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カンテラ町の灯【花の名】

「カンテラ町の灯【花の名】」
(カンテラちょうのともしび【はなのな】)

カンテラ町シリーズ・10話

【キャスト総数】
5(男:3 女:2)

【上演時間】
40〜分

【あらすじ】
外周にぐるりと吊るされたカンテラの灯。
骸のように聳えた建造物が立ち並び、天を覆う。
常に空気は薄暗く陽の光が地を照らすことはない。

――そこは「カンテラ町」。
青白く揺れる灯がともる町。

その光は彼岸の者から身を守り、
彼岸の者を逃さない。

その花は強い意志を以て咲いていた。

その花は慈愛に溢れ、人を憎むことを拒んだ。

その花は愛すべき者の為に手を差し伸べた。

その花の名は。

【登場人物】

・九厓(男)
「くがい」。
草花に囲まれた小さな村に暮らす法師。
村の道場に通っている。

・菖蒲(女)
「あやめ」。
小さな村に父親と暮らす女性。
誰にでも手を差し伸べる心優しき医者。

・紫雲(男)
亡き「七毒」の長、劉雲の息子。
幼少より「悪食」と忌みられている。

・黄雲(男)
「きうん」。
紫雲の実兄。
雷の力と太刀を操る武人。

・槐(女)
「えんじゅ」。
黄雲に付き従う麗人。
特殊な「色香」の力を操る。

【本編】
 薄暗い一室。
 血の海の中、無惨に横たわる女性の前にして静かに佇む紫雲の姿。

紫雲:(兄を殺せ、兄を殺せ、兄を殺せ。)
紫雲:(父上が死んだあの日から母上は呪詛の如く繰り返している。)
紫雲:(玉のように愛してきた息子に裏切られ、壊れてしまったのです。)
紫雲:(兄を殺せ。父の仇を討て。あれは悪鬼だ……。)
紫雲:(違いますよ、母上。真の悪鬼は私です。)
紫雲:(長く渇望していたはずの寵愛(ちょうあい)よりも、飢えを満たしたいという欲求が勝ってしまう。)
紫雲:(母上。どうかこれ以上は、おやめください。)
紫雲:(これ以上私の目の前でゲテモノに成り下がるのは。)

 惨状を目の当たりにした黄雲と槐が目を見開く。

槐:こ、これは……。
黄雲:紫雲(しうん)か。

 虚ろに兄の顔を見上げる紫雲。

紫雲:……兄上。
黄雲:凄惨(せいさん)なものだ。
黄雲:そこに転がっているのは母か?
紫雲:左様です。

 むせ返る程の死臭に口元を抑える槐。

槐:う……ぐッ。
黄雲:外していろ槐(えんじゅ)。二人で話す。
槐:は、はい……。承知致しました。

 その場を離れる槐。
 向かい合う兄弟。

紫雲:兄上。
黄雲:何だ。
紫雲:母上は……最期に自らを喰らえとおっしゃいました。
紫雲:喰らう程にあなたは強くなる。
紫雲:「悪食(あくじき)」たる業を背負って生まれた、哀れな子である、と。
黄雲:その通りだ。
紫雲:私は、なぜ生まれてきたのでしょうか。
黄雲:確かにお前の生は祝福されなかった。
黄雲:同胞を喰らうことしかできん出来損ないであるとな。
紫雲:……。
黄雲:だが、それは剣の振り方を知らんからだ。
紫雲:剣?
黄雲:「悪食」、大いに結構。
黄雲:自ら剣を握り、刃を研ぎ続ける気概があるのならば、俺はお前を認めよう。
紫雲:化け物ですよ、私は。
黄雲:笑わせる。化け物どもがシノギを削る世だぞ。
黄雲:いいか紫雲。俺は強者に対して人別(ひとわ)きはせん。
黄雲:母を喰らい、お前は枷(かせ)を外したのだ。
紫雲:母上が死に……悲しくはありませんか。
黄雲:ない。
紫雲:……。
黄雲:俺とともに来い。より高みへと連れ立ってやる。

 背を向ける黄雲。

黄雲:ああ、それと……。残飯は片しておけ。
黄雲:見るに耐えん。

 黄雲の姿が過ぎ去っていく。

紫雲:……承知致しました。

 母の亡骸に手を伸ばす紫雲。
 その目から一筋の涙がこぼれ落ちる。

 退室していた槐が胸を押さえ、呼吸を整える。

槐:(弟君(おとうとぎみ)のことは、正直なところ……不気味に思っておった。)
槐:(虚ろな瞳に蒼白な気色。)
槐:(薄闇に佇む姿は、さながら幽鬼(ゆうき)じゃ。)
槐:(あの夜、自らを庇護していたはずの母君を喰らい、「七毒(しちどく)」へ名を連ねた。)
槐:(黄雲(きうん)様とは違う、野獣の如き獰猛な強さ。)
槐:(まさに……「化け物」と呼ぶに相応しい。)

