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カンテラ町の灯【柔なる剛拳】

「カンテラ町の灯【柔なる剛拳】」
(カンテラちょうのともしび【じゅうなるごうけん】)

カンテラ町シリーズ・8話

【キャスト総数】
5(男:4 女:1)

【上演時間】
30〜分

【あらすじ】
外周にぐるりと吊るされたカンテラの灯。
骸のように聳えた建造物が立ち並び、天を覆う。
常に空気は薄暗く陽の光が地を照らすことはない。

――そこは「カンテラ町」。
青白く揺れる灯がともる町。

その光は彼岸の者から身を守り、
彼岸の者を逃さない。

風が草木を揺らし、
陽が水面に光る晴天の日。

一人の女性の声で眠っていた男が目覚める。

男は夢を見ていた。
暗闇に灯る青白い光が続く町。

確かに残る師から受けた拳の感触。

振りかぶる剛拳が討ち倒すべき敵は誰なのか。

【登場人物】
・九厓(男)
「くがい」。
草花に囲まれた小さな村に暮らす法師。
村の道場に通っている。

・菖蒲(女)
「あやめ」。
小さな村に父親と暮らす女性。
誰にでも手を差し伸べる心優しき医者。

・十坐(男)
小さな村に娘と暮らす男性。
「剛拳」の名を持つ「七毒」の一人。

・劉雲(男)
瀟洒な屋敷に住む「七毒」の長。
息子の黄雲を溺愛している。

・紫雲(男)
劉雲の息子。
幼少より「悪食」と忌みられている。

【本編】
 生い茂る緑や澄んだ山に囲まれた町外れの小さな村。
 晴天の日。そよ風に揺れる草花の中で男が眠っている。
 一人の女性が眠る男の傍らに立ち、そっと語りかける。

菖蒲:……九厓(くがい)様。
九厓:……。
菖蒲:九厓様。

 静かに目を開く九厓。
 視界に柔らかい笑顔で覗き込む女性の顔が映る。

九厓:んぁ……菖蒲(あやめ)か。
菖蒲:またこのような所でお眠りになって。お風邪を召されますよ。

 起き上がり、大きなあくびをする九厓。

九厓:そん時はお前が診てくれるだろう?
菖蒲:お体は大事にしてくださいまし。
菖蒲:法師様と言えど一人の人間でございましょう。
九厓:はは……わかったわかった。
九厓:風が気持ち良くってよ。あったけぇし昼寝日和じゃねぇか。
菖蒲:そうですね……。お洗濯ものもよく乾きそうです。
九厓:でもなぁ、こんな良い気分で昼寝してたってのに妙な夢を見てた気がすんだよな。
菖蒲:どのような夢ですか?
九厓:見たこともねぇ町でさ……。薄暗い道がずうっと続くんだ。
九厓:しばらく歩いて行くと、青白い光がいくつもぼんやりと揺れているのが見えてくる。
菖蒲:青白い光……ですか。確かに不思議ですねぇ。何かの暗示でしょうか?
九厓:まぁいいや。それより何か俺に用があるんじゃねぇのか?
菖蒲:はい。お父様がお呼びですよ。
九厓:師匠が? まァたシゴかれんじゃねぇだろうな……。
菖蒲:ふふ、どうでしょう。
九厓:笑いごとじゃねぇよ。
九厓:これ以上、青あざ増やされちゃあたまらねぇぜ。
菖蒲:申し訳ございません。
菖蒲:ですが九厓様と手合わせしている時のお父様は、それはもう楽しそうな様子なもので。
九厓:そうかァ? ったく、それなら少しは手心でも加えろってんだ……。
菖蒲:ふふ……。
九厓:お前も帰るだろ? 道場まで一緒に行くか。
菖蒲:はい。

 立ち上がり、歩き出す九厓。
 微笑みながらその後ろをついていく菖蒲。

 やがて村の一角に建つ道場にたどり着く。
 上座に座す男に挨拶する九厓。

十坐:おう、来たか。九厓。
九厓:おす、師匠。悪ィな、良い天気だったもんでついウトウトしちまってよ……。
十坐:ははは、確かに今日は雲一つない晴天だ。
十坐:こんな日は稽古にも精が出るというものだろう。
九厓:……はぁ、やっぱりっすか。
十坐:うむ。さっそくだが構えろ。
九厓:寝起きの気付けにゃあ刺激が強いな。
十坐:格好いいところを見せろよ。娘の前だぞ。
菖蒲:頑張ってください、九厓様!
九厓:へぇへぇ……。そんじゃ、行きますよッ!

