転がる男、転がる女
あらすじ
無職になったので、田舎に帰り、
親の会社を手伝うことになった。
この職場には問題が多い。
問題の根本はわかりきっていて、
しなくて良いことが大半を占める。
働く俺は雪上を転がる
泥だらけの雪玉であった。
地元の重力が強すぎる、
いかれぽんちの掌編小説――。
―――――――――――――――――
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文字数:約10,000字(目安5~15分)
各話1,200~2,000字区切り
※読了目安は気にせず、
ごゆるりとお読みください。
※本作は横書き基準です。
1行20文字程度で改行しています。
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◆ 01 新しい職場
10年間働いていた会社が、
不況のあおりで夜逃げした。
路頭に迷っていたところ、父親から
「会社を継がせるから帰ってこい。」
と、厳命が下った。
俺は毎年年末には、律儀に
実家に帰って来ているが、
いつもの帰省が再就職へと変化した。
一度救急車で運ばれたと
母さんが言っていたので、
情にほだされた感もある。
ぎっくり腰で騙されたわけで、
そんな家族間の些末な冗談でも、
ショックを感じるほど、医者が言うには
メンタルが不安定という扱いらしい。
さっさと孫の顔を見せろ
と、言われないだけマシかもしれない。
親父は若くして起業し、
地元の商品を扱うネット通販の
業務を行っている。
いつか潰れるだろう、と亡き祖父母も
覚悟していたが、思いのほか盛況で
無理に事業を拡大しなかったので
不況にも強かった。
「カケル、お前はきょうから課長だ。」
なに言ってんだ。と思ったが、
息子を「管理監督者」として扱い、
残業代を支払わない親父の謀略であった。
前の会社では課長でもないのに、
残業代どころか、終いには給料さえ
支払われなかったのでマシかもしれない。
漸進的に騙すのが悪徳企業の手口だが…。
親の会社とはいえ、社長である親父は
家庭と仕事を完全に切り離していたので、
業務内容は俺にはなにもわからなかった。
早朝のまだ誰もいない会社の駐車場で、
近所の子供が作ったであろう
雪だるまだけが俺を出迎えた。
朝は従業員の誰より早く出社させられ、
掃除から始まり、仕出し弁当の確認と注文、
欠勤の電話受付といった雑務をこなす。
通常業務になればトラックに乗せられ、
丸井くんという年下の先輩社員に従う。
「年上に教えるとかマジっすか。
カケルさんっていくつでしたっけ?」
「マジマジ。32歳。」
「マジかー。姉貴とタメか。っすか。
あ、俺こんな口調なんすけど、
大丈夫っすか?」
「問題ないよ。俺、課長だけど
新入りなんでお手柔らかによろしくね。」
「了っす。あ、そうだ、
課長って給料どのくらいっすか?」
「家賃もちゃっかり取られてるから、
たぶん、時給換算すると、
丸井くんより低いぞ。」
「しょっぱい課長っすね。」
「だよなぁ。
丸井くんが昇給できるように
真面目に働くよ。」
「おなしゃっす!