 黄雲邸の一室。
 貸し与えられた部屋で床に就いている九厓と、傍らに腰掛ける菖蒲。

菖蒲:「化け物」という呼び方……私はあまりしたくありません。
九厓:なぜだ? あいつらの力は人智を超えてる。人だって平気で喰う奴もいるんだ。
九厓:化け物以外の何者でもねぇだろ。
菖蒲:ですが、皆が皆同じ思想ではないと存じます。
菖蒲:姿形は違えど心根は私たちと同じではないでしょうか。
九厓:菖蒲(あやめ)、お前、何言ってんだ……。
菖蒲:ここ数日、医師として初めて従兵(じゅうへい)の方々と向き合いました。
菖蒲:皆様それぞれに家族や愛する者がおられます。
九厓:……同情でもしたか?
菖蒲:人の情がなければ……。
九厓:医者は務まらねぇってか。
九厓:全くかなわねぇな、お前には。
菖蒲:九厓(くがい)様……。
九厓:何と言おうと、俺は両親を喰った化け物や師匠をあんな目にあわせた奴らを許すつもりはねぇ。
九厓:誰しもお前みてぇには生きられねぇよ。
菖蒲:……。

 目を伏せる菖蒲。
 気まずい様子で頭を掻く九厓。

九厓:俺の傷はどのくらいで治りそうだ?
菖蒲:一月程……と診ております。
九厓:そうか……。迷惑かけるな。
菖蒲:滅相もございません!
九厓:事が済んだらお前は屋敷へ戻れ。いいな。
菖蒲:……九厓様はどうなさるおつもりですか。
九厓:奴との約束を反故(ほご)にはできん。
菖蒲:でしたら私もお供致します。
九厓:駄目だ。言う通りにしろ。
菖蒲:九厓様のお怪我を治すのは私の役目です!

 強い瞳で九厓を見る菖蒲。
 九厓がため息を漏らす。

九厓:……ったく、敵地だぞここは。
菖蒲:敵など一人としておりません。
九厓:わかったよ。とにかく俺が本調子になるまではあまり一人で出歩くな。
菖蒲:承知致しました。あ、そうそう……包帯の替えを取って参りますね。
菖蒲:安静にしていてくださいませ、九厓様。

 席を立ち、退室する菖蒲。

九厓:本当にわかってんのかよ、あいつは……。

 別室にて包帯を探す菖蒲。

菖蒲:えぇ……と。包帯……は、どこかしら……。

 何者かが部屋に入ってくる。
 気配に気付き、振り向く菖蒲。

菖蒲:あっ、申し訳ありません。
菖蒲:少々探し物をしておりまして……。
紫雲:……菖蒲さん?

 紫雲の顔を見て驚いたように口に手を当てる菖蒲。

菖蒲:し……紫雲! 良かった、また会えて……。
紫雲:なぜ、あなたがここに。

 菖蒲の目が伏せられる。

菖蒲:……父のことでうかがったの。
紫雲:「剛拳」の十坐(じゅうざ)……ですか。
紫雲:それにしてもこのような場所まで直談判とは驚きました。
菖蒲:ただ待つだけなんてできないわ。

 ふと視線を逸らす紫雲。

紫雲:……お父様のことは残念です。
菖蒲:えっ?
紫雲:彼は優しすぎました。他人の痛みがわかる。
紫雲:ゆえに最後まで苦しんでいた。
紫雲:常に不殺の道を説いておられましたよ。
菖蒲:そう……。
紫雲:されど兄上の思想にはそぐわない。
紫雲:血の流れぬ覇道などあり得ぬことですから。
菖蒲:あなたも同じ考えなの、紫雲。
紫雲:私、は……。……ッ。

 紫雲の体を刺すような痛みが襲う。
 咄嗟に駆け寄る菖蒲。

菖蒲:紫雲! どうしたの、大丈夫!?
紫雲:……私には兄上のような大義などありません。
紫雲:喰わねば死ぬ身。それ以上でも以下でもない。
紫雲:化け物が生きる理由などそんなものです。
菖蒲:化け物なんていないわ。
紫雲:さぁ、早急に立ち去った方が身の為ですよ。
紫雲:ここはあなたのような方がいる場所ではない。
菖蒲:いいえ、私はここで出来ることがあるはずなの。
菖蒲:具合を見せて、紫雲。
紫雲:……ッ!

