと同じような感覚で、それが「当たり前」の社会だったら、仮に騙されたとしても被害に遭う確率は下がるだろう。


このようにして考えると、『頂き女子』の台頭は、ある意味では『福祉の敗北』なのかもしれない。

社会福祉が十全に機能しており、誰もが”文字通り”気軽に相談でき、届くべき人にしっかりと支援が届く。そして不正はしっかりと対策される。

そういう社会のフォーメーションを組むことができていたら、今回の事件も、もう少し違った顛末になっていたのかもしれない。

などと思うなど。