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天を鎖す【カンテラ町シリーズ外伝・3】

【タイトル】
「天を鎖す【カンテラ町シリーズ外伝・3】」
(てんをとざす)

カンテラ町シリーズ外伝

【キャスト総数】
4(男:2 女:2)
※兼ね役あり

【上演時間】
50〜分

【あらすじ】
青白いカンテラの灯が揺れる最果ての町とは雪と墨、
当時の都は栄華の道筋を着々と進めていた。
確かな武力を備えるこの地は、かつて一度だけ壊滅的な脅威にさらされた。

名を「天鎖の乱(てんさのらん)」。
都を墜とさんと目論むは太古の悪神を名乗る者が率いる狒狒の大軍。
迎え討つは一騎当千の猛者が集う「七毒」。
歴史に残る大乱は激化を極め、双方に甚大な被害をもたらした。

戦いの幕を下ろしたのは「錠」を操る才女。
彼女の錠は怒りも哀しみも、
かの者の魂も、天さえも鎖し得る。

しかし鎖した心の奥底では
ただ凡夫を望んでいることを
誰も知る由もない。

【登場人物】
・十坐(男)
「じゅうざ」。
「剛拳」と称される人間の豪傑。
当時の「七毒」の一人。一人娘がいる。

・楪(女)
「ゆずりは」。
当時の「七毒」の一人。
槍術に長け、「雷槍」と称される女傑。

・麻由良(女)
当時の「七毒」の一人。
特殊な「錠」を操る才女。

・天墜/浅葱(男)
(てんつい)狒狒の大軍とともに都へ討ち入った反逆者。
(あさぎ)麻由良の父。

【本編】
 陽光の照らす晴天の日。
 草花の茂る参道を抜けた先に立派な墓石が並んでいる。
 静かに墓前に佇む十坐が傍らの女性に目を向ける。

十坐:すまんな、俺の寄り道に付き合わせてしまって。
十坐:思えばお前とここへ来たのは初めてだったか。
十坐:……良ければ一緒に手を合わせてやってくれないか。
十坐:俺の戦友が眠っている。

 墓前に手を合わせる十坐と女性。

 ――ややあって帰路につく二人。
 小鳥のさえずりがほのかに聞こえてくる。

十坐:……そう、都が甚大な害を被った「天鎖の乱」だ。
十坐:あれは、かの戦いで死んだ「七毒(しちどく)」の墓だよ。
十坐:彼女が命を賭したからこそ……都は守られた。

 女性が十坐に語りかける。
 その言葉に十坐が頷く。

十坐:ああ、そうだな。
十坐:勇猛で、女傑という言葉がよく似合っていた。
十坐:思えば立役者はいずれも女性だったか。
十坐:もう一人は新参者でな……まだ若い。
十坐:年の頃はお前と同じほどに見えるが。

 女性が語りかける。
 その言葉に対し笑顔を見せる十坐。

十坐:なァに、お前はお前の道を行けばいい!
十坐:きっとその手が誰かを救う時が必ず来る。
十坐:俺の自慢の娘だ。

 やや伏し目がちに、はにかんだ笑顔を浮かべる女性。
 風が木々を揺らす。

十坐:さぁ……帰ろうか。

 二人の後ろ姿が道の向こうへと消えていく。

 ――時は遡り、後に「天鎖の乱」と呼ばれる戦時中。
 「七毒」の拠点である都は脅威にさらされていた。
 町並みは戦火に包まれ、かしこで戦いの激音が響く。

十坐:(「天鎖の乱」。)
十坐:(我々「七毒」の治める都が大規模な襲撃を受けた、前代未聞の大乱。)
十坐:(民の命を危機にさらすわけにはいかない。我らは守戦を強いられていた。)

 当時の十坐の姿。
 兵へ向け、指揮を執っている。

十坐:防衛隊は逃げ遅れた民の保護を最優先だ!
十坐:決して敵軍への深追いはするな。奸計(かんけい)を巡らせている者がいる。
十坐:機が熟すまでは専守防衛。いずれ攻勢には「七毒」が打って出る!
十坐:早馬で各師団長に通達しろ。行けッ!

 慌ただしく沸き立つ戦地。
 その中で一人の女が十坐に声をかける。

楪:なかなか様になってるじゃねぇか、十坐(じゅうざ)の旦那。
十坐:楪(ゆずりは)殿! 来てくれたか。
楪:今しがたな。あらかた戦況は聞いたが随分な有様だね。
十坐:ああ……。都がここまで攻め込まれるとは、かつてない脅威だ。
楪:ただの捨て鉢というわけではなさそうだな。

 はるか先に見える丘の頂点に君臨する影を見据える楪。

楪:……あれが敵の将か。ふん、偉そうに高みの見物かい。
十坐:「天墜(てんつい)」と名乗っているらしい。

 名を聞いた楪の顔色が変わる。

楪:笑えねぇな。
十坐:配下は狒狒(ひひ)の一族。
十坐:温厚な彼らをいかに懐柔(かいじゅう)したのかわからんが……。
十坐:恐るべき武力だ。数も多い。
楪:オイオイ、泣き言かァ?
楪:「剛拳」の名が廃っちまうぜ。
十坐:ふっ、祭り喧嘩は望むところだ。
楪:良いねぇ。本当あんたは人間にしとくにゃ惜しいよ。

 手にした槍を風を切るように回し、肩に乗せる楪。

楪:さァて、それじゃあ私も「雷槍」の名が廃る前にひと仕事しようかね。
十坐:楪殿、くれぐれも無理はするな。
十坐:こちらはまだ戦力が整っていない。
十坐:「彼女」が到着するまでは守戦に徹しよう。
楪:彼女ォ?
十坐:麻由良(まゆら)だ。
楪:ああ、例の才女様ね……。
十坐:総力戦になる。逸(はや)りは禁物だぞ。
楪:わかったよ。あくまで私は斥候(せっこう)だ。
楪:あんたは私が戻るまでに、役立たずの劉雲(りゅううん)のケツでも引っ張り出しときな。

 苦笑する十坐。

十坐:心得た。
楪:じゃ、行ってくる。くたばんじゃねぇぞ!

