ふわふわ脳みそ

羊を数えたのに、眠れない。
497、498、499、500。

500匹目の羊を飼い始めた頃には
頭の中は わたがしみたいなふわふわで埋め尽くされて、わたしは ぬいぐるみみたいな ふにゃふにゃになる。

小さい頃、木製の大きな棚をマンションに見立てて ぬいぐるみたちを住まわせた。
そこには確たるヒエラルキーが存在していて、弱肉強食だとか年功序列だとか、大人がそう呼ぶような仕組みが たしかに敷かれていた。最上階にはリーダー格の古株を、最下層には何も知らない新入りを。とにかく、強者と弱者のあいだに可視化された境目があった。

私はきっと、脳みそのないふにゃふにゃに頭の一部を分け与えていた。意志を持ってしまったネズミはマンションの長としての威厳を忘れないまま、すました顔で15歳を迎える。

人間社会のヒエラルキーを、脳みそをもたないぬいぐるみたちに押し付けるのは残酷なことだったと、今なら分かる。ふにゃふにゃとして生まれたのなら ふにゃふにゃのまま生きていたい。強者と弱者のいざこざをエンターテイメントだと、他人ごとだと捉えたから、遊びに持ち込んでしまえた。幼かった。無知であることに守られていた。

ふにゃふにゃの小さな脳みそのまま生きられなかった私たちは、頭でっかちな自分を時に忌み嫌う。だから、定期的に羊を数えて脳みそをふわふわにするのだ。気づいた時には敷かれていたレールを、他人事にできなくなった意地汚い争いを、知らないことにしてしまおう。知りすぎた私たちが、脳みそを固められて死んでしまう前に、わたがしみたいなふわふわに戻すのだ。どうしたって生きていかなければならないから。

13時間も眠り続けて5時間しか活動していない今日も、羊を数えるのだ。わたしは ふわふわの脳みそで、中身のない空っぽな、それでいて幸せな夢に浸るのだ。

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