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ポプラ小路のクリスマス

クリスマスのために新しく書いた物語。パリ市内でたぶんいちばん好きな「ポプラ小路」を舞台にした二作目です。

   ***

リリとマックスは、小さな田舎町に住む恋人同士。
リリは真っ白ネコ、マックスはタキシード柄の白黒ネコです。
「結婚式にぴったりの柄だね!」とよく言われます。
リリは女優志望で、将来、パリで舞台に立つのが夢です。

夏になると、二人は自転車に乗って、近くの少し大きな町まで出掛けます。
広場でマルシェを見て歩き、通りや川辺を散歩して、カフェでゆっくりコーヒーを飲んだりします。


ある日、リリは通りのお店のウィンドウで、素敵なピアスを見つけました。
小さなハート形のキラキラ、ガラス製ですが、まるでダイヤモンドのよう。
リリのうっとりとした顔を見て、マックスは頭の中ですばやく、お財布に入っているお金を計算しました。二人は自転車で来ているので帰りの交通費もかかりませんし、コーヒー代を節約すれば、何とかなるでしょう。
そこでマックスはそのピアスをリリに買ってあげました。
リリは大喜び。さっそく耳につけてご満悦です。
リリの嬉しそうな顔を見て、マックスは同じくらいに嬉しくなりました。


それからしばらくして、リリは女優を目指すため、単身、パリへ発ちました。
マックスは駅まで見送りに行きました。
その日もリリは、お気に入りのそのピアスをつけています。
「落ち着いたら、また連絡するわ」と彼女は言いました。
「必ず会いに行くよ」と、マックスも約束しました。

   ***


慣れないパリの安ホテルで、リリはさっそくマックスに手紙を書こうとしましたが、ふと思い直します。
「先に住むところを見つけてからにしよう」
ほどなく彼女は住むところを見つけ、俳優養成学校に入りました。
そこでマックスに手紙を書こうとしましたが、やっぱり思い直します。
「認められて、舞台に立てるようになってからにしよう」
ほどなく彼女はひとつのオーディションに受かり、小さな役をもらいました。けれどもまだ、満足しません。
「だめだめ、こんなのでは。もっと大きな役をもらえるようになってから、連絡しよう」
それからもオーディションを受け続けますが、なかなか認められず、芽が出ません。

学校の先生はリリに言います。
「パリで女優として認められるには、容姿、演技、ダンス、歌、すべての点で完璧でなければなりません。リリさん、あなたの問題は、歌唱力ですね。歌の個人レッスンの先生を紹介してあげますから、学校の授業に加えて通いなさい」
そこでリリは、週に一度、ポプラ小路に住んでいる歌の先生の所へ通うようになりました。
でも、先生はとても厳しく、いつも怒られてばかり。リリはしだいに自信を失い、追い詰められていったのです。


クリスマスも近いある日のこと。
いつもの歌のレッスンで、先生は声を荒げました。
「リリさん! あなたはどうしてそうきちんと音程を取れないんですか。歌の歌えない女優なんて、脚の一本ない椅子みたいなものです。そんなの、誰が使いますか」
それを聞いて、リリは耐えられず、泣きながら飛び出してしまいました。
そのまま通りへ駆け去って、しばらくしてから、立ち止まってショウウィンドウに映る自分の姿を見たとき、リリははっとしました。
いつもつけていたピアスの片方がありません。ポプラ小路のどこかで落としてしまったのでしょうか。
リリは激しい後悔の念に襲われました。
それでもどうしても、あそこへ戻ることはできませんでした。

   ***


いっぽう、こちらはマックスです。
「落ち着いたら、連絡するわ」とリリはたしかに言ったはず。
ところが、それからひと月、ふた月たっても、何の音沙汰もありません。
しだいにマックスは、心配でいてもたってもいられなくなってきました。

