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地球の裏側へ行く

ひょんなことから、日本から見て地球の裏側、パラグアイに行くことにした。
パラグアイは、ブラジルの南にある、人口700万人ほどの国である。
なぜ行くことになったのかはまた別の機会で書く。
ここでは実際にパラグアイにつくまでの記録をまとめておく。
ルートは、日本→アメリカ(ニューヨーク)→ブラジル(サンパウロ)→パラグアイ(アスンシオン)。

日本からニューヨーク

まずは成田空港へ行く。
家から品川駅までタクシーに乗り、成田エクスプレスで空港へ。
JREポイントを使うとお得にチケットが取れるらしい。
が、JREもえきねっとも使いづらすぎて毎回途中で挫折してしまう。
成田空港へ到着。
出国審査の列が未だかつて見たことないほど長い。
眺めていると、並んでいると出発に間に合わない人は職員に頼むことで列をスキップできていた。
時間に余裕を持って行動している人が損をする仕組みではないか。
基本友人等の待ち合わせも必ず予定時刻より早くつく自分にとっては少し悲しい。
とりあえず朝マックへ行きパンケーキを頼む。
1時間ほどして戻ってくると列がだいぶマシになっていた。
特にトラブルもなく機内へ。
今回、LATAM Airlineという聞き馴染みのない航空会社でチケットを取った。
が、旅券にはJALと記載されていた。
コードシェアという仕組みだった。
今回、往復で20万円という安さだったので、それでJALはありがたい。
朝10時、離陸。
時差の関係で、向こうの朝10時につく。
ニューヨークに行くのは初めてだったので、乗り継ぎまでの数時間で観光をするつもりだった。
そのため、時差ボケに悩まされないよう前日は徹夜。
そして、朝10時に日本を出て、機内で眠り、ニューヨークで起きて朝から観光するプランを立てていた。
これが功を奏して、飛行機では快眠。
体調万全でニューヨークに着いた。

ニューヨークにて

ジョンエフケネディ空港に到着。
税関でパラグアイへ行くと答えたら驚かれた。
数時間だけNYに滞在する旨を伝えると、"Wecome to NY!"と答えてくれた。
そうか、今僕はNYにいるのか。
アジアすら出たことのない自分にとって、アメリカにいることにようやく実感が湧いてきた。
空港から電車でマンハッタンへ向かう。
お目当ては、セントラルパークやウォール街等の市内の観光。
一切リサーチをしていなかったのでとりあえずGoogle Mapを開く。
ジャマイカ駅までとりあえず行けばいいらしい。
Metroカードというものを買って電車へ。
空港を出た瞬間大麻の匂いが。
驚いて近くを見渡すと、ホームレスに見える老人が吸いながら踊っていた。
早速洗礼を受けた気分になる。
あちらこちらに標識があるので特に迷わずジャマイカ駅到着。
そこから地下鉄で五番街駅に行けばいいらしい。
かの有名な五番街だ、と心が躍る。
ニューヨークの地下鉄に乗った瞬間、嗅いだことのない匂いがする。
カビ臭さとチューインガムのような甘さが混じったような感じ。
緊張しながら揺られていると、チョコレートを持った人が乗客に声をかけている。
一瞬理解できなかったが、それらを売っているようだった。
断ったが、その後も3組ほどの物売りが通り毎回声をかけられた。
五番街に到着した。
地下鉄から外に出ると、そこは確かにニューヨークだった。
今まで友達から聞いたり洋画でしか見たことのなかった景色が目の前に広がっている。
感極まって泣きそうになった。
ニューヨークに来て最初に入った店は、ユニクロだった。
自分で自分にツッコミを入れたくなったが、理由はちゃんとある。
トイレに行きたかったのだ。
しかし、ユニクロにはなかった。
調べると、市内ではトイレは少ないらしい。
理由は色々あるのだろうが、治安の問題であろう。
とりあえず五番街を観光する。
高級店が立ち並ぶ。
GUCCI,HERMES,HARRY WINSTON等、ほとんどの店は聞いたことがあった。
いかに日本に外資高級ブランドが進出しているかがわかる。
しばらく歩き、最も訪れたかったセントラルパークへ到着。
大都会NYの中に、突如として現れる巨大な公園。
聞いていた通り、ニューヨーカーの憩いの場所だった。
近くの売店でドーナツとカフェラテを購入。
日本円では1500円程度。少し高い。
適当に腰を下ろして一息つく。
皆んなが思い通りの時間を過ごしている。
犬の散歩、ランニングやサイクリング、楽器など。
日本で言うところの上野公園に近い気がする。
講演を後にし、タイムズスクエアを目指して歩いていく。
歩いているだけでなんと楽しいことか。
「俺はニューヨーカーになったんだぞ、もう誰にも千葉出身の田舎っぺなんて言わせないぞ」
とずっと考えていた。
タイムズスクエアに到着。
煌びやかで見惚れてしまう。
ミュージシャンっぽい人に声をかけられ、CDを渡される。
「これ無料だからよ、貰ってくれ!」
夢を追いかけてるのかな、素敵だなと感心していると、
「チップをくれ!」
と。そうか、その文化を忘れていた。
2ドルほど渡そうとすると、
「ノー、それじゃなくてこっちをくれ!」
と財布の中に入っていた一万円札を無理やり取られそうになる。
普通に断り、その場を後にする。
あまりに理不尽で笑ってしまいそうになったが、今回はCDを受け取ったこっち側に責任がある。
気を引き締めて歩き出す。
しばらく街を見渡しながら歩いた。
空港に戻るまでは後3時間ほど。
ここで、市内をやたら走っているバスに乗ることにする。
バスは二階建てで、二階は剥き出しとなっておりそこから街を見れる仕組み。
街にいる野良の販売員からチケットを買い、アプリに証明書を入れる。
価格は8000円ほど。
バス停で待ち、運転手にアプリを見せて乗り込む。
しばらくバスに乗る。
ブルックリン大橋やウォール街などが目の前に広がる。
現実味をあまり感じなかった。
特に、かなり遠くからではあるが自由の女神像を見た時は「ああ、アメリカに来たんだな」と改めて実感した。
その後は空港に戻る。
施設内でハンバーガーを食べる。
価格は6000円ほどで、買うのにかなり勇気がいった。
全然美味しくなかった。

