としより
地域活性化、地域貢献、街を元気に、などの言葉に酔って思いつくままに人に語り人を集め人を動かしていると、地元の新聞に出たりタウン誌に載ったりローカル局が取材にきてくれたりするものである。
そして、そういう温度を嗅ぎつけた、少し年上の、ずっと前から地域にいて声を出してきた人がたいていは横槍をいれてくるものだ。
彼らは、そんなやり方ではダメだ、自分ばかりが取り上げられてはダメだ、地域全体の利益になるような視え方じゃないとダメだ、と何かあるたびに言ってきた。地域全体、というのはつまり何か華々しいことがあったら、地域の長は自分たち年寄りなのだから、年寄りに花を持たすような結果でないとダメなのだということだ。
いいことには違いないのだけれど、この地域でやったからには、地域の(長である自分たち年寄りの)手柄にしないと認めない、という。
そこには、新しい人や考え方を怖がる何かが見え隠れし、好き勝手にはさせない、荒らされたくないという意識もはっきりと見てとれた。
中年や年寄りはこれだから、と、最初は相手にしなかった。だが、相手にしないことはできても、無視することはできなかった。
時間がたつにつれ、執拗に繰り返される横槍をうまく躱したりやり過ごしたりすることにエネルギーを吸い取られ、疲弊した。
そしていつのまにか、声を出したり人に考えを伝えたり集まりに顔を出したり人を集めたりすることをやめてしまった。
自分が動くのをやめると俄然周りの人のやっていることが気になって、ああすればうまくいくはずなのに、自分ならこうする、これはよくないと考える。
若い人のやっていることを、すこし高いところから眺めて「そんなことは私がずっと前に一度やった」と。
考えるだけではなく、それを当人に伝えたくなってふと思いとどまった。
そうか、あのときの年寄りの横槍はこれだ。
彼らは自分たちもまた同じことをやってきて、今も最中にいるのだ、忘れないでほしいということを訴えていたのだ。
そして私は、年寄りに、中年になったのだ。
ありがとうございますはげみになります 生活の足しに・・