 九厓と師の手合わせが始まる。

 ――数分後。
 見事にのされ、仰向けに倒れている九厓。
 心配そうな様子で菖蒲が声をかける。

菖蒲:く、九厓様……。大丈夫ですか?
九厓:ハァッ……ハァッ……。
十坐:やはりお前は筋が良いな。法師にしておくには惜しい。
九厓:……このザマで、っすか?
十坐:いずれは俺を超える大器であると思うのだがな。
九厓:馬鹿言わねぇでくれよ。敵うわけねぇじゃねぇか。
九厓:七毒(しちどく)最強・「剛拳(ごうけん)」の十坐(じゅうざ)殿に。
十坐:……。

 真剣な眼差しで九厓と向かい合う十坐。

十坐:まぁ座れ。少し話そう。
九厓:……はぁ。
菖蒲:あ……では私は席を外しますね。
十坐:いや、お前も聞きなさい、菖蒲。
菖蒲:は、はい。
九厓:どうしたんだよ師匠。改まって。
十坐:単刀直入に言う。「七毒」の時代は近く終わるだろう。
九厓:は……ッ?
菖蒲:お父様、何を……。
十坐:正しくは劉雲(りゅううん)の統べる体制は瓦解(がかい)する。
十坐:世のうねりに備えねばならん。
九厓:いやいや……何言い出すんだ、師匠。
九厓:「七毒」が終わればそれこそ此岸(しがん)は大混乱だろう。
九厓:大蛇(おろち)……九尾の一族だって覇権を狙いに来るかもしれねぇ。
九厓:黄泉神(よもつかみ)も黙っちゃいねぇぜ。
十坐:そもそもその考えが間違いなのだ。
九厓:え?
十坐:広がり続ける怨嗟(えんさ)の渦中(かちゅう)にあるのは常に「七毒」。
十坐:今や憎しみの火種は我々が生み出していると言っても過言ではない。
菖蒲:お父様、そのようなことは……。
十坐:事実だ。特に劉雲の代になってから世の荒れ様は目を見張るものがある。
九厓:……。
十坐:「毒を以て毒を制す」はずの我らが毒そのものに成り果ててしまうとは、皮肉なものだな。
九厓:……仕方ねぇよ師匠。必要なことだ。
十坐:何?
九厓:誰かが上に立たなきゃいけねぇんだよ。
九厓:こんな世の中じゃなおさらだ。
十坐:否定はせん。だが覇道を極めるだけでは秩序を乱すのみだと言っている。
九厓:……秩序なんてあるのかね。
十坐:九厓。
九厓:すでにこの世は腐ってるぜ。
九厓:痛い目見ねぇとわからない連中が多すぎる。
十坐:……。
九厓:お手て繋いでハイ仲良し、なんてのは問屋がおろさねぇだろうよ。

 口をつぐんでいた菖蒲が顔を上げ、九厓を見る。

菖蒲:九厓様……。
九厓:何だよ。
菖蒲:そのような言い方、ありません。
九厓:現実だろう。
菖蒲:そうかもしれません。
菖蒲:ですが……血に染まらぬ道を求めることは何も悪いことではないと存じます。
九厓:はッ。

 嘲笑し、立ち上がる九厓。

十坐:待て、どこへ行く。
九厓:これ以上、与太話を続けるつもりはねぇ。
十坐:九厓!

 踵を返し、足早に去っていく九厓。

菖蒲:……九厓様……。
十坐:やれやれ、あの小僧め。
菖蒲:どうしたのでしょう……。
菖蒲:あのような辛辣なお言葉、珍しいです。
十坐:まぁ、思うところがあるのだろう。無理もない。
菖蒲:……。

 物憂げに目を伏せる菖蒲に苦笑する十坐。

十坐:ほら行ってやれ、菖蒲。
菖蒲:えっ。
十坐:心配なのだろう。
菖蒲:し、承知しましたっ!

