マザーランドの真実
【タイトル】
「マザーランドの真実」
殺し屋シリーズ・2部8話
【キャスト総数】
5(男:1 女:4)
【上演時間】
30〜分
【あらすじ】
さぁ、お祈りをしましょうね。
素晴らしい「家族」と
今日という日をともに過ごせる幸せに感謝を込めて。
違う。
ここは「楽園」なんかじゃない。
欲望の檻に囲まれた「地獄」なんだ。
暗い絶望の中で差し出された手は
それぞれが初めて感じた暖かさだった。
一人の少女は血塗られた神に縋り、
一人の少女は偶像のまやかしと割り切った。
「マザーランド」は消え去った。
【登場人物】
・ヘザー(女)
「マザーランド」に暮らす少女。
園では年長者。リグレットの親友。
・リグレット(女)
「マザーランド」に暮らす少女。
園では年長者。ヘザーの親友。
・ノエル(女)
「マザーランド」のシスター。
園に暮らす子どもたちの母。
・アッシュ(男)
マフィア「ベルトリオファミリー」に属する殺し屋。
顔から首筋にかけてひどい火傷の跡を持つ。
・シャーク(女)
3人組(チーム)で仕事を行う殺し屋。
荒っぽい言動が目立つ。
【本編】
とある過去の記憶。
人気のない荒地に銃声だけが響いている。
硝煙の先にある的についた不揃いな弾痕を見据える少女。
不意に背後からかけられた声に体が固まる。
シャーク:軸がブレすぎだな。
シャーク:自分の型を染み込ませとけ。
シャーク:モタついてる間に死ぬぞ。
ヘザー:あ……う、うん。
シャーク:あと体も作れ。
シャーク:てめぇの得物に振り回されてんじゃ世話がねぇ。
ヘザー:わかった。
ヘザー:あの……おかえりなさい。
散々撃ち尽くされた射撃用の的を見るなり、小さく息を吐く女。
シャーク:自由にやっていいとは言ったがよ……。
シャーク:加減ってモン知らねぇのか?
シャーク:弾もタダじゃねぇんだぞ……ったく。
女が背を向ける。
目を伏せる少女。
ヘザー:……ごめんなさい。
シャーク:今日はもうやめとけ。帰るぞ。
ヘザー:は……はい。
歩いていく背中についていく少女。
都心から離れた町の小さなホテル。
椅子に腰掛け通話している女。
シャーク:……ああ、でけぇシノギが入ってよ。
シャーク:しばらくは戻れそうにねぇ。
シャーク:ムカデにも伝えといてくれ。
シャーク:……あ? んなワケねぇだろ!
シャーク:大体寂しがってんならゲームばっかしてねぇで電話出ろっつっとけ!
シャーク:あぁ、こっちは心配すんな。
シャーク:じゃあな。あんたもしっかりやれよ。
通話が切られる。
少女が女の方を見る。
ヘザー:……誰?
シャーク:相棒だよ。
シャーク:また男と遊んでやがったな、あいつ……。
ヘザー:相棒……。
シャーク:んなことより銃のメンテしとけよ。
シャーク:この間教えただろ。
ヘザー:あ……うん。
銃を手に取るヘザー。
ふと、その手が止まる。
ヘザー:……いいな。
シャーク:あ?
ヘザー:相棒とか……仲間とか。友だち……とか。
シャーク:……。
ヘザー:私も……早く会いたい。
視線を外し、首筋に触れる女。
やがて紙袋を取り出し、テーブルに置く。
シャーク:ほら、こっち来て食えよ。
きょとんとした顔で見る少女。
ヘザー:……これは?
シャーク:「パルフェ」のドーナツ。美味ぇぞ。
ヘザー:あ、ありがとう……。
遠慮がちにドーナツを取り出し、口にするヘザー。
口に広がる優しい甘みに驚く。
ヘザー:……美味しい。
シャーク:だろ?
