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ドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied③

生のコンサートでは“今まさにここで生まれる音楽”を共有していただける喜びがあります。その時間を1曲1曲切り取って“今まさに”のひとかけらでもお届けできたら!とお送りするドイツ歌曲の楽しみ Freude am Lied…

3曲目はシューマンの歌曲集『ミルテの花』から「くるみの木」♪ 
                      …ひとかけら、届くかな?

R.シューマン R.Schumann:くるみの木 Der Nußbaum Op.25-3
               
ソプラノ 川田亜希子 ピアノ 松井 理恵 

家の前に一本のくるみの木が青々と葉を茂らせている
良い匂いで
たおやかに
大きく枝をひろげている

枝にはたくさんの可愛らしい花が咲いている
おだやかな
そよ風が
吹いてきて、花を優しくゆらしている

花は二つ対になって、ささやきあう
頭をかしげて
身をかがめる
優しく、そっとくちづけしあおうと

花は乙女のことをささやきあっているのだ
夜も昼も
物思いにふけっている乙女のことを
彼女自身、何を考えているのかわからない

花はささやく…でも誰が気付こうか
こんなかすかな
調べを?
ささやいているのは来年のこと、花婿のこと

乙女は耳を澄ませ、木はさやさやと音をたてる
憧れて
あれこれ想像して
乙女は微笑みながら眠りと夢の中に落ちていく

詩はシューマンと同時代のドイツの詩人ユリウス・モーゼンJulius Mosen(1803-1867)によるもの。

 くるみの花をご覧になったことはありますか?初夏に開花し、雄花は房状に垂れ下がり、雌花は上に短くニョキっと伸びて咲きます。
 見上げる先のくるみの枝に、風にゆらゆらと揺れ、さわさわと音をたてるくるみの花と葉。耳を澄ますと何かささやき合っている様子。それは夢見る少女の恋の話。
 初夏の気持ちのいい風がふわっと吹き寄せる様子はピアノパートに繰り返し描かれ、右手の跳躍はまさに少女の“ときめき”。時に期待に満ちて、時に不安に響く、苦しいまでの“ときめき”の響き…。歌は目にしたもの、耳にしたものを、その発見の喜びをもって描写し続けます。

・・・あるシューマンの歌曲を「好きな人と初めて手をつないだ瞬間の、心臓をつままれたような感覚がずっと続いている、そんな曲」と説明したことがあります。もちろんシューマン以外の歌曲にも ときめきの感情はありますが、身体の芯がよじれるような苦しいくらいのときめきを、私はシューマンに特に感じます。

       ✻

 シューマン生誕100年の2010年にドイツ歌曲の夕べLiederabendを歌いました。そのプログラムノートから、シューマンのこと、そしてこの曲が含まれている歌曲集『ミルテの花』についての解説をこちらにも載せてみます。
 曲の“生まれ”を知ると不思議なことに、ぐんっと音楽に奥行きが出て立体的に、そして近くに響いてきます。曲は何も変わらないのに、受け取る側が変わることで、音楽が変わっていく…。これもリートの“たまらない”ところの一つですね。

✻ ロベルト・シューマンRobert Schumann(1810-1856)✻
1810年ドイツのツヴィッカウに生まれる。出版業者で著作もあったという父親のもとで早くから音楽や文学に親しみ、作曲や詩作に豊かな才能を示す。18歳で母親の勧めで法律を学び始めるが、音楽への情熱は抑え難く20歳で、当時著名なラ イプツィヒのピアノ教師、フリードリヒ・ヴィークの門をたたく。その後、無理な練習のため指を痛めピアニストになることを断念、作曲家として活動していく ことになる。さらに1834年には音楽雑誌「音楽新報」を創刊し、ロマン派音楽の開拓を推し進める音楽批評家としても活動していく。1840年に裁判まで 起こして勝ち得た師匠の娘クララと結婚し、この年多くの歌曲を生み出す。その後充実した作曲活動が続くが、1844年ごろから精神のバランスを崩し始め、1850年にデュッセルドルフの音楽監督として招かれるが幻聴に悩まされるなど精神障害は悪化。1854年ついにライン川に投身自殺を図り、助け出された数日後ボンのエンデ二ッヒ精神病院に入院、2年後46歳の生涯を閉じた。

歌曲集『ミルテの花』作品25 / Myrtehn Op.25
師匠の娘クララは当時一世を風靡していた女流ピアニストで、まだ作曲家として名の知られていなかったロベルトとの結婚は、父親ヴィークの猛烈な反対で困難を極めた。その婚約時代交わされた手紙には、“愛”と名のつくあらゆる感情が綴られている。その中に「ミルテ」という言葉が初めて登場するのはクララがロベルトに宛てた1838年1月24日の手紙だ。あるクララのコンサート後、花冠をかぶせられそうになったエピソードに「もっと美しい花冠をあなたは私にかぶせてくれるでしょう、ミルテの冠を。」と綴っている。(ミルテは花嫁の純潔を表している。) 『ミルテの花』にはこうした婚約時代の様々な想いが集約されている。この美しく愛らしい歌曲集は、彼女との結婚式の前日、1840年9月11日の夜に献呈された。男声用と女声用の曲が入り混ざっているため全26曲が、まとめて演奏されることは滅多にないが、それだけ個人的な贈り物として編まれた歌曲集であると言えよう。 


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