見出し画像

幼馴染が結婚するらしい

幼馴染が結婚する。
 
アラサーの私が小学校入学して出会った数少ない男友達で、20年来悪友を続けてくれた幼馴染が結婚する、らしい。

 
出会いは語れるほど鮮明ではなく、まったくといっていいほど覚えていない。入学式の日、教室で彼が自分の斜め後ろに座っていたことは覚えている。ただ、会話した記憶もない。覚えているのは仲良くなってからの記憶ばかりだ。でも、私の人格形成を行なったのは限りなく彼の存在のおかげに等しい。
 
彼と出会った小学一年生の時生まれた末の弟以外、姉妹ばかりの家庭に生まれたため、激しい遊びなんてしたことなかった。
そんな私を、両チームで5人しかいないお遊びの草野球に無理やり連れ出したのが彼であり、ごろごろ地面を這うボールしか蹴れなかった私に「爪先をボールの下に入れて蹴りあげるんだよ」と教えてくれたのが彼だった。
思春期になっても彼の家に行って遊ぶことが多く、親同士の話だと「彼の家で何もせずに延々と漫画を読んで帰った」ことがあるくらい、気を遣わなかった相手だった。もちろん相手方のご両親なんて小学生の頃から顔見知りだし、彼が小学五年の時に迎えた大型犬の散歩にも行けば、その一年後にうちで飼いはじめた小型犬の散歩でばったり会えば大小二匹の犬と一緒にだらだら散歩をしたものだ。
気づけば、同年代の男の子が使うような言葉遣いをして、休み時間には男子ばかりのサッカーに混じり、取っ組み合いの喧嘩をするような野蛮な小学生だった。それを形成したのが多分幼馴染の存在だった。
 
お互い中学受験をする身とあって話もあったが、中学で離別してから会うのは1年に一回くらいになった。その時も私が電話をして会おうと言って、近況を話したりした。家が近いこともあり、学校からの帰り道に会う時には立ち話をした。一緒に遊んだりご飯を食べることはなかったけどお互いの違う世界を話したり聞いたりすると、少しだけ安心した。
 
思春期の頃は俗に言うグルーピングという仲間意識と敵対心の間に揺れ動くような行動に出てると思う。誰と同じグループにいるか、自分はコミュニティから逸脱していないか、自分はちゃんと自分の属している社会から外れていないのか。
大人になってからは、社会なんて自分で選べばいいと気づくけれど思春期の頃は学校が全てだった。その視野の狭さがいじめにつながったり、いじめから悪化した事態につながることになる。とはいえ、コミュニティを出ることの恐怖感を克服することは難しい。
 
そんな思春期に、彼の存在は砦だった。私が悩みや不安を抱えた時にいつでも後ろ盾であってくれたからこそ、なんとか乗り越えることができた。
 
留学に行ってからも定期的に電話をして、帰る度に会いに行った。土産を持って行く時もあれば、土産も持たずに行く時もあった。その頃も結局しょうもない話をした。二十歳を超えてからは、たまに公園で話す時もあれば、もう一人の幼馴染を誘ったり二人だけで飲みに行ったりした。自分たちの恋愛事情やしょうもない下ネタを話すくらいの仲だった。自分にとっては特別だった。酔っ払って肩を組まれたらやめろと制したが、その仲の良さが自分を優越感に浸らせてくれる特別だった。
 
大学時代はよく電話をかけた。2年付き合った彼氏に振られた時、将来に不安になった時、就職活動で腐った時や、心が弱くなった時に話を聞いてもらった。
 
余談だが、私の仲良くなる男友達の条件は彼に始まっていると考えることがしばしあった。ドライで、私が弱音を言っても気にせず毎日を生きていける人間であること、だ。優しさがないとは違う。けれど、自分と他人に線引きができる相手であれば、私が愚痴や弱音を吐いてもケロッとして生きてくれる信頼がある相手が好きだった。
 
なので、心が辛い時はよく電話をかけた。周りの友達に少しずつ頼ってそれでも振り切れない時や、周りに零せないことがあると彼に相談した。
 
今でも言われて嬉しかった言葉が一つだけある。周りの感情に鈍く、鈍感な彼は大変医療関係に適した性格を持っていた。他人が亡くなると悲しい気持ちもあるが、それが自然の摂理であることを理解していて、他人よりも断然速いスピードでその悲しみを終わらせることができた。
私が死にたいと言った時に、続けて「きっとお前は私が死んでもあんまり悲しまないだろう」と皮肉を言うと、「そうだろうねー。多分死んだ時は悲しくても、ちょっと経つと他人ほどそのこと覚えてないだろうね」と言った。「まあ、死にたくなったら自分のとこにおいでよ。死ぬのもう少し後にしようかなーと思わせるよ」と続けた。「死んだ後には多分何もできないけど、死ぬ前なら何か出来るだろうから、死にたくなったらうちに旅行においで」と。死ぬなと言われるよりも、悲しいよと言われるよりも、彼らしい言葉だった。
これ以来、この言葉も私にとって砦だった。辛い時にはいつも思い出して何かあったら彼の住む地に遊びに行ってしまおうと思っていた。
 
彼が大学に入ってからはウィンター・スポーツの部活に入ってしまい、春か夏にしか会う機会がなくなった。最後にあったのは3年前の秋に、彼の住む地に旅行に行った時だった。北海道の空を見せてくれると言っていたが、不幸にも旅行に向かった当日に、彼の身内がなくなり私と入れ替わりに実家の帰ったため、一泊だけさせてもらって前日の晩御飯と翌日のドライブに連れて行ってもらったときだった。
そこから三年、思い出したようにメッセージを送っていたが、お互い忙しい身で中々電話をする機会がなかった。そもそも、私から連絡しなければ電話することなんてないため、私が忙しかったことだけが原因かもしれない。
 
そういう私からの好意が強い友好関係だったことを何度も懸念したことがあったが、そういう時に彼は「結婚式に呼びたいと思うくらいには大事にしてると思ってるんだけどね」と言った。 友達として最高の褒め言葉だと思った。
 
 
そんな彼が結婚するらしい。母親が入手した情報だ。結婚するために大学時代にいた北海道に帰ったらしい。
 
 
 
バカヤロウ。
お前の口から報告を聞きたかったよ。
 
 
きっと今までのように仲良くはできないだろうなと思う。二人でご飯に行くことも、きっと遠慮してしまうのだろうなと。夜中に電話をかけてだらだら喋ることもできなくなるだろう。
ましてや旅行に行くなんてきっとできないと思う。
 
私の幼馴染であり、今まで大好きだった悪友へ
最大の祝福を捧げる。幸せになれよ、バーカ。
まずはお前の口から結婚するよって聞かせろよ。もう聞いたわ、先に言えよって減らず口叩いて祝うから。
そして、結婚式には呼べなくても、奥さんと一緒に一回くらい飯くわせろよ。子供の頃の話もせずに、二人のことをちゃんと聞いてあげるから、幸せなことちゃんと教えろよ。
お前のその自己中心的で優しくて鈍くて、声が低くてつり目なところが、なんだかいつも愛おしかったよ。
 
私を私にしてくれてありがとう。また気が向いたらメッセージでも送るよ。

(この記事は2019年に書いた記事です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?