 迅雷の如く戦場へ駆けていく楪。
 十坐は再び兵士に対して指揮を執る。

 一方、敵陣。
 「天墜」を名乗る敵将が高地より都を一望している。

天墜:「雷槍」楪か。「七毒」も頭数がそろいつつあるな。
天墜:それでいい。羽虫をいくら潰したところで何の武勲にもならん。
天墜:完膚なきまでの勝利だ。それ以外に価値はない。

 燃え広がっていく戦火が「天墜」の瞳に映る。

天墜:お前を喰らうのは、全てを屠(ほふ)った後だ。
天墜:さぁ、早く姿を見せておくれ……麻由良。

 戦いは続き、やがて日が落ちていく。
 夜、「七毒」の拠点となる屋敷へ楪が帰還する。

十坐:楪殿!
楪:よう、お互い生きてて何よりだ。
十坐:見たところ大した怪我はないようだが……衛生兵は必要か?
楪:いや、いい。それより戦況を聞かせてくれ。
十坐:芳(かんば)しくない。
十坐:後手に回ったこともあるが依然として劣勢だ。
十坐:何より……。

 目を伏せる十坐。

十坐:六角(ろっかく)殿がやられた。
楪:何だと!?
十坐:逃げ遅れた民をかばって討たれた。
十坐:それに激昂した柘榴(ざくろ)と珊瑚(さんご)が敵陣深くまで切り込み……返り討ちだ。

 悔しげに壁を殴る楪。

楪:六角のジイさんにバカ兄弟まで……。
楪:三人もやられたってか? クソッ!
十坐:あの敵将……「天墜」を名乗る者だが、何か様子がおかしい。
十坐:尋常ならざる強さだが、何か……こちらの攻めが通じておらんような不気味さがある。
楪:馬鹿言え……。本物の「天墜」だとしたら私らに勝ち目はねぇよ。
十坐:そうだな……。世迷い言(よまいごと)だ、聞き流してくれ。
楪:それで? なぜ奴らは攻め入ってこねぇ。
楪:こっちは要の「七毒」が3柱も落ちてるってのによ。
十坐:わからん。だが何かを待っているような素振りを感じる。
楪:もしくは嬲(なぶ)るのが趣味の陰険野郎か?
楪:どちらにせよ窮地(きゅうち)には変わりないね。

 近くの椅子にどかりと座り込む楪。

楪:参ったねぇ。仲間が死んだってのに感傷に浸る暇もなしかい。
十坐:それにはまだ早いぞ。戦いは終わっておらん。
楪:はッ、ご立派だ。
十坐:こんなところで死ぬわけにはいかんからな。
十坐:娘が帰りを待ってる。
楪:そういえば親父だったなぁ、あんた。元気にしてんのかい。
十坐:ああ。近頃は医学の方面に精を出し始めてな。
十坐:母の影響かな……。
楪:親父に似なくて良かったじゃねぇか。
楪:腕っぷし自慢の女なんざ男が寄り付かねぇよ。
十坐:あなたが言うと説得力があるな。
楪:どういう意味だ、そりゃあ。

 重くなりそうな空気を払拭するように軽口を交わす二人。
 その場へ一人の女性が入ってくる。

麻由良:あら……闘争の空気ではないわね。
麻由良:来る場所を間違えたかしら。
楪:よォ……ようやくお出ましか、才女様。
十坐:麻由良か、よく来てくれた。
十坐:戦況は聞いているか?
麻由良:ええ、長(おさ)様から聞いてる。
麻由良:表に出てくる気はないみたいね、彼は。
十坐:奴には奴の仕事がある。大目に見てやってくれ。
楪:まぁ、戦場に出張られても迷惑だよ、あのオッさんは。
麻由良:随分といい様にやられたみたいだけど、要するに……。

 携えた「錠」に触れる麻由良。

麻由良:全員殺せばいいんでしょう?
十坐:……。
楪:言うねぇ。
麻由良:私一人で十分よ。
麻由良:あなたたちは長様と一緒に失墜した「七毒」の権威を取り戻す術でも考えておいて。

 二人に背を向ける麻由良。

楪:おい……。
十坐:待て、麻由良。
麻由良:何かしら?
十坐:全員殺す必要はない。
麻由良:……言ってる意味がよくわからないわね。
十坐:狒狒の戦士たちは従わされている可能性がある。
麻由良:なぜそう言い切れるの?
十坐:明確な根拠はない。
十坐:言うなれば勘だ。彼らと拳を交えた際に感じた。
麻由良:お話にならないわね……。
麻由良:情でも湧いたの? 人間の間ではよく聞く話だけれど。
楪:いいや、旦那の言うこともあながち的外れってワケでもねぇかもしれねぇぞ。
麻由良:はぁ?
楪:私も前線で奴らとやり合ったが、どうも腑に落ちねぇ。
楪:あいつらがその気になりゃあ、こんなもんじゃ済んでねぇはずだ。
麻由良:要領を得ないわね。
麻由良:つまり何? 望まない戦に駆り出された哀れな狒狒たちも救いたいとでも?
十坐:その通りだ。
麻由良:はッ……浅薄(せんぱく)。
十坐:「七毒」の本懐を忘れるな。
十坐:制する為の戦い……殺戮の先に未来はない。
麻由良:ご立派。前々から思っていたけれど、長はあなたがやればいいと思うわ。

 再び背を向け、立ち去ろうとする麻由良。

楪:待ちな。
麻由良:……まだ何か?
楪:ああ、そうだな。まずは礼節から叩き込んでやりてぇところだよ。
麻由良:あなたが教えてくれるなんて意外ね……「雷槍」さん。
楪:チッ、かわいげのねぇ……。

 頭をがしがしと掻く楪。

楪:救いてぇとまでは言わねぇが、私も旦那派だ。
楪:お前がどれだけ腕に自信があるかは知らねぇが、いたずらに殺したところで禍根が残るだけだろ。
楪:敵を見誤るな。討つべきは大将首だろうが。
麻由良:……「天墜」。
楪:ああ、奴さえ落としちまえば、あるいは……。
麻由良:そんなことわかってる。

 ふと、麻由良の目に強い意志がにじむ。

麻由良:あれは私が殺す。……必ず。
楪:……お前……?
麻由良:少し休むわ。長旅で疲れたの。
麻由良:方針が定まったら教えてちょうだい。

 麻由良が部屋を後にする。

十坐:やれやれ……。若さゆえか生来の気質か、困ったものだな。
楪:……何か知ってんのか? あいつ。
十坐:楪殿?
楪:あァ、何でもねぇよ。
楪:ったく、この状況でお休みとは太ぇ奴だよなぁ。
十坐:楪殿も少し休むといい。
十坐:俺は近衛師団とともに番をしよう。
十坐:夜襲に備えておく。
楪:あ? いいって、こんな空気の中で居眠りできるほど私は図太くねぇんだ。
十坐:しかし……。
楪:城郭の方で見張っておく。今夜は根比べだな。

