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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied㉛

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

31曲目はツェムリンスキー!…ひとかけら、届くかな?

ツェムリンスキーZemlinsky(1871‐1942)作曲
トスカーナ地方の民謡によるワルツの歌 Walzer Gesänge nach toskanischen Volksliedern Op.6より
私は夜にそぞろ歩く Ich gehe des Nachts 

                ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵

私は夜にそぞろ歩く、月がそうするように
私は探す、どこに恋人が連れて行かれたか
すると闇の死神に出会った
死神は言った「探すでない、おまえの恋人は私が埋めた」

詩はイタリアのトスカーナ地方の民謡をドイツの歴史学者フェルディナンド・グレゴロヴィウスFerdinand Gregorovius(1821-1891)が独訳したもの。

 死神が登場するので白黒の映像にしてみました。真っ暗な夜道をいなくなってしまった恋人を探している歌です。ざわざわと不安に鳴り響く前奏は不吉な予感。こんな夜中にうろうろしているのは月と「私」ぐらい…と歌が始まります。短い間奏で「私」はどうにか足を進めますが不穏な空気が纏わりついてきます。すると突然目の前に死神が現れます。その声が恐ろしい事実を告げます。それまでは複雑な和声の上を飛び回るようなメロディラインで歌われていたのに、死神のセリフはお経のように、一本ラインで単調に歌われます。2度目の短い間奏で「私」を声にならない悲鳴が貫いていきます。その後最初の2行が繰り返されます。最初とは微妙にメロディが変えられています。一度目は「どこかしら?」とぼんやり問う音型だったのが、二度目は「そんなはずない…!」と小さく首を横に振る音型になっています。「私」は恐怖に気が狂ってしまったのでしょう、ぶつぶつと何やらつぶやきながら夜道に消えていきます。
 ピアノの分厚い響きと大胆な跳躍を伴った歌のメロディラインがブラームスを思わせます。けれどもこの作曲家ツェムリンスキーはブラームスのように自由には歌わせてくれません。歌い手はしっかり曲にしがみつくことを余儀なくされ、あれこれ考える前に曲の中に引きずり込まれてしまうのです。もう曲に身を任せるしかありません。楽譜上にくっきりと正解が描かれているのです、とても注文の多い作曲家ということです。逆に、表現を間違うことがないので楽チンな曲とも言えますね。

 
 ピアノの松井理恵さんがインスタグラムで次のように↓紹介してくださっています。

ツェムリンスキーからホラーな一曲💀   
月夜に恋人を探し歩いていると、
そこに死神が!
彼はこう言った。
「探したってムダさ、恋人は埋めちまったからな…」   …     
  ヒィィィィィィァァァァァアア            
な感じですが、雰囲気出てるでしょうか💀💀💀
もっともっと怖くしたいです👻 

 「ヒィィィィィィァァァァァアア」は先の解説の“声にならない悲鳴”の箇所ですね(あ、声になっていますね💦)。この文字の並び、ちょっと笑ってしまいました。

 以前、ウィーン世紀末を特集したコンサートを歌った時に、『トスカーナ地方の民謡によるワルツの歌 作品6 / Walzer-Gesänge nach tosukanischen Liedern Op.』全6曲を歌いました。その時のプログラムノートの一部を以下に張り付けてみます。

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アレクサンダー・ツェムリンスキーAlexander Zemlinsky(1871年10月14日生 1942年3月15日没)  
ウィーン生まれの作曲家、指揮者、音楽教師。両親はユダヤ教。ブラームスがシューマンに見出されたように、ツェムリンスキーはブラームスの有力な後押しに恵まれた。彼の作品は感情に溺れることなく冷静な計算と客観性で組み立てられていて、後期ロマン派を一歩踏み出した知的な作風を示している。マーラーも彼の才能を認め、1900年にツェムリンスキーのオペラ《昔々》を宮廷歌劇場で指揮して初演している。ツェムリンスキーの一番の親友はシェーンベルクだった。二人は1904年にマーラーを名誉会長に据えて「創造的音楽家協会」という現代音楽推進団体を設立し、新しい音楽を発表していった。またツェムリンスキーは、シェーンベルク、エーリヒ・コルンゴルト、そしてマーラーの妻となるアルマ・シントラー等に作曲を教えた優秀な教師でもあった。(ツェムリンスキーとアルマとは恋仲であったが、結局アルマは当時スーパースターであったマーラーを選び1902年に結婚してしまう。)そして指揮者としても、1906年にウィーン・フォルクスオーパーの初代首席指揮者に任命されたのを初め、プラハ・ドイツ国立劇場(プラハ国立歌劇場の前身)、ベルリンのクロールオーパーと、活躍する。ウェーベルンの指揮者としてのキャリアの手助けなども厚くしていた。ナチス・ドイツの台頭に伴い、1933年にウィーンに逃れるが、1938年にはアメリカに亡命を余儀なくされる。アメリカで活躍したシェーンベルクとは異なり、英語の話せないツェムリンスキーは見知らぬ土地で、病気がちになり、作曲が続けられない身体になって、1942年ニューヨーク州ラーチモントで肺炎のため逝去した。
 彼の作品は 得意とした室内楽曲のほか、2つの交響曲、8つのオペラ、10以上の歌曲集、バレエ音楽に劇音楽と多岐にわたる。「ワーグナー以降の作曲家で彼以上に優れた音楽的実質を持って劇場の要求をみたすことができた作曲家を私は知らない。」とはシェーンベルクの言葉。近年再評価の機運が高まっている作曲家である。
 
✵トスカーナ地方の民謡によるワルツの歌 作品6 / Walzer-Gesänge nach tosukanischen Liedern Op.6 ✵
ドイツの歴史学者フェルディナンド・グレゴロヴィウス(1821-1891)の独訳。短い歌曲ばかりだが、そこここにブラームスやR.シュトラウスを思わせる響きがあり、伸縮の幅の広い音楽になっている。1898年作曲。
・愛らしいツバメさん / Liebe Schwalbe ツバメさん、まだ寝ている恋人たちを起こしてあげて!そうしないと昼と夜が逆転しちゃうよ、と歌われる。
・不満そうに月が昇ってきた / Klagen ist der Mond gekommen 月が不満がっているのは、恋人の瞳があまりにも美しくて、自分のものである空の星を2つ盗られたと思っているから。
・小さな窓よ、夜にはお前は閉じている / Fensterlein, nachts bist du zu 窓というのは恋人の瞳のことで、昼間はパッチリ開いて僕を憧れで苦しめるが、夜は夜で閉じてしまって苦しめる、という歌。
私は夜、そぞろ歩く / Ich gehe des Nachts 死神の登場するぞっとする歌。
・青い小さな星よ / Blaue Sternlein 青い小さな星とは恋人の瞳のことで、幸せで目を輝かせる恋人に、そんなに目でおしゃべりをするものではない、と優しく諌める歌。
・手紙を書いたのは私 / Briefchen schrieb ich 手紙を書いては捨て、手紙を書いては雪と氷の鎖で束ね…、でも無駄なこと!結局君に思いを告げずにはいられないのだ、と強力な愛を歌う。
 

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