お・も・い・や・り

 人間関係の基本は「思いやり」です。おそらくどんな人でも他者を思いやる気持ちがあれば、周囲の人と良好な人間関係が築けることは理解しているはずです。しかし、この「思いやり」を苦手としている人も中にはいます。ド偏見で大変恐縮なのですが、これは中高年の方々に多いように思えます(もちろん全員が全員そうではないことは筆者も理解しております)。

 少し寄り道をします。仕事を頑張っている人、僕はとても尊敬しています。特に出世をしたいといった野心を持った方々の多くは「やるべきことはしっかりやる」「結果を出す」「責任を果たす」という意識を高く持っているように思えます。性格上そうしないと気が済まないという方や、それらを言い聞かせることで自分を焚きつけてモチベーションを上げているという方もいらっしゃるので意識を持つまでの過程は様々ですが、そういった意識を常に持って職務に取り組む姿勢というのは自分の能力を最大限に発揮するために必要となる要素のうちの1つだと考えています。偉そうにこんなこと書いてますけども出世欲もそんな意識も持ち合わせてない僕には自分で文章を綴っているのに心が締め付けられるような気持ちになりますね・・・。

 なんで話の寄り道をしたかというと、周囲よりも成功体験を繰り返している人は「自分のやることはいつも正しい」という錯覚に陥ることが多く、そこから自己中心的な思考に凝り固まっていくケースがあることを伝えたかったからです。自己中を自分の中だけで完結させるのであれば全く問題はないのですが、自分の意見を無理やり周りに押し付けたりする「思いやり」の欠けた行動を選択してしまうという人がいるのも事実ですよね。

 上司が実績にこだわるようなタイプであれば、思うように結果を出せない部下に対して冷淡になることもあり得ます。どこかの自治体で管理職がパワハラ認定を受けて処分を受けたというニュースを最近目にしました。実態は存じ上げませんが、罵声を浴びせたり無視をしたとありましたのでこのタイプであった可能性も否めません。職場だけではなく家庭においても「俺は外で働いて稼いでるから、家事育児を受け持つのは当然だ」という突き放したような態度をとる人もいると聞きます。
 さらに、思春期の子どもが反抗してくることに対して「半人前のくせに生意気だな」と切り捨てるような言葉を吐く人もいるようです。頭では分かっているという常套句で言い訳に走る人もいますが、行動が伴っていないのでは意味がないですよね。

 「思いやり」とは、「共感能力」であり「相手の立場に立って相手の気持ちを理解する能力」です。上記に事例を挙げましたが、こうした能力は年齢を重ねるにつれて衰え始めてしまうみたいです。よくある隙自語や「俺たちが若い頃は~」みたいなのは、自分が生きてきた過去や時代に浸っているだけで相手の立場を考えていないからあまり迎合されないんでしょうね。僕も意識できる限りは相手のことを考えた上であれこれ行動できるようになりたいものです。

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