見出し画像

カンテラ町の灯【円環の蛇】

【タイトル】
「カンテラ町の灯【円環の蛇】」
(カンテラちょうのともしび【えんかんのへび】)

カンテラ町シリーズ・12話

【キャスト総数】
4(男:2 女:2)

【上演時間】
20〜分

【あらすじ】
外周にぐるりと吊るされたカンテラの灯。
骸のように聳えた建造物が立ち並び、天を覆う。
常に空気は薄暗く陽の光が地を照らすことはない。

――そこは「カンテラ町」。
青白く揺れる灯がともる町。

その光は彼岸の者から身を守り、
彼岸の者を逃さない。

旧「一番街」。
建造物の類はなく、殺風景な眺めが続くこの地は
かつて一匹の怪物と一人の法師の戦いの名残である。

そして現代。
黄泉の国より生まれし怪物が
再びこの地へ足を踏み入れた。

化け物を喰らうのもまた化け物に違いない。

【登場人物】
・紫雲(男)
「しうん」。
「カンテラ町」に訪れた医師。
現在は二番街で療治に勤めている。

・九厓(男)
「くがい」。
「カンテラ町」の郊外に住む男。
汚れた茣蓙(ござ)を大事にしている。

・篝(女)
「かがり」。
「黄泉の軍勢」を指揮する将官。
「黄泉神」の従順なる部下。

・ダチュラ(女)
黄泉の国に生まれし怪物。
闇に潜み姿を変え、対象を捕食する。

【本編】
 カンテラ町の外れ。
 「黄泉の軍勢」の先陣に立つ篝に部下の一人が膝をつく。

篝:状況を報告しろ。

 部下が口を開く。
 報告を聞く篝。

篝:……了解した。直ちに各隊に対し伝達。
篝:現在において我が軍勢の被害は甚大である。
篝:対象の捕縛は一時的に中断。
篝:先遣隊(せんけんたい)はすでに壊滅したものと判断し、中隊以下は速やかに本隊と合流せよ。
篝:合流の後、隊陣を再編成。任務を続行する。
篝:以上。行けッ!

 一礼し、部下が去っていく。
 苦々しい表情を浮かべる篝。

篝:……くそっ、荼毘丸(だびまる)め。
篝:あれから、杳(よう)として行方が知れぬとは……。
篝:あの怪物も黄泉に引きずり込めさえすれば地の利はこちらにあると言うのに。

 篝が「軍勢」に向き直る。

篝:いいか! 此度(こたび)の「ダチュラ」を従来と同等のものと決して考えるな!
篝:数え切れぬ程に喰らい、自らの血肉と化している。
篝:中には、かの高名な大蛇(おろち)の首領も含まれていると聞く。
篝:かつてない脅威だ。喰われた同胞の数が克明に物語っている。
篝:だが、ゆえに我らが手中に収めた暁(あかつき)には黄泉(よみ)による此岸(しがん)の統一も確実となろう。

 携えた剣を掲げる篝。

篝:皆、決して臆するな! 我らは死をも司る冥府の番人である。
篝:絶対なる神の御許(みもと)へ、必ずや「ダチュラ」を献上するのだ!

 篝の発破が響き渡り、兵がそれに応える。
 進軍を始める「黄泉の軍勢」。

 ――カンテラ町、郊外。
 朽ち果てた廃屋で壁にもたれて座り込み、顔を伏せている九厓。
 地鳴りが響き、振動で目が覚める。

九厓:……ちっ、寝ちまってたか……。

 起き上がり、周りを見渡す。

九厓:先生。オイ、先生!

 すでに廃屋には誰の気配もしない。
 ふと自らの体に手当が施されているのに気付く九厓。

九厓:あの野郎……人の手当てなんざしてる場合かよ。
九厓:自分の体の方が危ねぇだろうが……! くそッ!