ヘザー:うん。
シャーク:あたしもよ、甘党ってワケじゃねぇが……。
シャーク:まぁ、ここは別格だな。なかなかやるぜ。
ヘザー:ふふっ……。
少女の顔に小さく笑みがこぼれる。
テーブルを挟んで向かい合う二人。
女が真っ直ぐに少女の目を見据える。
シャーク:……焦んじゃねぇよ。
ヘザー:えっ……。
シャーク:お前が選んだ道は想像してるよりひでぇもんだぞ。
シャーク:あたしらは殺しでメシ食ってんだからな。
シャーク:弾みで死んでも何の文句も言えねぇ。
ヘザー:……。
シャーク:そういう世界だ。
シャーク:だがな……この街で誰も文句のつけられねぇ奴も殺し屋さ。
シャーク:「強い」ってのは明快なステータスだからな。
少女が目を伏せる。
ヘザー:私は強くなりたい。
ヘザー:強くならなきゃ……何も変えられない。
シャーク:だったら、お前自身が今どこに立ってるのかしっかり見定めろ。
シャーク:腕のねぇ奴がいくら勇んだところでいいマトになるだけだ。
顔を上げる少女。
ヘザー:……早く先生みたいに強くなりたい。
少女の発した言葉に目を開く女。
視線を外し席を立つ。
シャーク:やめろ、そんな柄じゃねぇ。
ヘザー:でも……なんて呼べばいいかわからない。
ため息を落とす女。
シャーク:シャークだ。
シャーク:あたしの名は。
静かに部屋を出ていくシャーク。
ヘザー:(神様よりもあなたを信じる。)
ヘザー:(止まらず真っ直ぐに前を向くあなたを。)
ヘザー:(待っていて、リグ。)
ヘザー:(必ず迎えに行くから。)
――「マザーランド」。
小鳥のさえずりが聞こえる早朝。
シスターが子どもたちに語りかける。
ノエル:おはよう、皆。
ノエル:お寝坊さんはいませんか?
ノエル:さぁ顔を洗って、歯を磨いて。
ノエル:今日という日に感謝しましょうね。
ノエル:朝食の前にお祈りですよ。
子どもたちの姿を見回すノエル。
やがて、一人の年長者に声をかける。
ノエル:リグレット。
リグレット:はい。何でしょうか、シスター。
ノエル:ヘザーを見てない?
ノエル:どこにも見当たらないのだけど……。
リグレット:たぶん外じゃないでしょうか。
ノエル:もう、あの子も年長なんだからしっかり皆をまとめてほしいのに。
リグレット:しっかりしてますよ、ヘザーは。
リグレット:あの子の言うことしか聞かない子もいますし。
リグレット:……ミアとか。
ノエル:やっぱり落ち込んでいるのかしら?
リグレット:そうかもしれません。
リグレット:あまり表には出さないけれど。
ノエル:ねぇ、リグレット。
ノエル:ヘザーを呼んできてくれる?
ノエル:早くしないと皆お腹をすかせてしまうわ。
リグレット:わかりました。
ノエル:あの子を見つけるのは、あなたが一番上手だからねぇ。
リグレット:ふふ……行ってきます。
去っていくリグレット。
シスターが子どもたちへ笑顔を向ける。
ノエル:さあさ皆、礼拝堂へ行きますよ。
ノエル:神父様がお待ちです。
宿舎を離れ、園の外れの方へと歩いていくリグレット。
リグレット:(今日はきっと外れの方にある大きな樹に登っているんじゃないかな。)
リグレット:(ヘザーは一人になりたい時、決まって見つかりにくい場所に行く。)
リグレット:(遠くを眺めながら、ぼうっと耳をすませたりして。)
リグレット:(……ほら、やっぱり。)
大樹の下からヘザーに呼びかけるリグレット。
リグレット:ヘザー!
声に気づいたヘザーがリグレットを見下ろす。
ヘザー:……リグ?
リグレット:シスターが呼んでるよ。
リグレット:お祈りに行かないと。
ヘザー:……。
リグレット:ヘザー?
ヘザー:ごめん。
リグレット:……もう。
大樹を登っていくリグレット。
リグレット:よっ……と。
ヘザー:危ないよ、リグ。
リグレット:お互い様でしょ?
ヘザー:私は慣れてるから。
リグレット:体動かすの得意だもんね。
リグレット:何を見てたの?
ヘザー:別に……。
ヘザー:あ、でも遠くで何か聞こえたような気がした。
ヘザー:銃声……みたいな。
リグレット:銃声?
ヘザー:パーン、って……。
ヘザー:時々聞こえない?