 差し伸べられた手を払う紫雲。

紫雲:あなたは何もわかっていない!
紫雲:救う価値のない命など掃いて捨てる程にある!
紫雲:誰しも、あなたのように清らかには生きられぬのです!
菖蒲:……。
紫雲:ましてや、私のような醜い命など……!
菖蒲:私は、自分を清らかだなんて思ったことはないわ。
紫雲:な、何を……。
菖蒲:だってそうでしょう。
菖蒲:偉そうに医者を語っているけど、助けられずに失ったものばかりよ。
菖蒲:とても泥くさくて……無様。

 菖蒲が微笑む。

菖蒲:だけどね、価値がないとは思わない。
菖蒲:色々な命の灯(ともしび)で、世は成り立っているのよ。
紫雲:灯?
菖蒲:うん。暗闇でも、ぼうっと優しく灯るような……。
菖蒲:灯篭(とうろう)流しを見たことある? ちょうどあんな雰囲気よ。

 無邪気に語りかける菖蒲に力なく笑う紫雲。

紫雲:……ふっ、一体何の話をしているのですか。
菖蒲:ご、ごめんなさい……例えが悪かったかしら。
紫雲:あなたにとっては、灯の光は等しく尊いものなのでしょうか。
菖蒲:ええ。だからこそ守りたいの。泥くさくてもね。

 曇りのない菖蒲の目に小さく笑みをこぼす紫雲。

紫雲:やはりあなたは強い……。誰よりも。
菖蒲:……紫雲?
紫雲:人間の……「心」の強さこそ、最後に勝るのかもしれません。
菖蒲:ねぇ……大丈夫なの? 具合の方は……。
紫雲:ご心配には及びません。
紫雲:どうやら諸用も入ってしまったようですので。
菖蒲:えっ?

 廊下の先から静かに現れる槐。
 紫雲に対し一礼する。

槐:紫雲殿。此度の征伐(せいばつ)戦に関して黄雲様がお呼びです。
紫雲:承知致しました。すぐに向かいます。

 立ち上がり、去っていく紫雲。

菖蒲:あっ、紫雲……。

 冷たい目で菖蒲を見る槐。

槐:まだおったのか、小娘。
菖蒲:……九厓様のお怪我の完治には、少々お時間をいただきたく存じます。
槐:見るにあの男……常人より遥かに頑丈じゃのう。
槐:黄雲様の一太刀を浴びてあの程度で済むとは大したものじゃ。
槐:放っておいても死にはすまい。
菖蒲:そのような……。九厓様も一人の人間でございます。
菖蒲:どうか今しばらくの間、ご厄介になる非礼をお許しくださいませ。
槐:ふん。言われずとも黄雲様のご意向じゃ。
菖蒲:感謝致します。

 頭を下げる菖蒲。

槐:……我らに敵愾(てきがい)する意志は今だにない様じゃな。
菖蒲:はい。
槐:全く仏の如き気立てよ。
槐:聞けば主(ぬし)、あの男のみならず負傷兵の手当てまで施しておるそうではないか。
菖蒲:……。
槐:偽善者め。
菖蒲:そ、そのようなつもりは。
槐:私には理解できぬ。
槐:父親を失い、男までも斬られ……なお敵に温情を向けるなど。
槐:変わらず「誰も憎まず」などとほざくのか?
菖蒲:憎んだとしても、さらに憎しみが重なるのみです。
槐:何かおかしいことか? 世の摂理ではないか。
菖蒲:正しき摂理ではないと存じます。
槐:相容れぬのう。主の甘言(かんげん)には、身が弥立(よだ)つわ。

 菖蒲の眼前に立つ槐。

槐:女に生まれたことに感謝せよ。
槐:さもなければ、二度と口が利けぬよう傀儡(くぐつ)にしてやったところじゃ。
菖蒲:……曲げるつもりはございません。
槐:何?
菖蒲:自身で選んだ道でございます。
槐:選ぶ……?