んじゃ課長でもビシバシ指導すんで。」
「うん…だから、お手柔らかにね?」
和気あいあいとできる、いい先輩で助かった。
集荷先を覚え、得意先の挨拶ついでに
顔と名前を覚え、荷降ろし、伝票の確認、
梱包、発送、在庫チェック、梱包材の確認、
各種注文など業務の一連の流れを理解する。
専門知識はほとんど必要ないが、
覚える仕事は山ほどあり、
記憶と効率が求められた。
地元が嫌で離れた俺だが、
地域密着な業務は想像したほど
苦でもなかった。
単に年を取って嫌なことを
忘れているのか、苦痛に慣れて
鈍感になっただけかもしれない。
それより俺は中学・高校と
バスケをやっていたので、
馬鹿なりに体力自慢を自負していた。
だが、就職して運動から遠ざかると、
こんな通常業務でも息が上がって
軽くショックを受けた。
コーヒーとエナドリ漬けのこの身体は、
徹夜作業に鍛えられたものの故障気味で、
初日からはやくも心臓が休憩を求めている。
「体力ないっすね。カケルさん。」
「はぁ、丸井くんほど若くないからな。」
トラックの荷台で丸井くんに
品物を渡しているだけなのに、腕が死んだ。
なので休憩させてもらう。優しい先輩に感謝。
60歳未満の男は例外なく
若者扱いされる田舎なので、
甘えられる年下が居るのは助かる。
タイピング以外の仕事は、
もう無理かもしれない。
「そういや、まだ聞いてないんすけど、
カケルさん、結婚してんすか?」
「してない。
予定もないし、相手もいない。
ついでに金もない。」
「ないないだらけっすね。」
「前の会社もそんな給料もらってなかったし、
出会いもないほど忙しい会社だったな。」
「働かせといて給料出さない
ってクソっすね。」
「独り身のお陰で気楽だけどな。
あぁ丸井くん、だれかと話すときに、
結婚の話とか振っちゃダメだからな。」
「なんでっすか?」
「そういうのセクハラになるんだよ。
研修とかないのか。ウチの会社。」
「研修自体、聞いたことないっすね。
今年帰ってきたウチの姉貴なんて、
同じこと親戚にガンガン言われましたよ。」
「田舎もクソだよな。そういうとこ。
普通に嫌がらせだから、認識改めようぜ。」
「マジそうっすね。
姉貴もその叔父に酒ぶっかけて、
ブチギレてましたもん。」
「すごいな、丸井姉。」
俺は30歳を過ぎて未だに結婚してない。
これはたぶん、俺の人間不信のせいだと思う。
都心では未婚は多いとよく聞かされたが、
それを言った上司は結婚していたし、
独身を貫いている知り合いも少なく、
実感はなかった。
地元に帰ってくると毎年、中学の同級生だった
誰それの結婚だとか子供の報告を聞かされた。
俺にとって一番興味のない話だ。
田舎の娯楽は祭りとセックスしかないのか。
これもステレオタイプだと言われそうだが、
おかげでデリカシーがまったくない。
専務も経理やパート相手に
セクハラ発言を平気で行い、肝を冷やす。
悩みの種はほかにもあった。
◆ 02 見えてる地雷
阿畑という中途採用の社員がいる。
勤続年数は10年とそこそこ続いているが、
役職はパートの仕事管理という閑職で、
俺が挨拶をしても返事をしない。
挨拶くらいはまあいい。業務と関係ないし。
いまどき人間関係重視とか言い出せば、
体育会系の脳筋野郎だと思われかねない。
同じ会社の従業員であろうと、
ストレスにならない程度の
適度な距離感は大事だ。
年始にいきなり社長の悴がやって来て、
課長という肩書きなので不満があるらしい。
とは、偉大なる先輩、丸井くんの偏見。
課長という役職を与えられた俺には、
威厳どころか肩書相応の権限さえない。
しかし面倒なので誤解を解く気もない。
業務全体の仕事の流れを把握するため、
阿畑さんの仕事も確認しなければならないが、
その仕事はなんとも効率が悪くミスが多い。
「これ、修正漏れですんで、
阿畑さんがちゃんと見直してください。」
「あぁ? なんで?
