真理

 ありがたいことに、僕のツイートやnoteの記事をご覧いただいて「これは真理ですわ」みたいな反応を稀にいただくことがあります。周りからの共感をもらいたいというのは本来の目的ではないのですが、いざリアクションがあると嬉しいですね。ただ、それ以上に皆さんの投稿を拝見すると、僕が心のどこかで漠然と感じていたものを、スパッと言語化できていてすごいなと尊敬するような投稿をたくさん拝見します。ところで「真理」って何ぞや?ってふと思うことがあったので自分なりにちょこっと書き殴っていこうと思います。

 「真理」といざ聞くと、さも世界にはそれ自体が存在していて、自分たちがその存在に「気づく」みたいなイメージを持っている方が多いかと思われます。しかし「真理」というのはそれ自体が存在するものではないとフッサールという学者が「現象学」という学を通して説明しています。深く学んだわけではないので正しいのかはアレですが、「現象学」は各々の考えが互いに開放された状態で擦りあわされた結果、その共通解や納得を得られるものが「真理」なのだ、と説いています(違ってたらすいません・・・)。

 自分の考えや信念といったものは、あくまでも内的な主観でしかないため「これが正しい!」やら「この考え方は間違っている!」という個人的な感想に近いものとして留まってしまいます。それを他の主観というフィルターに晒されたり試されたりした上で、納得という壁を越えた部分がやっと「真理」へ昇華することができます。つまり「真理」は元々そこにあったものに「気づく」のではなく、周囲との相互了解を通して「作られる」共通認識そのものであるように考えられます。

 この理論で物事を考えると、いくらカリスマ性のある人が発信した内容であっても、それを見た(聞いた)人たちが自分の考えと相容れないのであれば、その発信は正しさを帯びたものとは言い難いものとなります。しかしどうでしょう、不思議なことに受け取る人が同じでも、発信する人が違うと反応が正反対になるなんてことがあります。(続きは都度更新していきます。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?