 嘲笑を浮かべる槐。

槐:選ぶだと。笑わせる!
槐:それが出来るのは力ある者のみじゃ!
菖蒲:……。
槐:その目……実に傲慢。私にさえも情けを向けるつもりか。
菖蒲:あなたは……。
槐:黙れ。身の程をわきまえるがいい、人間が……!
九厓:それくらいにしといてくれねぇか、姉ちゃん。

 廊下の先から九厓様が現れる。

槐:……!
菖蒲:く、九厓様!? 動いてはなりません!
九厓:寝てばかりだと体がなまるんだよ。
菖蒲:で、ですが……。
槐:壮健の様で何よりじゃのう、死にぞこないめ。
九厓:相変わらず口が悪ィなぁ。
槐:黄雲様のご意向がなければすぐにでも殺してやるところじゃ……。
九厓:いつかの手合わせの時みてぇにか?
槐:な、何……?
九厓:勝負に横槍はいただけねぇな、姉ちゃん。
槐:……ならばどうする。
槐:約束を反故(ほご)にでもする気か。
九厓:いいや。負けたのは俺が弱かったせいだ。二言はねぇよ。
九厓:だけどな、ひとつだけ言っとく。雷野郎にも伝えとけ。

 九厓の表情に殺気がにじむ。
 あまりの重圧に後ずさる槐。

九厓:菖蒲に手を出したら……殺す。
槐:……主は一体……。
九厓:「闇祓(やみばら)い」として、てめぇら全員骨も残さねぇからよ。
槐:……!
菖蒲:九厓様、お体に障りますから……!
菖蒲:安静にしていてくださいませ。
九厓:平気だって言ってんだろ。
菖蒲:駄目です! ご自分の怪我の程度がおわかりになっていないのですか!
九厓:わ、わかったよ……。

 九厓を引き連れて去っていく菖蒲。
 去っていく二人の背を睨む槐。

槐:「闇祓い」、だと……。

 黄雲邸、玉座の間。
 跪き、黄雲に報告を終える槐。
 静かに顔を上げる黄雲。

黄雲:……そう言ったのか?
槐:はい……確かに。
黄雲:「闇祓い」……法師の身でありながら爪を隠し、俺と渡り合ったことになるな。
槐:し、しかし、黄雲様……!
黄雲:面白い……。やはり素晴らしいぞ、九厓。
黄雲:奴が加われば間違いなく覇権は近づく。
槐:よろしいのですか。
槐:人間の法師を配下に加えるなど。
黄雲:強者に人別(ひとわ)きはせんと言っているだろう。
槐:……。
黄雲:奴ならば十坐の抜けた穴を補い余りある。
黄雲:そして……紫雲! いるのだろう、近くに来い。

 暗がりから紫雲が現れる。

紫雲:……ここに、兄上。
黄雲:次なる征伐戦の指揮は貴様に全権を任せる。
紫雲:承知致しました。
黄雲:存分に喰らえ。
黄雲:戦場は餌も潤沢(じゅんたく)であろう。
紫雲:……仰せの通りに。それでは、失礼致します。

 一礼し、踵を返す紫雲。

黄雲:ああ、待て。
紫雲:何でしょうか。
黄雲:聞けば貴様……負傷兵を相手に療治の真似事をしているそうだな。
紫雲:……。
槐:療治……?
黄雲:何のつもりかは知らんが戯(たわむ)れは程々にしておけ。
黄雲:己が「七毒」の名を背負っていることを忘れるな。
紫雲:申し訳ありません、兄上。
黄雲:まぁ良い。貴様の働きに期待している。
紫雲:ご期待に添う様、精進致します。

 去っていく紫雲。

槐:……紫雲殿が療治の真似事を?
黄雲:ふっ、俺も耳にした時は驚いた。
黄雲:奴にそのような感情があったとは。

 槐の表情に歯がゆさが浮かぶ。

槐:……あの女……。
黄雲:どうした、槐。
槐:……いえ、何でもございませぬ。
黄雲:案ずるに及ばん。ひとたび腹が減れば全てを喰らう修羅にもなろう。
槐:はっ……。

 頭を下げる槐。
 その胸中には複雑な思いが渦巻く。

槐:(黄雲様のおっしゃる通り、案ずるに値しない些事(さじ)に過ぎぬ。)
槐:(……だが……。路傍(ろぼう)の小石にしては、あの娘は目障りじゃ。)
槐:(非力なれど底の知れぬ意志の強さがある。)
槐:(真に消すべきはあの女ではないのか……?)