 出ていった九厓の後を追っていく菖蒲。
 微笑みながら見送る十坐。

十坐:……血に染まらぬ道、か。

 苛立たしげに歩いていく九厓の姿。

九厓:(甘ぇよ師匠。)
九厓:(化け物どもが平気でのさばる時代だぜ。)
九厓:(あいつらは人間を餌にしか思っちゃいねぇ。)
九厓:(目の前で親が喰われても同じことが言えるかよ。)
九厓:(幸いにも俺には奴らを殺す力がある。)
九厓:(簡単な話だ。化け物どもがいなくなりゃあ、万々歳だろう。)
九厓:(あんたの言う通り「七毒」が終わったとしても、俺のやることは変わらねぇ。)
九厓:(それが生きてる奴の果たすべき責務だ。)

 栄えた街にそびえる瀟洒な屋敷の一室。
 豪勢な椅子に腰かけている屋敷の主。
 主と向かい合う十坐には厳しい表情が浮かんでいる。

劉雲:……「七毒」が終わるだと?
十坐:今のやり方を続けるつもりならば、な。
劉雲:まるでワシのやり方が破滅を呼ぶような口振りだな、十坐。
十坐:そう言っている。
劉雲:ふん。またお得意の「弾圧より共存を」というやつか?
十坐:……。
劉雲:本当は貴様もわかっているのではないのか。
劉雲:もはやそのような安い道理が通じる時代ではないということは。
十坐:いたずらに他を討ち滅ぼすやり方が正しいとは言えん。
劉雲:綺麗事を抜かすな!
劉雲:貴様、人の身で「七毒」に成り上がったからと言ってつけ上がるなよ。
十坐:そんなつもりはない。
十坐:劉雲、確かに「七毒」の武力は凄まじいものがある。
十坐:だが使い方を間違えれば、滅びるのは我らの方だぞ。
十坐:今、各地の有力な一族たちが結託を強めている。
十坐:身内でさえ異を唱える者が増えている始末だ。
劉雲:それが時代のうねりというもの。
劉雲:思想の行き違いは世の常であろうが。
十坐:その帰結として無益な血が流れ続ける。
十坐:両者に家族がいることを忘れるな……!
劉雲:無論、新しい時代を生きる子の為の戦いでもある。
劉雲:のう、黄雲(きうん)。

 傍らに目を向ける劉雲。
 暗がりに立っている男が口を開く。

紫雲:……父上。
劉雲:チッ、何だ、紫雲か!
劉雲:今大事な話をしている。失せよ!
紫雲:承知致しました。

 一礼し、静かに姿を消す紫雲。

十坐:……。
劉雲:全く、我らの血統を汚す出来損ないめ……。
十坐:劉雲。
劉雲:まだ何かあるのか?
劉雲:ああ、そう言えば貴様の弟子、九厓とか言ったな。
劉雲:なかなかに腕が立つそうじゃないか。
劉雲:丁度「七毒」の椅子もひとつ空きがある。
劉雲:その気があれば師弟で栄華の景色を拝ませてやるぞ。
劉雲:はははッ!

 劉雲の笑い声が響く。
 無表情にその姿を見つめる十坐。

十坐:(泰平(たいへい)とは程遠い、この時代。)
十坐:(小さな染みのような「毒」が、やがて全てを飲み込まんとする程に大きくなることもある。)
十坐:(毒は毒を以て制す。その為の「七毒」。)
十坐:(しかし、わからなくなっていた。)
十坐:(己の武の力は泰平の世へ近付く為に在るのだろうか。)
十坐:(それとも……。)

 去ってしまった九厓を探している菖蒲。
 周りを見渡すがそれらしき姿は一向に見つからない。

菖蒲:……はぁ、どこへ行ったのかしら九厓様……。
菖蒲:あまり遠くへ行ってないといいのだけれど……。

 そこへ一人の男が通りかかる。

菖蒲:あっ、そこの御方。
菖蒲:申し訳ございません、人を探しておりまして……。
紫雲:……どのような御方でしょうか。

 その顔を見て何かに気付く菖蒲。

菖蒲:えっ……。
紫雲:……何か?
菖蒲:あ、あなた……紫雲?
菖蒲:やっぱり紫雲だわ。私のことわかる?