リグレット:たぶん猟師さんじゃないかな。
リグレット:たくさん動物がいるから仕事に困らないんだって。
ヘザー:……かわいそうだね。
遠くを眺めるヘザーの横顔を一瞥するリグレット。
リグレット:ねぇ、戻ろうヘザー。
リグレット:皆待ってるよ。
ヘザー:うん……わかった。
大樹から降り、並んで歩いていく二人。
リグレット:シスターがね、ミアのお別れ会をしようって言ってた。
ヘザー:……そう。
リグレット:あの子、あなたに懐いてたから……。
リグレット:皆を代表してさよならの言葉を送ってほしいって。
目を伏せるヘザー。
ヘザー:お別れなのかな。
リグレット:えっ……。
ヘザー:もう会えない? 二度と?
リグレット:それは……。
ヘザー:どうして会えないんだろう。
ヘザー:私たちって家族でしょ。
ヘザー:おかしいよ……嫌だな。
リグレット:ヘザー、あのね……。
リグレットの手を掴むヘザー。
ヘザー:リグは行かないよね。
ヘザー:さよならの言葉なんて言いたくないから。
リグレット:……うん。私は一緒にいるよ。
リグレット:置いて行ったりなんかしないから。
リグレット:安心して。
小さく微笑むヘザー。
ヘザー:ありがとう。
手を繋ぐ二人の前に教会が見えてくる。
ヘザー:(私たちの間では度々「お別れ」が訪れる。)
ヘザー:(重たい門扉(もんぴ)が開いて、手を振りながら去っていく姿。)
ヘザー:(昨日までとなりで笑っていた家族がいなくなる。)
ヘザー:(体にぽっかりと穴が空いてしまったようにむなしくて辛い。)
ヘザー:(シスターは「喜ばしいこと」と言うけれど、いつになっても慣れることはない。)
ヘザー:(……慣れたくない。「お別れ」が当たり前になるなんて嫌だ。)
――数日後。
ぼんやりと遠くを見るヘザーにノエルが声をかける。
ノエル:ヘザー。
ヘザー:何?
ノエル:立派だったわね。
ノエル:ちゃんと「お別れ」が言えて、偉いわ。
ヘザーの頭に手を置くノエル。
ヘザー:やめてよシスター。
ヘザー:私もうそんな子どもじゃない。
ノエル:あら……ふふ、ごめんなさい。
ノエル:でもお祈りの遅刻は控えてね、お姉さん。
ヘザー:……ごめん。
静かに笑うノエル。
少しためらった後、ヘザーが口を開く。
ヘザー:ねぇ、シスター。
ノエル:どうしたの?
ヘザー:ミアは……新しい家族のところへ行くのよね。
ノエル:ええ、そうよ。
ヘザー:もう会えないの?
ノエルが優しく目線を合わす。
ノエル:会わない方がいいの。
ノエル:それがあの子の為でもあるのよ。
ヘザー:そう……なのかな。
ノエル:「汝(なんじ)、友の門出を祝福すべし」。
ノエル:神父様もおっしゃっているでしょう?
ノエル:人にはそれぞれの旅路があるのだから。
ノエル:新しい家族との生活を祝ってあげなきゃ。ね?
ヘザー:……私には、誰も迎えに来ないね。
ノエル:ヘザー。
ヘザー:いつも……見送ってばかり。
そっとヘザーを抱きしめるノエル。
ノエル:そんな顔をしないで……。
ノエル:ここにいる限り私があなたの母よ。
ヘザー:うん……わかってるよ、シスター。
ノエル:神父様もリグレットもいるわ。
ヘザー:……。
ノエル:あなたにはあなたの幸せがきっとあるのだから……。
ノエルの腕を抱くヘザー。
そこへリグレットが通りかかる。
リグレット:あ……っ。
リグレット:ご、ごめん、ヘザー。
ヘザー:! だ、大丈夫。
ヘザー:どうしたの、リグ。
リグレット:えっと……ミアが探してるよ。
リグレット:あなたと遊びたいって。広場にいる。
ヘザー:わかった、すぐ行く。
ヘザー:じゃあね、シスター。
顔を伏せるように走り去っていくヘザー。
ノエル:ふふ、恥ずかしがらなくてもいいのに。
リグレット:何かあったんですか?