 一月の時が流れる。
 傷が癒えた九厓の体に巻かれた包帯が解かれていく。
 受けた傷に触れる九厓。

菖蒲:お加減はいかがですか。
九厓:ああ、悪くない。この一月世話になったな菖蒲。
菖蒲:滅相もございません。
菖蒲:お元気になられて何よりでございます。
九厓:……さて、と……。

 立ち上がる九厓。

菖蒲:……行かれるのですか。
九厓:ああ。今日から師匠の代わりに一仕事しねぇとな。
菖蒲:九厓様、お願いがあります。
九厓:何だ。

 目を伏せる菖蒲。

菖蒲:どうか、お怪我をなさらないでください。
菖蒲:誰の命も……奪わないでくださいませ。

 うつむき、身を震わせる菖蒲。
 震える肩に手を置く九厓。

九厓:心配するな。魂まで売るつもりはない。
菖蒲:九厓様……。
九厓:こんな戦い、すぐに終わらせてやる。

 黄雲邸、玉座の間。
 向かい合う九厓と黄雲。

黄雲:……馬鹿な。今何とほざいた、九厓。
九厓:戦いには出る。だが誰も殺さん。
黄雲:貴様の快気を祝うめでたき日だと言うのに、あまり落胆させてくれるな。
九厓:なぜだ? そもそも皆殺しにする必要がどこにある。
九厓:戦うにしたってやり方が杜撰(ずさん)だぜ。
槐:やはり俗物の頭には黄雲様のお考えは理解できぬか。
九厓:殺して、殺して……最後に掴み取った覇権で、あんたは何を成したいんだ。
槐:黙れッ! 黄雲様、こ奴も十坐と同類です。
槐:所詮は人間、我々とは相容れませぬ。

 無表情に九厓様を見下ろす黄雲。

黄雲:……九厓。
九厓:何だ?
黄雲:お前は強い。かつて無双を誇った十坐さえ凌(しの)ぐ力がある。
黄雲:称賛に値する。
九厓:こんなもん、使わねぇで済むならそれで良いんだよ。
黄雲:いや、それこそ天がお前に授けた力なのだ。
九厓:……で、質問の答えにゃあなってないぜ。
黄雲:なればこそ力は大義の為に行使せねばならん。
黄雲:混沌は正され、我らのもたらす「秩序」が支柱となる世は近付いている。
黄雲:その過程で骸(むくろ)を数えている暇はないのだ。
九厓:姉ちゃんの言う通りだな。
九厓:生涯かけてもわかり合えねぇよ、あんたとは。
黄雲:九厓。
九厓:いい加減に目ぇ覚ませ。
九厓:憎しみの渦中にいるうちは何事も成せん。
槐:貴様ァ……。
九厓:手がいる時は呼べ。それまでは自由にやらせてもらう。
黄雲:「誰も憎まず」、か? 十坐や……あの娘と同じ。
九厓:何が言いたい。
黄雲:いや……。だが間違いなく貴様にも「軍神」の心は眠っているぞ。
黄雲:あの手合わせで確かに感じた。
九厓:そうかい。
黄雲:下がれ。要事の際は知らせよう。
九厓:ああ。じゃ、失礼するぜ。

 立ち去る九厓。

槐:よろしいのですか、黄雲様。
黄雲:「軍神」はまだ目覚めておらんだけだ。
黄雲:十坐の娘……奴の甘さが眠りを深めているのだろう。
黄雲:不思議なものだ。非力なれど人を変える何かがある。
槐:同感にございます。
槐:負傷兵の一部にも、あの女の綺麗事に感化された者がいる様です。
黄雲:全て殺せ。
槐:かしこまりました。
黄雲:……ふっ、死してなお俺の邪魔をするか。十坐の血筋め。
槐:あの女も消しますか?
黄雲:いや、それでは九厓という逸材を逃す。
黄雲:我らに刃向かいかねん。
槐:……。
黄雲:真の意味で「消す」べきであろう。
黄雲:あ奴は初めから存在などしなかったのだ。
槐:! ……なるほど。
黄雲:水月を呼べ。速やかにな。
槐:承知致しました。

 一礼し、下がる槐。

 暗い部屋で椅子に座り、うつむく紫雲の姿。

紫雲:(兄上の目には戯れに映るでしょう。)
紫雲:(ですが、生まれて初めての感情だったのです。)
紫雲:(他人の為に何かを施してみたいと思ったのは。)
紫雲:(私が初めて憧れた、あの方のように。)

 夜、誰にも悟られないように菖蒲に会いにきた紫雲。

菖蒲:……え?
紫雲:すぐにここを離れてください。
菖蒲:な、何を言い出すの、紫雲。
紫雲:あなたは消されます。存在を抹消されるのです。
紫雲:死とは違う……。この世に「いなかった」ことになる。
菖蒲:いなかった……?
紫雲:「七毒」の一角、水月の力です。
紫雲:誰の記憶からもあなたの存在は消えてなくなる。
菖蒲:そ、そんな……。
紫雲:兄上は本気です。
紫雲:まだ猶予はあります。今夜にでも……。
菖蒲:……。