 立ち上がり廃屋を飛び出していく。
 なおも地鳴りが続き、遠くで咆哮が聞こえる。

九厓:(妙に町が慌ただしい。)
九厓:(さっきから続いてるこの地鳴りに、あの獣のような声……。)
九厓:(こんな時だってのに来やがったのか……黄泉の怪物め。)

 町中へと走っていく九厓。

 カンテラ町、旧「一番街」。
 建造物などはなく、無機質な更地が続く。
 暗がりの平地に一人佇む紫雲。

紫雲:……。

 そこへ九厓が駆けつける。
 膝に手をつき肩で息をしている。

九厓:ハァ……ハァ……。ったく勘弁してくれ。
九厓:体力自慢ってわけじゃねぇんだぜ……昔と違ってよ。

 虚ろな目をした紫雲が九厓の方を向く。

紫雲:……九厓さん。
九厓:よォ……。動けるようになったのは何よりだけどよ、黙って行くのはいただけねぇぜ、先生。
紫雲:あなたはいつも私の居所を把握している様ですね。
九厓:そりゃあそうさ。教えてくれるからな、菖蒲(あやめ)のやつが。
紫雲:……あやめ……?

 呼吸を整え、紫雲に向き直る九厓。

九厓:何でもねぇ、気にすんな。さぁ戻るぞ。
九厓:あんたも感じてるだろう? また奴が近付いて来てる。
紫雲:「ダチュラ」。
九厓:ああ。今度は門がもつとも限らん。
九厓:住人はあらかた逃げたようだが、中まで入られちゃあひとたまりもねぇ。
紫雲:……。
九厓:先生? 聞いてんのかい。
九厓:呆けてる時間なんてねぇぞ。
紫雲:行ってくれませんか、九厓さん。

 ため息をつく九厓。

九厓:……そう言うと思ったよ。
紫雲:どの道、私に残された時間は長くありません。
紫雲:かろうじて自我を保っているようなものです。
紫雲:今にあのような姿になってもおかしくはない。
九厓:だから一人でここまで来たってのか?
紫雲:はい。
九厓:あんた知ってんのか。
九厓:この更地がどんな場所だったのかよ。
紫雲:かつての「一番街」。
紫雲:古くに暴虐の限りを尽くした化け物が一人の男によって鎮(しず)められたとお聞きしています。
九厓:その通り。よくご存じだ。
紫雲:その男は魔除けの灯をカンテラに封じ込め、脅威を恐れた住人が町の外周に掲げた。
紫雲:かくして「闇祓(やみばら)い」の開祖により、歴史の礎は築かれた……。
九厓:開祖と化け物の戦いの名残はこの通り手つかずで残ってる。
九厓:偉大な功績を称えるとともに、人智の及ばぬ恐怖を忘れない為にな。
九厓:ちょっとした名所さ。しかしあんたがそんな古い歴史を知っているとは思わなかったな。
紫雲:……以前、治療した老婦人がお話してくださいました。
九厓:ふっ、なるほどな。
紫雲:近頃は体も良くなり、散歩にも出掛けられるようになったと喜んでおりました。
紫雲:不思議ですね。もう随分と遠い記憶のようだ。
九厓:思い出にすんのは早ぇんじゃねぇか、先生。
紫雲:……どうあっても捨て置いてはもらえませんか。
九厓:そのつもりならここには来てねぇよ。
九厓:いい加減俺のお節介も素直に受け入れてくれや。

 九厓から視線を逸らし顔を伏せる紫雲。
 やがてぽつりと言葉を落とす。

紫雲:でしたら私を殺してください。
九厓:……何だと?
紫雲:あなたにならば構いません。
紫雲:いや……むしろあなたに終わらせてほしいのかもしれない。

 顔を上げ悲しげな笑顔を見せる紫雲。

九厓:……。
紫雲:どうかお願いできませんか……九厓さん。

 無言で紫雲に近づいていく九厓。眼前で立ち止まる。
 やがて拳を振り上げ、紫雲の頭に拳骨を食らわせる。

紫雲:ッ!?
九厓:痛ぇだろ。「剛拳」とまではいかねぇけどよ。
九厓:今みてぇに脳天によくやられたもんさ、俺も。
紫雲:な、何を……。

 腕を組み、頭を抑える紫雲を見つめる九厓。

九厓:正直言うとな、初めはあんたにここまでお節介焼いてやろうとは思ってなかった。
九厓:南門から流れてきたのを見た時は、性質(たち)が悪ィのが来やがったと感じたもんさ。
九厓:仏の顔をした猛獣だとな。
紫雲:……おっしゃる通りです。
九厓:まぁそれはいいんだ。この町じゃあ特別珍しいことでもない。
九厓:俺が許せなかったのは、あんたが「医者」を名乗っていたことだ。
九厓:あんたには悪ィが、簡単に名乗ってほしくはなかったんだよ。
紫雲:……。
九厓:……けどよ、変わったな。確かに生きる為に奪った命もあったろう。
九厓:だがあんた……人は一人として喰わなかったな。
紫雲:それが何だと言うのですか。
九厓:それ以上に人を助けた。助ける度に良い顔になってたぜ。
九厓:仏の裏の顔は今はもうどこにもねぇよ。
紫雲:……私は化け物です。
九厓:いいや違う。あんたは人間じゃあないかもしれねぇが、「化け物」でもねぇ。
九厓:欲を剥き出しにした獣には、あの顔はできん。
紫雲:では私は、一体……。
九厓:「医者」なんだろう?