ノエル:寂しいのよ、あの子。
ノエル:心配しなくてもずっと一緒なのに、私たち……。
ノエル:ねぇ? リグレット。
ノエルが微笑みかける。
リグレット:……はい。
ノエル:さぁ、夕食の支度をしなきゃね。
ノエル:行きましょうか。
ノエルに続くように歩いていくリグレット。
リグレット:(数日後、ミアは去っていった。)
リグレット:(ヘザーも最後は笑顔で見送っていたけれど……。)
ヘザー:……う……うう……っ。
リグレット:(夜。ベッドから彼女のすすり泣く声が漏れていた。)
リグレット:(私はドアを開けることができなかった。)
リグレット:(なんて声をかければいいかわからなかったから。)
ヘザー:……お母さん……。
リグレット:(大丈夫よ、ヘザー。)
リグレット:(私がいる。)
リグレット:(あなたは私を受け入れてくれたもの。)
リグレット:(がらんどうの私を。)
――深夜。
宿舎の裏手にある林の中。
静かに呟く声と刃物で肉を抉る音が断続的に聞こえてくる。
リグレット:大丈夫……大丈夫……。
光の灯らぬ瞳で動物の臓腑を抉り続けるリグレット。
ふと、背後からひとつの人影が現れる。
アッシュ:こんばんは、お嬢さん。
リグレット:ッ!
音もなく現れた人影に警戒をにじませる。
リグレット:ど……どちら様ですか?
アッシュ:驚かせちゃいましたかね。
アッシュ:お楽しみのところ申し訳ありません。
リグレット:あ……っ。
リグレット:こ、これは……その。
ズタズタに引き裂かれた動物の死骸を覗き込む男。
アッシュ:それ猫ですか?
アッシュ:いや、猫だったものかな。
アッシュ:んー、ひどいニオイだ。
リグレット:わ、私……あの。
アッシュ:そんなに怯えなくていいですよ。
アッシュ:他言する気はありません。
アッシュ:それよりシスター・ノエルにお会いしたいのですが……。
アッシュ:いやぁ、すっかり迷ってしまいまして。
アッシュ:広いですよねぇ、ここ。
飄々と話す男に怪訝な表情を浮かべながらも、呼吸を整える。
リグレット:……でしたらご案内します。
アッシュ:それは助かりますね。
リグレット:こちらです。
背を向けるリグレット。
アッシュ:ああ、ちょっと待って。
アッシュ:血がついてますよ。
アッシュ:これ使ってください。
ハンカチを差し出す男。
リグレット:で、でも……汚れてしまいます。
アッシュ:お気になさらず。
アッシュ:紳士として当然のたしなみですので。
リグレット:……ありがとうございます。
アッシュ:さ、行きましょう。
リグレット:(その人は私の「日課」を涼しげに眺め、笑みすら浮かべていた。)
リグレット:(まるで面白いお芝居でも観ているかのように……。)
リグレット:(ふと見ると、顔から首にかけてひどい火傷の跡がうかがえた。)
リグレット:(痛々しくも……なぜか少し美しくも見えた。)
――ゲストルーム。
来客に対し粛々と頭を下げるノエル。
ノエル:お待ちしておりました、ミスター・アッシュ。
アッシュ:やぁ、どうもノエルさん。
アッシュ:夜分遅くにすみません。
ノエル:とんでもないことです。
ノエル:ご足労いただき感謝致します。
アッシュ:参りましたよ、道に迷ってしまって。
アッシュ:そこの親切なお嬢さんに案内してもらいました。
ノエル:まぁ、ありがとうリグレット。
リグレット:いえ……。
ノエル:ああ、そうだわ。神父様がお呼びよ。
ノエル:すぐに礼拝堂にお行きなさい。
リグレット:……はい。
一礼し、退室していくリグレット。
アッシュ:リグレット……あぁ、あの子ですか。
アッシュ:神父様のお気に入りは。
ノエル:左様でございます。
アッシュ:こんな夜更けに礼拝堂へお呼び出しとは……。
アッシュ:好きですね、あの人も。
ノエル:彼は少々、嗜虐癖(しぎゃくへき)がありますので……。
ノエル:リグレットは都合が良いのです。
アッシュ:と、言いますと?
ノエル:彼女には痛みの感覚がありません。
ノエル:並みの子では身が持ちませんので……。
ノエル:下手をすれば取り返しがつかなくなります。
アッシュ:へぇ……。でも、いたぶる方としてはつまらないんじゃないですか?
