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ドイツ歌曲の楽しみFreude am Lied㊼

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

47曲目もシュトラウス♬…ひとかけら、届くかな

リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss(1864-1949)作曲
わたしは漂う Ich schwebe Op.48-2

                 ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

わたしは天使の羽がついているかのように漂う
足はほとんど地についていない
恋人の別れの挨拶がいまだ
私の耳の中に響いている

それは愛らしく優しくそっと響き
ためらいがちに繊細に清らかに話しかけ
その残響は軽やかに喜びでいっぱいの夢の中へ
わたしを誘う

甘いメロディーがわたしを満たしている一方で
わたしの眩し気にまたたく瞳は
なんのシワも覆いもなくハッキリ見つめている
恋人が笑いながら通り過ぎていくのを

ドイツの詩人カール・ヘンケルKarl Friedrich Henckell(1864-1929)の詩による。

恋人との甘いひとときの後、日が高くなってから目覚め、ちょうど今恋人が部屋からそっと出ていく…。その姿をまどろみながら幸せに見つめている…。愛に満ちた平和な曲です。前奏のピアノは6度音程のスカスカの重音の連用で、なんとも心もとない印象ですが、それがフワフワと浮いている情景をピタリと音化しています。歌声部の最初のフレーズは1点ホ音から2点イ音までの音域を4小節もかけて大きなラインを一筆書きするかのように歌われます。歌い手は音と音の間をまるでバスケットボールの選手のように(または未来少年コナンのように!)滞空時間を長くとって歌わなければなりません、なにしろこの曲のタイトルは「私は漂う」“Ich schwebe”なのですから。時折挿入される休符はもう一度宙に浮くために地面に軽く足をつくステップに他なりません。驚くべきことに第2節の歌声部には一つも休符がありません!ずっと漂い続けているのです。第3節に入るまえの短い間奏でやっと地上に降り立ちますがピアノのクレッシェンドによってステップは加速し歌声部は再び宙に飛び上がります。すると時間が止まったかのような静寂の音楽に一変!一瞬という時間が引き伸ばされたかのような錯覚に陥ります、「あの甘い時間は夢か幻か…」。そして最後の2行はまるで答え合わせのように愛の確信に満ちて「恋人をはっきり見つめる」と躍動感をもって歌われます。後奏では再びまどろみに落ちてゆく様子が描かれていますね。

私は恋の歌の説明に「浮かれポンチ」という言葉をよく使います。寝ても覚めても頭にあるのは恋人のことばかり…という、世界がばら色に染まってしまっているあの状態を表すのに、これ以上適している言葉はないのではないでしょうか? そして人は浮かれポンチになってしまうと、足が地から浮いたような、フワフワした、くすぐったい感覚を身体の真ん中に抱きます。この曲はまさにその状態を歌ったもの。そう、まるでシャガールの描く恋人たちのように…。



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