 背を向け、去っていく楪。
 ふと、麻由良が去っていた方へ視線を向ける。

 ――丑の刻を回った頃。深い森を抜けた先、やや開けた平地。
 岩場に鎮座する「天墜」。その周りを囲むように夜目を光らせる狒狒たち。
 やがて、その中央を悠然と歩いていく女が一人。
 「天墜」の前で立ち止まり、巨体を見上げる。

天墜:……来ると思っていたぞ。
麻由良:ええ、お久しぶりね。

 麻由良の瞳が暗く沈む。

麻由良:……父(とと)様。
天墜:クク……ッ、ハハハ……ッ。
天墜:まだ父と呼んでくれるのか……私を。
麻由良:事実だもの。
麻由良:認めようが認めまいが変わらぬ事実。
麻由良:だけどそれ以上でも以下でもない。

 なおも笑い続ける「天墜」。
 狒狒たちが慄く。

天墜:随分と大人びたことを言うようになった。
天墜:当然か……。いつまでも童(わらべ)ではないものな。
麻由良:……。
天墜:だがお前の言うように、我らが親子というのは紛れもない事実。

 巨大な腕を広げる「天墜」。

天墜:会いたかったよ、麻由良……。
天墜:愛しい我が娘。

 突如、轟音が響く。
 開かれた麻由良の錠から放たれた「怒り」の力が「天墜」の首を跡形もなく吹き飛ばす。
 騒ぎ立てる狒狒たち。

麻由良:心にもないことは言わない方がいい。
天墜:……心外だな……。

 硬直していた「天墜」の腕が動き出し、鋭い爪が麻由良を襲う。

麻由良:ッ!

 紙一重でかわす麻由良。
 身につけた着物の端が破れ、宙を舞う。
 首のない「天墜」が起き上がる。

天墜:愛しているとも。
天墜:くびり殺し、その肉を引きちぎりたい程に。

 「天墜」の首が再生する。

麻由良:……化け物が。
天墜:お前に私を殺すことはできんよ。
天墜:お前だけではない。
天墜:「七毒」も……誰もかれも私を屠ることはできない。
麻由良:「天墜」……笑わせるわね。
麻由良:太古に天界を荒らし回ったとされる暴君の名よ。
麻由良:後に此岸(しがん)に堕とされ、その名がついた。
天墜:その通りだ。おとぎ話の世界だと思っていたか?
天墜:違うよ、麻由良。
天墜:世の果て……最果てとも言える瘴気(しょうき)の墓場に、彼の死骸はしっかりと存在した。
天墜:私は喰らったんだ。その屍肉を。

 麻由良の目が開く。
 笑みを浮かべ、続ける「天墜」。

天墜:「医食同源」……この通り、私は不死を得た。
天墜:欲とは奥深いなぁ……。
天墜:私の力を得たいという欲と「天墜」の全てを滅ぼしたいという欲が混ざり合い、繋がり合い……この奇跡を生んだのだ。

 「天墜」の指が麻由良を指し示す。

天墜:お前にもわかるだろう?
天墜:我欲ゆえに母を「錠」に閉じ込めたお前なら。

 「天墜」を真っ直ぐに見据える麻由良。
 手にした錠が開いていく。

麻由良:言いたいことはそれだけかしら。
天墜:母は息災か?
天墜:その狭い錠の中で……。
麻由良:黙りなさい。

 錠が開き、「怒り」の力が「天墜」に向けれられる。

麻由良:お前が母(かか)様を語るな……!
天墜:今の私にはわかるぞ。不死とは呪いだ。
天墜:母も錠の中で死ぬことすらできない。
天墜:罪深い娘だ、お前は。
麻由良:黙れッ!

 次々と「怒り」が開放されていく。
 屈強な大木がなぎ倒され、散り散りになる狒狒たち。
 なおも麻由良は包囲されている。

天墜:見事、見事。このままでは森が丸裸にされてしまうなぁ。
麻由良:ハァッ、ハァッ……。

 せせら笑う「天墜」を麻由良が睨む。
 狒狒たちがじりじりと距離を詰めている。

天墜:さて……お前も私の医食の糧となってくれるかい、麻由良。

 「天墜」の手が伸びる。

 刹那、その手から護るように天から投擲された槍が地面に突き刺さる。
 咄嗟に身を引く「天墜」。

麻由良:!
楪:汚ねぇ手を引っ込めろ、化け物が。

 槍を引き抜き、流れるように構えをとる楪。

天墜:ほう……「雷槍」楪か。
楪:お見知りいただいて光栄だよ。
麻由良:あなた……。
楪:よォ、一人で何してんだ才女様。
楪:お前、案外馬鹿なのか?
麻由良:……。
天墜:クク……人のことが言えるのか?
楪:あ?
天墜:己の力量も測らずに死地へと飛び込んでいく。
天墜:思っていたより烏合の衆だな、「七毒」は。
楪:上等だよ。

 不敵な笑みを見せる楪。

楪:この「雷槍」の命、猿山の大将ごときに取れるもんなら取ってみな。
天墜:はは……やはり愚か。

 「天墜」の手が掲げられる。

天墜:……やれッ!

 狒狒たちが一斉に麻由良と楪に襲いかかる。
 同時に大きな声が飛び込んでくる。

十坐:楪殿! 麻由良ッ!
楪:……! 十坐の旦那。
十坐:こっちだ、急げ!
楪:先に行け! 足止めする!
麻由良:……でも。
十坐:行くぞ、麻由良! 立ち止まるな!
麻由良:……ッ。

 麻由良と十坐が闇へと消えていく。

楪:さぁて……かかってきな、猿ども!
天墜:……「剛拳」の十坐。さすが人間、小賢しいことだ。
天墜:まぁいい。腹を空かせた末の馳走はこの上なく美味だと相場が決まっている。

 迅雷の如く槍を振るう楪に「天墜」が立ちはだかる。

 ――一方、逃げおおせた末の十坐と麻由良。
 隠し扉から屋敷へと入っていく。

十坐:この隠し門は本丸へ続いている。
十坐:俺たちくらいの古参しか知らん仕掛けだ。
麻由良:……。
十坐:楪殿なら大丈夫だ。
十坐:ああ見えて引き際を知っている。
麻由良:それは嫌味?
十坐:そうだな、らしくはないと思っているよ。
十坐:君とはまだ付き合いは浅いが。
麻由良:そんな浅はかな関係の私を助ける為にわざわざ?
十坐:当然だ。これ以上「七毒」の戦友を失くすわけにはいかん。

 後ろを歩く麻由良を一瞥した後、小さく笑う十坐。

十坐:……というのは建前でな。
麻由良:?
十坐:娘がいるんだよ。ちょうど君くらいの歳の。
十坐:人間の尺度で数えていいのかわからんが……。
十坐:どうも放っておけなくてなぁ。

 首筋を掻きながら前を歩く十坐に苦笑を漏らす麻由良。

麻由良:……くだらないわね。

 やがて目を伏せ、ぽつりと言葉を落とす。

麻由良:本当にくだらない。

 時は過ぎ、夜明け頃。
 隠し扉が開き、楪が帰還する。

十坐:楪殿! 無事だったか!
楪:おう……何とかな。
十坐:怪我はないか?
楪:問題ない。それより……。
麻由良:「天墜」は?

