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公演中止から一週間とちょっと。

ナイチンゲールじゃないよ、カラスだよ。

ということで、さっきも書いたけど、ことのは一度限りの復活公演「夜、ナク、鳥」は初日の1ステージだけを上演し、二日めからは新型コロナウイルスの感染拡大を考慮して(ちょーざっくりと略した)中止となりました。そしてもう一週間以上経っている。

一週間、1日も休むことなく情勢は変化している。今こうしてキーボードを叩いているというのは、僕も、とうとうすることが数えるほどしかなくなってきたからだ。緊急事態宣言前からフリーランスで生きている僕としては、自粛したからといって生活スタイルに変化はなかったのだけれど、さすがに周りが変化している。少しずつ確実にすり減っている。

さて、公演中止。

とても厳しい局面での上演だったと思う。本当に世間が自粛ムードに入り始めていた。毎朝思った「この公演をやっていていいのか」と。やりたくないわけではない。むしろやりたい。しかし、やっていていいのかはわからない。最初に関川さんが決めた「補償が提示された上での自粛要請」もしくは「関係者の中に感染者が出る」という条件を、僕もそうだと思っていたからやる。この公演に向けて稽古してきた思い、みたいなものとかを感じながら。むしろそれが原動力だったのかもしれない。本番を迎えて、もう一皮、二皮向けそうだったから。もちろん自分自身の俳優としての挑戦というか、そういうものもある。なにせ会話が楽しかった。今日はどういう会話になるのか。自分と向き合って相手と向き合って濃密な時間を作るのは刺激的なのだ。しかし、揺れていたのも事実なのである。
だから、「公演をする事は賛成だけど、『見に来てください』と呼びかけるのは難しい。」と発言した。大阪も土日の自粛要請が出た日の昼だ。少し前、ある先輩俳優は「役者の仕事は演じる事と、お客さんを呼ぶ事だ」と言った。その時、自分もその通りだと思ったのにだ。なんと自分のない男なんだろう。でも感染者を出してしまった時の責任なんてとれない。今は誰も歯が立たない未曾有のウイルスに立ち向かえるわけがない。板の上に立つのは自分の責任だが、それに人を巻き込む事はできなかった。

その直後、ある出演者の職場で感染者が出たことがわかった。断っておくがその出演者の「働いているビル」の「隣のビル」の職員さんが感染していたので、結構遠い。同じビルでもない、隣のビル。だけど、すれ違っていないとは言い切れない。匿名だったらしく誰かもわからない状況で、可能性を0にする事は不可能だった。通勤する電車、電車から歩く道、近くのコンビニ、などどこかで関わっている可能性がある。

これはかなり揺れた。たぶん全員が。その時、みんな同じく色んな不安や迷いを抱えながら劇場に足を運んでたんだなって、僕は感じた。もしかしたらクラスターになってしまうかもしれない、それでも上演を行うのか。(ある人から言わせるとその事実が発覚しようとしなかろうと、あの現状では、可能性が0であることはないのだけれど)

関川さんは、僕たちに頭を下げ、公演中止を決断した。

正直、ホッとした自分もいたと思う。自問自答を繰り返していたから。でももし残り5ステージを演じていたら僕の演技はどう変化していったのだろう、千秋楽に作り上げるはずだったこの作品はどんなことになっていただろうと今でも思う。

最初にも書いたけれど「ことのは 一度限りの復活公演」だ。それに掛けていた関川さんの無念は計り知れない。重い役を背負っていた女優陣の無念も計り知れない。人それぞれに深さは違えど、何かの傷を残して、公演は幕を閉じてしまった。

僕にできる事はなんなんだろうかと、今も問いかける毎日だ。

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