ニューヨークからサンパウロへ

ニューヨーク現地時間で22時ごろに、ブラジルはサンパウロへと向かう飛行機へ搭乗する。
時間としては10時間ほど。
税関ではパラグアイに行くことをかなり詳しく聞かれたが無事トラブルもなく通してくれた。
飛行機では、60代ほどのブラジル出身のおじさんと隣になった。
彼はこれからリオへと向かうらしい。
席に備え付きのモニターで仮想地球儀を二人で見ながら、色々な国を探した。
日本を拡大して「KOBEは神戸牛のKOBEか!SAPPOROはビールがあるよね!」という話などをした。
飛行機の電気が消える。
快眠できた行きの飛行機とは違い、なかなか寝付けない。
最後にベッドで寝たのは50時間ほど前で、体は憔悴しきっている。
が、何故か寝れない。
かなり精神的にやられ、家族のことなどを思い出すフェーズに突入する。
寝ることを諦め、映画を観ることにする。
何かの記事でどこかの芸人が千回以上見たというプリティウーマンがあった。
あらすじとしては、超富裕層の男性が、たまたま出会った娼婦の女性と恋に落ちるという話である。
面白かったが、特に感動したり教訓を得られたりはしなかった。
なんとか10時間経過し、グアリューロス空港へ到着。