 麻由良を見つめる楪。

楪:深追いしてくる気配はないみてぇだ。
楪:まぁ……いつしびれを切らすか知らねぇがな。
麻由良:待っているのよ。
十坐:何?
麻由良:私が出てくるのを。
十坐:待っている……? 君をか。
楪:旦那ァ。
十坐:ん?
楪:悪ィけど才女様と二人にしてくれねぇか。
楪:女同士、腹割って話してぇんだ。
十坐:……。
楪:頼むよ。
十坐:わかった。引き続き番をしよう。
十坐:要事の際はすぐに知らせる。
楪:ありがとな。

 静かに部屋を後にする十坐。
 つかの間の沈黙。

麻由良:……何が聞きたいの?
楪:その前に。

 ぴしゃりと麻由良を指差す楪。

楪:服脱げ。
麻由良:……は?
楪:いいからさっさと脱げ。
楪:何の為に人払いしたと思ってんだよ。

 その後、麻由良が負った肩の傷に黙々と包帯を巻いていく楪。

楪:隠してんじゃねぇよ。結構深ぇだろ、この傷。
麻由良:……大したことないわ。
楪:素直じゃねぇなぁ。本当そっくりだわ。
麻由良:そっくり?
楪:妹だよ。お前みてぇに生意気でよォ。
楪:手のかかる奴だったぜ。
麻由良:道理で手慣れてるわけね……。
楪:ほらよ、こんなもんだろ。

 包帯が巻かれた肩にそっと触れる麻由良。着物を羽織る。

麻由良:……礼は言っておくわ。
楪:それくらいの礼儀は知ってるんだな、安心したぜ。
麻由良:何に対する安堵か理解しかねるけれど……。
麻由良:じゃあね。

 背を向ける麻由良。

楪:待ちな。二度目はねぇぞ。
麻由良:何が?
楪:また一人で行くつもりだろうが、お前。
麻由良:……。
楪:なぁ。

 槍を置き、麻由良を見据える楪。

楪:敵の大将とどういう関係なんだ?
麻由良:殺すべき敵よ。それ以外何もない。
楪:その執着がよ、異常なんだ。
楪:お前のそれは怒りじゃねぇ、憎しみだぜ。気づいてねぇだろ。
麻由良:どっちでも同じことでしょう。
楪:行っても死ぬだけだぞ。
楪:狭ぇ視野で勝てる相手じゃねぇ。
麻由良:……グダグダと……ッ!

 楪を睨む麻由良。

麻由良:じゃあどうするの!?
麻由良:このまま都が攻め落とされるのを眺めていろとでも?
楪:違ぇよ。

 楪の瞳に少しだけ憂いが滲む。

楪:一人で抱え込むなっつってんだ。
楪:ガキが一丁前な顔してよ。
麻由良:えっ……。
楪:仲間だろうが、私らは。
麻由良:……。

 目を伏せる麻由良。やがて小さく口を開く。

麻由良:……浅葱(あさぎ)。
楪:あ?
麻由良:「天墜」を騙(かた)る者の名前。
楪:あさぎ……。
麻由良:私の父よ。

 目を見開く楪。

 父の名を口にした麻由良に遠い情景が映り込む。

麻由良:(思い出を辿ってみても、どれも机に向かう背中ばかりが浮かんでくる。)

麻由良:父(とと)様、見て。
浅葱:……。
麻由良:父様。
浅葱:椿(つばき)、麻由良の相手をしろ。今忙しい。

麻由良:(お決まりの台詞。母(かか)様が優しく私に微笑む。)
麻由良:(「父様の邪魔をしては駄目」と。)
麻由良:(父は「欲望」の探求者だった。)
麻由良:(生きる者全ての内側から奔流(ほんりゅう)のように溢れ出る「欲」。)
麻由良:(その根源に迫り、いつしか魅せられていた。)

麻由良:父様。
浅葱:……椿、麻由良を見ていろ。
麻由良:母様、苦しそうだよ。口から血が出てる。
浅葱:今忙しい。

麻由良:(この里が嫌いだった。)
麻由良:(一族で一番の識者であると父を崇めるこの里が。)

麻由良:父様、見て。
浅葱:椿……。
麻由良:この中に母様がいるよ。

 ゆっくりと振り返る浅葱。
 麻由良は「錠」を掲げている。

浅葱:何だと?
麻由良:母様の魂がこの中で生きてる。
浅葱:椿? 椿、いないのか。

 周囲に呼びかける浅葱。
 返事はない。

浅葱:お前……。
麻由良:母様だけじゃない。
麻由良:怒りも悲しみも、何もかも封じ込められる。
麻由良:外を見てよ。私が封じてきた「怒り」だよ。

 外へ飛び出していく浅葱。
 里は壊滅し、一族の死体が転がっている。

麻由良:(無感動に、造作もなく里を地図から消滅させた。)
麻由良:(全てがどうでもよくなった。)

浅葱:……何ということだ……。
麻由良:ねぇ、父様。
浅葱:麻由良、お前……。
麻由良:母様のこと、好き?