 菖蒲の顔を見つめる紫雲。

紫雲:……菖蒲さん?
菖蒲:そうよ! 久しぶりねぇ。
菖蒲:覚えていてくれて嬉しいわ。
紫雲:ご無沙汰しております。
菖蒲:前より顔色が良いわね。
菖蒲:心配してたのよ。真っ青だったんだから、あなた。
紫雲:おかげ様です。それより人を探しているのではないのですか?
菖蒲:あっ、うん、そうなの。
菖蒲:ねぇ紫雲。良かったら一緒に探してくれない?
菖蒲:ゆっくりお話もしたいし……。
紫雲:申し訳ありませんが、諸用(しょよう)がありますので。
紫雲:失礼致します。

 立ち去ろうとする紫雲。
 咄嗟に菖蒲が紫雲の手を掴む。

菖蒲:待って。
紫雲:!
菖蒲:何なの、この傷は。
紫雲:……何でもありません。
菖蒲:そんなわけないでしょう。
菖蒲:ほら、ここにも。
菖蒲:前よりも増えてるじゃない……。
紫雲:ご心配には及びませんよ。
紫雲:これは私に刻まれた名誉の証です。
菖蒲:名誉?
紫雲:日々研磨(けんま)されていく兄上の剣技を、出来損ないの私が身をもって受ける。
紫雲:この上ない誉れと存じます。

 薄く笑みを浮かべる紫雲。
 その表情を悲しい目で見つめる菖蒲。
 やがて掴んだ手を引き歩き出す。

菖蒲:来なさい。
紫雲:菖蒲さん……?
菖蒲:手当てするからうちまで来て。
紫雲:人探しはよいのですか。
菖蒲:優先順位。医者だからね、私は。
紫雲:……相変わらずですね。

 引かれる手のまま後についていく紫雲。

紫雲:(「救える者を捨て置いて医者を名乗りたくはない」。)
紫雲:(以前、彼女は私にそう言った。)
紫雲:(争い絶えぬ混沌の世では、綺麗事以外の何ごとでもない。)
紫雲:(だが彼女は信念を行動で示す。)
紫雲:(忌むべき存在である私にさえ手を差し伸べるのだ。)
紫雲:(言うなれば人々を優しく照らす陽の光。)
紫雲:(いかんせん私には眩しすぎる。)

 十坐の道場。
 屋敷の一室で紫雲の傷の手当をする菖蒲。

菖蒲:はい、終わり。これで大丈夫。
紫雲:ありがとうございます。
菖蒲:……ねぇ、紫雲。
紫雲:何でしょう?
菖蒲:辛い時はいつでもおいで。
紫雲:……。
菖蒲:あなたの家の事情はわからないし、余計な口を挟むつもりもない。
菖蒲:だけどそんな寂しそうに笑う紫雲、見たくないわ。
紫雲:なぜあなたはそこまで他人の為に?
菖蒲:人の情がなければ医者は務まらないもの。
紫雲:……強い人ですね。
菖蒲:そうかしら?
紫雲:ええ。私にも、あなたのような強さがあれば違ったかもしれません。
菖蒲:そんなのいつでも強くなれるわ。
菖蒲:己の心次第よ。
紫雲:ふっ、前向きですね。
菖蒲:良い言葉でしょう? これは受け売りだけどね。

 微笑む菖蒲。
 紫雲の顔にも小さく笑顔が見える。

 廊下を通りかかった十坐が菖蒲に話しかける。

十坐:ん、何だ。帰っていたのか、菖蒲。
菖蒲:お父様。はい、今しがた……。

 紫雲の姿に気付く十坐。

十坐:君は……確か、劉雲の。
紫雲:申し訳ありません。すぐにお暇致しますので。
菖蒲:あ、紫雲……。
紫雲:お世話になりました、菖蒲さん。
紫雲:失礼致します。

 去っていく紫雲。
 その後ろ姿を目で追う十坐。

十坐:紫雲……か。そんな名前だったな。
菖蒲:お父様、彼は怪我をしていて……。
十坐:ああ、構わん。
十坐:それより九厓は見つかったのか?
菖蒲:いえ……。
十坐:全くどこへ行ったんだ、あいつめ。
菖蒲:私、もう一度探して参ります。
十坐:ああ、頼む。俺は火急の用ができたので少し家を空ける。
菖蒲:承知致しました。お気をつけて。

 部屋を出ていく十坐。
 途中の廊下で、こそこそと立ち回る九厓とばったり出会う。

九厓:……あッ。

 腕を組み、気まずそうにする九厓をしげしげと眺める十坐。

十坐:……おう、戻っていたのか、くそガキめ。
九厓:師匠……。その、何つうか……。
十坐:んん? どうした。

 意を決した九厓が深々と頭を下げる。

九厓:……すいませんでした。舐めた口利いちまって。
十坐:……。

 頭を下げている九厓に近づく十坐。
 その頭に拳骨が落ちる。
 両手で押さえ、激痛に悶える九厓。

九厓:い……ッてぇぇ!
十坐:よし、これで手打ちだ。
九厓:釣りが来るんじゃねぇっすかこれ……!
九厓:頭割れちまうよ。
十坐:向こうに菖蒲もいるから詫びを入れてこい。
十坐:カンカンだぞ。もう一発拳骨でも食らっておけ。
九厓:いッ! い、いやもう十分じゃねぇかな……。
十坐:ほら、さっさと行け!

