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ニコニコインディーズの伝説・五泉菜摘さんをカバーしました

五泉菜摘さんをご存知だろうか。

2013年から翌年にかけて、わずか1年だけ活動していた(当時)15歳のシンガーソングライターだ。
ニコニコ動画をホームグラウンドに、19曲のオリジナル楽曲を発表。
それは流星のようなパフォーマンスだった。
彼女は忽然と、そのまばゆいばかりの姿を消した──。


2013年1月22日、5曲目となる『サイコパス』で彼女はブレイクした。
かくいう僕も同曲から入った口だ。
その衝撃は今も忘れない。

のどのとこ切って殺す

サビのリフレインである。
五泉菜摘さんはサビをリフレインする手法をよく用いる。19曲中、8曲で使われている伝家の宝刀だ。
そこに実年齢よりもうひとつ幼い声質が合わさることで、やくしまるえつこを彷彿とさせる。
しかしながら、彼女が唯一無二のアーティストであることは、この一節のみを切り取ってみても証明できてしまう。

「のどのとこ」というワードセンス。
それがぴたりとはまるあどけない歌声で「切って殺す」と続くアンバランス。
──五泉菜摘の魅力とは?
もしもそう尋ねられたなら、僕はこの言葉を選ぼうと思う。
アンバランスである、と。


彼女の動画に流れるコメントで最も多い単語は「天才」だ。
視聴者にそう書かせる理由は明確で、音楽、イラスト、映像、その全てが前衛的なのだ。
昨年末、NiziUの『Step and a step』のAメロが音楽理論上破綻していると話題になったが、そのようなチャレンジングなメロディラインはすでに彼女が『DANCE HUMAN』のAメロで魅せている。
7年早い。
予想だにしないことが起こり、巨大なカタルシスを与えられる。
前衛的、カタルシス──。
僕はさらに、振り切られたバランスがあると思っている。

例えば、フリーソフトでベタ打ちされたチープなサウンド。
例えば、ノートPCの内臓マイクで録音されたホワイトノイズまみれのボーカル。
例えば、学校の授業中にノートに描く落書きのようなイラスト。

雑である。

言い換えると、一切の計算が存在しない。
感覚のみで、思うままに作り上げられている。
恐るべきは、普通であれば作品として破綻するはずが、高度な領域で成立させてしまうところ。
天性の芸術的センスとレベルの高い技術を持ち合わせているからこそ成せる業。
つまり──、天才。

「独創的であり、凡庸である」あるいは「巧妙であり、稚拙である」という乖離現象がひとつの作品の中で巻き起こっている。
前代未聞のジャンル。
それをニコニコ動画というアンダーグラウンドめいた場所に落とし込むことで、額縁に収められた絵画のような完成度を誇っている。
爆発的なケミストリーだ。


18曲目の『OSUSOWAKE』に、「喉のとこ塗って殺す」というタグが有志によって付けられていることからも、彼女の代表作は『サイコパス』といえるだろう。
しかし、再生数においてはこれを上回る楽曲が1曲、存在する。
それが、『わたしグラジュエーション』だ。

僕は『わたしグラジュエーション』が一番好きだ。
正統派POPSで異彩を放っている(矛盾ではない)。
ところが、五泉菜摘さんのYouTubeチャンネルでは公開楽曲が11曲にとどまり、同曲はラインナップされていない。
YouTube全盛期の時代が到来して久しく、この事実をかねてより寂しく思っていた僕は、この楽曲をカバーすることを思いつくに至ったのだった。


ブドウを食べるときに、気をつけることは、おいしそうな顔をやめないこと

五泉菜摘さんがTwitterでそう言い残し、6年の歳月が経過した。
活動再開の可能性は極めて低いだろう。
それでいいと、今は思う。ただただ、元気でいてくれれば、そう願うばかりだ。
なぜなら「15歳の五泉菜摘」として、活動そのものがアートとして完成されているからだ。

だから僕は伝説と呼んだ。
これは単なるカバーにあらず、トリビュートである。



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