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対象的な人間鏡。

友達というのは何のために存在しているのか?
どこか自分にはない魅力を相手は持っていて
話したり、共に過ごすことで
気付かされる面があったり
お互いに何らかの刺激を与えながら
そこに起きる何かを得ていたりする。

時にそれが災いして
揉め事になる事が起きるかもしれないけど
陰口として逃げる事をせず
自分は何を感じ、どう思ったのかを
正直に向かい合って話し合えれば
問題の糸は解ける。

人生のある地点において
そうした友達が自分の決断に力を貸してくれる事がある。

それはわざわざ、アドバイスを受けるというよりも、お互いの存在、その違いが
自分の領域を超えるための助けになる事がある。

真面目に生きて来たAさんにとっては
どうにかなるさで生きてるBさんの真似は
到底出来ないと思う。

どうにかなるさで生きてきたBさんにとっては
真面目に生きるなんて窮屈すぎて無理だと思う。

でもAさんが自分の殻を破って
とてもじゃないけど出来ないと思っていた
領域に踏み込むには
既にその領域で生息しているBさんがいる事が
チャレンジの手立てになる。

Bさんもまた、どこかきちんとして
生きていたい部分をAさんに見習うことで
得ることが出来る。

私たちがこの人生において
何か変容を決めるとき
人生論を学んだからと言ってそれが出来るとは
限らない。むしろそれは頭の中で収まって終わりな事の方が多い。

私たちが変容するとき
それは
私にないものを持っている誰かの刺激だったり
また、私にあるものを持っていない
誰かの生き方だったり

結局のところ
人が影響を受けるのは人からである事が
とても多いのではないかと思う。

時に女性は特に
自分にとって「変容を促さない友人」で
身を固めることがある。

この人たちは安全だと
同じ考えの者同士で集まる。
その輪にはチャレンジという言葉はない。

出来ない理由、出来ない言い訳に対して
同意し、共感し、かばってくれるであろう
都合の良い仲間で集う。

タマに言わせてみれば
被害者意識の会。笑

なんの発展性もない。

人生に変容を促したいのであれば
まずは友達を作ること。
異質と関わること。

そしてそうした異質な友達こそが
未知なる世界で助けとなってくれる。

自分にあってその人にないもの
その人にあって自分にないもの

頑なな自分を手放して
何故か惹かれるその人の意見を
取り入れてみたらどうだろう。

こうでなきゃ生きられない!と
頑張って握りしめてるそれを
持っていないその友人は
それでも平気で生きていたりする。

こんな大変なこと自分には出来ない!と
諦めるなら、その前に
それが出来てる友達に聞いて教わったら
どうだろう。
案外、簡単に出来る事だったりするんじゃないかな。

これからの時代、人との繋がりこそが
助けになる。
ただ繋がればいいのではない。
もっともっと知り合っていくこと。
もっともっと話すこと。

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タマちゃんこと、奥田珠紀と申します。 ヒプノセラピストとしての活動の後、魔法の教室という潜在意識や内なる自分に気づくことが出来る講座を立ち…

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