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謎の速日、速玉

速日(ハヤヒ)と速玉(ハヤタマ)を考察

 茨城県の日立市に泉神社と御岩神社がある。
泉神社の御祭神は、天速玉姫
御岩神社にある
 かびれ神宮の御祭神は立速日男命

立速日男命(別名:速経和気はやふわけ命)
 記紀などに名はなく常陸国風土記と社伝にのみ伝わるご祭神

天速玉姫 
 記紀などに名はない。
 天速玉姫を唯一祀る泉神社の社伝では
 以下のように記してある。

泉神社は人皇第十代崇神天皇の御代、宇治49年(紀元前42年)にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。
延喜式内社の由緒深い旧郷社である。
久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、大臣伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。
 社記に「上古霊玉此地に天降り霊水湧騰して泉をなす号けて泉川云ひ霊玉を以て神体とする」とある。 ご祭神はこの霊玉を神格化した天速玉姫命をお祀りしている。

泉神社ホームページ御由緒より引用

船瀬宿禰が祭祀したとあるのみである。
考察系を調べてみると、玉の字から豊玉姫ではないか❓とか速玉男ではないか❓などの説が存在する。
 速玉男について、ホツマツタエを考察する方のサイトの中に、以下の記述があった。

速玉男命。 
タカヒト(イサナギ)とイサコ(イサナミ)の最初の仲人役となるが失敗する。 
全国各地の熊野神社にイサナミと共に祭られていることから「御隈野の臣」というのは、ハヤタマノヲとコトサカノヲを指すのではないかと推察する。

鳥取県西伯郡伯耆町福岡、福岡 (フクオカ) 神社

■根の国とヒタカミの二尊の仲人を務めたということから、ハヤタマノヲとコトサカノヲは元来は旧中央政権(オモタル朝)に属していた臣で、二尊の結婚を契機にそのまま二尊に侍るようになった、などと勘ぐったりする。
■玉置神社の由緒によれば「ハヤタマ」はイサナミを指す。

ほつまつたゑ 解読ガイドより引用

ここで気になったのは、最後の文
『玉置神社の由緒によれば、ハヤタマはイサナミを指す』
 つまりハヤタマ=イサナミまたは
イサナミの系譜の神である可能性がある。

 イサナミの出身は、日高見國であり
その場所は、私の研究では茨城県北部から東北にかけてである。根拠として、日立市の旧名は、多賀郡→さらに前は高國である。
 ➕日立市には日高町がある。

 立速日男命が鎮座する場所についても常陸國風土記には、かびれの高峰という言葉に高の文字が隠されている。

さらに、速日という字の神を探すと
饒速日命がいる。
 饒速日命とは、ニニギノミコトが日向に天孫降臨するよりも前に大和地方河内に天降りしていた神であり旧豪族の物部の祖神である。
 日本書紀にも記された神であるが、詳しいことについては、あまり記載がない。しかし先代旧事本紀には、饒速日の正式な名称が書かれている。
 それが天照国照彦天火明櫛玉饒速日命である。
天照つまり
天照大神の系譜であり
国照=国常立命の系譜であり、
天火明=アメノホアカリの系譜であり
櫛玉= 櫛甕魂命。櫛御方命。天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタノミコト)であり
饒速日という長い系譜のが名先代旧事本紀には刻まれている。

 ここで、また日立近隣のお話になるのだが、この饒速日と物部二十五部を祀る神社が、お隣の常陸太田市天神林にある。名を稲村神社という。

考察まとめ
 
速日速玉とは、大倭日高見國グループである。
その神々の名が多く残る日立市の神社、この地から東北にかけての地が大倭日高見國である。
 さらにそれに関連する大甕倭文神社には、饒速日に使えた豪族の長髄彦のような神、天津甕星香香背男が鎮座している。
 この話については、後日別に書いていく。

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