ついにリリを追って、パリへやってきたマックス。
苦労して居所を探してまわり、ようやく、ポプラ小路の歌の先生のところへ通っているらしいことを知って、やってきます。
それはあのクリスマス前の晩のことでした。
ちらちら、雪が降り出しています。
マックスが通りを歩いていると、突然、反対側の歩道を、リリによく似た真っ白なネコが駆け去っていきました。
一瞬のことで、マックスは不意を打たれて立ち尽くしたまま。
でも、マックスの知っていたリリはあんなふうに取り乱したふうをする人ではありませんし、パリにはたくさんの人がいます。
たぶん、よく似た別人だったのだろうと思いました。


ポプラ小路に足を踏み入れると、街灯のもと、雪の積もり出した石畳の上に、きらりと光るものが目に留まりました。
小さなハート形のガラスのピアス。
拾い上げてみると、たしかにリリがつけていたものです。
毎日見ていたものですから、間違えようがありません。
では、あれはやっぱりリリだったのでしょうか。
マックスは、ピアスをポケットに入れると、あわててもと来た通りのほうへ走っていって、きょろきょろ見まわしました。
けれども、さっきの人影はもうどこにもありませんでした。

   ***


あれからリリは、どうしていたのでしょう。
二度と、歌のレッスンに行くことはありませんでした。
俳優養成学校もやめてしまいました。
それからはずっと、デパートの売り子やウェイトレスなど、舞台と関係ない仕事で身を立てていったのです。
マックスにまた会いたい、ふるさとに帰りたいと、何度も思いました。
片方だけになってしまったピアスは、今もずっとつけていました。
でも、夢に破れてしまった自分を思うとひどく惨めで、とてもみんなに合わせる顔がありません。

ずっと後になってから、ひょんなきっかけで、モンマルトルの小さな劇場でまた舞台に立つようになりました。
友だちのキキに頼まれたのです。
主役を演じる予定だった女優さんが、急におたふく風邪にかかって舞台に立てなくなってしまったそうです。小さな劇場ですから、代わりの女優さんもいません。劇場支配人が途方に暮れているということで、舞台経験のあるリリに話が回ってきたのです。
「舞台をやめてから何年もたちますし、二日でセリフを全部覚えるなんて無理です」
と断ろうとしたものの、
「何とか今回だけでも」
と説得されてしまいました。


結果は、大好評。
それからちょくちょく役を頼まれるようになり、のちには請われて、正式な団員となりました。彼女自身、自分はやっぱり舞台に立つことが好きなんだと、改めて感じたのです。
劇場支配人はいつも憂鬱な顔をした男やもめでしたが、舞台の上で元気に動きまわるリリの姿を見ているうちに、つられて元気になってきたようす。やがて彼女に結婚を申し込みました。
リリの頭にマックスの顔が浮かびました。でも、こんな不義理をしている自分をまだ待っているなんてわけがない、とっくに誰かほかの人と結婚してしまっただろう。そこでリリはOKしたのでした。


そんなある日のこと。
リリは舞台から見る客席のなかに、見覚えのある顔を見つけたような気がしました。マックスにとても似ています。何度か目が合ったような気もします。けれども客席の端っこはとても暗く、はっきりとは分かりません。
リリは何だか気になって、舞台がはねたらすぐにロビーの方へ行ってみようと思いました。しかし、そんなときに限ってあちこちで人に呼ばれて、なかなか自由になれません。やっと来られた時には、もうあらかたお客さんも捌けて、がらんとしていました。
「マックスなわけないわ。私がここで舞台に立っていることを知っているはずないし、だいいちパリにいるはずがないもの、きっとよく似た別人だったんだわ」
そう思うよりほかありませんでした。

   ***


マックスはそれから何度かポプラ小路を訪れますが、リリの姿を見ることはありません。
彼は電報局の仕事を見つけ、パリで働き始めました。そして、ポプラ小路に部屋を見つけて移り住みます。ポプラ小路3番地、通りから入ってすぐのところです。
休みの日には、家の前の石畳のところに椅子を出して、ぼんやり、道行く人を眺めます。ひょっとして、落としたピアスの片方を探しに来るのでは。
仕事のときにも、差出人や宛名書きをタイプしながら、リリに似た名前があるとつい目で追ってしまいます。
でも、それ以上の行動を起こすことはありません。