 ふらつく足取りで麻由良に近づいた後、強く肩を掴む。

浅葱:天才だッ!
浅葱:見事な封印術……。
浅葱:一族の歴史においてもここまでの使い手はいない!
麻由良:……。
浅葱:素晴らしい。この歳で封印と開放をここまで精密に操れるとは……。
浅葱:その「錠」が媒体となっているのか?
浅葱:先ほど「怒り」を封じたと言っていたな。根源的な感情だ……。
浅葱:麻由良、もっと教えてくれないか。お前のことを。

 麻由良が掴まれた手を払いのける。

浅葱:麻由良? 父の言うことが聞けないのか。
麻由良:……近づくな。

 「錠」が眼前に掲げられる。
 足を止める浅葱。

麻由良:父様はいらない。

 背を向け、去っていく麻由良。

麻由良:さようなら。

 呆然と去りゆく背中を見つめる浅葱。
 手をのばすが、麻由良の背中は次第に小さくなっていく。

浅葱:待て、麻由良。どこへ行く。
浅葱:椿、何をしている。麻由良が行ってしまうぞ。
浅葱:おい、椿。

 情景が薄れていく。
 腕を組み、静かに麻由良の話に耳を傾けている楪。

楪:……。
麻由良:姿形が変わっても名を変えたとしても、すぐにわかった。
麻由良:忌々しいけれど血は繋がっているから。
楪:そうか。
麻由良:あの男の目的は私よ。
麻由良:狂った「医食同源」を信じている。
麻由良:「天墜」の次は……私を喰らうつもりでしょうね。
楪:わかった、もういい。

 憂いの目を向ける楪。

楪:……辛かったな、お前。
麻由良:え?
楪:今の時代じゃあ天涯孤独も珍しくねぇ。
楪:だからよ、家族の繋がりは尊いもんだ。親子となりゃなおさらだろ。
麻由良:とうに捨てたわ。そんな思いは。
楪:んな顔に見えねぇんだよ。

 そっと麻由良の頭に触れる楪。

楪:無理するな。私と旦那に任せとけ。
麻由良:……やめて。

 目を伏せる麻由良。

麻由良:優しくしないで。
楪:はッ、ガキは素直に甘えてな。
麻由良:私がやらなければいけない。
麻由良:親子だからこそ……私の手で。

 麻由良の瞳には強い意志が宿る。
 その目を真っ直ぐに見つめる楪。

楪:……わかったよ。
楪:守戦は今夜で終わりだ。夜明けに決着をつける。
楪:いいか、お前は攻めの要だ。
楪:道は私らが開いてやるからよ。
楪:それまで少しでも傷を癒やしとけ。

 からりと笑う楪。

楪:頼んだぜ、麻由良。

 軽く手を上げ、楪が部屋を後にする。
 何も言わず去っていく背中を見つめる麻由良。

 ――城郭では十坐が寝ずの番をしている。

十坐:ああ、楪殿か。
楪:よォ、寝ずの番か。ご苦労さんだな、旦那。
十坐:やはり奴らに明確な攻め気はないようだな。
十坐:じわじわと包囲を狭めている印象だ。
楪:ああ……そのことだけどよ。
十坐:敵の目的は麻由良か?
楪:気付いてたのかい、あんた。
十坐:因縁めいたものを感じたのでな。
十坐:詮索する気はないが。
楪:……なぁ旦那、ひとつ頼みがある。
十坐:どうした、改まって。
楪:敵将の首はあいつに取らせてやりてぇ。
楪:その為に道を開きてぇんだ。
十坐:……。
楪:私だけじゃ力が及ばねぇ。
楪:手を貸してくれねぇか。
楪:無理をおしてるのは承知だが……頼む。

 頭を下げる楪。

十坐:頭を上げてくれ、楪殿。
十坐:無論、俺もそのつもりだよ。
楪:旦那。
十坐:あの悪鬼を倒せる者がいるとしたら……麻由良をおいて他におらんと思っている。
楪:すまねぇ。
十坐:しかし……ふふ。「雷槍」もすっかり丸くなったな。

 苦笑する楪。

楪:潮時かねぇ。
楪:なァに、「雷」の名は黄雲(きうん)の坊っちゃんに相応しいよ。
楪:ありゃ相当化けるぜ。
十坐:劉雲の息子か。
楪:ああ。何度か武芸の手ほどきをしたけど……天賦(てんぷ)っていうのかね。
楪:ああいう奴らが時代を創っていくんだろうな。
十坐:うむ。若い原石の台頭は世の常だ。

 立ち上がり、彼方に構える「天墜」の軍を見据える十坐。

十坐:だが、俺たちにもまだまだやることが残っている。そうだろう?
楪:おう、ひよっ子たちに任せるにはまだ早ぇからな。

 同じ方向を見据え、槍を肩に置く楪。

楪:うねる時代の一番槍は……私らの役目だ。

 夜が明けていく。
 日の出に目を細める「天墜」。

天墜:新たな歴史の幕開けに相応しい、澄んだ黎明(れいめい)だな。
天墜:奴らへの猶予は今日で終わりだ。
天墜:狒狒ども、死力を尽くして都を攻め落としてこい。
天墜:なぁに、恐れることなどない。我らは同じ呪いを身に受けた同胞だ。
天墜:今さら後戻りはできんぞ。
天墜:さぁ、進め進め……!
天墜:「七毒」の残党を根絶やしにしろ。

 狒狒の大軍が都へ向けて進行する。

天墜:どこだ、どこにいる。早く出てこい。
天墜:父は空腹だぞ……。姿を見せろ、麻由良ッ!

 鬨が響き渡り、都が戦場と化していく。

楪:数にひるむなよッ!
楪:堅守の陣形は崩さずに猿どもを止めろ!
十坐:うおおおおッ!

 十坐が体を張り、狒狒の侵入を防ぐ。

楪:馬鹿野郎、旦那! 一人で突っ込むな!
十坐:……狒狒たちよ……!

 顔を上げ、狒狒と正面から向き合う十坐。

十坐:なぜお前たちほどの一族が、あの男の言いなりになっている……!
十坐:誇りをないがしろにしてまで無辜(むこ)の民を襲うことに大義はあるのか。
十坐:……答えろッ!