アッシュ:反応を楽しみたいんでしょ、そういう人って。
ノエル:あの子はお芝居も上手ですの。
アッシュ:はは……なるほど、女優だなぁ。
ノエル:ごめんなさい、お話が逸れましたね。
ノエル:こちら「商品」のリストです。
アッシュにリストを渡すノエル。
アッシュ:はい、確かに。
アッシュ:いやぁ初めて知りましたよ。
アッシュ:良い値で売れるんですねぇ、子どもって。
ノエル:特殊な趣向をお持ちの殿方は多いものですから。
アッシュ:神父さんが良い例ですね。
アッシュ:全く、ウチのボスの商才には恐れ入ります。
アッシュ:新種のヤクだけじゃなくて女児の売買までやってるんですから。
ノエル:あくまで私はあなたのスポンサーですよ、ミスター。
ノエル:あなたが「ベルトリオ」を統べる日が来るのを心待ちにしております。
アッシュ:参ったなぁ、頑張らなくちゃ……。
アッシュ:まぁ、二代目には存分に泳いでもらいますよ、今はね。
アッシュ:知ってます? フクロウは音もなく獲物を狩り取るハンターなんですって。
アッシュ:隙だらけで狙いがいもありませんけど……ははは。
ノエル:ふふ、恐ろしいこと。
ノエル:ワインでもいかがですか?
ノエル:良い品があります。
アッシュ:いいですねぇ、いただきましょうか。
アッシュ:酒の肴(さかな)に聞かせてくださいよ……「マザーランド」のこと。
断続的に木の軋む音が聞こえる。
リグレット:(そう、この体は何も感じない。)
リグレット:(生まれた時から神は私から痛みや温もりを感じる術を奪い取った。)
リグレット:(いくら血が流れようと関係ない。)
軋む音が激しくなる。
リグレット:(がらんどうの体を悶えさせ、主が好む嬌声(きょうせい)を上げる。)
リグレット:(私はこの大きな籠(かご)の中でしか生きられない。)
リグレット:(……でも。それでも。)
リグレット:(あなたがいてくれたら寂しくはないわ。)
薄く目が開く。
リグレット:……ヘザー……。
ふと、目を覚ますヘザー
頭痛に額を押さえ、窓の外を見る。
ヘザー:リグ……?
立ち上がり、窓の外を見るヘザー。
ヘザー:(妙な胸騒ぎが止まないその夜。)
ヘザー:(遠くに見える礼拝堂の片隅に、小さな明かりが灯っているのがわかった。)
ヘザー:(気づけば立ち上がっていた。)
ヘザー:(唯一、施錠されていない宿舎の天窓を抜ける。)
ヘザー:(引き返せ、と本能が告げる中、私の足は礼拝堂へ向かう。)
ヘザー:(小窓の縁から息を殺して中をうかがった。)
ヘザー:(そこには信じられないものが見えた。)
頭の中にノエルの声が反響する。
ノエル:(いい? ヘザー。)
ノエル:(私がお母さんで、神父様はお父さん。)
咄嗟に口元を押さえるヘザー。
ヘザー:……ぅ……ぐ……ッ!
ノエル:(ここはあなたの家。)
ノエル:(家族もたくさんいるわ。)
ノエル:(もうひとりじゃないのよ。)
ヘザー:……ぁあ……あああ……っ。
頭を抱え体を震わせる。
ヘザー:(考えないようにしていた。)
ヘザー:(ある日を境にいなくなってしまう家族のことも、私たちを閉じ込めるように囲まれた大きな柵のことも。)
ヘザー:(……神父様が、時おり舐めるように私たちの体を見てくることも……。)
ヘザー:(心の中に押し留めて固くフタをしていた。)
ヘザー:(決して触れてはいけないものだと。)
神父の動きが止まる。
立ち上がり、出入り口の方へ向かっていく。
リグレット:……ッ。神父様……。どちらへ?
乱暴にドアが開く。
目の前にはうずくまるヘザーの姿。
ヘザー:あ……し、神父……様……。
ヘザー:(乱暴にドアが開き、私の前に立っていた男は獣だった。)
ヘザー:(血走った目によだれを垂らした口元。)
ヘザー:(聖職者の皮を剥いだ悪魔は、秘密を知った私の口を封じようと手を伸ばした。)
リグレットが叫ぶ。
リグレット:お、おやめください! 神父様ッ!