 何かを思案する菖蒲。

紫雲:菖蒲さん?
菖蒲:ありがとう、紫雲。でも逃げないわ、私。
紫雲:馬鹿な……。なぜです。
菖蒲:ごめんね。でもわかってるでしょう。
紫雲:……医者として、ですか。
菖蒲:うん。見捨てるわけにはいかないから。
紫雲:あなたに恐怖はないのですか。
菖蒲:……。
紫雲:私は……あなたを、忘れたくはない。

 うつむく紫雲。
 微笑み、そっと頭に手を置く菖蒲。
 その手は震えている。

菖蒲:ありがとう。

紫雲:(私の頭を撫でる手は震えていた。)
紫雲:(必死に恐怖を抑え込んでいる。)
紫雲:(だが……逃げない。)
紫雲:(他人を想い、己の信念に殉(じゅん)ずる。)
紫雲:(その強さに私は憧れたのだ。)

 玉座の間へと向かっていく紫雲。

紫雲:(一握りでいい。あなたの強さを私に預けてください。)

 強大な力がぶつかる音で屋敷が揺れる。
 間合いを取り、対峙する兄弟。
 狼狽した槐が呼びかける。

槐:お、おやめください……紫雲殿ッ!

 黒く変色した腕を構え、兄を見据える紫雲。

紫雲:……ハァッ、ハァッ……。
黄雲:何の真似だ……紫雲。
紫雲:……何のことはありません。
紫雲:兄上とは行けぬ、それだけのことです。
黄雲:わからん……。何が不満だと言うのか。
黄雲:地位も、存在の意義すらもくれてやったと言うのに。
紫雲:意義……?
黄雲:!

 間合いを詰め、黒色の腕が黄雲に振り下ろされる。
 攻撃を太刀で受ける黄雲。

黄雲:ぬぅ……ッ。
紫雲:あなたの戦の為の道具と成り果てることが……ですか。
黄雲:ほざけ……。道具にも成り得なかった出来損ないが過ぎた口を利くな!
槐:黄雲様……!
黄雲:手出し無用だ槐。愚弟(ぐてい)の始末は俺がつける。
紫雲:……うぐッ、う……。

 刺すような痛みが紫雲を襲う。
 膝が崩れ、地に伏す紫雲。

黄雲:見ろ……ゲテモノを喰わねばその身も滅ぶ。
黄雲:戦場はお前の居場所だろう。わからんのか、紫雲!
紫雲:……醜い獣に成り下がりたくはない。

 黄雲の顔に怒りが浮かぶ。

黄雲:小僧がァッ!

 太刀が振り上げられる。
 まさに振り下ろされんとする刃が割って入った声によって止められる。

菖蒲:やめてッ!

 現れた菖蒲を睨めつける黄雲。

槐:また貴様か……小娘。
紫雲:菖蒲……さん。
菖蒲:刃をお納めください。
黄雲:俺に指図とは良い度胸だな、十坐の娘。
菖蒲:また肉親を手にかけるおつもりですか。
黄雲:貴様らと同じ尺度でものを言うな。
黄雲:このような軟弱者、弟とは思いたくもない。
菖蒲:紫雲は弱くなどありません。
菖蒲:他人の為に傷付くことができる。
菖蒲:優しいんです。他人を慮(おもんばか)ることのできる強さがあります。

 黄雲の表情が不気味に歪む。

黄雲:……そうか……そういうことか。
黄雲:紫雲を堕落させたのも貴様か、女。
黄雲:とことんまで愚弄(ぐろう)してくれるではないか。

 菖蒲の方へと近づいていく黄雲。

紫雲:あ……菖蒲さんッ!
黄雲:たかが小娘が……。俺の行く道の邪魔をするなッ!
菖蒲:……ッ!

 太刀を振りかぶる黄雲。
 目を閉じる菖蒲。

 つかの間の静寂の中、刃は空で止まっている。
 割って入った九厓によって黄雲の腕が掴まれ、びくともしない。

黄雲:……!
九厓:言ったよな。菖蒲に手ェ出したら……殺すと。
黄雲:……九厓ィ……!
九厓:調子に乗るなよ、雷野郎。

 掴まれていた腕を振り払う黄雲。
 控えていた槐を見る。

黄雲:槐ッ!
槐:はッ!
九厓:くそっ、またあれかよ……!