 十坐の投げかけた言葉を振り切るように吠える狒狒。
 「天墜」が姿を見せる。

天墜:クック……実に人間らしい美辞麗句(びじれいく)だ。
十坐:貴様……。
天墜:無駄だよ「剛拳」。彼らは止まることなどできない。
十坐:どういう意味だ。

 槍を振るっていた楪が異変に気付く。

楪:オイ……旦那。狒狒どもの様子がおかしい。

 動きを止めた狒狒たちの体が突如として腐敗を始め、肉片がただれ落ちていく。

十坐:何だ……これは。
天墜:彼らも私と同様、「天墜」の屍肉を喰らった。
天墜:しかし悲しいかな、一時の強靭な不死の肉体を得る代償として夢から覚めればこの通り……。
天墜:肉体は腐り落ちていく。
天墜:閃光のような命だ。死に際に一等美しく輝く。
楪:「天墜」の屍肉だァ……? イカれてんのか、てめぇは。
天墜:お前たちごときにこの味はわかるまいよ。
天墜:私は猿たちとは違うぞ。
天墜:私が「天墜」を、「天墜」が私を受け入れた。
天墜:かつて天上を荒らし回った悪神の破壊欲を、しっかりとこの身に感じるとも。

 目の前で崩れ落ちていく狒狒の体を受け止める十坐。

十坐:……彼らは望んだのか? 不死や破壊を。
天墜:いいや。そろいもそろって平穏と恒久的な繁栄が望みだそうだ。

 「天墜」の顔が邪悪に歪む。

天墜:故に思い出させてやった。
天墜:化け物としての矜持と本懐を。
天墜:子孫に誇れる生き様を。
天墜:まぁもっとも……今日で種は途絶えるわけだが。

 地に伏した狒狒たちの体が次々と腐り溶けていく。
 怒りに拳を震わせる十坐。

十坐:この……外道がッ!
十坐:降りてこい……俺と戦えッ!
天墜:過ぎた口を利くな、人間風情が。
天墜:猿は猿同士、みにくく争っていろ。

 十坐の前に狒狒が立ちふさがる。
 拳が止まる。

十坐:……よせ……これ以上戦うな。そんな体で……ッ。
楪:ためらうんじゃねぇよ、旦那!
楪:もう……そいつらは救えねぇ。殺せッ!
十坐:……くそ……ッ!
楪:旦那ッ!

 その時、十坐に襲いかかろうとしていた狒狒が強い衝撃により消し飛ばされる。

十坐:!

 土埃の中から現れたのは麻由良。

麻由良:「情けは人の為ならず」と言うんだったわね、あなたたちの言葉では。
十坐:麻由良……。
麻由良:報いを受ける前に死んでは世話がないけれど。
天墜:来たか……麻由良。

 手を広げる「天墜」。

天墜:待ちわびてしまったよ。
天墜:さぁ、早くおいで。
麻由良:……ええ、すぐに行くわ。

 楪がそっと耳打ちする。

楪:怪我は平気か。
麻由良:問題ない。
楪:上等。手はず通り意地でも活路はこじ開けてやる。
楪:お前はただ前だけ向いて進めばいい。
麻由良:頼もしいことね。
十坐:……すまない麻由良。助かった。
麻由良:同情しないわけではないわ、狒狒たちにも。
麻由良:けれど戦場に持ってくる感情ではないでしょう。
十坐:ああ……目が覚めたよ。

 楪と並び「天墜」を見上げる十坐。

十坐:俺とて、こんなところで死ぬわけにはいかん。
十坐:迷いは晴れた。我らの役目を果たそう、楪殿。
楪:ああ。構えな、来るぜ。

 槍と拳、それぞれが構えられる。
 襲いくる狒狒たちの怒号。十坐と楪が迎え討つ。

楪:行けッ! 麻由良!

 乱戦のなか、麻由良は「天墜」だけを見据え進んでいく。
 死力を尽くし、道を開く楪たち。
 兵の叫び声。
 一匹、一匹と腐り落ちていく狒狒たち。

麻由良:(戦の阿鼻叫喚(あびきょうかん)が耳をつんざく。)
麻由良:(反して心は妙に穏やかだった。)
麻由良:(腐り落ちていく狒狒たちで作られた屍の道の先に父が待ち構えている。)
麻由良:(かつて父だったもの。)
麻由良:(母様、聞こえる?)
麻由良:(救いはあるのかしらね。この腐った此岸に。)

 麻由良が「天墜」のもとへたどり着く。
 対峙する二人。

天墜:「天墜」がなぜ、暴虐の限りを尽くした末に地へ堕とされたか知っているか?
麻由良:知る由(よし)があると思う?
天墜:彼は「飢えの苦しみ」にさいなまれていた。
天墜:化け物としての性(さが)だ。
天墜:それほどまでに欲とは抗いがたいものなのだよ。
麻由良:何が言いたいのかしら。
天墜:私は奔流に飲まれなかった。
天墜:自我を保ってここにいる。
天墜:欲望を……「天墜」を従えた。
天墜:わかるか、麻由良。化け物以上の存在を何と呼ぶのか。
麻由良:……。
天墜:「神」だ。「神」と呼ぶ。

 恍惚と語る「天墜」に対し、ため息を落とす麻由良。

麻由良:あなた、鏡で自分の姿を見たことある?
天墜:何?
麻由良:狒狒たちと対して変わらないわよ。
麻由良:随分とみにくい神がいたものね。

 あざける麻由良に対して「天墜」の顔が不気味に歪む。

天墜:まだまだしつけが必要だな……お前には。
麻由良:あなたにしつけられた覚えは一度もない。

 「錠」が開いていく。

麻由良:今さら父親面しないでちょうだい。

 「怒り」の力が放たれる。

 一方、狒狒の大軍と戦う楪と十坐。

楪:ハァッ、ハァッ……。クソッ、キリがねぇ……!
十坐:大丈夫か、楪殿。
楪:ああ。ちっと猿どもの顔に見飽きてきただけだ。
十坐:徐々にだが……こちらが押してきている。
十坐:相手はかなりの数が自滅しているな。
楪:おい、気に病むなよ旦那。
十坐:わかっている。正念場だ。
十坐:皆、気を抜くな! 都を守りきれ!

 兵が十坐の鬨に応える。
 それを裂くように大きな衝撃音が響く。

楪:ッと……。あっちも派手にやってるみてぇだな。
十坐:ああ。彼女なら必ずやってくれる。信じよう。
楪:……。

 次々に放たれる大きな衝撃。
 木々がなぎ倒され、逃げるように鳥たちが羽ばたいていく。
 足を止め、その様子をじっと見る楪。

十坐:楪殿?
楪:……逸(はや)るなよ、麻由良……。

 気づかずに発していた言葉を十坐が耳にする。

十坐:楪殿。
楪:ッ! 悪ィ、こんな時に呆けちまうとは……。
十坐:いや、ここは俺たちだけで十分だ。
十坐:あなたは麻由良の加勢へ向かってくれないか。
楪:ぁぁ? 何言ってんだ。「天墜」はあいつに任せると……。
十坐:その通りだ。だが手助けをせんとは言ってない。
楪:……。
十坐:行ってくれ。子ども一人に背負わすにはあまりに重すぎる。
楪:……すまん、旦那。ここは任せる。
十坐:おう!