 九厓の言葉に紫雲の目が開く。

紫雲:……!
九厓:人の情を持った立派な「医者」だ。
九厓:他人の痛みもちゃんと理解できるだろう。
九厓:だったら、死んで自分を納得させようとするのはお門違いじゃねぇのか。

 うつむき、歯を噛みしめる。

紫雲:……生きていても良いのですか……。
九厓:当然だ。まだあんたにはやるべきことがあるだろうが。

 固く目を閉じる紫雲。
 胸の奥から溢れてくる感情を抑えている。

紫雲:(もう十分だ。悔いはない。)
紫雲:(最後に人の情を持った「医者」として認めてもらうことができた。)
紫雲:(追憶の欠片を辿っていくと、常に「医者」への憧れがあった。)
紫雲:(その憧れに私は近付けたのだろうか。)

 自らの胸を押さえる紫雲。

紫雲:(……刻一刻と自我を保とうとする意識が薄れていく。)
紫雲:(黒々とした毛並みの猛獣が私の背に迫っているのを感じる。)
紫雲:(……身勝手を承知で頼みたい。)
紫雲:(ほんの暫(しば)しの時でいい。)
紫雲:(私を喰らうのをお待ちいただけませんか。)
紫雲:(一つだけやり残したことがある。)

 無人と化したカンテラ町の一角。
 傷を押さえ膝を地面につく篝の姿。
 その眼前に黄泉の怪物、ダチュラが立ちはだかる。

篝:……誰か、生きている者はいないのか。
ダチュラ:いないわよ、そんなものは。一人として余さずいただいたもの。
ダチュラ:随分と粗末な味だったけれどねぇ。
篝:喰らったというのか……我が同胞全てを。

 不気味な笑みを浮かべるダチュラ。

ダチュラ:量は腐るほどにあったけれど……。
ダチュラ:駄目ねぇ。やはり質も大事だわ。
篝:貴様……。その姿に口調、何のつもりだ。
ダチュラ:あの子が喜ぶと思ってねぇ。母の愛に飢えているのよ。
篝:あの子……? 何の話だ。
ダチュラ:ああ、かわいそうな紫雲(しうん)。ほぉら、すぐに母が迎えに行くわよ。
ダチュラ:還(かえ)りなさいな、小さな紫雲。ああ……ハハ。美味しそうな紫雲。

 ダチュラの目には狂気が垣間見える。

篝:紫雲……だと。
ダチュラ:あちらの方かしら……?

 ゆっくりと移動を始めるダチュラ。

篝:待て、どこへ行くつもりだ。
ダチュラ:あなたには関係ないでしょう?
篝:大いにある。

 剣を支えに立ち上がる篝。

篝:黄泉の繁栄の為、散った同胞の為……黄泉神(よもつかみ)の悲願の為。
篝:必ず貴様を……。
ダチュラ:……ああ、うるさいッ!
篝:っ!

 ダチュラの闇の腕が振り抜かれる。
 剣を盾に防いだものの、勢いのまま地面に叩きつけられる篝。

篝:が……はッ。
ダチュラ:もうゲテモノはたくさんなのよ。
ダチュラ:……あぁ紫雲。待っていなさい。狂える程に母の腹を満たしてちょうだいな……。

 ダチュラが移動する度に地鳴りが響く。
 力を振り絞り、満身創痍の体を起こす篝。

篝:ぐ……くっ。
篝:まだ終われん。こんなところで……黄泉は終われんのだ……ッ!

 ふらつきながらもダチュラの後を追う篝。

篝:(あの獰猛(どうもう)さ、今来(こんらい)のダチュラと明らかに一線を画している。)
篝:(おぞましい程に深い闇と、女の化身から感じる邪悪……。)
篝:(加えてあの執着。奴は何を求めているのだ。)
篝:(……無駄だ、考えるな。)
篝:(今はただ、あの強大な力を手に入れることだけに集中しろ……!)

