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ひとりごと 入院生活のはなし

前回のひとりごと日記から1年2ヶ月が経過していた。令和初の日記。まじか…。

1年2ヶ月の空白期間、何をしていたかというと普通に過ごしていたようなそうでもないような…まぁタイトル通り入院していたわけだけども。自分の記憶保存処理能力が劣っていることは自覚済なので、今以上に衰える前に記録として残しておこうとこの日記を打つに至る。何年か前の夏に胃腸炎にかかり、赤ちゃん用煎餅とおかゆしか食べれない生活を送っていたことがあるが今回はその比ではなかった。

X日明け方4時、鳩尾辺りのひどい激痛で目が覚めた。最初は寝違え最上級MAXに到達するとこのような痛みに…?と思い布団の中でうずくまり我慢していたが、1時間半耐えたところで痛みが一向に和らぐ気配もなかったため救急病院へ行くことにした。病院に到着した頃にはもうぐったりしてしまって車椅子に乗せてもらうなどもしたが、乗り方が下手糞だったためか看護師さんに車椅子の乗り方をレクチャーしていただいた。

若年性心筋梗塞を疑われ、あれよあれよとCTだったかMRIだったかVRだったかを何度も撮影された。何本も採血をされながら点滴も施され、抜かれながら入れられていると思った。結局この日は特に原因が分からず、午後9時過ぎには症状も落ち着いたので処方してもらった内服薬をいただいて帰宅した。(↓画像はだいぶ落ち着いた頃に記念に撮っておこうと呑気に写真におさめたもの)


しかし、この4日後にまた明け方4時激痛で目が覚めたのだった。しかも前回より痛さがパワーアップしている。こんなとこで強くてニューゲームすな!という感じだが、当時は痛みと吐き気でどうにかなりそうだった。(胃の中は空っぽだが吐き気がとても酷く、出せるものが胃液しかないため胃液出すマシーンになっていた。胃液が鮮やかな黄色で感動した。)結局、病院直行となり、意識がはっきりしたのは夕方の4時頃だった。そのときには病室のベッド上で点滴を打たれ「エヴァ…?」という状態中に「入院する」ということを聞かされた。(ベッド到達までに恐らくたくさんの検査をしたと考えられるが、このときの痛みと吐き気が半端なく記憶がほとんどない。洋服とベッドが血だらけだったのは割愛。)(↓ベッドには画像のものが下げられており、いたずらをした猫ちゃんと同じ扱いじゃん…と思い写真を撮った)

思いがけない入院生活をおくることとなったので、入院記録をつけようとノートに日記をしたためていたが、見返すと僅か2日目で手記は途絶えていた。死んだのか。せめて3日くらいは書いておいてほしかった。(病院食が水分&重湯というW水分だったため食への欲がとても強い内容だった。)

内科に入院したため点滴治療を主としていたが、この点滴が本当に苦労した。四六時中点滴状態なため点滴が本体で自分が点滴の付属では…?と思うくらいには苦労した。ちなみに点滴の痕は今でも残っている。シャブでは決してない。

寝起きに採血するルーティンがあり「おはようございま~す!採血しますね!」と眩しい笑顔を向ける陽の看護師さんが2本ずつ血を持っていく図が面白かった。血圧と体温も毎日測られていたが、平熱37度前後の低血圧という新しい自分の気づきを得た。(↓点滴されてる…と思い初日に撮った写真)

点滴生活を続けていたある日、担当医に「点滴で治療は無理ぽよだったぽよ~、外科手術しよぽよ~~(※要約)」と言われ外科に再入院することとなった。内科にいたときはいつまでこれが続くんや…?という不安だったが、外科は1週間で終わらせるぽよと説明をもらったので精神的に安心した。

再入院した病室は大部屋に空きがないということで病院側都合で個室を与えていただいた。トイレ、洗面化粧台も着いていたが術後まじでこの個室に感謝した。(↓個室部屋)

手術当日、麻酔をいれられて何秒で意識が無くなるのか数えようと意気込んでいた。指折りでカウントしていたが14秒後から全く意識がないので自分は14秒が記録となる。何だこれ。腹部2箇所穴をあけた手術だったのが、これがもう本っっっっっ当~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~に痛い。クシャミをしようものなら地獄。お腹に地獄が宿ってしまった!?と思うくらいには痛かった。オマケに耳の穴以外の穴という穴に管をいれられているのでもう何かもうアレだ。当時は「快復する気がしない12000%」だった。そんなわけないのだが、自力で寝返りもトイレも飲食もできない状態が続くというのは自尊心がすり減るためか自棄な気持ちが強かった。(↓自棄な気持ちで撮った写真)

(↓自力で起きれるくらいにはなったころ点滴にカロリーがあることを知り、感動して撮った写真)

あまりの痛さに凹んでいた自分へ看護師さんが身の上話をしてくださり、大丈夫だと励ましてもらったりもした。(自力歩行ができるようになったときは報告に行った。忙しい中、色々と気にかけてくださって本当にありがたかった。)退院日には一通りのことが自力で行えるようになり、人間の回復力…と妙に感動した。退院後は自宅療養で安静にし、少しして入院前の日常生活を送るようになった。

今回の病気に関して先天性のものだったのではというのが担当医の見解で、上手く機能していない内臓を全摘したがとくに不便を感じていない。お腹は少し弱くなったような気もする。

思い出しながら打っていると、沢山の方にお世話になり元気になったのを実感する。重湯が連日続いた時はどうしてやろうかと思いもしたが、感謝である。

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