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聖母の復活

先日、私のところに現れた亡くなった素敵な女性。
彼女のエネルギーはまさしく「聖母」マリア。

このところのテーマは「聖母の復活」です。
女性はみな、女神である、と言います。
女神として輝いて生きている女性は全体から見るとまだ少ない。
女神の本質を「エゴ」や「世間の概念」で覆っている。

昔のご自分の母親を思い出してみてください。
年代にもよりますが、
私の母親は専業主婦でお買い物に行っても常に「安い物」を探していました。
100均大好き。お得!に弱い。
元々は美人系なのに父の死後、デートする彼氏も一緒に飲めるボーイフレンドもいませんでした。
年齢を経ても母がドキドキ、ウキウキする姿をみたかったなあ。
いつもエプロンをしていて、夫やお姑さんに気を遣って生きていました。
本気でお洒落をするのは年に一度の同窓会くらい。
家族の面倒を見ることと家族の心配に時間のほとんどを費やして自分のための時間は後回し。
自分がやりたいことをやるのに、いちいち家族の了解が必要で(スケジュール調整はしょうがありませんが、許しを乞わなくてはならない)経済力がないことを言い訳に遠慮ばかりしてる。

今でもこのような女性はいるかもしれませんね。

わがままになれ!家事をするな!
好き放題しろ!無駄使いしろ!
って言っているわけではありません。
隠れ依存や隠れ執着からの脱却です。

母としてのコントロール欲求って自然と強くなる。
家事や育児を担っていると、時間や労力との戦いだから。
表面では遠慮しつつ、母としての陰の権力は肥大化する。
最悪なのは「良かれと思ってのコントロール」
「あなたのために」「心配」という大義名分。

サンプルには事欠かない。

ですから、女性であれ、男性であれ、「母」という存在を一度、蹴散らすことが必須です。
占星術の大家の松村氏は高校時代、母が妖怪のように見えた、ここから出ない限り、真の自由はないと感じた、と述べています。

私自身が手放したと思っていましたが、まだまだ古い女性像を生きていたことに気づきました。
知らない間に人の面倒ばかりアレコレみがち。
勝手に面倒みてるだけだから感謝されず当たり前になる。
最終的には報われないことに腹が立ってコワイおばさんとなる。
メッセージは身体にも出て、左足小指側のヒビ入ってる場所をさらに何度も何度もぶつけて、これは一体何のメッセージかな、と感じてみたのです。

私の魂は私自身のやり方に「不服を訴えていました」
人の面倒見なくなったらワタシの価値がなくなる?
認めてもらえない?嫌われる?
そんなことも恐れているのです。
与える一方ではいつか疲弊する。

まずは自分自身に、与えることと
他の人に対して必要のないことは自ら止める。
相手がどんな人生を歩もうと、その人が選んでいるのだから、コントロールしない。関わらない選択や決別もあっていい。

女性は

母として

妻として

女性として

人間として

色んな側面を美しく表現する「聖母」「女神」であれ!

とりあえず、練習としては
自分第一で可愛く笑顔で媚びないこと。
自分を安く売らない。

写真は野口多鶴子さんのアナスタシア・ドレスを纏った
珠美さん(水素エステ担当してくださってます)
ピオーネの原木を受け継ぐ加々美宏子さんの農園にて撮影会!


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