一発の乾いた銃声が響く。
静寂の中、神父の体が揺らぎ倒れる。
ヘザー:えっ……。
リグレット:神父……様……。
暗がりに立つ銃声の主に視線が集まる。
吐き捨てるように口を開く人影。
シャーク:……胸クソ悪ィ。
硝煙をまとったその人物が背を向ける。
咄嗟にその背に呼びかけるヘザー。
ヘザー:ま……待って!
シャーク:あ?
ヘザー:何で殺したの……。神父様を。
シャーク:笑えるぜ。敬虔(けいけん)なプリーストは信者に手を出すモンなのか。
シャーク:盛り上がってるところに水さして悪かったが、こっちも仕事でよ。
ヘザー:仕事……?
シャーク:身ィさらすつもりはなかったんだがな……。
シャーク:柄にもねぇ。
ヘザー:どうして殺したの……。この人は私の……。
シャーク:私の何だ?
頭を振るヘザー。
ヘザー:……いや、違う……。
ヘザー:お父さんじゃない……こんなの……違う。
ヘザー:き、気持ち悪い……。ううう……ッ。
吐き気と頭痛が襲い来る。
ヘザー:嫌……嫌だ……。
ヘザー:ここにいたくない。
ヘザー:助けて……助けて、神様……。
シャーク:……チッ。
女がヘザーに近づき、目線を合わせる。
暗闇の中でも分かる強い瞳。
シャーク:そうやって死ぬ一歩前まで神様に祈ってたか?
シャーク:祈ったら助けてくれんのか、そいつはよ。なァ?
ヘザー:……っ。
シャーク:偶像に縋る暇があるなら引き金を引け。
シャーク:誰も親切に手なんか伸ばしちゃくれねぇぞ。
シャーク:ドブん中でもお前の手で掴みにいけよ。
シャーク:……生きてぇんなら。
ヘザー:……私……。
立ち上がり、ヘザーを見下ろす。
シャーク:拾った命だ。好きに使え。
背を向けて歩き出す。
弾かれたように顔を上げるヘザー。
ヘザー:あっ……。ま、待って!
リグレット:ヘザー。
放心したリグレットが弱々しくヘザーに語りかける。
ヘザー:……リグ。
リグレット:どうしよう……神父様が。
リグレット:わ、私、この人がいないと……。
リグレット:この人のお気に入りだから、ここにいられるのに。
リグレット:……あ、ああ、でも……私にはヘザーがいる。
リグレット:あなたがいるから私、悲しくないのよ。
リグレット:シスターも、皆も……家族だもんね、私たち。
リグレット:ね、ヘザー。
後ずさるように距離を取るヘザー。
ヘザー:……違うよ、リグ……。
リグレット:ヘザー……? どうしたの。
リグレット:どこへ行くの?
ヘザー:……ごめん……ッ。
逃げるように走り去っていくヘザー。
その姿が闇に消えていく。
ただ見つめているだけのリグレット。
リグレット:待ってよ。
リグレット:どうして? 行かないでよ。
闇に向かって手をのばすリグレット。
リグレット:置いて……いかないで……。
静寂に包まれていく。
――数分後。
明かりを持ったノエルが神父の死体を照らしている。
ノエル:……これは……。
アッシュ:おやおや、かすかに銃声が聞こえたような気がしたんですが……。
アッシュ:気のせいじゃなかったようですね。
ノエル:殺し屋……でしょうか。
アッシュ:そうみたいですね。
アッシュ:無駄撃ちもなくて、かなり手際が良い。
アッシュ:スマートな仕事は一流の証ですよ。
ノエル:セキュリティに穴はなかったはず……あぁ、くそっ!
ノエル:オーナーが殺(と)られるなんて……。
アッシュ:大丈夫ですか?
アッシュ:聖職者の顔が剥がれちゃってますけど。
ノエル:……いや、むしろ好都合か。
ノエル:この人が死んだとなれば責任者は私。
ノエル:私ならもっと上手くやれる……。
ノエル:コネのある組を全てリストアップし直して……バイヤーとも新たな名義で再契約を。
ノエル:ふふっ、忙しくなるわね。
アッシュ:ふぅ、聞こえてませんか。
アッシュ:……ん?
