8年間言いたかったこと~ありがとう東京オリンピック


ぼくはアーティストが好きです。音楽系エンタメだのアイドルだのが、自分自身も舞台に上がることもあるくらい好きです。スポーツ観戦はほぼしませんが、アスリートも好きな方だと思います。自己の心身と毎日対話を続け、そこから生まれる「パフォーマンス」を最良のものにする、という生き方を送る人たちが好きです。

ですが、彼ら、彼女らの「パフォーマンス」のすばらしさと、政治がそれを政治自身の『パフォーマンス』のために活用すること、予算を割くことの是非には、全く関連がありません。全くです。
オリンピックやその開会式は、企業が自分たちの利益のためにやる、音楽フェスやスポーツ興行ではありません。政治の『パフォーマンス』です。みなさんは、推しのライブを見ているわけでも、贔屓のチームの応援に行っているわけでもありません。政治の『パフォーマンス』にノせられているだけです。

いいライブ、すばらしいゲーム、そして艶やかな花火、ショー。そういったものを見て、「明日もがんばる元気」がもらえることは、本当に尊いこと、有難いことだとぼくも思います。ただ、それは企業が自分たちの資金で、自分たちの利益のためにやればいいことです。
国が持つ予算は、「明日もがんばる元気」を作るためにあるのではないとぼくは考えます。それは「明日、あなたやわたしが特別元気じゃなくても普通に生きられる現実」を作るためのものではありませんか??
(アーティスト、アスリートへの基本的・継続的な支援は、彼ら、彼女らが「普通に生きられる現実」をつくるためのものとして、肯定されると考えます。)

オリンピックの東京開催が決まった2013年。そしていま2021年。震災からの復興、日々の暮らしの安定、そして感染症の克服。日本はずっとずっと解決されない課題を抱えています。それを棚上げして、ただ『パフォーマンス』で国民を熱狂させることは、正しい政策ですか?問題に対する直接的な援助に、限られた資源を向けるべきではありませんか?「経済効果」だの「需要・雇用の創出」だのでリアリストを気取っているあなた。現実を見れていないのは、あなたの方ではありませんか?

他のSNSでは折に触れて書いていますが、ぼくがオリンピックに反対しているのは、「コロナウイルスがやべーから」だけではありません。
8年前から「何かやべーことが起きても、国民を騙して突き進むんだろうな」と思っていたからで、いま現実にやべーことが起きて、日本政府は期待を裏切らず突き進んでいます。
関係者のスピーチ文字起こしだけは読みましたが、彼らのいう「世界をひとつに」は、「分断を解消した平等で幸福な社会」ではなく、「みんなが自分たちのことを話題にして、称賛して、言うことを聞いてくれる理想郷」だということがわかっただけでした。PVに貢献してしまって、とても損した気分です。

あなたは開会式を見ましたか?これから毎日中継を見ますか?そこに「あした、クラスのみんながオリンピックのはなししてて、ついていけなかったらはずかしいから」以上の理由がありますか?

熱狂できない冷静なぼくは、開会式の盛り上がりを、8年前となんら変わらない虚しい気持ちで見ています。変わらない現実への失望を有難う、東京オリンピック。

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