パートに言っといたのに…。」
阿畑さんは常にぼそぼそと
可聴域ギリギリの音圧で
しゃべるので聞き取りづらい。
ほかの従業員は慣れているそうだが、
読唇術の講座でも受けるべきか。
「いま言っている修正指示に、
パートさんは関係ありません。
僕は管理者の阿畑さんに言ったんです。
よろしくお願いします。」
「チッ!」
ぼそぼそした返事の代わりに、
よく聞こえる舌打ちをいただく。
阿畑に間違いを指摘すると、
その都度言い訳を並べ、
パートに責任転嫁をする。
彼には自身の認識の誤ちを正し、
勤務態度を改めて貰うのが恒例となった。
同じことは何度でも言葉を変え、
相手に理解されるまで粘った方がいい。
指摘して修正したはずの在庫の数字は、
阿畑というクラウド事業者を介すと
修正前に戻る同期ズレが起き、
俺の残業の主な要因ともなった。
社長は彼の尻拭いを、
俺に押し付けたのではなかろうか…。
10年勤務していてあの様子では
解雇した方がマシな気がするが、
注意欠陥などの可能性もあり、
馬鹿な俺でも気軽に踏み込みはしない。
採用した人事が悪い。
つまり専務か、社長になるが――、
現在の責任者は俺なので不問とする。
春が近づき会社が繁忙期に入ると、
俺は忙殺され阿畑どころではなかった。
それでも通常業務時間は6時間と短いので、
徹夜続きで夜逃げされた以前の会社とは
比べるまでもない優良企業である。
悪徳企業に騙されていなければ…。
忙しくとも仕事を覚えてくると、
効率化を進める余裕ができる。
在庫の確認という阿畑任せの仕事も、
入荷と注文・発送の状況から、
数値のおかしな点はすべてAIに
評価させる仕組みをしれっと導入した。
こうした効率化は得意だが、
説明すると仕事が増やされるので、
誰にも広めないのが労働のコツである。
たとえ阿畑に教えたところで、
知恵の樹の実にはならない。
必要以上の面倒には関わりたくはない。
特にパートの中には、同世代で主婦もいる。
藪をつつくも同然だ。
阿畑は阿畑で、パートに指示を出し、
業務を管理する役目がある。
不可侵領域だ。と、自分を納得させる。
利口な過去の自分のおかげで俺は、
自分で自分の首を絞めることになった。
◆ 03 専務の椅子
暖かくなるとおかしなやつが出てくる。
春の陽気に当てられたのか、
娯楽の足りない田舎の狂気か、奇祭の奇習か。
こんな考えもステレオタイプか?
親父が検査入院することになり、
俺は休日だというのに出社して、
社長室にある印鑑を押すという
お使いをさせられる。
地元の催しに参加して
腰の具合が悪化したらしいが、
病院は暇で死にそうだとボヤいていた。
社長には、お大事に。と、
社交的なメッセージを送っておいた。
俺は忙しいです。とは送らない。
自分の仕事の効率化を楽しんでいるからだ。
入社4ヶ月目で社長代理にまで上り詰めたが、
給料は時給計算するとパートと同等だ。
前より下がった気がするが、
気のせいではない。ここは悪徳企業だ。
誰もいない休日の会社には、
防犯装置が切られていた。
それとも前日の帰りに
誰かが装置を入れ忘れたのか。
最後に会社を出るのはいつも俺だが。
誰もいないはずの社長室の扉をあけると、
専務とパートの中年女性が一緒になって
社長室で田舎の奇習を催していた。
専務は60手前だというのに、お盛んなことだ。
俺はスマホを取り出して録画を始め、
あ然とするふたりに対して質問を投げかけた。
「警察呼びますか?」
「待ってくれ!」と、先に専務が慌てる。
「合意の上ですか?」
パートの女性も慌てて首を縦に振る。
ここで嘘でも否定されれば大問題だ。
お互いたぶん既婚者だろう。
不倫かぁ…。
まぁ、そうでなくても普通に問題だ。
「ここに入ることを、
社長が許可しましたか?」
「話を聞いてくれ!」
「まだ始めたばっかりなのに…。」
おあずけを食らっても残念がる女性。
首輪までするのは、どこの風習だろう。
「事情があれば弁護士さんに
相談してください。」
「なにが目的だ! あっ…
カケルくんも加わるかっ?!」
「その発言もセクハラなんで、
記録しときますね。」
専務はお気楽セクハラ発言によって、
飼い主様である女性にムチで生尻を叩かれた。
れっきとした暴行だが、同意の上であり
プレイの一環として俺は無視した。
「専務は退職希望ですか?」
「いや、いやだ! 定年間際に…。」
この会社に定年なんてあるんだろうか。
ただ、こんな田舎では
再就職は難しいかもしれない。
「それじゃあ専務。
誓約書、書いてください。
もう二度と、このような真似はしませんと。
もちろん、ふたりでしてました。