 力強く九厓の背中を押す十坐。

九厓:おわっ! ……とと。わかったよ……。

 頭をさすりながら重い足取りで奥に歩いていく九厓。
 笑みをこぼし去っていく十坐。

九厓:……。

 こっそりと様子をうかがう九厓。
 やがて中の菖蒲と目が合う。

菖蒲:く、九厓様!? 戻られたのですね!
九厓:あ、菖蒲。その、悪かったな。さすがに言い過ぎちまった……。
菖蒲:良かった、心配していたのですよ!
九厓:え、あぁ……。
菖蒲:また所かまわずお昼寝されて、お風邪を召されては大変ですもの。
九厓:いや、そこまで図太くねぇよ俺も。
菖蒲:ふふ……。そうだ、お渡ししたいものがあったのです。

 押し入れから何かを取り出し九厓に渡す菖蒲。

九厓:これは?
菖蒲:「茣蓙(ござ)」です。
菖蒲:大した品ではありませんが……。
九厓:へぇ、洒落(しゃれ)てるじゃねぇか。
菖蒲:少しでも九厓様が気持ちよくお眠りになられたら、と思いまして。
九厓:おいおい、こんなもん敷いて横になった日にゃあ、寝すぎちまってそれこそお風邪を召しちまうよ。
菖蒲:あっ! た、確かに……。それは困ります……。
菖蒲:やっぱりお返しになってくださいませ。
九厓:ヤだよ。ありがたく貰っておくぜ。
菖蒲:く、九厓様!
九厓:なァに心配すんなって。
九厓:馬鹿は風邪なんて引かねぇよ。
菖蒲:九厓様は馬鹿ではありません!
九厓:はははッ。

 楽しそうに笑う九厓。

 一方、劉雲の豪邸。
 怒気を顕にした十坐の大声が部屋に響く。

十坐:どういうことだ劉雲ッ!
劉雲:がなり立てるな十坐。やかましいぞ。
十坐:なぜ九尾の一族を滅ぼす必要があった。
十坐:力はあれど、彼らは争いを望んでいなかったはずだ!
劉雲:だが種としての繁栄は望んでいた。
劉雲:ゆくゆくは覇権を奪いに来るだろう。
劉雲:ワシは温情をかけてやったのだ。我が軍門に下るようにな。
劉雲:だのに無下にしたばかりか、愚かにも牙をむいてくるとは……。
劉雲:全く野蛮な獣の考えることはわからん。
十坐:当然だろう。誇り高い彼らの意志を踏みにじった。
劉雲:はッ、安い誇りだのう。
十坐:貴様……ッ!
劉雲:下がれ、酒が不味くなる。
劉雲:勝利の余韻を味わいたいのだ。

 ふと劉雲の足元に視線を向ける。

十坐:……おい、何だ。その足元にあるものは。
劉雲:おぉこれか?
劉雲:良いだろう。妖狐(ようこ)毛皮でこしらえた絨毯だ。
劉雲:この肌触り、まさしく一級品よ。
十坐:妖狐の……毛皮……?
劉雲:ただ一人、頭目の女を取り逃がしてなぁ。
劉雲:残念だ。あれの毛皮こそワシに相応しいものであったろうに。

 握った拳が震え、怒りを爆発させる十坐。

十坐:……外道がァァッ!

 怒号とともに劉雲の体が剛拳に殴り飛ばされる。
 椅子ごと倒れ、床を転がっていく。
 血を吐き、ふらつきながら体を起こす劉雲。

劉雲:が……がはッ。き、貴様、十坐ァ……。
劉雲:己が何をしたのかわかっているのか……!
十坐:黙れッ! 畜生と交わす言葉はないッ!
劉雲:ワシを誰だと思っている。
劉雲:控えろ人間風情がァッ!
十坐:……ならば貴様は人間以下だな、劉雲。

 十坐が劉雲へ近づいていく。
 うろたえ後ずさる劉雲。

劉雲:だ、誰か来いッ! この裏切り者を殺せッ!
十坐:虐(しいた)げてきた者の痛みを知れ……!