 九厓に槐の「色香」が襲いかかる。
 素早く身をかわし距離を取る九厓。

九厓:ちっ……姉ちゃんの方が厄介だな。
黄雲:いつかの続きだ。再び相手になってもらうぞ、九厓。
九厓:二人がかりでよく言うぜ。

 黄雲が兵に呼びかける。

黄雲:水月を連れて来い!
九厓:ああ……?
黄雲:安心しろ九厓。全て忘れる。
黄雲:さすれば貴様の中の「軍神」も目覚めよう。
九厓:わけわからねぇこと言ってんじゃねぇよ!

 黄雲と九厓の戦いが始まる。
 その最中、地に伏した紫雲に駆け寄る菖蒲。

菖蒲:紫雲! 大丈夫!?
紫雲:なぜ来たのですか……。
菖蒲:そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。
菖蒲:ひどい怪我よ。早く手当しないと……。
紫雲:……本当に、あなたという人は……。
菖蒲:ほら、つかまって。行きましょう。

 菖蒲の肩を借り、立ち上がる紫雲。
 弱々しい笑みが浮かぶ。

紫雲:……初めてお会いした時も。
菖蒲:えっ?
紫雲:こうして肩をお借りした気がします。

 思い出し、小さく笑う菖蒲。

菖蒲:そうだったわねぇ。あなたってばいつも怪我をしてるんですもの。
紫雲:あの時からあなたは何も変わらない。誰に対しても手を差し伸べる。
菖蒲:……人の手はね、暖かいのよ。
菖蒲:手を当てると安心するでしょう。だから、「手当て」と言うの。
紫雲:なるほど。
菖蒲:この暖かさが誰かを救うのよ。忘れないでね。
紫雲:菖蒲さん、私は……。
菖蒲:ん?

 一度口をつぐんだ後、意志を込めた目で菖蒲を見る紫雲。

紫雲:あなたのような医者になりたい。

 菖蒲の目が開く。
 やがて瞳が嬉しそうに細まる。

菖蒲:なれるわ、きっと。
菖蒲:あなたなら……絶対に良いお医者様になれる。
紫雲:……。

 黄雲の怒号が響く。

黄雲:水月ッ! その女を消せッ!
紫雲:ッ! 菖蒲さん! 逃げて……。

 紫雲の中から菖蒲の腕の感触が消え去る。

 数刻の静寂。
 倒れている紫雲。菖蒲の姿はどこにもない。
 肩で息をする黄雲の前で膝をつき、放心している九厓。

黄雲:ハァッ、ハァッ……。
黄雲:クク、腕は鈍っておらんようだな……。安心したぞ九厓。

 黄雲の言葉にも微動だにしない九厓。

黄雲:九厓? どうした、何を呆けている。
槐:黄雲様。水月は諸用が残っているゆえ、持ち場に戻るとのことです。
黄雲:ああ、わかった。こちらも手合わせは済んだ。
黄雲:お前も下がるがいい、九厓。

 放心した九厓の口からぽつりと言葉がこぼれる。

九厓:……菖蒲……。
黄雲:何……?
九厓:菖蒲をどこへやった。
九厓:返せ……。今すぐにあいつを返せッ!
黄雲:菖蒲? 一体何をほざいているのだ、貴様は。
九厓:うああああああッ!

 乱心した様子で黄雲に襲いかかる九厓。

槐:待てッ!

 咄嗟に「色香」で九厓の動きを封じる槐。

九厓:う……ぐ……ッ!
槐:痴(し)れ者め。黄雲様に牙を剥くか。
九厓:殺す……ッ。全員殺してやるッ!

 殺気をむき出しにしてもがく九厓。

槐:黄雲様……。
黄雲:俺とともに戦うという約束はどうした、九厓。
九厓:黙れ……。菖蒲を返せェッ!
黄雲:……気でも触れたか。
槐:所詮、人間などこの程度のものです。
黄雲:もういい。このような姿、見るに耐えん。
槐:牢に入れておきますか?
黄雲:いや、これ以上暇(いとま)を与えてやる気はない。
黄雲:麻由良(まゆら)を呼べ。丁度、招集していたはずだ。
槐:麻由良を……?
黄雲:当人が使い物にならなくとも、この男の「闇祓い」の力は貴重だ。
黄雲:我々が貰い受ける。戦時に役立てるのみよ。
槐:承知致しました。ではすぐに。
黄雲:うむ。