 楪が素早く走り去る。
 拳と拳をぶつけ、敵に向き直る十坐。

十坐:任せたぞ、楪殿……麻由良。

 麻由良と天墜の戦いが続いている。
 「怒り」の力で天墜の頭部が吹き飛ばされるが、またたく間に再生する。

天墜:お前はもう少し賢い子だと思っていたが……。
天墜:まだわからないのか?
天墜:無駄なんだ。どうあっても私は殺せん。
麻由良:……本当に神に成ったとでも?
天墜:信じられんか?
天墜:これから証を立ててやるさ。

 「天墜」の手が麻由良に伸びる。

天墜:お前を喰らった後でな。
麻由良:あなたじゃなれないわ。
麻由良:神にも……化け物にすらなれはしない。
天墜:わかったわかった。お前の言い分は腹の内で聞いてやる。
麻由良:いつまで母様を探しているつもり?

 麻由良の言葉に「天墜」の手が止まる。

天墜:……何だと?
麻由良:目を背けるな。あなたが本当に欲しいものは私ではない。

 嘲笑を浮かべる麻由良。

麻由良:まるで蜜に群がる羽虫ね。
麻由良:あなたが真に求めているものを見せてあげましょうか。

 懐から一つの「錠」が取り出される。
 「天墜」の目の色が変わる。

天墜:……それは……。
麻由良:母様はここよ。

 いつかの情景の続きが映り込む。
 焦土と化した里で、去っていく麻由良を呆然と見つめる浅葱の姿が見える。

天墜:何だ……この景色は。
天墜:あれは……私か?

浅葱:待て、麻由良。どこへ行く。
浅葱:椿、何をしている。麻由良が行ってしまうぞ。
浅葱:おい、椿。

 浅葱の膝が地面に折れる。
 ぽつぽつと降り出した雨がやがて廃墟の里を包んでいく。

天墜:私が椿を求めているだと?
天墜:馬鹿な……何を言い出すかと思えば。
天墜:あんな男にへつらうことしか能のない女中くずれを?
天墜:椿……不気味な花だ。
天墜:散るわけでもなく、その身を投げるように地に落ちていく。

浅葱:……行かないでくれ……。

天墜:気まぐれに娶(めと)っただけだ。
天墜:私の血を絶やしたくなかった。
天墜:封印術が使えぬ代わりに、私には膨大な知識がある。
天墜:選ばれた存在なのだ。力や能力にかまけただけの輩とは違う!

浅葱:……お前の為なんだ。お前の為に私は……。

天墜:くそッ、不愉快だ! 消えろ、軟弱者が……ッ。

浅葱:……椿ィ……。

 情景をかき消す「天墜」。

天墜:ウオオオオオオッ!

 咆哮を上げ、「天墜」の腕が麻由良の首を掴む。

麻由良:うッ……ぐ……ゥッ。
天墜:餓鬼(がき)……ッ。餓鬼餓鬼、クソ餓鬼が……ッ!
天墜:父に逆らうなッ!

 「天墜」の体が少しずつ腐り落ちていく。

天墜:お前の顔ォ……椿に似てきたな。
天墜:その目で見るなッ! 私をォ……ッ。
麻由良:……あなたを、理解していたのは……。

 首を締められながらも目を逸らさない麻由良。

麻由良:この世で一人、母様だけ。
天墜:ウ……グゥゥ……ッ。

 「天墜」の体が溶けていく。
 血走った目が見開かれ、大きく口が開く。

天墜:ガアアアアアッ!

 麻由良を喰らおうとする「天墜」。
 その瞬間、槍を突き立てた楪が割って入る。
 槍は「天墜」の喉奥を貫き、同時に巨大な牙が楪の体に深く刺さる。
 「天墜」の手から離れ、地に伏す麻由良。

麻由良:ゲホッ、ゲホッ……。
楪:……よォ、無事か。
麻由良:……あなた……。
天墜:「雷槍」ォォォ……! 邪魔をするなァ!

 牙に力が込められ、さらに深く刺さっていく。
 楪の口から血が滴る。

楪:よく味わえよ、コラ……。ご馳走だぜ。

 楪の槍は「天墜」を逃さない。
 溶けゆく体の中、拮抗が続く。

天墜:阿婆擦れ(あばずれ)が……ッ!
楪:麻由良。
麻由良:!
楪:今なら……殺せんじゃねぇのか、こいつを。
麻由良:……。
楪:狒狒どもと同じだ。
楪:しょせん、どう足掻こうが「天墜」になんかなれねぇんだよ……誰も。
天墜:黙れ! 私は違う……。
天墜:選ばれたのだ、私はァ……ッ!

 さらに牙に力が込められる。
 骨が砕け、血を吐く楪。

楪:……ッ……!
楪:……やれ……。
楪:お前がケリをつけろ!
麻由良:……死ぬわよ、あなたも。

 楪が笑う。

楪:六角のジイさんたちと……黄泉で酒でも飲むさ。

 少し目を伏せた後、「天墜」に向き直る麻由良。
 携えた「錠」を開いていく。

天墜:麻由良ァァァ……ッ!

 ふと、「錠」の動きが止まる。

麻由良:……どうして……?
楪:おい……? 何してる、早く……ッ。
麻由良:どうして止めるの……母様。
天墜:ウ……ガアアアアアアッ!

 「天墜」が槍をへし折り、楪を弾き飛ばす。
 致命傷を負い、地を転がる楪。

楪:が……はッ。
天墜:私は……落伍者(らくごしゃ)なんかじゃない。
天墜:私を哀れむな。見るな、私を見るなァッ!

 溶けゆく体にもがき苦しむ「天墜」。
 「錠」を携えた麻由良が静かに口を開く。

麻由良:「浅葱様。」
天墜:……!

 「天墜」の動きが止まる。

麻由良:「お許しください。妻として、あなたの苦しみに寄り添うことのできない無力を。」
天墜:何を……何を、言っている。

 小さく首を振り、「錠」を見せる麻由良。

麻由良:母様の言葉よ。
天墜:戯言(ざれごと)を抜かすな……。
天墜:あいつは死んだ。

 目が閉じられ、再び言葉が紡がれていく。

麻由良:「おっしゃる通りです。元より病魔に冒され、幾ばくもない余命でございました。」
麻由良:「肉体は死を迎えましたが、魂は錠に宿り、みにくくも此岸に執着しております。」
麻由良:「これは呪いです。」
麻由良:「世の理(ことわり)を否定した罰。」
麻由良:「ですが、これ程に心地よい罰が他にございましょうか。」
麻由良:「またあなた様と出会うことができました。」
天墜:やめろ……私は……!