 劉雲の胸ぐらを掴み、吊るし上げる。
 苦しそうにもがく劉雲。

劉雲:は……放せェッ!

 再び十坐の拳が振り抜かれる。
 体を痙攣させ気を失う劉雲。
 なおも握った拳は怒りに震えている。

紫雲:そこまでです。
十坐:! 君は……。
紫雲:それ以上は死に至ります。
紫雲:拳をお収めください。「七毒」が一角、十坐様。

 十坐の手が放され、無惨に床へと落ちる劉雲。

十坐:紫雲……だったな。見ていたのか。
紫雲:はい。凄まじいですね。
紫雲:さすが「七毒」随一の剛拳と謳われるだけはある。
十坐:俺を憎まないのか。
紫雲:不思議と何の感情も沸き起こりません。
十坐:……そう、か。
紫雲:早く立ち去った方がいい。
紫雲:こんな男でも「七毒」に名を連ねる者です。
十坐:ああ、そうさせてもらう。

 背を向ける十坐。

十坐:紫雲くん。身勝手だがひとつ頼みがある。
紫雲:何でしょうか。
十坐:もう娘には近付かないでくれ。

 屋敷を後にする十坐。
 投げかけられた言葉に目を伏せる紫雲。

紫雲:……承知しております。

菖蒲:(この世に望まれない命などはない。)
菖蒲:(ありきたりな言葉かもしれませんが、私は信じています。)
菖蒲:(誰も憎みたくはありません。)
菖蒲:(人の心は鏡のようなものだから。)
菖蒲:(こちらが笑いかければ、あちらも笑う。)
菖蒲:(手を伸ばせば、あちらも差し出してくれる。)
菖蒲:(皆、誰かの手を掴みたいんです。きっと。)

 村の道場。
 驚いた九厓の声が響く。

九厓:……劉雲を殴り飛ばしたァ!?
十坐:ああ。
九厓:ど、どういう了見だよ、師匠。
九厓:そんなことすりゃあ……。
十坐:もう「七毒」にはいられんな。
菖蒲:お父様。
十坐:すまん。俺の浅薄(せんぱく)でお前たちにも迷惑をかけるかもしれん。
菖蒲:後悔はありませんか?
十坐:ない。
菖蒲:ならば良いのです。
菖蒲:お父様の選ぶ道に間違いはないと信じております。
十坐:ありがとう、菖蒲。
九厓:あーあ、せっかくの地位を捨てちまうなんてなぁ。
十坐:九厓、俺は……。
九厓:どうせなら再起不能にして、あんたが長(おさ)をやればよかったんだ。
十坐:ふっ、こんな喧嘩にしか能のない男に誰も付いて来んさ。
九厓:そんなことねぇよ。
菖蒲:これからどうするおつもりですか、お父様。
十坐:ひとまず菖蒲はほとぼりが冷めるまで不急の外出を控えてくれ。
十坐:執念深い奴のことだ。報復に出てくることも考えられる。
菖蒲:承知しました。
十坐:俺と九厓は……まぁ心配いらんだろう。
十坐:自分の身くらい自分で守れる。
九厓:へッ、わかってんじゃねぇか。
十坐:「七毒」は終わりだ。ますます世は荒れるかもしれん。
十坐:だが希望は捨てるな。明けぬ夜はない。
菖蒲:……はい。

 その瞬間、外で雷鳴が轟く。
 驚いて外を向く3人。

九厓:な、何だァ!? 雷か……?
菖蒲:そ、そんな。先程まで晴天でしたのに……。
十坐:これは……。

 縁側へ移動し空を見上げる十坐。
 暗雲がかかり、なおも雷鳴が響く。

十坐:黄雲か……?

 その頃、劉雲の豪邸。
 薄暗い一室。寝室の中心で、おびただしい程の血の海が出来上がっていた。

 鮮血に塗れた劉雲が震える手を伸ばす。
 やや遠くに佇み、その様を眺める紫雲。

劉雲:黄雲……? き、きうん……。
劉雲:なぜ……なぜ、だ……。
劉雲:なぜ、ワシを……ッ。
紫雲:……。
劉雲:ワシの……覇道は……ま……だ……。
紫雲:……哀れですね。あなたも私も。

 伸ばした手が床に落ち、劉雲の息の根が止まる。
 むせ返る程の血の匂いと静寂に包まれた部屋で紫雲が顔を上げる。

紫雲:そうは思いませんか。……兄上。

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