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みんなで。


批判に風が向かうとすぐ自分も批判、一刀両断的に攻撃するのはどうなんだろ。
いやなことを「いやだ」と表明する権利はみんなにあるし、その反対を述べる意見の自由ももちろんある。
納得できる範囲で(家族に嫌がらせをしたりプライベート情報を広げて社会生活をおびやかしたりしない、常識のある意見発信のなかで)というのは全然問題ないと思う。
ひとつのミスを見つけて、非難されて謝って責任を取って辞める、というやり方は、お互いにとって得策ではない。ミスだとあとでわかったなら、謝罪をし、誤りがもうないように留意してさらに職務に力を注ぐべきだ。橋下徹さんが電力か金融(だったかな?)のことで、その時僕はそう言ったけどそれは大変な誤りだということは今はわかっていてこの政策に賛成する、というようなことを述べた行動、それが非常に堅実だと思った。橋下さん自身を支持する気持ちは私にはあまりないけど、この姿勢は支持する。人間ってそういうもの。間違えるし、恨むとしても、常識の範囲ならば「その行為」を恨んだり非難したりするべき。
玉川さんが言ったことに非常な影響力があるというのなら、それは彼が長らくジャーナリストとして仕事に邁進してきたからであり、そうやって築いた信頼があったからであり、そうじゃなきゃ発言を信用する人はたくさんはいないし、影響力だってない。「玉川さんがそう言ってるならそうなんだろうな」と思う人がたくさんいるからそうなるのでは?

他にも、現代のニュースには、切り取り記事とか、トリミング箇所でゆがませる情報とか、そういう問題はいっぱいある。
また、モーニングショーでは論争になることがしばしばあるが、同調する意見を皆が言う性質の番組も存在し、それを支持する人はそういう番組を見ればいいと思う、堂々と。それぞれ好みがあるのは情報番組にかかわらずどんなジャンルでも当然必然のこと。

玉川さんが熱くなるのは、社会問題、人間の安心できる生活づくりにそれだ真剣である証拠だと私は思う。
今回のミスは、彼の影響力を思えば大きなことで、反省と謝罪と認識の改善をしなきゃいけないけど、これで引っ込んだりしないで、一からやり直します的な心掛けで励んでほしいと思う。
失敗したぶん、大勢から批判された人の気持ちやつらさを思い知った、という、一つの重要な体験にもなったんだ、今回は。
悲しみや苦悩を知っている玉川さんの視点から、私はまた意見を聞きたい。「私は違うと思うぞ」という意見も、正しい情報のもとにそう思うならどんどん言っていいと思う。異なる意見を聞き、反論を言って、議論の場所をもつ、それがどれだけ重要か。
「都合のいい悪者みっけ」みたいに、みんなで非難するって(その尻馬に乗るのは爽快、嫌いな人が悪事がバレて叩かれてたら、私だってすごく気持ちいいし)、よくあることだが、クラリと歪んで利用されれば、戦時下で「思想犯」という名目で作家たち表現者が収監されたり殺害された90年前と何も変わらない、と思う。いや、ネットを使うことで、より悪く、より手を汚さない・残酷さに気づかないままで、徹底的に誰かの人生をめちゃくちゃにするほうへ転がるよね。
オンラインは便利でコスパよく、社会全体のレベルを上げられるもの。うまく取り入れていこう。
日本は間違いに厳しすぎる。結局、みんなで損をしてしまう。今回のこと、しっかり見つめてきっちりかたをつけてもらって、みんなでチャンスにしませんか?

#玉川さん
#玉川徹
#win -win
#リスタート

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