 旧「一番街」。
 ダチュラの巨大な闇が紫雲に立ち塞がる。

ダチュラ:ふふ……見ィつけた。

 無表情にダチュラを見上げる紫雲。

紫雲:……またお会いしましたね。
ダチュラ:ええ。会いたかったわ、紫雲。
九厓:オイオイ、なんてでかさだよ……。前の比じゃねぇな。
紫雲:まだ喰い足りぬと言うのですか、ダチュラ。
ダチュラ:嫌ァねぇ、「母上」と呼んでちょうだいな。
ダチュラ:求めるような愛(う)い声で母を呼んでごらんなさい。
九厓:随分とその姿が気に入ってるようだな、大喰いめ。
ダチュラ:あら……あなた、覚えてるわよ。
ダチュラ:いつかのみすぼらしい法師さん。
九厓:みすぼらしいは余計だ。
ダチュラ:また邪魔をするつもりかしら。
九厓:行け先生。こいつは俺が抑える。

 紫雲を庇うようにダチュラの前に立つ九厓。

ダチュラ:聞き間違いかしら? 抑えると言ったの? 私を……。
九厓:ああ、そう言ったつもりだ。
ダチュラ:ふふ……あッははははは!

 ダチュラの笑い声が響く。

ダチュラ:……失せろ、ゲテモノがァッ!

 闇の腕が振り下ろされる。
 受け止める九厓。地面が陥没する。

九厓:……ぐッ……ゥゥ……!
紫雲:九厓さん!
九厓:いいから早く逃げろ! 勝てねぇんだよ、こいつには……!
ダチュラ:羽虫、羽虫……あァ、小汚いわねぇ。
ダチュラ:さっさと潰れてしまいなさい。
九厓:……ぁぁぁ……ッ!

 押しつぶそうとするダチュラ。
 その瞬間、刃の一閃が闇の腕を斬る。

篝:はぁぁッ!
ダチュラ:ぐッ……。なァに? またうるさい羽虫が一匹……。

 闇の腕が引かれる。
 肩で息をする九厓が助太刀に入った者の方を見る。

九厓:ハァッ……ハァッ……だ、誰だァ?
篝:下がれ……私の獲物だ。
紫雲:あなたは黄泉の……。
篝:さきほど奴の口から「紫雲」と聞こえたのは間違いではなかったか。
篝:ダチュラがご執心のようだな、「悪食(あくじき)」。
ダチュラ:ああ……腹が立つわねぇ! 目ざわりなのよ、羽虫ども!
九厓:おい、よそ見するな、来るぞ!
篝:チッ!

 両腕で九厓と篝をそれぞれ押し潰そうとするダチュラ。
 各々が受け止める。

九厓:ぬッ……ゥゥ……!
篝:……くそッ、化け物め……!

 ダチュラの首がぐるりと紫雲の方を向く。

ダチュラ:さぁ、こっちにおいで紫雲。母が愛してあげるわ。
紫雲:……。

 ゆっくりとダチュラに近づいていく紫雲。

九厓:馬鹿野郎、何してるッ! そいつに近づくな!
九厓:あんたを餌にしか見てねぇんだよ!
紫雲:……どうか私のすることをお許しください、九厓さん。
九厓:ああ……? 
紫雲:どのようなことが起こってもカンテラの灯を掲げ続けてください。
紫雲:数多(あまた)の灯で決して逃さぬように。どうかお願い致します。
九厓:何を言ってんだ……先生。
紫雲:何度もあなたの言葉に救われました。
紫雲:私の生き方すら変えてしまう程に。

 ダチュラの眼前に立つ紫雲。

紫雲:ありがとう。
九厓:やめろッ! 馬鹿なこと言ってねぇで離れろっつってんだよ!
ダチュラ:あぁ、紫雲……紫雲ン。
紫雲:私はここです。ここにおります。存分に喰らうといい。
篝:何の真似だ、「悪食」……!
ダチュラ:ああ駄目、もう我慢できない……ッ。

 九厓を潰そうとしていた闇の腕が離れ、紫雲を掴む。

ダチュラ:あは……はははははっ。やっと捕まえた。
九厓:待て……許さねぇぞ。
九厓:さっき死で自分を納得させるなって言ったばかりだろうが!
九厓:あんたの死に場所はここじゃねぇだろ……!
九厓:これ以上、菖蒲(あやめ)を悲しませるんじゃねぇよ!