なんて内容は求めませんから、
安心してください。」
力強くうなずく専務の悲壮な顔。
プレイの最中でなければ多少の同情もできた。
こうして俺は専務よりも偉くなってしまった。
休日出勤。給料は据え置き。
以来、わずらわしかった
専務の日頃のセクハラ発言も、
俺の前では完全に鳴りを潜めた。
その後のふたりの関係が
どうなったかは興味ない。
隔週に行われる研修にも協力し、
パートたちへの参加も促してくれた。
専務と目が合うと
ひどく怯えるようになったが、
そういう趣味の人という認識になり、
気の毒と思うほどの余裕は俺になかった。
結婚しても、不倫をする人はいる。
どんなに信じていようとも、
裏切られるのは一瞬だ。
だから俺は他人に期待しないんだろう。
◆ 04 焼畑農業
この会社は問題が多い。
会社がパートを雇っているのは、
専務との不倫を奨励するためではない。
当然、人手を必要とするためだが、
商品の梱包以外にも発送伝票の作成を
手書きで行うのは時間がかかり、
書き損じや伝達ミスも発生しやすい。
そんな理由で、管理者の阿畑を介する
確認作業が工程に含まれている。
しかし誰を介したところでミスは生じる。
ミスのない人間なんて存在しない。
手書きにこだわる必要もない。
もう古い会社なので機器の導入も遅れ、
おざなりにした結果といえる。
そんな阿畑が問題を起こした。
と、決めつけるのは良くないが、
阿畑を嫌ったパートたちが
一斉に辞めてしまった。
発端は在庫の不一致であった。
それをパートのせいと決めつけ、
阿畑は自分の責任を無視した。
よくある在庫トラブルだが度々社員や経理が、
愚痴や陰口をパートから聞かされ続けた。
まずこれが根本的に間違っている。
愚痴や陰口で解消する問題など存在しない。
在庫については俺も確認しているが、
注意力に欠ける阿畑を介してはいないので、
原因は別にあると推測した。
もちろん、パートが辞めたくなる要因が
ほかにもなにかしらあったのだろう。
人間関係のいざこざ以外なら、
他所のほうが給料がいいとか?
それならば、遅かれ早かれである。
社員の阿畑と、大勢のパート、
どちらを擁立するかといえば、
会社は決まって社員を優先する。
該当社員に非がなければの前提。
しかし残ってくれたパートの
作業の負担も早めに軽減・解消
しなければいけない。
丸井くんに穴埋めして貰い、
俺がひとりで商品の集荷に回ることになった。
阿畑の仕事量が増える点については、
自業自得と思って貰おう。
パートの募集から採用までは
時間がかかるので、俺はこれを期に
いままでやっていた手書きの発送伝票を廃し、
専用機器の導入を新たにゴリ押した。
社長の悴という外から来た人間が、
権限で現場を混乱させるのはよくある話だ。
発送伝票を専用機器で印字させる作業は、
覚えてしまえば難しくはない。
専門知識や、高額なリース料が必要でもない。
こんな作業はだれでもできる。
パートで伝票を作成していた工程が、
受注担当が伝票を作成するようになったので、
まぁ、渋い顔をされたが、専務に相談して
給与を少し上乗せするようにした。
ありがとう、専務。
そんな業務改善をしたところで
俺の給料が上がるわけもなく、
仕事は増えるばかりだった。
迷惑ついでにもうひとつ。
専務にあるお願いをしたら、
彼まで渋い顔をした。
「僕もこんな卑劣な手段、
使いたくありませんが…。」
俺はスマホの画面を専務に見せた。
専務に書いてもらった例の誓約書の写真。
スマホをひったくって画面に食い入るが、
マムシに噛まれた犬のような顔をして、
とても快く引き受けてくれた。
ありがとう、専務。
いくら相手を信用したところで、
他人は自分の思い通りには動かない。
それならば信用の有無に関係なく、
利害関係で動くように仕向けるしかない。
こうやって出しゃばるので、俺の仕事は
雪だるま式に増加と変化を繰り返す。
増やした仕事で関係各所を連携させるべく、
さらにあちこち回るようになった。
雑用に変わりはない。
◆ 05 重力の井戸
「ウチの姉貴が、パートで
手伝ってくれるそうっす。」
「ほんと? いいの?」
丸井くんはいい子だ。
丸井姉もきっといい人かもしれない。
人事に関わらないから知らないけど。
丸井くんの口調はやや軽薄だが、
俺が頼んだ仕事はやってくれるし、
自他に関わらず失敗したら支援もする。
普通と言ってしまえばそれまでだが、
普通のことができる人はそうそういない。
なにより俺より体力がある。
給料を上げてやりたいが、
課長という肩書きはあっても権限はない。
俺も給料は上がってない。なぜ…?