 槐が下がる。

九厓:菖蒲……どこだ、菖蒲……。
九厓:返事をしろ……。

 虚ろな表情で周りを見渡している九厓。
 黄雲が憐憫の目を向ける。

黄雲:残念だぞ九厓。師と同じ道を辿るとは、哀れなものだ。
九厓:菖蒲……。
黄雲:……見るに堪えんわ。

 口惜しげに背を向ける黄雲。
 なおも消えた菖蒲の姿を探し続ける九厓。

九厓:(菖蒲のことを覚えているのは俺だけだった。)
九厓:(誰一人としてあいつのことを覚えている奴はいない。)
九厓:(まるで初めから生まれて来なかったかのように。)
九厓:(おかしいのは俺の方なのか。)
九厓:(存在しねぇ女のことで泣いてる俺の方が狂っているのか。)
九厓:(全てを失った。)
九厓:(愛した女も、法師の力も……生きる意味も。)
九厓:(悪ィ夢だ。きっとあいつから貰った茣蓙(ござ)の上で見てるんだ。)
九厓:(なぁそうだろ。菖蒲。)

 数刻が経った後。
 屋敷内に騒がしく声が響いている。

槐:黄雲様! 紫雲殿が逃亡を……!
黄雲:チッ、まだ動けたのか、あの小僧め。
槐:どうやら法師を連れ姿をくらました様です。
黄雲:九厓を? 何のつもりだ……。
槐:すでに兵は放っておりますが……いかが致しますか。
黄雲:捕縛次第、連れ戻せ。法師の方は殺しても構わん。
槐:承知致しました。

 兵士に命を伝え、指揮を執る槐。
 頬杖をつき静かに笑う黄雲。

黄雲:地の果てにでも逃げてみるか、紫雲。
黄雲:無駄だ。どこへ行こうとも貴様が受け入れられることはない。
黄雲:所詮、貴様は業を背負った醜い化け物よ。

 大挙していく兵士たち。

 一方、暗がりの続く長い道。
 九厓を背負い歩く紫雲を降り出した雨が打つ。

紫雲:……生きておられますか。
九厓:なぜ助けたんだ。
紫雲:さぁ……わかりません。
紫雲:ただ頼まれた気がしたのです。
九厓:頼まれた……?
紫雲:「救える命を捨て置かないで」、と。

 紫雲の言葉に目を見開く九厓。

九厓:……お前、それ……。
紫雲:誰の言葉であったのかは思い出せません。
紫雲:しかし、強く優しい声でした。
紫雲:なぜ……思い出せないのでしょうね。
九厓:……菖蒲……。
紫雲:ですが……とても大切な方の言葉であると……そんな気がするのです。

 うつむき、顔に手を当てる九厓。

九厓:……ごめんな……!

 九厓の心に声が響く。

菖蒲:(九厓様。)
菖蒲:(身勝手な頼みであると存じますが……。どうか紫雲のことをよろしくお願い致します。)
菖蒲:(優しい子です。それゆえに苦しんでいます。)
菖蒲:(そして重ね重ね、身勝手とは承知の上ですが……。)
菖蒲:(どうかお怪我をなさらず健やかにお過ごしくださいませ。)
菖蒲:(いつまでも。いつまでもお慕い申し上げております。)

九厓:……本当に勝手な奴だよ。
九厓:最後まで人の心配ばかりしやがって。

 長い道の先に分かれ道が現れる。
 分岐点で紫雲と九厓が向き合う。

九厓:世話になったな。ここでいい。
紫雲:左様ですか。追手が近付いております。
紫雲:用心してください。
九厓:……随分と苦しそうだな、あんた。
紫雲:そう見えますか。
九厓:何なら喰ってもいいんだぜ。目の前に餌があるじゃねぇか。

 弱々しく笑う紫雲。

紫雲:私はゲテモノしか食せません。
九厓:……そうかい。
紫雲:それでは……失礼致します。

 背を向ける紫雲。

九厓:あんたとはまた会えそうな気がするよ。
紫雲:……ええ、またお会いしましょう。

 紫雲の姿が闇に消えていく。
 九厓が片方の道へと歩き出す。

 長い長い年月が流れる。
 最果てに存在する夜明けの来ない町、カンテラ町。
 朽ち果てた廃屋で壁を背にして座り込み、眠る九厓の姿。

九厓:(あれからどれ程の時が経っただろうな。)
九厓:(無様にも生き永らえちまった。)
九厓:(今じゃあ、地の果てまで流れて化け物と暮らす毎日だ。)
九厓:(お前は死んだと自分に言い聞かせても、茣蓙(ござ)の上で寝りゃあ夢に見ちまうよ。)
九厓:(あの時と変わらねぇ笑顔で笑いかけるんだ。)
九厓:(心配するなよ、菖蒲。)
九厓:(お前のことも、お前の頼みも、ひとつとして忘れちゃいねぇ。)
九厓:(先生のことは俺が守ってやる。)

 九厓の目が開く。

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