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私はきっと死なない

西日の中、洗濯物をハンガーにかけながら死ぬ算段をしているのがあまりにも滑稽で悲しくて、嗚咽をこぼして泣いた。‬

世界が終わるような夏がきた。蔓延るウイルスの脅威に怯える用心な人とそうでない呑気な人の境目がエンボス調くらいはっきりする世の中だ。心に薄く闇を落とし、「そこまで神経質にならなくても」という嘲りと、「何て無神経な」という蔑視が入り混じる世の中だ。いい加減なテレビ番組と政治家のホラを信じて、スーパーマーケットから衛生用品がなくなる。何を信じても信じなくても、心がすり切れるような毎日を送らせる世の中だ。甲子園も全国大会も全部かき消されたそんな世の中なのに葉月はやってきて、当然のように8月の第一週目は快晴だった。雲ひとつない日本晴れだ。約束されたような青だった。

1日の終わりになるにつれて、予定していたスーパーマーケットへの食品の買い出しが面倒になった。仕事が終わる頃になると、何もする気が起きなくなって、寝ることばかり考えた。だけれども、少しも眠くならない。

ふと、日中の快晴が脳裏をかすめ、洗濯機を回していたことを思い出した。もう日が落ちる頃だ。東の方は薄ら暗く夜が頭を出すような色をしていた。ベランダのある西側は地平線の方でピンクとオレンジが入り混じるような色をしており、低い位置にある雲を薄紅色に染めていた。見上げるとまだ空は薄い色で雲なく、ただ広く何もない虚を抱えていた。

一枚一枚、洗濯物をハンガーにかけて、ベランダ脇のベッドに置く。ベッドの上に3枚ほど溜まった時、ベランダの扉を開けて物干し竿へとかけた。随分と静かな日暮れだった。

明け暮れぬ悲しさの中に、私はいた。1ヶ月前に安定剤を処方され、つい二週間ほど前に睡眠薬を処方され、これを飲めば死ねるかと考えて幾日かが経った。
その期間に何度か人と話す機会はあったのに、つらいと一言も言えなかった。会話して帰ってきて夜が来ると、枕を濡らしながら行き所のない虚無を胸に抱えて夜をあかした。その結果の睡眠薬だった。

この睡眠薬を飲んだ時、私は本当に死ねるだろうかと考えた。死ぬなら確実に遂行しなければならない。そうでなければ、職場に迷惑をかけるし両親や弟妹が泣く姿を見なければならない。みんなが私を腫れ物のように扱い、二度と自死が叶わなくなる。やるなら一度で確実に仕留めなければならなかった。

睡眠薬を飲むだけではだめだ。やるなら他の鎮痛剤と酒を入れなければいけないとも考えた。この数日、気力がある日は、今日は漂白剤が飲めると思った。農薬や風呂用洗剤は危険度が高いと聞く。コンロからガスを出して一酸化炭素を吸うのはどうかと考えた。しかし、火がないとは言え何かあった時に誰かに迷惑をかけると思うと踏み切れなかった。

夏場に死ぬと死体が腐りやすいと聞く。最初に見つける人が、ひいては家族が確認しに来る時、嫌な思いをしないためには早めに誰かが気付く必要があるだろう。友達に「明日の朝連絡して既読がつかなかったら警察に連絡してくれ」と言えばいいだろうかとも思った。でもそれは余りにも不審だ。明日や来週連絡が取れなかった会社の人が気にして連絡を取ろうとするだろうか。

もう一枚、カットソーをハンガーにかけた。斜陽に照らされたベッドにそのハンガーを置くと、途端に涙が出てきた。明日明後日着るために洋服を洗濯し、いつか食べるための万能ネギを置いたベランダに洗濯物を干す。その間に死ぬことと死んだ後のことを考えているのが、なんとも哀しくて虚しくて可笑しかった。

夕方には成果報告と今後の予定について上司と話すスケジュールを組んだ。明日のお昼、とアポを取った。なのに、この瞬間死ぬことを考えている。来週の仕事の話を先輩とした後だ。死んだら二人とも驚くだろうなとか困るだろうなと思っていることがまた滑稽でさらに涙が出た。

落陽する中、薄暗くなった部屋で嗚咽をこぼして泣いた。親不孝なことなんて自分が一番わかってるだとか、死にたがりだとみんな思うんだろうとか、いつになったらこの不安は終わるんだとか、誰かを責めたい言葉ばかりが心を巡った。嗚咽しながら、涙を止めることも歯を食いしばることもなかった。ただ、ハンガーと洗濯物を持つ両手で胸を掻き抱いて泣いた。

次第に泣き声も胸からの衝動も収まり、洗濯物を干すのを再開した。大きく深呼吸をする。目元も頭も痛くない。まるで何もなかったように手を進める。最後の一抹みたいなオレンジが沈む頃、鼻を啜る音がスマホから鳴る新譜のメロディに交じる。そこにハンガーをかける音が混ざる。大きく吐かれて吸われる息以外は平常通りに戻る。胸に渦巻く闇を残したまま、まだ日が沈まない外を遮断するようにカーテンをひいた。

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