暗がりで放心しているリグレットを見つけるアッシュ。
アッシュ:おや、お嬢さん。いたんですか。
リグレット:……大丈夫……大丈夫……。
ぶつぶつと呟き続けるリグレット。
アッシュ:お嬢さん?
リグレット:……ああ……駄目。
リグレット:早く「日課」を……刺さなくちゃ。
リグレット:犬でも猫でも……何でもいい。
リグレット:ぐちゃぐちゃにして……。
肩を抱き、振るえている。
アッシュ:ノエルさん、ちょっといいですか。
ノエル:ッ! あ、ああ、申し訳ありません、考え事を……。
アッシュ:苦しそうですよ、あの子。
ノエル:え……? あら、リグレット?
ノエル:時々このような発作が起こるんです。
ノエル:精神的な類のものだと思うのですが。
ノエル:困ったわね、ヘザーがいれば都合が良いのだけど……。
ノエル:こんな時間ですものね。
ノエル:オーナーの死体を見せるわけにもいかないわ。
リグレット:……ヘザー……。
ノエル:ひとまず、死体を処理しないと……。
ノエル:長い夜になりそうね。
「ヘザー」の名前を聞いたリグレットの表情が悲しみから怒りに変わっていく。
リグレット:……置いていった……っ!
アッシュ:ふむ。
膝をつき、背中からリグレットに囁くアッシュ。
アッシュ:……リグレットさん、よく見てください。
アッシュ:あなたの目の前にいるのも動物ですよ。
リグレット:……。
アッシュが懐から取り出したナイフをリグレットに渡す。
アッシュ:これ、貸してあげます。
アッシュ:さぁ……「日課」を続けましょう。
リグレットに向き直り、手をのばすノエル。
ノエル:大丈夫よリグレット。
ノエル:私がついてるから、ね?
ノエル:さぁ、一緒にベッドまで戻りましょう。
優しく微笑みかけるノエル。
その瞬間リグレットの中の何かが弾け、激昂する。
リグレット:……ぅ、ぁぁぁああああッ!
差し出されたノエルの手を払うようにナイフが振り抜かれる。
地面に何かが落ち、転がっていく。
一瞬の出来事に放心しているノエル。
ノエル:……あ、……え……っ?
リグレット:ハァッ、ハァッ……!
アッシュ:ははは、お見事。
ようやく焦点の合ったノエルの視線の先には、自らが差し出した右手が転がっている。
出血ととも激痛が襲い来る。
ノエル:あ……ッ。
ノエル:あああああッ!
ノエル:手ッ……。私のッ、手、が……!
傷口を押さえ、激痛にうずくまるノエル。
吹き出す汗にまみれ、リグレットを見上げる。
ノエル:リグレット……?
ノエル:リグレットォ!
ノエル:あな、あなた……な、なんてことを。
ノエル:わ、私の手を、どうして……ッ!?
アッシュ:良い切れ味でしょう?
アッシュ:気に入ってるんですよ、そのナイフ。
ノエル:どういうおつもりですか……ミスターッ!
アッシュ:うーん、何といいますか……。
アッシュ:もういいかなぁ、って思って。
ノエル:は……!?
アッシュ:あなたにオーナーの代わりが務まるとも思いませんし。
アッシュ:手もなくしたんじゃ事務仕事もろくにできないでしょう?
アッシュ:頃合いです。今までご苦労さまでした。
ノエル:な、何を馬鹿な……!
ノエル:私ならオーナーより上手くやってみせます!
ノエル:必ずあなたのお役に立てますから!
ノエル:この「マザーランド」を……!
アッシュ:あなたより、この子の方がよほど役に立ちそうです。
リグレット:……。
ノエル:リ、リグレット……?
うつろな目でノエルを見下ろすリグレット。
リグレット:……大丈夫……大丈夫……。
ノエル:どうしたの……。
ノエル:ああもういいわ、許すから。
ノエル:そんな目で見るのはやめなさい?
アッシュ:行きますよ、リグレットさん。
アッシュ:さっさと済ませてくださいね。
リグレット:……はい。
その場を後にするアッシュ。
リグレットの目が暗く沈んでいく。
ノエル:……やめて、リグレット?