「姉貴は性格的に、
阿畑さんと相性悪いと思うっすけどね。」
「ビール瓶で殴るような姉さんだろ?」
「悪役レスラーじゃないっすよ。」
セクハラを受けて、その親戚に
酒をぶっかけた人だった。
普通ではなさそうだ。
「事件起こさなければいいよ。」
「姉貴はずっとバンドやってたんで、
ドラムスティックで突っつかれるんす。」
「へぇ、ドラマー? 頼もしそうだ。
それでウチでパートとか…、
辞めちゃったの?」
「メンバーがみんな結婚して
解散って愚痴ってたっすね。
ヘルプもないんで暇だそうっす。」
そんな丸井くんの姉というのは、
遠目に見ても驚くほど赤い髪をしていた。
丸井姉を含む新入りのパートさんらに、
梱包業務を教えるのは阿畑の仕事だ。
だが丸井姉の険のある容姿に阿畑は怯み、
いつも以上にぼそぼそと喋り、
いつも通りに失敗を繰り返した。
その度に誰にでもなく舌打ちをするのだが、
新人の彼女は気にもせず手際よく仕事をし、
パートの先輩たちにも評価されていた。
丸井姉は同期である新入りのパートにも
業務を共有するため、動画撮影をし
マニュアルを作り、業務時間外でも
復習できるようにしていた。
「そんなのダメだろ! 機密情報だ!」
「それ言うなら、個人情報っすね。」
と、阿畑は丸井姉本人にではなく、
荷降ろし中の弟の丸井くんに息巻くのである。
「どうなんすか? カケルさん。」
きょう一番デカい声の阿畑だが、
どうやら興奮していてトラックの荷台に
俺がいるのをお忘れのようだ。
「会社の機密はパートには扱わせないし、
少人数で回している現状の業務が、
少しでも早く改善されるなら
会社としてはなにも問題ありません。
個人情報の取り扱い程度なら、
秘密保持契約書をパートも
当然、読んでサイン貰ってます。
阿畑さんがその動画を確認して、
許可を出せば済む話ですよね?
もし、勤務態度に問題があれば、
持ち場を離れて無関係の部下を責めないで、
彼女を採用した上長に相談すべきです。
で、伝えておいた梱包材の発注は
やってくれましたか?」
「チッ!」
阿畑はうめき声のあと反論もせず、
素直に舌打ちによる返事をいただいた。
しかしこれもパワハラになるので、
次回の研修で厳しく言っておこう。
「責めまくりっすね、カケルさん。」
「いやでも、すごいな、姉ちゃん。
マニュアル作る発想と胆力が。」
「義理なんすけどね。」
「へぇ。」興味なさそうにするのが一番だ。
「姉貴は親の再婚相手の連れ子だったんすよ。
俺と違って頭はめっちゃいいっす。
有名進学校通ってたくらいに。」
「それがドラマーに?」
「再婚するときに姉貴が反抗期で
警察に補導されて、うちのオヤジが
趣味だったドラムを教え込んだんすよ。
普通の高校に編入させてまで。」
「わははっ。おもしろっ。
丸井くんはやらなかったの?
ギターで親父殴るとか。」
「んなことしませんって。
ギターないし。あんのかな?」
ギターの有無はどっちでもいい。
「丸井くん、反抗期どうだった?
想像つかん。」
「反抗期の姉を間近で見ると、
そんな気起きないっすね。マジで。
カケルさんはあったんすか?
