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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㊲

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

37曲目はシェーンベルク!…ひとかけら、届くかな?

アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg(1874-1951)作曲
キャバレーソング Brettl-Liederより
ガラテアGalathea
                ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

ああ、欲求で僕は燃え立つ
ガラテア、なんてかわいいんだ
君の頬にキスしたい気持ちでいっぱいだ
だって、とても魅力的なんだもの
 
僕に起こった、どうしようもない喜び
ガラテア、なんてかわいいんだ
君の髪にキスしたい喜びでいっぱいだ
だって、その気にさせる髪なんだもの
 
だれも僕を止められない、死んでしまうまで
ガラテア、なんてかわいいんだ
君の手にキスしたいんだ
だって、その気にさせる手なんだもの
 
ああ、君にはわからないよ、僕がどんなに燃えているか、
ガラテア、なんてかわいいんだ
君の膝にキスしたくてたまらないんだ
だって、その気にさせる膝なんだもの
 
そして僕はそうしないわけにはいかない、
いいコちゃん、なんてかわいいんだ
君の足にキスしないではいられないだ
だって、その気にさせる足なんだもの
 
でも君の唇は
僕のキスにあらわにしちゃだめだよ
魅力でいっぱいのその唇にキスするのは
ファンタジーだけなんだ

詩はドイツの劇作家フランク・ヴェーデキントFrank Wedekind(1864-1918)による。性的な愛を世界の根源的な力とうたい、仮面をかぶった市民社会に大胆に挑戦した作家ヴェーデキント。その彼らしい官能的な詩。

 ガラテアGalatheaという女性にぞっこんの男性の歌です。華やかなピアノの前奏はまるで「ああ、たまらなく素敵だ~!」と髪の毛をかきむしって身をよじる男性の姿を表しているようですね。歌はムラムラと湧きおこる感情のようにじわじわと上行形で始まります。第2節の最初の「喜びWonne」で感情が爆発し、その余波の中、「だって可愛いんだもの」と言い訳のようなフレーズが続きます。この“湧きおこっては爆発し、少し反省…”は全部で3回(第1節と第2節、第3節と第4節、第4節と第6節の3セット)繰り返されます。頬から髪、手、ひざ、足、そして口。ガラテアの頭から、足の先までなめるように褒めたたえて、そして上半身の口に戻ってきます。ここで男性は「おっと、ここは聖域だ。君の口にキスできるのはファンタジーだけなんだ」と理性をかき集めて、彼女の神々しいまでの姿を崇めるように結びます。最後の「その唇にキスするのはファンタジーだけ」の旋律をピアノはエコーのように響かせます。それは男性をなだめているようにも聴こえます。
 ここまであからさまでなくとも、皆さんもこのような感情を抱くこと、ありますよね?「うーん、たまらない!!」という感情です。恋愛でなくても、例えば可愛い猫を思わずギュッと抱っこしたり(ウンニャ!と拒まれて終わりなのですが)、素敵な音楽に出会って憧れで身体の芯がぎゅうっとなったり…。この「たまらない!」という感情、生きてることを実感するものですよね。たくさんの「たまらない!」を皆さんに!
届くといいなぁ…


 シェーンベルクは若い頃(1901年~1903年ごろ)ウィーンで仕事に活路を見い出せず、ベルリンに移り住んだ時期がありました。そこで生計を立てるためキャバレー・ブレットルで指揮や作曲の仕事をしていました。その時に書かれたのがBrettl-LiederキャバレーソングBrettl-Liederです。当時のベルリンのキャバレーは文化人の集うサロンのようなもので、シェーンベルクにとっても、この詩の作家ヴェーデキントや小説家ビーアバウム、詩人デーメルなどとの出会いの場になっていました。無調音楽を追求し、12音技法を確立したことで知られるシェーンベルクですが、初期にはこうした後期ロマン派の作風のもので基盤を築いていたのですね。

以下に以前この曲を歌った時の解説を張り付けてみます。参考にして頂けると嬉しいです。

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アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg(1874年9月13日生 1951年7月13日没)
 ウィーン生まれ、両親をユダヤ人に持つがキリスト教徒として育つ。十二音音楽の創始者。弟子のベルク、ウェーベルンと“ウィーンの三位一体”と称され、後期ロマン主義から現代音楽へ大きく歩みを進めた立役者。父親を早くになくし、苦しい家計のなか、独学で音楽を学ぶ。1894年20歳のときに2、3ヶ月間ツェムリンスキーに対位法を学んだのが唯一の音楽教育だった。ツェムリンスキーとはその後も彼のオペラのピアノ編曲をするなど音楽活動を共にし、1901年には彼の妹マチルデと結婚して、その友情は終生続くことになる。ウィーンで無調音楽、十二音音楽と革新的な作曲技法を打ち立てていった彼の音楽活動は、1933年のドイツ・ナチス政権の誕生と共にアメリカに場所を移す。(その際ナチスのユダヤ人政策に反対の意を表してユダヤ教に改宗している。)亡命後は精力的に作曲活動をしながら、ボストンの音楽院やカリフォルニアの大学で作曲を教え、ジョン・ケージなど優秀な弟子を排出した。1940年にアメリカの市民権を取得、苗字をSchoenbergと自ら綴り、ショーンバーグと呼ばれた。1951年、喘息発作のためロサンゼルスで他界。ヨーロッパに帰ることはなかった。
 彼の作品で作品番号の付いているのは50あまりで、そのうち半分が声楽作品。シュプレヒシュティンメ(リズムと音高はあるが語るように演奏する手法)で書かれた歌曲集《月に憑かれたピエロ》、詩の朗唱を室内楽で伴奏する形式で書かれた《グレの歌》などでは、別の次元で、詩と音楽の融合がされている。

Brettl Lieder / キャバレー・ソング (19001年作)
 シェーンベルクは、ベルリンに作家のヴォルツォーゲンの設立した“ユーバーブレットル”というキャバレーに9曲の歌曲を書いている。そのほとんどはキャバレースタイルの詩を集めた本《ドイツ語のシャンソン》から歌詞をとっている。
・  Galathea / ガラテア
 フランク・ヴェーデキントFrank Wedekind(1864-1918)は性的な愛を世界の根源的な力とうたい、仮面をかぶった市民社会に大胆に挑戦した作家だった。その彼らしい官能的な詩。
・  Der genügsamer Liebhaber /分をわきまえた愛人
プラハの詩人フーゴー・ザールスHugo Salus(1866-1929)の詩による。ふさふさの毛並みの黒猫を飼っているふくよかな女性に、自分も猫のように撫でてもらいたくてとった禿げ頭の男の行動とは―。
・  Gigerlette / ギゲルエッテ
オットー・ユリウス・ビーアバウムOtto Julius Bierbaum(1865-1910)はシュトラウスの歌曲でお馴染みの詩人。ギエルレッテ嬢の家にお茶にまねかれ、有頂天の男の歌。


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