 「天墜」の頭が溶けていく。

天墜:アアァ……ア……。

 その下には「かつての顔」がある。

浅葱:……椿……。
麻由良:「許されるなら私の我がままを聞き届けてもらえませんか。」
浅葱:何だ。
麻由良:「どうか、おそばに置かせてください。永劫(えいごう)に。」
浅葱:永劫、か。

 力なく笑う浅葱。

浅葱:全く……欲深いことだ。
麻由良:黄泉の断罪よりも重い懲罰になるわよ。
浅葱:だろうな。

 浅葱が麻由良を見る。

浅葱:麻由良、やはりお前は天才だ。
浅葱:お前の「錠」は天さえも鎖(とざ)し得る。
麻由良:……。
浅葱:凡庸な両親のことなど一刻も早く忘れろ。
麻由良:……私は。

 見上げた瞳には憂いが覗く。

麻由良:凡庸でもよかった。
浅葱:……そうか。
麻由良:ねぇ、母様のこと好き?

 やがて浅葱の体も溶けていく。
 掲げられていた「錠」が開き、光が周囲を包んでいく。
 溶けゆく体が大地と同化し、消滅する。
 閉じられた「錠」を静かに見つめる麻由良。

麻由良:……答えなさいよ、卑怯者。

 静寂が戦の終わりを告げる。
 血を流し倒れている楪のもとへ十坐が駆けつける。

十坐:楪殿! 目を開けてくれ、楪殿ッ!

 十坐の呼びかけに楪の目がかすかに開く。

十坐:すぐに衛生兵が来る。気をしっかり保ってくれ!
楪:……麻由良は……。
十坐:無事だ。務めを果たしてくれたぞ。

 麻由良が楪の顔を覗き込む。

麻由良:……。
楪:……殺したのか?
麻由良:封印した。

 固く閉じられた「錠」を見せる麻由良。

麻由良:母様と一緒に。
楪:そうか……。

 優しく微笑む楪。

楪:家族だもんな。
麻由良:どうかしらね。
麻由良:こんな力さえなかったら、そうなれたかもしれないわ。
楪:なぁ、麻由良。

 言葉とともに、口元からは止めどなく血が流れていく。

楪:お前はもう好きに生きろよ。
楪:何を貴(たっと)んでもいい。その方が楽しいぜ。
麻由良:それが「七毒」の言うこと?
楪:はは……知ったことかよ。

 楪の呼吸が浅くなっていく。

十坐:楪殿……。もう、喋るな。
楪:もっと……近くに来てくれよ、麻由良。

 麻由良が腰を下ろし、楪の顔を覗く。
 楪の目に涙が浮かんでいく。

楪:……ごめんな……。
麻由良:……?
楪:姉ちゃんらしいこと何にもしてやれなくて……。

 涙が楪の頬を伝う。
 伸ばした指先がそっと麻由良の頬に触れる。

楪:ごめん。

 楪の瞳から光が消え、指先が地に落ちる。
 なおも目を合わせ続ける麻由良。

麻由良:私に姉はいないわよ。

 麻由良が楪のまぶたをそっと閉じる。

麻由良:……くだらないわね。

 悔しげに目を背ける十坐。
 次々と駆けつけた衛生兵たちが呆然と立ち尽くす。
 長い戦いが終わりを迎えた。

 ――数日が経ち。
 都では「天鎖の乱」で受けた被害からの復興が進んでいる。
 墓石に花を手向ける十坐の姿。
 その後ろには麻由良が横目に佇む。

十坐:(四名の「七毒」、並びに多数の戦死者を出し、壊滅的な害を被った「天鎖の乱」。)
十坐:(長きに渡る戦いの末、敵軍の殲滅という形で勝利を収めることができた。)
十坐:(「都の復興、およびに「七毒」の迅速な再編を目指さねばならぬ」とは、劉雲の言だ、)
十坐:(天賦の才を持つと謳(うた)われる彼の息子の台頭も近いだろう。)
十坐:(この大乱を機に「七毒」も大きな転換を迎えることになる。)
十坐:(だが、ゆめゆめ忘れてはならない。)
十坐:(今日という日が散った戦友たちの命の上に成り立っていることを。)

 目を閉じ、手を合わせる十坐。
 麻由良の方へ向き直る。

十坐:……君も手を合わせていかないか。
麻由良:人間のしきたりでしょう、それは。
十坐:しきたり、か。特に意識したつもりはなかったな。
麻由良:黄泉神(よもつかみ)に祈るつもりはないわ。
十坐:ふっ……それは悪かった。強制はしない。
麻由良:……けれど。

 墓前へ腰を下ろす麻由良。
 供花の傍らに「錠」をそなえる。

麻由良:労いの気持ちくらいはある。
十坐:それは……錠か?
麻由良:手向けの花代わりよ。
十坐:いいのか? その中には……。
麻由良:私にはもう必要ない。

 立ち上がり、小さく微笑む。

麻由良:あなたは妹と。母様は父様と……安らかに眠るといい。

 その様子を見た十坐も優しく笑い、そっと麻由良の頭に手を置く。

十坐:ああ、ここは良い場所だ。
十坐:安心して眠れるさ。

 十坐を一瞥し、置かれた手を払う麻由良。

麻由良:……子ども扱いはやめてもらえる?
十坐:す、すまん。つい娘と同じ感覚で……。

 小さくため息をつき、歩き出す麻由良。

麻由良:行くわよ。これから忙しくなるでしょう。
十坐:そうだな……やることが山積みだ。

 草花の茂る参道を歩く二人。

麻由良:……ねぇ。
十坐:ん?
麻由良:娘さんのこと、好き?
十坐:ははッ、何だ突然?
十坐:もちろんだとも。命を賭しても惜しくはない程だ。
麻由良:……そう。
十坐:いつか君にもそんな存在ができるよ。
麻由良:あり得ないわね。

 二人の姿が道の向こうへと消えていく。

麻由良:(しょせん、常世(とこよ)はみにくい我欲の坩堝(るつぼ)。)
麻由良:(だからこそ現人(うつせみ)は私の錠を求める。)
麻由良:(欲の宿命からは決して逃れることはできない。)
麻由良:(でも……それゆえに。)
麻由良:(路傍に咲く無垢の花を、どうしようもなく愛おしいと思えるのでしょうね。)
麻由良:(全く……くだらない話。)

 墓前の供花と固く閉じられた「錠」を陽光が優しく照らす。

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