反抗期。」
「親にはめちゃくちゃ反発したな。」
「なにしたんす?」
「中学のときに買って貰った
スマホ失くして、その罰でずっと
キッズスマホ持たされたんだよ。」
本当はスマホを盗まれたのだが、
説明も面倒なので黙っておいた。
「ひっでーっすね。
だから親の会社継がずに、
IT系行ったんすか?」
「あまり関係ないかな。
嫌なことあってもだいたい忘れてるし。
じいちゃんとばあちゃんが
立て続けに亡くなって、
反抗期とかどうでもよくなった感じ。
とはいえ地元にいるのが嫌で、
就職は遠くを選んだわ。」
「んでも戻ってきちゃったんすね。
そういうとこ、姉貴と同じっすね。」
秀才でドラマーになったロックな丸井姉と、
馬鹿なバスケ部員からIT系で地元を離れた
正反対な俺の、一体どこが似ているんだ。
結局地元に帰ってきてしまったのだから、
似たようなものか…。
にしても、地元という重力は、
どこにでもあるのだろうか…。
◆ 06 記録と記憶
「私、やってません!」
「じゃあなんで無いんだよ。」
「わかりませんよ。
でも在庫確認は、阿畑さんの仕事です。」
「いや、昨日確認したときは
ちゃんとあったんだよ!」
商品の欠品がふたたび発覚した。
入荷して注文を受け付けたが、
発送の段階で欠品が起きる奇跡。
もしくは単純にエラー。
これを阿畑がパートのせいにするので、
そんなときがあれば俺を呼び出してと、
受注担当の先輩社員らに頼んでおいた。
今回は、丸井姉に責任を押し付けていた。
あんなに臆病だったのに成長したものだ。
方向性が間違っているけどな。
阿畑は女性相手だと強気に出るので、
職場の割り当てそのものが間違いなのだ。
しかし俺はホッとした。
「殴り合いが始まってなくてよかった。
で、どうしたんですか?」
「この新入りが盗んだんだよ。」
「私が取ったって、根拠あるんですか?」
「逆ギレするな!」
在庫管理の阿畑に責任はあるが、
問題を無視してきた会社にも責任がある。
「阿畑さん。」
「なに!」
「あれ。」俺は天井を指差す。
天井に貼り付いた白色の機器。
機器の中央には半球状のレンズ部分が見える。
照明器具ではない。
以前、専務にお願いして休日に導入したが、
パートが大量に辞めて間もなく
慌ただしかったので気づく人は少ない。
「なんだと思います?」
「もしかして、カメラ?」
丸井姉がぼそりと言った。
「何度もおんなじトラブル起こして、
僕が無視してると思います? 阿畑さん。」
さきほどまでの威勢はどこへやら。
俺を嫌っているだけなら普段は
舌打ちで返事をするが、
なにも喋らなくなってしまった。
「で、これがWi-Fi対応。あのカメラの映像は、
このスマホからでも見られるわけですよ。
そりゃ機密や顧客情報は渡さないけど、
阿畑さんやパートさんに委ねるのは
大事なウチの商品ですからね。」
動画を開こうとしたが、
阿畑は俺からスマホをひったくり、
鬼の形相で床に投げつけた。
「あっ!」
「知るか! こいつがやったんだよ!」
「そうやって証拠隠滅を図ろうとしたわけだ、
スマホにしか動画がないと思って。
クラウド保存されてるんで、
物理破壊しても無駄ですよ。」
「チッ!」
阿畑は舌打ちして脱兎のごとく逃げた。
見事な職場放棄っぷりに、その場の誰かが
なにかを言うのを待ったほどに。
「すみませんでした。お騒がせして。
阿畑にはこちらから厳しく言いますので、
残っている作業を進めてください。」
「いえ、その、ありがとうございます。
私のせいで、ご迷惑を…。」
「迷惑かけたのは阿畑の方だからね。」
丸井姉はその違和感に言葉がまごついていた。
そう思っていた。
「あっ、あーっと…、尾鳥?」
「はい?」
この会社の社長は尾鳥。
社長夫人も尾鳥であれば、
その息子も尾鳥である。
「私、束刈。中学一緒だった。」
「たばかり…丸井くんのお姉さんでしょ?」
「いや、ウチは高校で母親が再婚して、
苗字変わったんじゃん。」
丸井くんから同じ話は聞いたが、
束刈家のそんな事情は知らない。
「へ? へぇー。げっ…。」
思いがけないかたちで、
俺の過去を知る人物に遭遇した。
前の会社に夜逃げされたときのように、
頭から血の気が引く。
青い記憶が蘇り、いまから阿畑の後を
追いかけて地元から逃げたくなった。
「なんだ、ここって尾鳥の会社だったんだ。」
重力というやつはこれだから厄介だ。