サンパウロにて

現地時間で朝10時。
このグアリューロス空港は世界屈指の治安の悪い空港と呼ばれ、窃盗などが多発しているらしい。
気を引き締めて、予約をしていた空港付近のホテルを目指す。
Google Mapではバスを使えと書いてあったが、距離的に近そうだったので歩いて空港を出る。
出た瞬間、南国っぽい空気を感じる。
車ばかりで通行人のいないところを歩いていると、警備員に声をかけられる。
事情を伝えると、バスに乗れと説明される。
あまり何を言っているかはわからなかったが恐らく歩くと危険なのだろう。
バスに乗り、ホテル付近の駅に到着。
近くでフリーマーケットをやっていたので見てみる。
ブルーシートの上に、電化製品のパーツのがごちゃっと並べられている。
ACアダプターやコントローラーなど。
怖いもの見たさに何か買おうかと思ったが、ブラジルの現地通貨である「レアル」を一切持っていなかったので諦める。
ホテルに到着する。
とりあえずレストランへ。
美味しくない。チェックインをし室内へ。
7000円払っているので普通に綺麗なホテルである。
時刻は15時で、ホテルを出るのは翌日の朝5時。
市内に出るか迷いつつ、とりあえず久しぶりにベッドで寝る。
気づくと夜3時。なんと12時間ほど眠ってしまっていた。
せっかくブラジルまで来たのに一切市内に出なかったことに少し落ち込むものの、事件にあったり体調を崩したりしなかくてよかったと思うことにする。
朝ごはんを食べにレストランへ。
スタッフが英語もスペイン語も通じず会話ができない。
近くの男性が英語で翻訳をしてくれ、なんとかご飯を食べる。
夜ご飯を食べ損ねていたため美味しく感じる。
ふとクレカで支払ったレシートを見ると、35,00レアルと書いている。
35レアルなら日本で1000円ほどであるが、もし3500レアルだったら10万円。
観光客だからといって詐欺られたのかと思い焦る。
先ほど翻訳をしてくれた男性の元へ行き、35なのか3500なのか聞くと、
「安心しなよ、これは35レアルだよ」
と教えてくれた。
紛らわしい。それならカンマじゃなくてピリオドにしてくれ。35.00のように。
バスに乗り、空港へ戻る。
先ほどの男性が隣であったため少し話す。
彼は国内線に乗るため、僕とはターミナルが違った。
僕のいくターミナルへは歩いて10分ほどかかるらしく、
「とにかく標識を見て向かったら迷わないよ」
と助言をくれた。
結構歩き、国際線ターミナルへ到着。
何故かNRT→JFKも、JFK→GRUも自動チェックインができなかったが、
今回はできた。コードシェアの場合はできないのだろうか。
出国ゲート周辺は汗の臭いが充満していた。
しばらく風呂に入れていない旅人が多かったのだろうか。
LATAM Airlineの飛行機に乗るため、ゲートからバスで移動する。
バスで隣になった60代のおじさんと喋る。
英語が通じなく、「Tu hablas Espanol?(スペイン語喋れる?)」と聞くとうなづく。
二ヶ月前にスペイン語を勉強し始めてから、初めて実際に話す機会に遭遇。
軽い自己紹介は伝わったものの、彼が何を言ってるかはほとんどわからなかった。
彼もそれを感じ、極力単語ベースで話してくれた。
僕は、東京から来たこと、パラグアイは友達に会うために向かうことをなんとか伝えた。
バスから降りて飛行機を待っていると、若い女性が「何か困ってる?」と英語で話しかけてくれた。
「困ってないよ、でも声をかけてくれてありがとう」
と答えると、
「さっきのバスの中で会話が聞こえたの。私も何年か前にTokyoに行ったことがあるのよ。とっても遠かったわ」
と話してくれた。

今回の旅を通じて、英語が喋れることと、現地の言葉を少しでも喋れることの重要性をひしひしと感じた。今はDeepLを始めとした便利な翻訳ツールがあり、テキストベースならどんな言語の相手でもなんとか意思疎通ができる。
が、実際に話す場面だといちいち機会に頼ってられないし、何より直接喋ることで打ち解けられることが多い。
今、自分は日本のちょうど反対側にいる。
それでも英語が喋れること、少しだけスペイン語が話せること、そして挨拶だけでもポルトガル語を喋ることによって色々な人と喋ることができた。
タイや韓国で英語を喋るのとはまた一味違う感じだ。
アスンシオン行きの飛行機へ乗る。
飛行機はかなり小さく、全体で搭乗客は200人ほど。
乗客のパスポートを見るとほとんどがパラグアイ国籍。
当然アジア人は誰もいないし、旅行で来ている人はいない。
人生で初めて、非観光地へ行くのだなと実感する。
LATAM Airlinesnの機内では、何故か中途半端なところでカーテンで仕切りがある。
特にファーストクラスやビジネスクラスのような線引きがあるわけでもなさそうで、謎である。
ちょうどカーテンの前の席なため、客室乗務員が通るたびにカーテンが自分に直撃し全く寝れそうにない。
2時間のフライトのため寝ようとも思わないが。
ここで、2時間のフライトが極端に短いと感じている自分に気づく。
この旅行に行くまでは、最も長くてオーストラリア行きの6時間フライト。
それがニューヨークまで13時間、サンパウロまで10時間を経験したことで完全に時間の感覚が変わった。
今、この文章をアスンシオン行きの飛行機で書いている。
これからようやく現地にいる友人に会える。
日本を出国してから三日ほど経っているため、だいぶ旅行している感があるが、実際の旅が始まるのはこれからなのである。
ひとまずここで終わらせることにする。


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