超現実の承認欲求(ざれごと)
超現実の承認欲求は自分自身の中で他者の人間性にまで働きかけるもの(?)
これは朝ファミレスにきて普段考えないようなテーマで
文章を書きたくなっただけだ。
自分を認めるのが下手な人間が認め方について話す。
これはシュールなコントだ。
私はいつも承認欲求に左右される。
認知してもなお無意識下で店員さん
道を歩いてる人にまでなんだか自分を抑えてまで承認されたがっている。
いたような人間だ。
欲求は更なる欲求を生む。
承認は他者から求める限り底が見えない。↓
そして自分自身で解消しようとする。↓
これが承認欲求と闘う界隈(なんの界隈だ)の一連の流れだと思う。↑
表現を「作品」として書く場合評価を求める。
評価には、作品相応の対価を求め、
対価の価値とは何だろうか。
お金であっても繋がりであっても。
例え職業で本質は同じ。
承認欲求を「めっちゃ欲しいか」
「めっちゃ求めないか」
突き詰めて考えたらこの2つ。
でゴールは実のところは同じ気がする。
自分と言う「個性」を
外側に向けて求めるのか。
内側に向けて求めるか。
どちらも必要。
必要があれば人は求める。
必要がある文章を書きたかった。
けれどまとめる力がどうやら足りない自分は
トイレに行きたくなってきたから話を終わらせる気まんまん。
承認欲求において開き直るのは自分を認めてる行いだと思うんだ。だから程々というか。
はじめに書こうとした時はコントみたいに書くつもりだったのに
後日加筆か反省も込めてこれで投稿します。
酷いな…トイレを優先する。今の僕の承認欲求。自分で自分を認める
もう少し内容をしぼって、あとは中立的な書き方ができたら良かったな〜泣
極度のひとりよがり癖の問題解決と
単純に寂しがりなのでこれを機に人に前向きに触れ合い求める。
無理して誰かに合わせなくていいやスタンスを少しずつ出してきたい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?