俺は重力に従い、スマホを取るべく
床に崩れ落ちた。
◆ 07 転がるふたり
阿畑の件は、画面が粉々になったスマホから、
専務に報告して尻拭いをさせた。
阿畑のロッカーには
欠品していた商品が隠されていて、
録画を確認するまでもなかったが、
一応犯行現場らしき記録を提出しておいた。
スマホの修理代は誰が払うんだろう…。
残業はいつもに増して長引き、
さらなる人材不足に悩まされつつ、
退社の際の防犯装置を作動させた。
自分で転がした雪だるまに巻き込まれる俺。
「お疲れ様です。」
いつもの装置の機械音声ではなかった。
暗闇の中で、真っ赤な人影が現れて
俺は肝を冷やした。
阿畑がさっそく八つ当たりの
報復にでも来たのかと思った。
そんな度胸があれば、窃盗の擦り|付《つ
》けなど
という珍事件は起きなかっただろう。
そうでなくてもあれから専務が、
サプライズで家庭訪問している。
阿畑の進退はわからないが、
無断早退と窃盗というふたつの
就業規則に反した社員を、
会社が守る理由はない。
「えーっと、丸井くんのお姉さん…。」
「束刈でいいよ。」
一応会社では丸井名義なので、
俺が彼女をそう呼ぶのはおかしい。
「本当に、ごめん…なさい。」
丸井姉こと束刈は砂利の駐車場で、
突然、両膝をついて深く頭を下げた。
この謝罪は阿畑の件ではない。
俺は彼女の反抗期の被害者でもあった。
「あのときは、本当に、迷惑かけて、
ずっと謝ることもできなくて…。」
そして俺が地元を離れたかった理由のひとつ。
人間不信の原因。
まぁ過ぎたことだし、お互い水に流そう。
と言いたくもなる面倒臭さが勝った。
しかし慰めたところで、
相手は満足しないだろうし、
いまさら怒ったところで嘘臭い…。
年を取って摩耗し、鈍感になった。
むかしほど無敵さはないし、
向こう見ずな馬鹿でもない。たぶん。
「尾鳥が中学のとき、失くしたスマホ。」
スマホを盗まれ、
キッズスマホを持たされた。
俺の冴えない反抗期の要因。
「催合って女子いたでしょ?」
「…居たような気がする。
リーダー格みたいな子だっけ?」
「尾鳥のスマホ盗んだところを私が見て…
脅されて、言い出せなかった。」
「へぇ…。」
本当にいまさらな話にそっけない本音が出た。
盗んだ犯人は誰だっていいし、
失くしたものも戻ってこないし、
過ぎた時間は戻らないし、
結果は変わらない。
雪玉を逆回転させたところで、
積もり積もった雪の上では
雪だるまは大きくなるだけだ。
「でも私が、全面的に悪いんだし、
許して欲しいっていうのも違って…。」
じゃあなんで謝ってるんだろう…。
「謝っても意味はないんだけど…。」
心の中を読まれた気がした。
読心術の講座でも受けているのか。
「これって…自己満足?」
言った束刈が首をかしげた。
「ははっ。なんだそれ。」
「いや、だって…。」
謝罪の途中で疑問を浮かべて開き直る束刈は、
俺に怒られないどころか笑われて不思議がる。
「で、いまはバンドマンなんだっけ?」
「いや、解散したから。それ。」
そういえばそんな話を聞いたが忘れていた。
「ライブのスケジュールはないんだ。」
「そりゃまあ…、こんな土地で
弟の職場のパートやってるんだし。」
あの束刈かぁ…。
という気持ちもまだシコリのように存在する。
もう20年近くも前のことだ。
「嫌なことならもう忘れた。忘れたい。
俺は他人に期待しないし、信じない。」
「ごめん…なさい。」
彼女は砂利でスネが痛くなったのか、
足を崩そうとしている。
俺は強要してない。パワハラではない。
おまけに業務時間外。
「丸井くんのお姉ちゃんだし、
全く信用してないってわけもない。」
身内ならば、どちらかの失敗で
もう片方の信用を落とすことにもなる。
俺には利害関係を示して、
他人を動かすことしかできない。
「一緒に会社を手伝ってくれたら、
俺も助かる。」
誰にも期待や信用はしてないが、
そんな俺でも許すくらいはできる。
ミスのない人間なんて存在しない。
しかし丸井姉、束刈は
素の表情で首をかしげた。
「えっ? なにそれ、…プロポーズ?」
「違うわ!」
見当違いも甚だしい。
膨れ上がった雪玉は、
変な重力でも生み出すのだろうか。
(了)
あとがき
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