ノエル:ほら、こんなに血が出てる……痛いのよ。
ノエル:は、早く止めなきゃ……包帯を探してきてくれる?
ノエル:ねぇ……家族じゃない、私たち……。
リグレット:……違う。家族じゃない。
次第にノエルが激しい形相に変わっていく。
ノエル:この……ッ、クソガキッ!
ノエル:あなたをここまで育ててやったのは誰だ!?
ノエル:食わせてやったのは誰だッ!
ノエル:捨てられたあなたを……。
ノエル:私でしょッ!
ノエル:私はお母さんだろうがッ!
ノエル:やめろ、そんな目で見るな!
ノエル:ふざけるな……ふざけるなぁぁぁッ!
リグレット:……ごきげんよう、シスター。
ノエル:リグレットォォォォッ!
ナイフが振り下ろされる。
――「マザーランド」郊外。
ベンチに腰掛けていたアッシュが顔を上げる。
アッシュ:おや、終わりましたか。
リグレット:はい。お待たせしてしまい申し訳ありません。
アッシュ:お友だちにごあいさつは?
リグレット:もう済ませました。
アッシュ:こんな時間ですし驚かれませんでした?
リグレット:驚きも悲しみも何もありません。
リグレット:……もう目を覚ますこともないのですから。
アッシュ:ふっ、そうですか。
アッシュ:じゃ、行きましょうか。
立ち上がり、歩き出すアッシュ。
目を伏せたリグレットが語りかける。
リグレット:……あの……。
アッシュ:はい?
リグレット:ご迷惑ではありませんか……?
振り向いたアッシュが優しく微笑み、手をのばす。
アッシュ:とんでもない。
アッシュ:居場所なら僕があげますよ。
リグレット:……!
手を掴むリグレット。
リグレット:(その手はとても暖かかった。)
リグレット:(何も感じないはずの体が満たされたような気がしたのです。)
リグレット:(私に生きる為の居場所をくださった、大切なお方。)
リグレット:(あなたのお声は、まるで神のお告げのように荘厳(そうごん)な響きでした。)
リグレット:(この刃も、この体も……全ては親愛なるあなた様の為に。)
ふらつきながら夜道を歩き続けるホープ。
目の前を歩く女の後を必死についていく。
ヘザー:(私は逃げた。)
ヘザー:(あの時、伸ばされた手を取ることができなかった。)
ヘザー:(ひたすらに弱かった。)
ヘザー:(怖くて、もうここにはいたくないと思ってしまった。)
ヘザー:(そして「マザーランド」は消え去った。)
ヘザー:(偽りの家族ももうどこにもいない。)
ヘザー:(……今度は逃げないよ、リグ。)
ヘザー:(大切な友だちだから。)
ヘザー:(今度こそあなたと向き合う。)
テーブル越しに向かい合うシャークとヘザー。
シャーク:……仮の話だぞ。
シャーク:もしお前のダチが変わっちまってたらどうする?
シャーク:よくある話だ。環境は化け物も簡単に生んじまう。
真っ直ぐにシャークの目を見るヘザー。
ヘザー:……目を覚まさせる。
シャーク:はッ、良いじゃねぇか。
シャーク:どっかのゲーム馬鹿を思い出したぜ。
ヘザー:だから強くならなきゃ。
ヘザー:先生みたいな強さがないと奪われるだけだから。
シャーク:先生はやめろっつったろうが。
シャーク:……強くねぇよ、あたしは。
ふと遠くを見るシャーク。
シャーク:本当に欲しかったもんは取りこぼしてんだ。
シャーク:けど、まァ……お前は大丈夫だろ。
ぶっきらぼうにヘザーの頭に手が置かれる。
ヘザー:!
シャーク:真っ直ぐな馬鹿だ。
シャーク:案外そういう奴が全部手に入れちまうんだろうな。
ヘザー:(その手はとても暖かかった。)
ヘザー:(翌朝、あなたは何も言わずに去ってしまっていたけれど、不思議と悲しくはなかった。)
ヘザー:(「殺し屋」として歩み続ければ、また会えるような気がしたから。)
ヘザー:(過去の自分はここに置いていく。)
ヘザー:(名前も弱さも、何もかも。)
ヘザー:(これからは「希望」を抱いて行きていく。)
ヘザー:(銃声の響き渡る、この街で。)
静かに目を開く「ホープ」。
立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
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