同僚のロベールが見かねて、
「尋ね人の広告を出してみたら?」なんて言ってくれます。
けれども、マックスは思うのでした。
「探してほしくないのかもしれない。何か事情があるのかもしれない。新しい恋人がいるかもしれない」


そんなある日のこと。
ロベールが興奮気味にやってきて、マックスに一枚のちらしを見せました。
「これ、君の恋人じゃない?」
それは劇場の上演ちらしでした。何人かの役者たちにまじって、花綱で囲まれたなかに微笑んでいるのは見まごうかたなきリリです。
マックスの背中を、雷に打たれたような衝撃が走りました。
「将来は女優になって、パリで舞台に立つのが夢なの」
彼女の言葉が、つい昨日のことのように思い出されます。
リリは夢を叶えたんだ、と思いました。


ロベールにもらったちらしを手に、モンマルトルの小さな劇場へ、マックスはひとりで出掛けていきました。
上演のあいだずっと、リリの姿を食い入るように見つめないではいられません。何度か目が合ったような気もしました。
舞台がはねたあと、迷いましたが、勇気を振り絞って面会を申し入れようと、舞台の袖へ向かいました。
衣裳のままの役者たちが慌ただしく行き来していて、けっこう気後れがします。
突然、視界の端に、ドレス姿のリリが飛び込んできました。なんだか、ひどく忙しそう。
と、誰かが大声で、
「リリさん! 旦那さんが呼んでますよ」
するとリリは、
「はい、いま行きます!」
と返事して、くびすを返して飛んでいきました。
それを聞いたマックスは、そのままそっと立ち去ったのでした。

   ***


支配人と結婚してからのリリは、劇場の切り盛りや裏方など、しだいに中核を担うような立場になっていきました。
夫が亡くなってからは、彼女が事実上の支配人となりました。
あれこれの面倒な手続きや、いろいろの胃が痛くなるような心配ごと。
ただ舞台に立っているのが好きだった彼女にとっては辛い役回りでした。
その後、劇場は若手たちに任せ、ひっそりと年金生活に入りました。

   ***

あれからずっと後になって、マックスも電報局を退職して、相変わらずポプラ小路に住んでいました。いつも、おもてに出した椅子に座って、道行く人を眺めています。

クリスマスも近いある日のこと。
リリがたまたま近くを通りかかりました。あの日以来のことです。あの日と同じように、ちらちら、雪が舞い始めていました。
彼女は大切なピアスの片方をなくしてしまった、遠い昔のことを思い出します。いつものくせで耳に手を伸ばし、片方だけのピアスを触ります。
「ポプラ小路、昔と変わらないかしら。もしかしてあのピアス、まだ落ちているかしら、なんて、まさかね」

リリが石畳の道に姿を現したとき、マックスはちょうど、寒いのでもう家の中に入ろうと腰を上げたところでした。
彼にはすぐ分かりました。ずっとずっと待っていたのですから。
夢を見ているのかと思いながらも、思いきって声を掛けました。
「リリ!」
彼女は驚いて振り返ります。
「ピアスを探しているの?」
それを聞いて、リリははっとして、じっと相手を見つめました。
「…マックス? マックスなの?」


彼はポケットからピアスの片方を取り出すと、リリに差し出しました。
小さなハート形の、ガラスのピアスです。
リリは言葉になりません。あとからあとから、ただ涙が溢れてきます。
マックスは、彼女がもう片方のピアスを今もつけていることに気づきました。
「よかったら、こっちもつける?」
リリは黙って頷きました。

二人の結婚式はクリスマスの朝でした。
リンゴンと鐘の響くなか、ヴェールをなびかせたリリと、タキシード姿のマックスが教会から出てくると、みんなのあたたかな拍手が迎えました。
リリは真っ白ネコ、マックスはタキシード柄の白黒ネコ。
「結婚式にぴったりの柄だね!」とよく言われていました。
今日は二人のための日です。

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