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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied⑦

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

7曲目はヴォルフのイタリア歌曲集の中から♪ …ひとかけら、届くかな?

ヴォルフ Wolf:小さなものでも Auch kleine Dinge
               ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

小さなものでも魅力的なものがあるわ
小さなものでも尊いものがある
考えてもみて どれだけ私たちは真珠を喜んで身に着けるか
高値で取引されて あんなに小さいものなのに
それからオリーブの実も あんなに小さいのに
とても貴重なものとして扱われているわ
ほら 薔薇の花のことを考えてみて
あんなに小さいのに 良い香りがするでしょう?
皆さん ご存知の通り


詩はドイツの詩人パウル・ハイゼ Paul Heyse(1830-1914)が、イタリアの様々な地方の世俗詩を集めドイツ語に翻訳して編んだ詩集『イタリアの歌の本 Italienisches Liederbuch』(全375篇)の中の一つ。オーストリアの作曲家フーゴ・ヴォルフHugo Wolf(1860-1903)はその中から46篇を選んで『イタリア歌曲集Italienisches Liederbuch』を作曲した。

 皆さんは何かお気に入りの小さなものをお持ちですか?例えば…ビーズの指輪や四葉のクローバーの押し花、翡翠のような銀杏の実!そして…小さい歌曲。
 「小さなものでも」というこの曲は前出の『イタリア歌曲集』の第1曲目に置かれています。どれも見開きで終わってしまう“小さい”歌ばかり46曲が連なっています。男女の愛を歌っており、ケンカあり、仲直りあり、片思いあり…と様々なラブソングが集められています。その冒頭をこの曲が飾っています。
 ピアノパートは、まるでお気に入りの小さいなものを一つ一つ挙げていくように始まります。それらに見惚れてため息をつくように歌が続きます。真珠、オリーブの実、そして薔薇を例に挙げて、いかに小さいものが素敵かを説いていきます。少しお喋りが過ぎたことを反省するかのように歌は「皆さんも良くご存知の通り」と締めくくります。
 この曲を初めて知ったのは私がまだ埼玉大学に通っていたころでした。ピアノ専攻の友人がバーバラ・ボニーのCDを貸してくれたのです。世の中にこんな素敵なものが存在するだなんて!とすぐに私も大学の生協で同じCDを注文、その中の曲を全部勉強しました。音楽への純粋な憧れに目覚めたきっかけだったかもしれません。人生はこうしたささやかな出来事の連続…。そんなささやかなものの中にこそ、本当に大切で素敵なものはあるのでしょうね。“小さなもの”に幸せを感じられる、そんな余白のある日々を過ごしていけたらなぁと思います。


 以下に以前ヴォルフの『イタリア歌曲集』を歌った際書いた解説の一部を張り付けてみます。作曲家について知ることは、曲の“生まれ”を知る一つの手段。“生まれ”を知ると、その曲との距離がぐんっと縮まって仲良くなれるのです。​

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フーゴー・ヴォルフHugo Wolf(1860-1903)
フーゴー・ヴォルフは音楽好きな商人の家に生まれ、幼い頃より父の音楽教育を受けた。1875年15歳でヴィーン音楽院に入るが学課を勉強しなかったため2年後退校処分となる。父の破産も重なりその後は独学で作曲を勉強する。批評家としても活動をしていたが1887年には作曲に専念することになる。ヴォルフは生涯に314曲のリートを残しており、うち7 割を超える作品を1888年以降に作曲した。その作曲期は、1888-1891年の中期と 1896-1897年の後期に分けられ、中期の最後には《イタリア歌曲集》第Ⅰ集が1890年10月2日から11月14日、及び1891年11月29日から12月23日にかけて、そして後期の最初には第Ⅱ集が1896年3月25日から 4月30日にかけて作曲されている。そして、中期と後期の間には、4年以上、リート創作のない時期が挟まれている。他にメーリケ歌曲集、アイヒェンドルフ歌曲集、ゲーテ歌曲集などがあり、そのほとんどが短期間に集中して作曲されている。一方で1890年ごろから十代以来の梅毒が悪化、あこがれていたオペラ作曲も失敗に終わり、次第に情緒不安定に陥っていく。1897年のリサイタルを最後に、精神に異常をきたし病院に収容される。狂気のまま5年を過ごし、1903年に満43歳を前に逝去した。





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