 ダチュラの口が大きく開く。

ダチュラ:はは……いただきまァす。
九厓:先生……!

 飲み込まれていく紫雲。

九厓:先生ェッ!

 深い闇ばかりが広がるダチュラの体内。
 紫雲の体が底へと沈んでいく。

紫雲:(水底へいるような感覚だった。)
紫雲:(深い闇で満たされたダチュラの体内を沈んでいく。)
紫雲:(上下の感覚もわからぬまま目を開けると、一人の女性がこちらに歩いて来るのが見えた。)

紫雲:……あなたは……。

 女性が紫雲に対し優しく微笑みかける。

ダチュラ:立派な医者になったのね、紫雲。
紫雲:どこかでお会いしましたでしょうか。
ダチュラ:思い出せなくてもいいわ。どうせすぐに何も考えられなくなる。
ダチュラ:闇に溶けて循環するの。
ダチュラ:でも悲しいことなんてないわ。時が経てば皆、あなたのことも忘れ去る。
ダチュラ:誰の記憶にも残らない……。そう、私のようにね。
紫雲:どなたを模(かたど)っているかは存じませんが、溶け去る前にお会いできたのは僥倖(ぎょうこう)です。
ダチュラ:何をしようと言うの? 私も忙しいのよ。
ダチュラ:ほら、九厓様もちゃんと食べてあげなくちゃ……。
ダチュラ:私と一緒になれるのはとても嬉しいはずだもの。
ダチュラ:食べ残しも全部いただいて……此岸(しがん)を綺麗にしてあげる。
紫雲:最後は彼岸(ひがん)に帰り、黄泉神(よもつかみ)さえも喰らうおつもりですか?
ダチュラ:ふふ、よくわかっているわね。
紫雲:もちろんわかりますよ。
紫雲:それでもあなたが満たされることはありません。
ダチュラ:え?
紫雲:「飢え」の苦しみからは逃れられない。
ダチュラ:ふふ……ふ。

 紫雲の母へと姿を変えていくダチュラ。

ダチュラ:もういいのよ紫雲。
ダチュラ:ほら、おいでなさい。母の腕の中でお眠り。
紫雲:私に母上の腕の温もりを求める資格はありません。
ダチュラ:資格だなんて……。
紫雲:あなたを来(きた)る苦しみから救います。

 自嘲気味に笑う紫雲。

紫雲:……いいえ、やめましょうか。「救う」だなどと……おこがましい。
紫雲:至って利己的だ。医者の行いとは程遠い。
ダチュラ:……ハァ、馬鹿な子。
紫雲:言ったはずですよ。あなたを喰らい尽くすと。
ダチュラ:あはッ、あはは。面白いわねぇ。
ダチュラ:喰われた腹からまた私を喰らうって? ふふ……そんなこと。
紫雲:お忘れですか?
ダチュラ:何?
紫雲:あなたにも勝る「悪食」ですよ、私は。

 ダチュラの顔に邪悪な笑みが浮かぶ。

ダチュラ:それなら何度でも食べてあげるわ。
ダチュラ:何度でも何度でも……。
ダチュラ:私が満たされるまであなたを喰らい続けましょうね。

 紫雲の全身が黒く染まっていく。
 獣のような唸り声が響く。

紫雲:……。
ダチュラ:さぁ……おいで紫雲ッ!

 咆哮とともにダチュラへ襲いかかる紫雲。

紫雲:(お許しください。これで最後です。)

 カンテラ町、旧「一番街」
 疲弊した九厓と篝の前には微動だにしないダチュラの姿がある。

篝:……一体何が起きている。
九厓:知るかよ。俺が聞きてぇくらいだ。
篝:「悪食」が飲み込まれてから奴の動きが止まった。
九厓:ああ、ピクリともしねぇな。
篝:何にせよ好機には違いない。直ちに捕縛にかかる。
篝:黄泉から援軍を……。
九厓:よせ。今は触れるな。
篝:指図するな、人間。
篝:「悪食」とどのような関係かは知らんが命が惜しければ早急に去れ。
九厓:よせッつってんだよ!
九厓:……先生はまだ死んでねぇ。
篝:何だと?

 独り言のように呟く九厓。

九厓:「カンテラの灯を掲げろ」……。
九厓:ダチュラに灯が効かねぇのは知ってるはずだろ。
九厓:なぜあんなことを言った……? どういう意味なんだよ、先生。
篝:おい、何をぶつぶつ言っている。
篝:奴がまだ死んでいないとはどういう意味だ……。

 瞬間、ダチュラの咆哮が響き、動き出す。

九厓:ッ!
篝:くそっ、動きだしたか!

 再び剣を構える篝。
 咄嗟に九厓が制する。

九厓:待て! 様子がおかしい。
篝:何……?

 のたうち回るダチュラ。
 咆哮に悲鳴が交じる。

篝:……これは……苦しんでいるのか?
九厓:まだ戦ってんだな、先生。

 苦悶を浮かべ、声を絞り出すダチュラ。

ダチュラ:……おのれ……おのれェ……! 
ダチュラ:また……またしても……私を喰らうのかッ!

 ダチュラの体が転がり地面が揺れる。
 あまりの激しさに後ずさる篝。

篝:チッ、何だというのだ……!
九厓:おい、黄泉の姉ちゃん!
篝:な、何だ。
九厓:人手をよこせ! カンテラの灯を集めるんだ!
篝:カンテラ……?
九厓:黙って言う通りにしろ!
九厓:こいつを抑えたいんだろ。後の処遇は好きにしていい!
篝:くそっ、人間が……。暫(しば)し待て、増兵を要請する!

 その場を離れる篝。

ダチュラ:グゥ……ァァァアアアッ!
ダチュラ:し……紫雲ンンン……ッ!
九厓:先生ッ!

 ダチュラの動きが緩慢になっていき、倒れる。

九厓:(断末魔とともにダチュラは倒れた。)
九厓:(奴を覆っていた闇が離散し、再び収束していく。)
九厓:(留まる気配がない……。無限の如く収束を続けていく。)

 収束を続け形作られていく闇を見上げる九厓。

九厓:……嘘だろ、オイ……。

九厓:(そこから現れたのは、天を覆い尽くさんばかりの巨躯(きょく)を持つ大蛇。)
九厓:(神々しささえもうかがえる……白い鱗。)
九厓:(「一番街」さえ飲み込まんとする程の身を起こし、鈍く光る蛇(じゃ)の目が、俺をとらえていた。)

 九厓を覗き込む大蛇。
 動くことができない九厓。

紫雲:……カンテラの灯を。
九厓:!?
紫雲:早く、ここへ。
九厓:先生……なのか。
紫雲:……お願い……致します……。
九厓:……くそッ! 待ってろ!

 踵を返し駆け出す九厓。
 背を向けた獲物に襲いかかろうとする大蛇。
 しかし咄嗟に自らの尾を噛み、動きを止める。

九厓:(冗談じゃねぇよ。あの蛇が先生だってのか。)
九厓:(ダチュラの比じゃねぇ。)
九厓:(あんなもんが暴れだしちまったら……。)

 走り続ける九厓。
 途中、篝が合流する。

篝:お、おい! 何なのだ、あの巨大な蛇は!?
九厓:人寄せはできたのか、姉ちゃん。
篝:ああ……そう時間はかからんはずだ。
九厓:さっきも言ったが、町じゅうのカンテラをあの蛇の周りに掲げろ。
九厓:いいか、一つ残らずだ。
篝:し、しかし、我々もあの灯には近付きがたい……。
九厓:何とかしろ! ビビってんじゃねぇよ!
九厓:泣く子も黙る「黄泉の軍勢」だろ!
篝:……くっ! 事が済み次第、牢にぶち込んでやるぞ貴様!
九厓:わかったから早くしろ!

 九厓を睨みつけながら走り去っていく篝。
 尾を噛み、円環の形となった大蛇を見上げる九厓。

九厓:さっき俺を喰わなかったな、先生。
九厓:今も自分を抑える為に尾を噛んでるのか?
九厓:カンテラの灯を集めろってのも同じ理由かよ。

 再び走り出す。

九厓:……死なせんぞ、絶対に。
九厓:あんたがどんな姿になろうがお節介焼き続けてやるからな。

 白蛇を封じるように、カンテラの灯が集められていく。
 無人のカンテラ町が慌ただしく色めき立っていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?